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カルテに書かれた「かどゆまきさあ」

 主治医と共に一時外出している設定の桔梗を、焔華と二人で病院に帰すわけにもいかない。

 休日にもかかわらず天門総合病院に顔を出した氷室は、隣に並び立つ人間が誰かを認識した同僚たちに訝しげな目を向けられている。


(どこからどこまでが院長の駒かはわからないが──)


 吉更を腕に纏わりつかせ、知らない女と並び立つ氷室が不審者扱いされるのは無理もない。

 氷室は同僚たちに呼び止められないよう、足早に桔梗の病室を目指した。


「きーちゃん!ただいまー!」

「遅い」


 病室のドアを閉めた桔梗が、元気よくベッドの上に横たわった吉更に声を掛ける。

 吉更は桔梗に代わってベッドで横たわることに飽き飽きしていたのか、桔梗を睨みつけた。


「誰だよその女。しろゆき先生まで連れてくる必要、あったのか」

「きーちゃん!焔華さんだよ!Imitation Queenの!私、アイドルオーディション、合格したよ!」

「アイドル……?」


 吉更は桔梗がアイドルになりたがっていることは知っていても、アイドルのオーディションを受けに行くことは知らなかったらしい。

 ベッドの上から降りた桔梗の格好をしている吉更は、着替えを手に取ると(おもむ)ろに洗面所の方へと向かった。

 入れ替わる必要がなくなったので、桔梗の振りはやめるのだろう。


「私が入院している間、私の代わりにアイドルやって!」

「は……?」


 洗面台の前で、ごそごそと断続的に聞こえていた音が消える。

 すっかり吉更の外見に戻った弟が呆然とこちらへ顔を覗かせれば。

 入れ代わりで弟の手から衣類を受け取った桔梗が、洗面台の前で着替えを始めた。

 その様子を見て声を上げたのは焔華だ。


「……ちょっと。女装の許可は取ったって言ってなかった?」

「こいつの言葉を真に受けない方がいい。大嘘きだからな」

「虹花がやっと消えたかと思えば……また嘘つきが加入するわけ?どいつもこいつも……どうして嘘つきはアイドルとしての素質が高いのよ……」


 焔華は誰かと比べて頭を抱えるが、氷室にはどうでもいいことだった。

 桔梗がアイドルとしてこれから活動する件については、氷室にとってどうでもいいことだ。

 美月の行方と、桔梗の言う「あの子」が誰なのかさえ分かれば。

 すぐにでもこの場を立ち去るのだが──。


(病院に長居すると、急患が来たとき間違いなく宛にされる)


 どこの病院も、運営する為に必要な最低人数を下回った状態で経営しているのだ。

 足りない人数分の仕事は、働いている人間だけでカバーしなければならない。

 この業界は医者になるだけでも狭き門だが、寝る間も惜しんで患者の為に働き続けることは難しいのだ。

 医者になる段階で振り落とされ、なってからもまたふるい落とされる。

 足りない人数分のしわ寄せが働いている医者に重くのしかかり、ますます労働関係が悪化する悪循環だった。


「アイドルとして活動する、しないは愛知姉弟と揉めてくれ。俺だって暇じゃないんだ」

「──主治医として、この子が助かる見込みは?」


 医者として、か。難しい所だ。

 肝臓がんの死亡率はそれほど高くない。

 心臓病に比べれば、約50%の確率で臓器提供が受けられるのだから。

 桔梗の場合は外部のドナーを待つよりも、18歳まで生き続けて双子の弟である吉更から肝臓を譲り受けることが最も助かる見込みのある手段だった。


(こいつが本当に肝臓がんならば、18歳まで生き続けることさえできれば生存確率はかなり高い。ほぼ100%に近いはずだ)


 問題は、桔梗が病気の影など一切見られない健康体である点だ。

 桔梗はあの子と呼ぶ少女に臓器を提供する為入院している。

 臓器移植を受ける患者ではなく、生体ドナー候補なのだから、手術時に何らかの不手際が起きない限り彼女が死ぬようなことはないのだ。

 ただし、桔梗の両親が臓器売買の報奨金として数千万円を受け取り、手術が成功して「あの子」が助かった場合は――口封じに桔梗が消される可能性はかなり高い。


(病気で死ぬようなことはおそらくないが、命の危険がないわけではない。これを医者として、病院の闇を知らない人間に説明するのは骨が折れる……)


 氷室が下手を打てば、現役の国民的アイドルである焔華も巻き込むことになる。

 桔梗がアイドルグループの一員として所属する以上、下手を打たなくたって大スキャンダルに発展する可能性は高いが──そのあたりは、氷室が気にするべきことではない。


「18歳まで生きられたなら、他に問題がなければほぼ助かる」

「ほぼ、ね。イミクイから死者なんて出したくないんだけど。もしもの時は、あんたが責任を持って助けてくれるのよね」

「……」


 氷室は主治医ではない。

 責任を持って桔梗の手術を終えることもできなければ、そもそも身体になんの問題がない人間を手術台に上がらせることなどできるはずがないのだ。


「当たり前じゃないですか。氷室先生は、私の主治医だもの。ねぇ、氷室先生」


 氷室が力強く返事をしてくるだろうと考えていた焔華と吉更からの視線が痛い。

 絶対にできないことをできるなど。

 無責任な発言を医者の氷室がするわけもなく──結局、助け舟を出した桔梗の後押しにより、この場はどうにか収まった。


 *


 地獄のような空間から抜け出た氷室は、病室に焔華と愛知姉弟を残して足早に病院を後にする。

 歩いて目的の場所へ向かう気にならず、氷室はバスを乗り継いでのんびりと美月の資料が放置されている隠れ家へ足を踏み入れた。

 真っ昼間に隠れ家へ足を踏み入れることがなかった氷室は、窓から差し込む明るい光によって照らされた床がホコリまみれであることに気づく。

 鈴瑚は綺麗好きだが、まず自分で清掃などしない。

 清掃をするなら、使用人を連れてきてやらせるだろう。

 美月が隠れ家に残した資料は、不特定多数の人目に触れていいような代物ではない。

 白雪家に仕える人間は口が固い者たちばかりだが、大金を積まれたら絶対に裏切らない保証はなかった。

 氷室が白雪家に仕える者達の中で信頼している人間は、鈴瑚の側に控えている青年だけだ。

 それ以外の人間が美月と氷室が落ち合う為に購入したこの場所へ立ち入り、情報流出などされては堪らない。

 仕方なく氷室は箒とちりとりを手に取り、埃が積み重なった場所の清掃からはじめた。


(鈴瑚のまとめた分厚い資料を流し読みして来たからな……ある程度のことは把握しているが……)


 氷室は鈴瑚に桔梗が言う「あの子」の話と、桔梗から迫られていることを説明できていなかった。

 鈴瑚は再び姿を表した美月と氷室が婚姻することを心から強く望んでいるからだ。

 当然、氷室も婚姻するならば美月以外ありえないと思っているが、桔梗は「氷室先生と婚姻するのは私」と絶対の自信を持っているようだった。


 (一体どこから俺と結婚するのが確定していると自信満々に威張れるんだか……)


 氷室の婚姻相手が美月だと信じ込んでいる鈴瑚に、桔梗に迫られたことを話せばどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。

 氷室は鈴瑚に悟られぬように桔梗から美月の情報を引き出し、桔梗の言う「あの子」の正体を突き止める必要があった。


(天門総合病院の臓器売買事件に、あの女が関わっているのは間違いない)


 院内学級に足を運んでいた7人の簡単なプロフィールとカルテは、美月が在席していた状態でこの隠れ家に保管されている。

 本来であれば、患者の個人情報となるカルテは持ち出し禁止だ。

 このカルテに何らかの虚偽(きょぎ)が含まれていたとしても、証拠にはなり得ない。

 美月は氷室へ、院内学級に通う少年少女が臓器売買の生体ドナーであることを気づかせる為に、カルテのコピーをこの隠れ家まで運んできたのだろう。


「……?」


 氷室はカルテをコピーした紙の裏面に、ざらざらとした感覚があることに気づいた。

 そのざらざらは、カルテの下部へランダムにつけられている。


(なんだ……?)


 不思議に思った氷室がカルテの裏面にブラックライトを当てれば、文字が浮かび上がってきた。

 カルテを裏返し、一枚一枚ブラックライトを当てて浮かび上がる文字を確認する。


「かどゆまきさあ……」


 意味不明な文字をホワイトボードに書き込んだ氷室は、一度カルテを表に返して裏面に書かれた文字とカルテ情報に共通点がないかを探っていく。


(名字順、誕生日順、血液型順……入院順……)


 何度も何度もカルテを並び替え直し、意味のない文字が意味のある数字に変化するかを確かめていく。

 やがて氷室は、裏面にブラックライトを当てると浮かび上がる文字が、下部へランダムに書き込まれていることに気づく。

 一番右側に書き込まれている文字は「あ」で、一番左側に書き込まれている文字が「き」になることを確認した氷室は、慎重に紙を重ねて文字の並びを確認する。


「あまかど、さゆき……」


 カルテの情報を元に、並び替える必要などなかったのだ。

 美月は氷室へ8人目の子どもが関わっていることを誰にも知られることなく伝える為、カルテを裏面にして重ね合わせ、消えるペンである人物の名前を書き記した。


 それが、あまかどさゆきだ。


(天門総合病院の院長と同じ名字だな。関係者か……)


 この人物が桔梗の言う「あの子」ならば、探し出して事情を聞けばいいだけだが……。

 現在病院に入院している患者の中で、「あまかどさゆき」と呼ばれる患者はいなかったはずだ。


(すでに退院しているなら厄介だな)


 桔梗は「彼女が18歳の誕生日を迎えたら臓器を提供する」のだと言っていた。

 何故18歳なのかは不明だが、生体ドナーの適用条件を勘違いしている可能性がかなり高い。

 脳死ドナーからであれば、保護者の同意が得られさえすれば15歳未満でも臓器提供が可能だが、生体ドナーからの移植は18歳からだ。

 臓器提供を受ける患者の年齢制限など存在しないはずで、生体ドナーとなれる親族は6親等以内の血族、3親等以内の姻族。

 赤の他人が生体ドナーとして臓器移植に協力する為には、まず正式な手続きを踏んで希望者と血縁者になる必要があった。

 医者として初歩的な知識すらも、あの病院に勤務する医者は持ち合わせていないのだろうか?

 違法な手段に手を染めすぎて、何が正常なのかすらもわからなくなっている可能性の方が高そうだ。

 臓器提供を受けなければ余命いくばくもない少女が、入院することなく日常生活を営んでいるとは到底考えづらい。

 桔梗は「あの子」と面識があるようだった。

 病院内にいるならば、彼女の存在は秘匿されているのだろう。


『この病院は、本来入院する必要のない健康な子ども達から臓器を摘出して、売り捌いているのよ!』


 電話越しに声を殺して叫んだ美月の声は、半年経った今でも鮮明に思い出せる。


 美月の言葉を素直に受け取るのならば、天門院長が臓器売買について誰かと会合している内容を盗み聞きしたせいだとばかり考えていたが──。

 桔梗が「あの子」と呼ぶ人物と言葉を交わし、情報を得た可能性も考慮するべきだろう。


(あの女は、あまかどさゆきに生体ドナーとして肝臓を渡す為に入院している。高額な金銭と引き換えに……)


 もしも桔梗の話が事実であれば。


 未成年であるにもかかわらず生体ドナーとして金銭を受け取り臓器を提供した桔梗、金銭を支払い臓器を受け取ったあまかどさゆき、手術を執り行った担当医、まだ見ぬ仲介役──数十人近い逮捕者が出るだろう。


 アイドル活動などしている暇もなければ、できるはずもない。

 桔梗は一体何を考えているのだろう。

 氷室があまかどさゆきの移植が無事に成功したあと病院へ証拠を突きつければ、桔梗の人生も終わる。


(あいつは命さえ繋がれば、どんな罰でも受ける気なのか)


 本来であれば桔梗は、氷室と美月を妨害しなければならない立場だ。

 そのはずなのだが、桔梗は氷室を「将来の伴侶」と定義づけて擦り寄り、氷室が手詰まりにならないようヒントを与えてくれる。


 末恐ろしい中学生だ。


 彼女の目的がわからない以上、無条件に信じることもできなければ、彼女の言い分を100%信じることなどできそうにない。


(愛知桔梗がお咎めなしになる道があるとすれば──)


 臓器提供を行う変わりに前金を数千万親が受け取っていることが嘘で、誓約書などにサインをしていない状態であること。

 なおかつ、臓器移植は行われず、この事件が明るみに出ることさえなければ──彼女は五体満足で、国民的アイドルImitation Queenの一員として輝き続けられるだろう。


(俺の目的は、美月の無事を確認することだ)


 氷室は愛知桔梗を救うため、天門総合病院の暗部を暴こうとしているわけではない。

 最優先は美月の安否確認。そして、復讐だ。

 愛知桔梗のことは、二の次三の次となるはずだが──。


(くそ……っ)


 桔梗の笑顔と歌声が脳裏に焼き付いて離れないのは、何故なのか。


 氷室はいつの間にか、桔梗のことを美月や鈴瑚と同じくらい大切な存在になっていることを認識し、愕然(がくぜん)とした。


(消えろ、消えろ!)


 どんなに拳を固いテーブルに突き付けようとも、桔梗の幻影は消えない。

 耳元で囁く声まで聞こえてくる始末だ。


『氷室先生!』


 出会って一週間も経たない少女が、死ぬ姿や犯罪者として逮捕される場面を想像した。

 胸が締め付けられるような鋭い痛みを感じた氷室は、必死にその思いをかき消そうとする。


(恋愛感情だと思うから、おかしくなる。俺は助けたいと思った。それだけのことだ。深い意味はない)


 氷室は美月の真似をしているだけだ。美月が病院の闇に気づき、桔梗へ手を差し伸べたならば。氷室も桔梗が罰を受けないように手を差し伸べる。


 それだけのことだ。


(俺が好きなのは美月だ。あの女じゃない)


 氷室は自らの心に何度も言い聞かせると、繋がるはずのない美月の電話番号に電話を掛け──荒れた心が落ち着くまで、耳に当て続けた。

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