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5日前(父vs鬼頭)

 5日前


 神楽坂 料亭深幸


「どうした、吉岡。あまり食が進まないようだな。鯛の造りは苦手だったか?」鬼頭はそう言いながら、薄桃色の鯛を口にした。


「いえ、そんなことはありません。」吉岡は、そう言いながらも、目の前のお造りを口にすることはなかった。

 何度か足を運んだことがある料亭深幸の奥の間だったが、鬼頭と会食するのは初めてのことだった。会食とは不正確な表現なのかもしれない。対峙しているという方が正しい。


 鬼頭がここでの会食に誘ったのには相応の理由があるに違いない。それは明らかだ。思い当たる節は少なくない。

 吉岡は頭の中に真っ先に最悪の事態が浮かんだが、さすがに認め難く、即座に打ち消した。


「ツカモトだかツキモトだかという記者がうちの社や辰巳のことをあれこれしつこく嗅ぎ回っているらしいが、何か知っているか?」鬼頭は煙草の煙を吐き出しながら唐突に聞いてきた。


「……ツキモトですか?最近、色んな人間が調べ回っているみたいで、はっきり覚えてはいません。」鬼頭の高圧的な眼光に射抜かれた吉岡は、視線を鬼頭から逸しそうになったが、塚本と接触した事実を悟られまいと、努めて自然な表情を作って鬼頭の額の辺りを見据えた。

「そもそも献金の件を最初に知られたのは、あのゴシップ誌の記者で間違いないんでしょうか?こんな事を私が言うべきではないとは思いますが、あの記者はどこから情報を入手したんでしょう?」吉岡は塚本から話題を遠ざけようとした。


「分からん。社内でこの件を知っている者はわしらを含めて、ごく一部だ。その内の誰かが漏らしたとは思いたくはないが……辰巳の側かも知れん。

 もしかすると、最初に感づいたのもツカモトだかツキモトだかという記者かもな。何せヘビのようにしつこい男らしいからな。

 本当に何も知らないのか?」


 話題を戻した鬼頭の方がよっぽどヘビのようだと吉岡は思った。

「はい。具体的なことは何も……」吉岡は冷静を装ったが声が少しうわずっていた。そのことを観察眼の鋭い鬼頭が気付いたのではないか、気が気ではなかった。


「何か分かったら、直ぐに報告してくれ。いいな?」今までに幾度となく聞いた、鬼頭の有無を言わさぬ口調だ。


「はい。そうします。」吉岡はビールを一口飲んで乾いたのどを潤した。


 それを見ていた鬼頭も日本酒を口にした。

「それはそうと、当期の業績も順調に推移しているな。他社と比較しても我が社の利益率は遜色ない。通り一遍の経営ではこうはならん。この結果には我々の身を粉にしてきた働きがあることは言うまでもない。」


「はい、確かに。今までは、会長の指揮決断の下、そうして幾多の危機を乗り切ってきました。ただ、今後もそのままでよいのか、個人的には思うところもあります。」


「君も長年ひたむきに社に尽くしてきた。そろそろ、一段上がって、経営に参画してもよい時期だと思う。」


「一段上がる?」


「ああ、取締役としてな。その資格は十分にある。」


「私が取締役ですか……」


「そうだ。私は推そうと思う。」


「えぇ、はい。」


「ん?何か煮え切らんようだな。それでは不満か?」


「……いえ、不満などはありません。」吉岡は再びビールを喉に流し込んだ。


「うん、君の口からその答えが聞けて安心した。君は我が社にとって無くてはならん存在だ。正当に評価されてしかるべきだ。」その言葉とは裏腹に、鬼頭の表情は険しいままだ。


「ありがとうございます……」吉岡は感情なく答えた。


 吉岡の反応を窺っていた鬼頭は、お猪口を口にすると、おもむろに口を開いた。

「情報は企業にとって諸刃の剣だな。」


「諸刃の剣ですか。」吉岡は鬼頭の言葉を繰り返した。


「ああ、諸刃だ。情報を上手く利用出来れば他社との競争に打ち勝てるが、ひと度漏れると元に修復することはまず不可能だ。ダメージは計り知れない。」


「確かに諸刃の剣ですね。」


「正に我が社はダメージを受けている。」


「……はい。」


「これ以上、情報が流出するような事態を招いてはならん。もし、そんな危険性があれば、私はどんな手を使ってでも阻止するし、漏洩した場合には出来得る限りの善後策を講じる。吉岡も同じ考えだろう?」鬼頭は吉岡の表情を凝視した。


「情報の漏洩には私も注意していますし、私のセクションでも日頃から注意喚起しています。」吉岡は鬼頭の視線から顔を背けたい衝動に駆られたが、何とか踏みとどまって、差し障りの無い一般的な話をした。


「ただ、情報の漏洩は無意識のうちに不注意で起きる場合もあれば、意図的に持ち出すような場合も考えられる。これが非常に危険で厄介だ。」鬼頭は吉岡の表情や仕草を観察しながら話を続けた。


「意図的に……確かにそうですね。」吉岡は否が応でも塚本の顔が浮かんできた。そして、両膝に置いていた手のひらが汗ばんでいることに気付いて、鬼頭に分からないようにテーブルの下でハンカチを取り出して拭った。

「これを機に、と言ったら語弊があるかもしれませんが、今後は表向きの献金のみということになりますね。」裏献金を止めることを鬼頭に確約させたかった吉岡は話の矛先を変えた。


「少なくとも今は動く時機ではないな。」鬼頭は吉岡の意見に限定的に同意した。


「これからは……」


 反論しかけた吉岡を鬼頭は遮った。

「現状、セキュリティを強化してセキュリティレベルを上げるよりも、こと一部の重要な情報はアナログ的な管理の方がかえって安全だったかもしれんな。」


「一部の情報……献金についてですか。」


「ああ。……吉岡、お前、献金の情報を持ち出していないな?」鬼頭はためらうことなく核心を突いてきた。


「はい。自分で自分の首を絞めるようなことは……」想定していた質問だったが、吉岡は、心臓を鷲掴みにされたかのような痛みを感じて、言葉が最後まで続かなかった。


「間違いないな?」鬼頭は念を押した。


「……ええ。間違いありません。」吉岡は気持ちが後退りしそうになった。


 鬼頭は「ふん」と鼻を鳴らして、息を吐いた。

「それならいい。疑っている訳ではないがな。」そう言った鬼頭の目には猜疑の色がありありと浮かんでいるように吉岡は感じた。


「私も会長の下でこの会社の成長に微力ながら尽くしてきた自負があります。」思わず口をついて出た言葉に、吉岡は心の中で自嘲気味に笑った。


「当然、君の社に対する貢献は非常に大きなものがある。以前、経営が破綻しかけた時の君の尽力には、この私も頭が下がる思いだ。これからもそうあって欲しいものだな。」


「ご期待に沿うように……それではと言ったらなんですけど、先程も申し上げましたが、今の社の危機は社から違法性を排除するいい機会ではないですか?仮に、いい機会とまでは言えなくてもそう捉えて、裏献金を止めて頂けませんか?」


「吉岡、物分りがそんなに悪かったか?同じことを何度も言わせるな。うちはそれを礎にして今がある。良い悪いは別にして。お前もその一端を担っていた事実は消せやしないし、これからもそれは変わるものでは無い。」鬼頭は少し苛立ちを見せて、煙草に火を付けた。

「何を考えているんだ?吉岡。」


「この局面をどう打開すべきか……その一点です。会長は何をお考えですか?」


「……お前と同じだ。会社のために何を為すべきか……」


 二人の視線が一瞬交差して離れた。


 鬼頭が灰皿に置いた吸いかけの煙草から、白い煙が一筋、ゆらゆらと立ち昇っていた。


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