しゅうと古市の初デート!
「このまま真っ直ぐでいい?」古市は振り向いて聞いてきた。
「はい、真っ直ぐです。」しゅうは自転車を漕ぎながら、声を張って答えた。
「了解。」古市は、前を向いて自転車を漕ぎながら、しゅうに言った。
二人は府中の森公園を目指してサイクリングをしていた。
本当なら並んで走りたかったが、道路事情がそれを許してくれない。
ポルトガル料理のレストランで食事をした時、会話の流れで、国分寺に住んで間がなく、まだ府中の森公園に行ったことがない古市をしゅうが案内することになった。
国分寺で生まれ育ったしゅうにとって、隣町にある府中の森公園は、小学生の頃に遠足でも行った馴染みの場所だったこともあって、2つ返事で引き受けた。
それだけじゃなく、サイクリングデートみたいな感じがして、正直、胸が高鳴った。
古市の背中を見ながら自転車を漕いでいると、前方に深緑に包まれた広大な公園が見えてきた。
「そこを左に曲がってください!」しゅうは行き交う車の騒音に負けないように叫んだ。
古市は左手を上げて、OKと伝えてきた。
二人は交差点を左折した。
道案内をしているしゅうとしては、先頭を走るべきだったが、古市の後について走る方が安心できて、何となくしっくりした。
古市も何も言わずに、先頭になって走り出した。
しゅうの懸命な道案内のお陰で、二人は、無事、公園の駐輪場にたどり着いた。
「では、中を散策しますか。」自転車を降りたしゅうは、自然と古市をリードしていた。
「いやぁ、予想以上に広くて素晴らしいなぁ。」府中の森公園を目の当たりにして、古市は感嘆の声を上げた。
「本当に憩いの場なんですよね。」しゅうは自分が褒められたように嬉しくなった。
「花のプロムナードっていう散策路があるんですよ。路の両側が桜並木になっていて、桜の季節はとっても綺麗なんです!今は緑だけだと思いますけど。」しゅうはテンションが上がって、やや多弁になっていた。
古市はしゅうのテンションの高さに少し面食らったが、公園の景色以上にしゅうの表情が輝いて見えて安心した。
「こっち!」しゅうは小走りになって、花のプロムナードの方へ古市を案内した。
二人は噴水池に向かって花のプロムナードを散策しながら歩き始めた。並んで歩く二人の距離は今まで以上に近くなっていたが、お互い全く意識していなかった。
水辺の広場では、幼稚園児だろうか、数人の男児が水鉄砲やジョウロを手に、裸足になって水遊びをしていた。
ママたちは子供を見守りながら、ここにいないママ友の噂話に夢中になっているようだ。
「女性って、ひとの噂話が好きだよねぇ。」古市はボソッとつぶやいた。
しゅうはそんな実感が無かったので「そうですか?」と聞き返した。
私はそうでもないと思うけど、母親になったらそうなるのかなぁ。
「まぁ、みんながみんなそうじゃないと思うけど。」古市は意見を訂正した。
木漏れ日の中、なだらかな丘の先に続く青々と茂った森の景色を眺めながら歩いていた古市は、ふと、しゅうの横顔に目をやった。しゅうの横顔は木漏れ日のせいで陰になったり日向になったりして、その表情はより印象的に見えた。
しゅうは古市の視線に気付いたのか、「どうかしました?」と古市に聞いた。
「え?いや別に。こんな道を散歩するのは気分転換にちょうどいいなぁと思って。」古市は慌てて取り繕った。
「そうですよね。何かリフレッシュできますよね。」しゅうは笑顔でうなずいた。
レンガ色の石畳を歩いていると、噴水池に近づいてきた。
「噴水って、眺めているだけで涼しくなりませんか?」しゅうは噴水池の傍らに駆け寄って、古市の方に向き直った。
「本当だね。見ているだけで涼しく感じる。」古市も噴水池の傍らに立って、噴水が作る水柱を見上げた。
陽の光を受けた水柱はプリズムになって小さな虹を作り出していた。
「ほら、虹。虹を見られるなんて、運がいいですよね。」空中を指さしたしゅうの表情は、水遊びをしていた男児のように無邪気だった。
「うん。これからはいいことが待っているよ、しゅうちゃんには。」古市はしゅうの後ろに立って、しゅうが指さした方向を見ながらうなずいた。
「えっ、私にですか?そう信じておきますね。……あっ、そろそろ時間になっちゃいそう。」しゅうは腕時計で時刻を確認すると、古市を急かしながら芸術劇場に向かって歩き出した。
噴水池の先にある日本庭園を通った時、庭園内にある池の岩場の所で、3人の小学生が小さく切ったスルメのようなものをくくり付けたタコ糸を池に垂らして、覗き込むように釣りをしていた。
この回遊式の日本庭園は、公園の中にあって静寂な空気に包まれていた。
その空気と対照的な小学生の笑い声が、庭園内の静寂さをより一層際立たせていた。
「何を釣っているんだろう?」古市は興味を惹かれた。
「なんだと思います?」しゅうが笑顔で聞いてきた。
「僕が子供の頃は、あんな風にしてカニや何かを取ったもんだけど。」
「あぁ、惜しい。近い、近いですよ!」
「あっ!ザリガニ?」
「正解!ザリガニを釣っているんです。」
「あの池にいるんだ?」
「はい、私が小さい時から。友達に誘われて、何回か釣ったことがあります。結構釣れるんですよ。」
「へぇー。しゅうちゃんがねぇ。今の感じからは、あまり想像出来ないな。」
「そうですか?こう見えても、意外と上手かったんですよ!」しゅうはザリガニ釣りをしているような仕草をして見せた。
「おっ、手つきが様になっているね。」
「懐かしい……」しゅうは子どもの頃に思いを馳せた。
子どもの頃は活発で、どちらかと言うと男の子の友達と遊ぶことの方が多かった。
しょっちゅう、肘や膝に絆創膏を貼っていたような気がする。
「懐かしそうだね。」隣を歩いていた古市が言った。
「はい、懐かしいです。この池も子供の頃と変わっていないし。」しゅうは、一度、ザリガニ池を振り返ってから、芸術劇場に向かった。
二人は急ぎ足で前面がガラス張りになっている近代的な建物の中に入ると、公演されるホールを確認した。
パントマイム劇団つくし
公演開始16時
ふるさとホール
案内掲示板には、そう掲示されていた。
「何とか間に合いましたね。」弾む息でしゅうが言った。
「パントマイムって、どうなんだろう。初めて観るから。」
「私も初めてですけど、面白そうじゃないですか?」
二人は、案内掲示板に従って、ふるさとホールに向かった。
ホールの中に入ると、先に来ている観客が座席に着いていた。全席自由席のためか、それぞれ距離を置いて、まばらに座席に着いているようだった。
しゅうと古市は、ホール内を見渡して、中央よりの席に着くと、間もなく、開演を告げるブザーが鳴った。
座席は半分程度が埋まっていた。
折角、公園に行くのなら観劇をしようと誘ったのはしゅうだったが、演目や出演者なんかをあまり下調べしていなかった。
日常の生活を題材にしたパントマイムとだけ分かっていた。
幕が上がると、舞台ではテーブルに着いていると思われる女性がイライラしながら誰かを待っていた。
そこへ、舞台の下手から、着ているコートの裾を両手でバタつかせながら、嵐の中、強風に煽られてでもいるかのような感じの男性が、女性が待っている建物の中に入ってきた。
どうやら、待ち合わせの時間に男性が遅刻したようだ。
女性は、腕時計の文字盤を指さしながら、両頬を膨らませて、プンプンと怒っている。
男性は謝りながら女性のいるテーブルに着く。それでも、女性の怒りはそう簡単には収まりそうもない。
男性は嵐のせいで遅れたと必死の言い訳を始めている。
女性は男性と目を合わせようともせずに、手元にあったグラスか何かを持ち上げてストローを口にした。そして、おもむろに飲み物をテーブルに置くと、大手を振って男性を詰問し始めた。
男性はみるみる小さくなっていく。
まるでイタズラっ子が母親に叱られているよう。
セットもセリフも何も無いのに、あたかも舞台にセットがあって、二人が声を出して会話をしているように感じた。
そんなに想像を膨らませなくても、無いものが見えて、聞こえないものが聞こえてきた。
パントマイムって面白いなあ。
ただただ感心していたしゅうは、古市がパントマイムの劇を楽しんでいるのか気になって、そっと古市の横顔を見上げた。
古市の横顔は笑っていて、舞台の劇に夢中になっているようだった。
こんなに間近で古市さんの横顔を見たのは初めてだ。
……でも、古市さんの横顔を見ていると、前にも見たことがあるような気がする。
どこで?
ふとした疑問が湧いたが、しゅうはすぐに舞台のパントマイムの世界に引き込まれて行った。
舞台の上の二人は、めでたく和解して、仲良く食事をし始めるところだった。