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はじまりは臓器売買事件の密告から

 ──愛してはいけない人を、愛してしまった。


 交際している彼女が8年前行方不明となったのをいいことに、白雪氷室(しらゆきひむろ)は国民的アイドルとして活動していた愛知桔梗(あいちききょう)の誘惑に屈して浮気をしてしまった。


(もう遅いんだよ…)


 今更行方不明になった彼女──空島美月(そらじまみづき)が現れても、もう遅い。

 桔梗と氷室は、運命の赤い糸で結ばれているから。


「何もかもが、遅すぎる。8年近く経って…今更…意味わかんねぇ…」

「意味がわからないのはあたしの方よ。氷室。あなたはどうしたいの」


 氷室がどうしたいかなど、聞かれるまでもなく答えが出ていた。


(俺がしっかりと、口にすればいいだけのことだ)


 美月に問いかけられた氷室がテーブルの上で拳を握りしめると、桔梗が不安そうに両手を重ねてくる。


「氷室先生」


 その手のぬくもりをより強く感じる為に。

 一度握りしめていた手を開いて裏返すと、美月に悟られぬよう氷室は桔梗と手を繋ぐ。

 繋いだ手が離れぬように。

 互いの薬指に見えない運命の赤い糸を結びつけた二人には、恐れるものなど何もない。


「俺は──」


 美月にとっては告げられたくない死刑宣告を。

 桔梗にとっては、喉から手が出るほど欲しい言葉を告げた──。


 *


 ──8年前。


『この病院は、本来入院する必要のない健康な子ども達から臓器を摘出して、売り捌いているのよ!』


 カツ、カツ、カツ、と。


 電話越しに、階段を駆け下りる彼女の足音が反響して聞こえる。


 彼女は働いている病院の悪事を暴いたことで、興奮しているのだろう。彼女の声は、電話越しによく聞こえてきた。


「お前、どっから電話掛けて来てんの」

『これからそっちに向かう所よ!』

「これからって……」


 悪魔の巣窟で秘密を外部に漏らせば、彼女の身にいつ危機が訪れたとしてもおかしくはない。


(まさか、まだ病院内に居るんじゃないだろうな)


 彼女のスマートフォンには、氷室の連絡先がフルネームで登録されているはずだ。

 もし彼女が氷室に連絡して、秘密を外部に流出させていると病院で悪事を働く人間に知られたら──氷室の命も危険に晒される。


 氷室が彼女と親しい中であることを除いても、他人事ではない。


「身の安全を確保してから連絡してこいよ……」

『コソコソ目立たないように隠れて闇討ちされるより、誰かと通話している方が犯人も手が出せないでしょ!?』


 それはなりふり構っていない犯罪者相手ではなく、無差別殺人を生業とした通り魔や変質者を相手にするときの手法だ。

 頭がいいんだか悪いんだかよくわからないあべこべな彼女に、氷室は思わず頭を抱えた。


『いい?あたしに何かあったら、代わりに病院の闇を暴くのよ』

「縁起でもないこと言うな」


 身の危険を感じているからこそ、現場からすぐに氷室へ連絡して来たのだろう。

 身の危険を感じていないならば、焦る必要がない。

 氷室も有り余る正義感を振りかざし、暴走しては家族にいい加減にしろと怒られるタイプの人間だが──。


 彼女はその比ではない。


 熱しやすく冷めやすい彼女は、自分の身が可愛くて対岸の火事をただ眺めるだけの野次馬たちを押し退けてまで、燃え盛る炎の中に飛び込むガッツがあった。

 氷室は炎に巻かれ、逃げ遅れた人が助けを求めているとすれば。

 炎の中に飛び込んで助けを求めている人に手を差し伸べるが、彼女は助けを求めている人が炎の中にいないとしても、果敢に炎の中へと飛び込んでいく。

 悪く言えば無謀、よく言えば正義のヒーローなのだ。

 彼女は女性なので、正義のヒロインと呼ぶに相応しいのかもしれないが──。


『──助けを求める声を出せない人が、心の奥底で、今もどこかで助けを求めているかもしれないなら。私が助けてあげなくてどうするの!?』


 助けを求めていないかもしれないまだ見ぬ人を探して炎の中に飛び込み、命を落としては世話ないだろうに。

 必要以上の正義感をその身に宿したせいで、社会から浮いた存在の彼女が同族であると感じ──自然と惹かれ合った氷室と彼女は、死ぬ時も一緒であると信じていた。


美月(みづき)……」


 今まで何度も危険な目に合ってきたが、氷室と彼女は今日この時まで生きている。

 きっと今回も大丈夫。

 その彼女の油断が、悲劇を生むとは知らずに。

 氷室は彼女の名前を呼ぶだけで、彼女を助けるため現場へ迎えに行くようなことはしなかった。


『いい?臓器売買の証拠は、いつもの場所に隠してあるから──!』


 ドタドタドタ、と。


 けたたましい音が、電話越しから聞こえてくる。

 その音を聞いた氷室は思わずスマートフォンを耳から離したが、最後に何かが落ちて床に当たるような音がしたきり、静かになった。


「……美月?」


 氷室は電話越しに何かがあったことを悟っても、いつものように明るい声で美月から「驚かせてごめんね」と申し訳なさそうな声が聞こえるのを待っていた。


(言わんこっちゃない)


 だが……どんなに待っていても、美月の声は聞こえてこない。


「おい、美月!」


 スマートフォンの画面を確認した氷室は、電話がまだ繋がっていることを確認すると耳にスマートフォンを当て直して美月の名前を叫ぶ。

 何か高い場所から叩きつけられるような音がした以上、美月になにかあったのは明白だ。

 慌てすぎて足を踏み外しただけならいいが、誰かに突き飛ばされて階段から転がり落ちたならば、犯人がまだ近くにいるかもしれない。

 電話越し何度問いかけた所で返答が帰ってこないなら。

 氷室が取るべき行動は、美月の無事を確かめる為に行動することだ。


(焦るな。今までだって、危ない橋は渡ってきただろ)


 電話を繋げたまま美月の無事を確かめようものなら、美月の近くにいるかもしれない犯人へ氷室の情報が筒抜けになってしまう。

 美月は氷室の電話番号をフルネームで登録していない。

 氷室が電話を繋げたまま自分の名前を名乗りさえしなければ、犯人に美月と電話をしていた相手が氷室であることを知られることはまずないだろう。

 氷室が焦って現場にノコノコ、と姿を見せない限りは。

 美月の無事を確かめる為に連絡を取ろうにも、美月のスマートフォンと繋がる通話を切断しなければ行動に移せない。

 氷室がボイスレコーダーを作動させ、通話を切断するか迷っていたときだった。


 コツコツコツ、と。


 スマートフォン越しに足音が聞こえてきた。

 美月の物かと一瞬氷室は考えたが、ハイヒールで階段を駆け下りていた彼女とは足音が異なる。


(突き落とした犯人の足音か……?)


 もしも美月が階段から足を踏み外して落ちたのだとしたら、階段の踊り場に倒れ伏す美月の身体があるはずだ。

 人が倒れ伏す姿を見たならば、まず人は驚きの声を上げるだろう。

 それがないとしたら、足音の主はよほど感情の起伏が(とぼ)しい人間か、美月を突き落とした犯人以外ありえない。


『………………』


 氷室は息を殺して足音の人物が声を発するのを待ったが、結局電話越しの人間が声を発することはなく。バキバキバキと言う破壊音と共に、通話が終了してしまった。


(いいんだか悪いんだかわかんねぇな……)


 氷室は通話終了の画面が表示されたスマートフォンを握り締めると、すぐさま電話帳を開いてある人物に電話を掛ける。

 美月の無事を自らの目で確認したいのは山々だが、氷室には今すぐ駆け付けられない事情があるのだ。


鈴瑚(りんご)

『お兄様?どうか──』

「お前、暇だろ。今すぐ偶然を装って、天門(あまかど)総合病院の階段を端から端まで歩いて来い」

『端から端まで?天門総合病院と言えば、美月お姉様の働いていらっしゃる病院でしょう?何故わたくしがそのようなことをしなければならないのですか……?』

「一人で行くなよ。必ず男を連れて行け。いつでも通報できるように、スマホを肌見放さず持て。ボイスレコーダーも作動してから侵入するんだぞ」

『まるでわたくしに、強盗犯になれと言わんばかりのご指示ですね。理由を教えて頂かなくては、わたくしも対処のしようがありません』


 氷室が連絡した人物の名は、白雪鈴瑚(しらゆきりんご)。氷室の実妹だ。

 高校1年生の彼女は、授業が終わるとまっすぐ自宅に帰宅する。

 学園生活は息が詰まるらしく、部活動に明け暮れ年齢の近い少年少女と青春を体験するよりも、自宅でお姫様のような扱いを受けてふんぞり返っている方が性に合っているようだ。

 鈴瑚は両親の愛を受け、蝶よ花よと育てられた影響で浮世離れしている所がある。

 外見だけはすこぶるいい為、ボディガード代わりの使用人と共に病院内の階段を偶然隅々まで上り下りしていたとしても、さして問題になるようなことはないだろう。


「……人が倒れているかもしれない」

『かも?確証がないことをわたくしに確かめさせるおつもりならば、それなりの対価を頂けます?』

「お前の言う事をなんでも聞いてやる」

『なんでも、とは大きく出ましたね。わたくしが美月お姉様と結婚してくださいとお願いしたら、叶えてくださるの?』


 鈴瑚は美月をお姉様と呼ぶほど慕っていた。

「早く本当のお姉様になって頂きたいの」と氷室に懇願する鈴瑚へ、美月の命が危ないかもしれない──あるいは、すでに命を落としている可能性が高いから確かめてくれなど言えば、とてもじゃないが冷静ではいられないだろう。

 美月は女医として働き始めたばかり。

 彼女のキャリアを考えるならば、三十代中盤に差し掛かった頃に婚姻するのが一番いいと氷室は考えていた。

 今となっては、もっと早くに結婚して置けばよかったと後悔せずにはいられないのだが。


「検討はする」


 美月が生きているか死んでいるかすらもわからないのだ。

 日本では死んでいる人間と婚姻など不可能なのだから、安請け合いなどできるはずがない。

 鈴瑚が納得するとは到底思えなかったが、美月が生きて氷室の前に姿を見せるのならば──。


 氷室は美月と結婚するつもりだった。


『いいでしょう。お兄様はいつもわたくしにあと10年待てと未来の数字しか言いませんでしたが、それが検討するに変化したなら、わたくしは美月お姉様との婚姻を今すぐするかどうかを前向きに検討すると(とら)えます。約束は守ってくださいね』

「ああ」


 氷室は一度決めた約束を破るような男ではない。

 美月が生きていれば、無事であることを鈴瑚と一緒に喜んで籍を入れる。

 美月の無事がもしも確認できなかったその時は──。

(美月のいる生活が当たり前になっているせいか……あいつがいない時のことなんて考えられねえな)


 氷室と美月は、医大の先輩後輩だ。美月の方が3学年年上で、氷室にとっては憧れの小児科医を目指す高嶺の花だった。


 間違いを正す為なら、命を投げ出してでも人のため行動する。


 無鉄砲(むてっぽう)な所が放っておけず、氷室は背中を合わせて数々の理不尽を美月と共に改善してきた。


 氷室にとって美月は、自分の一部のようなものだ。

 もしも美月に何かあれば、氷室は今まで通り医者の卵として真面目に患者と向き合うことなど、できそうにない。


(美月、頼む。無事で居てくれ……)


 氷室は祈るように研修医としての業務を行いながら、鈴瑚からの連絡を待ち続けた。

05.04.10 タイトル前後・冒頭変更 

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