ハーフタイム
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◇◇◇
「……どうして、真っ先にあなたが来るんですか」
まず、湯殿の木戸を開けて現れたのは、全裸の男性でした。
鍛え上げられた腹筋は見事に6つに割れ、たくましい大胸筋がぴくぴくと震えていらっしゃいます。
満天の星空の下、月の薄明かりに照らされた肉体は、湯飛沫を弾いて、きらきらと光ります。
その一連の光景は、皮肉にも幻想的であり、さながらアポロかダビデ像のような美しさがあったのですが、わたしはサーシャさんを期待していたものですから、ガッカリ感がハンパじゃ無いので、緊張とドキドキを返していただけないでしょうか。
「彼女が来てくれた方が良かったのに、という顔だね」
「そう思ってます」
「はははっ。まあ、いいじゃないか。裸の付き合いと言うだろう。せっかく仲間になったのだから」
「なった覚えありません」
「おや。ルドルフ君は色白だね。そんなのでよく生き残ってこれたね。でも、大丈夫。これからは私が守ってあげよう」
「いいです」
迫り来る肉体を押し退けて、離れた場所の湯船に浸かる。
彼も、ここまで迫ってはこなかった。
湯加減がちょうどいい。
ぼんやりと彼を眺める。
その人がマルドゥークという人だと認識するのにしばらくの時間を要したのは、その肉体に、数え切れないほどの痕があったから。
切り傷。あざ。戦いの痕跡。生きてきた証。
俺の知らないところで、俺の知らない経験を積んで来た人間。
……心地が悪いな。
『もう、入ってるの?』
『マアト、一緒がいいー!』
『で、でも、やっぱりご迷惑じゃ、あ、ちょっと待っ、あたし、皆で温泉なんて、入ったことな――』
もうすっかり聞き慣れた3人の声が響く。
二人分の足音が聞こえた。
ぽん、ぽん、ぽん。
幾度の時を経ようとも、白い大地は、何を恥じることなく、あるがままに存在する。
それに連なる小さな月もまた、大地に引かれ、無邪気な姿を晒している。
「ほう……」
マルドゥークが嘆息する。
あんまり見るな。あれは、俺のだ。
じゃぶじゃぶと、お湯を掻き分けて俺に近づいてくる二人。
「おとーさん!」
「うん、おいで」
どん、と元気良く小さな身体でぶつかってきたので、しっかり受け止める。
きゃっきゃっ、と笑ってくれた。
「あぶないぞ」
「はーい」
「ごめんね。フランと話してたら、少し遅くなった」
「……そのフランさんの姿が見えませんが」
声は聞こえど、姿は見えず。
「あっちの、岩場の陰」
目を凝らせば、岩場から白い尻尾が見えていた。
「なんですか、あれ」
「わからない」
俺があっちの様子をさりげなく観察していると、気づいたらしいマルドゥークさんが岩場の陰に声をかけていた。
びくん、とネコさんの影が跳ねる。
「フラン君。そんなところにいないで、こっちに来るといい」
「マ、マルドゥーク様、でも」
「こないのかな? せっかく目の前に、こんなにいい温泉があるのに。皆は楽しく湯に浸かっているというのに。キミは、ずっとそこで震えているつもりなのかな?」
「は、はい。あの、いま、行きます……」
「おいで」
おずおずと全身を現したフランさんは、バスタオルを巻いていた。
まあ、それが普通のような気がしないでもないんだけど、周りが全員、全裸で、まったく気にしていないので、逆に彼女だけ浮いてる感じがする。
初日の俺って、あんな感じだったんだな。
フランさんの長い尻尾は、タオルでは隠し切れず、はみだして、ふりふりと寒そうに揺れていた。
「は、恥ずかしい、です、にゃ」
視線に耐え切れなかった尻尾が、くるっと縮こまる。
「うん、可愛らしい尻尾じゃないか。何を恥じることがある」
「で、でも」
「私は、好きだがね。その尻尾」
「すっ……!?」
「さ、背を向けてごらん。これも縁だ。私が流してやろう」
「そ、そんなこと、あたし」
「すまないが、タオルを外してくれるか? このままでは洗えない」
「あ、ぅ……は、はい」
「どうした、顔が赤いぞ? まだ湯には浸かってないだろうに」
顔色をうかがうフランさん。
フランさんが真っ赤なのは、湯当たりしたからじゃないぞ。
……もしかして、マルドゥークさんは、無意識でやってるのか? すげーな。
「マアト、おとーさんの背中、流すー」
「お、いいとも」
と言ってくれたので背を預けると、一生懸命にこすってくれた。
力が足りず、あまり洗えていない気もしたが、本人は満足そうだからいいか。
「洗えたー」
「よくできたね」
「うん!!」
頭を撫でてやると、いい顔をしてくれるマアトを、ちゃぷんと湯船に浸からせる。
硫黄の香り、立ち込める湯気。
ぷくぷくとお湯で遊ぶマアト。
そして、今度は背に、白い肢体。
どうでもいいけど、探偵小説やらで温泉が舞台のときって『肢体』と『死体』を掛けてるのかな。
俺、哲学してるなあ。
「……ルドが、またぶつぶつ言ってる」
「すいません、現実が幸せすぎて夢の世界に逝ってました」
「? ここは現実だよ」
「そうですね。質量と触感が伴っている以上は、現実なのでしょうね」
「背中、流す?」
「おねげぇします」
「変なの」
「俺が変なんで気にしないで下さい」
ごしごしごしごし。
そっと洗ってくれる彼女のやわらかな手。
この手が、剣を持って戦場を舞う。
「終わったよ」
「ありがとうございます」
「わたしの背中も、お願いしてもいい?」
「ええ」
ごしごし、と傷つけないように、背を流す。
やわかった。
「終わりました」
「ありがとう」
「ええ」
穏やかな時間が、流れている。
空には、満天の月。
曇りひとつない綺麗な月の下、地平線の向こうに、ぼんやりと黒い闇たちが蠢いている。
「……あれ、なに?」
「影?」
「街の方に、近づいてきてない??」
ついで、カンカンカン、というけたたましい音が響くと、3人に緊張が走る。
そう。
来たのか、やっぱり。
「緊急クエスト……また、なの?」
サーシャさんが呟く。
マルドゥークさんが無言で頷いていた。
……今日はもう、このまま眠っていたかったな。
次回更新は 2月20日 18:00 です!




