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30代ニートが就職先を斡旋されたら異世界だった件。  作者: りんご
第五章 変わる日々
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ハーフタイム

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 ◇◇◇


「……どうして、真っ先にあなたが来るんですか」


 まず、湯殿の木戸を開けて現れたのは、全裸の男性でした。

 鍛え上げられた腹筋は見事に6つに割れ、たくましい大胸筋がぴくぴくと震えていらっしゃいます。

 満天の星空の下、月の薄明かりに照らされた肉体は、湯飛沫を弾いて、きらきらと光ります。


 その一連の光景は、皮肉にも幻想的であり、さながらアポロかダビデ像のような美しさがあったのですが、わたしはサーシャさんを期待していたものですから、ガッカリ感がハンパじゃ無いので、緊張とドキドキを返していただけないでしょうか。


「彼女が来てくれた方が良かったのに、という顔だね」

「そう思ってます」

「はははっ。まあ、いいじゃないか。裸の付き合いと言うだろう。せっかく仲間になったのだから」

「なった覚えありません」

「おや。ルドルフ君は色白だね。そんなのでよく生き残ってこれたね。でも、大丈夫。これからは私が守ってあげよう」

「いいです」


 迫り来る肉体を押し退けて、離れた場所の湯船に浸かる。

 彼も、ここまで迫ってはこなかった。 

 湯加減がちょうどいい。


 ぼんやりと彼を眺める。

 その人がマルドゥークという人だと認識するのにしばらくの時間を要したのは、その肉体に、数え切れないほどの痕があったから。

 切り傷。あざ。戦いの痕跡。生きてきた証。

 俺の知らないところで、俺の知らない経験を積んで来た人間。

 ……心地が悪いな。


『もう、入ってるの?』

『マアト、一緒がいいー!』

『で、でも、やっぱりご迷惑じゃ、あ、ちょっと待っ、あたし、皆で温泉なんて、入ったことな――』


 もうすっかり聞き慣れた3人の声が響く。

 二人分の足音が聞こえた。


 ぽん、ぽん、ぽん。

 幾度の時を経ようとも、白い大地は、何を恥じることなく、あるがままに存在する。

 それに連なる小さな月もまた、大地に引かれ、無邪気な姿を晒している。


「ほう……」


 マルドゥークが嘆息する。

 あんまり見るな。あれは、俺のだ。


 じゃぶじゃぶと、お湯を掻き分けて俺に近づいてくる二人。


「おとーさん!」

「うん、おいで」


 どん、と元気良く小さな身体でぶつかってきたので、しっかり受け止める。

 きゃっきゃっ、と笑ってくれた。


「あぶないぞ」

「はーい」

「ごめんね。フランと話してたら、少し遅くなった」

「……そのフランさんの姿が見えませんが」


 声は聞こえど、姿は見えず。


「あっちの、岩場の陰」


 目を凝らせば、岩場から白い尻尾が見えていた。


「なんですか、あれ」

「わからない」


 俺があっちの様子をさりげなく観察していると、気づいたらしいマルドゥークさんが岩場の陰に声をかけていた。

 びくん、とネコさんの影が跳ねる。


「フラン君。そんなところにいないで、こっちに来るといい」

「マ、マルドゥーク様、でも」

「こないのかな? せっかく目の前に、こんなにいい温泉があるのに。皆は楽しく湯に浸かっているというのに。キミは、ずっとそこで震えているつもりなのかな?」

「は、はい。あの、いま、行きます……」

「おいで」


 おずおずと全身を現したフランさんは、バスタオルを巻いていた。

 まあ、それが普通のような気がしないでもないんだけど、周りが全員、全裸で、まったく気にしていないので、逆に彼女だけ浮いてる感じがする。

 初日の俺って、あんな感じだったんだな。


 フランさんの長い尻尾は、タオルでは隠し切れず、はみだして、ふりふりと寒そうに揺れていた。


「は、恥ずかしい、です、にゃ」


 視線に耐え切れなかった尻尾が、くるっと縮こまる。


「うん、可愛らしい尻尾じゃないか。何を恥じることがある」

「で、でも」

「私は、好きだがね。その尻尾」

「すっ……!?」

「さ、背を向けてごらん。これも縁だ。私が流してやろう」

「そ、そんなこと、あたし」

「すまないが、タオルを外してくれるか? このままでは洗えない」

「あ、ぅ……は、はい」

「どうした、顔が赤いぞ? まだ湯には浸かってないだろうに」


 顔色をうかがうフランさん。

 フランさんが真っ赤なのは、湯当たりしたからじゃないぞ。

 ……もしかして、マルドゥークさんは、無意識でやってるのか? すげーな。


「マアト、おとーさんの背中、流すー」

「お、いいとも」


 と言ってくれたので背を預けると、一生懸命にこすってくれた。

 力が足りず、あまり洗えていない気もしたが、本人は満足そうだからいいか。


「洗えたー」

「よくできたね」

「うん!!」


 頭を撫でてやると、いい顔をしてくれるマアトを、ちゃぷんと湯船に浸からせる。

 硫黄の香り、立ち込める湯気。

 ぷくぷくとお湯で遊ぶマアト。


 そして、今度は背に、白い肢体。

 どうでもいいけど、探偵小説やらで温泉が舞台のときって『肢体』と『死体』を掛けてるのかな。

 俺、哲学してるなあ。


「……ルドが、またぶつぶつ言ってる」

「すいません、現実が幸せすぎて夢の世界に逝ってました」

「? ここは現実だよ」

「そうですね。質量と触感が伴っている以上は、現実なのでしょうね」

「背中、流す?」

「おねげぇします」

「変なの」

「俺が変なんで気にしないで下さい」


 ごしごしごしごし。

 そっと洗ってくれる彼女のやわらかな手。

 この手が、剣を持っていくさを舞う。


「終わったよ」

「ありがとうございます」

「わたしの背中も、お願いしてもいい?」

「ええ」


 ごしごし、と傷つけないように、背を流す。

 やわかった。


「終わりました」

「ありがとう」

「ええ」


 穏やかな時間が、流れている。

 空には、満天の月。

 曇りひとつない綺麗な月の下、地平線の向こうに、ぼんやりと黒い闇たちが蠢いている。


「……あれ、なに?」

「影?」

「街の方に、近づいてきてない??」


 ついで、カンカンカン、というけたたましい音が響くと、3人に緊張が走る。

 そう。

 来たのか、やっぱり。 


「緊急クエスト……また、なの?」


 サーシャさんが呟く。

 マルドゥークさんが無言で頷いていた。

 ……今日はもう、このまま眠っていたかったな。

 


次回更新は 2月20日 18:00 です!


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