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30代ニートが就職先を斡旋されたら異世界だった件。  作者: りんご
第五章 変わる日々
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虫、あるいはエスクードという男の事情①

次回の更新はちょっと遅れるかもしれません。ごめんなさい!


 □□□


「いたい。くるしい。た、たすけて。命だけは、命だけは、たすけてくれ……」


 大小さまざまな肉塊が散乱する狭い部屋の中、地に伏す男は、まだ生きていた。

 辛かろうに、いまだ生にしがみつく。皮膚を焦がす匂い。うめき声が、きりきりと脳に響く。

 彼を見下ろす私は、少しだけ興味を覚えた。


「……面白いことをおっしゃる。その命に、なぜ執着なさるか」

「俺には、俺には、家族が……俺を待っている人が、いるんだ。だから……」


 家族。

 ああ、なんと、弱く、もろく、病的で、つまらない答え。


 私は虫が好きだ。彼らはシンプル。

 命令には忠実、本能に生きている。

 それに比べ、ヒトの如何に滑稽なことか。


「――だから、なんです?」

「……だから……?」

「待っている人のところに帰れない人など、この世界にいくらでもいるでしょうに。家族が待っていれば、特別だとでも?」

「おっ、おまえは、おまえというやつは!! おまえには、人の心が無いのか!! 慈悲は、情けはないと言うのかッ!!」


 慈悲。

 そうだ。早く救ってやらねば。


「ありますよ。ですから、こうするんじゃありませんか」


 私は指先を向けた。

 ブブブブン、と嬉しそうな羽音が聞こえる。

 

「あなたに、神の慈悲があらんことを」

「や、やめてくれ!! お願いだ、たすけ……てええええええええ」


 ぼぼぼぼぼん、と虫は爆裂し、かろうじて残っていた男の命も失われた。


「アーメン」


 十字を切る。

 我々は、悪夢の只中にいる。娑婆苦に満ちた世界に安らぎを。

 彼に救いを。


「こちらにいらしたのですか。お疲れ様です、エスクード様。【レリクス】回収の任務にあたられていたのでは――」

「いえ。それはまだ……それと、ここでその名を呼ぶのは、やめていただきたいですね」

「そうでした。申し訳ありません、ペイル様……しかし、また派手にやりましたね」


 デスルーの頑丈な扉を開けて現われたのは、私の知己の研究員の男性だ。

 知らぬ仲ではないだけに、知らなくて良いことも知っているから困る。


「勝手に使わせてもらいました。少し散らかしましたので、片付けておいてくれると助かります」

「わかってますよ。あなたは、いつも気まぐれにやるから」


 研究員が壁に飛び散った肉片を見ながら、苦い笑いを浮かべた。


「……」

「いかがなさいましたか、エス……ペイル様」 

「ひとつ確認しておきたいのです。昨日お借りした、おもちゃのことですが」

「いいでしょう、アレは。普段は無害なのに、合図ひとつで凶器にもなる。ラボの自信作ですよ」


 彼は嬉々として語った。

 アレの開発は、彼が主導していたのだったか。


「確か、あの虫の、もっとも素晴らしいのは、魔術を無効化する術式を仕込んだところでしたね?」

「虫どもの一世一代の大舞台を彩ってやろうと思いまして。魔術で防がれました、では興ざめですから。インパクトの瞬間に【ペル】を発動するように改良してあります。絶妙なタイミングの発動に、実に細かい調整が――」

「……ふむ」

「なにか、問題でもあったので?」

「いや。今も試してみたが、正常に機能しているようだった」


 サンプルの中に魔術を使えるやつがいたのでニ、三試してみたが、虫の爆発は、展開された魔術障壁を無かったもののように貫いた。

 だとすれば――


「――人を相手に、あの爆発が防がれるような場合には、どのようなケースがあると思いますか」

「面白いことをおっしゃいますね。そんなことは起こり得ないと思いますよ」

「魔術で防がれることは? 絶対にありえませんか? ディスペルとはいえ、万能ではないでしょう?」

「確かに、ペルは、マジックシーとは違って、顕現した事象自体を無効化することはできませんが……しかし、ただの虫に魔術無効なんて仕込むのは現実的じゃありませんよ。ぶつかってくるエネルギーと同じエネルギーが必要ですから。コストがかかりすぎます」

「いや、その点に不満はないのです。私は、あなたたちの働きには、感謝しても仕切れない」


 術式を維持し続けなければならない障壁。

 ディスペルはいわば、防ぐことに特化したものを崩す。

 コストは抑え、被害は最大に。よく考えてくれたと思う。


「では?」

「たとえばの話として聞いてください。魔術ではなく【魔法】だったとしたらどうです? あるいは、自然の力、神の力」

「そうですね。魔術ではなかった場合、単純に破壊の力になりますので、強固な鎧などを身に付けていた場合、防がれることもあるかもしれません。ただ、あの爆発に耐えられる強度のものは【オリハル】くらいのものですよ」

「魔法ではどうか?」

「なんともわかりかねます。ただ、もし魔術と似ている部分があると仮定するなら、ディスペルで無効化することも充分、可能かと」

「そうですか」

「……ペイル様は、矛と盾、という話をご存知ですか?」

「いえ」

「どんな盾も必ず貫く矛と、どんな矛からも必ず守る盾。この二つがぶつかると互いに壊れてしまう、というものです。

総じて、考えても仕方無いありえないこと、という意味でも使われます」

「哲学という奴かな」

「そうです。ありもしないものを考えても仕方ありません」


 ありもしないもの、か。


「では、もし、滅びの御使い様だったら、どうか? あの方は、現実でしょう?」

「恐れ多い事ですが、滅びの御使い様ならば。我らの愚かな行為を、せせら笑いながら、容易く何もなかったことにしてしまうでしょうね。本当にいらっしゃれば、ですが」


 瞳が揺らぐ。疑っているわけではない。ただ、不安なのだ。


「世に悪意が満ちしとき、滅びの使いが現われる」

「本当に、そうなのでしょうか」

「そうですよ、だから、我々が悪意を振りまくのです」

「ええ」


 彼は短く返事をし、仕事にとりかかった。

 いつか『白衣がわたしの正装です』と言っていたように、仕事中以外も、常に白衣しか着ていない彼と、奇しくも、私は志を同じくする。


 壁に散る肉。床に転がる肉。

 無駄な命などありはしない。


「……確かめる必要がある。いずれにしても、もう一度、出向かなければ」

 

 世界を浄化してくださる。その日を信じ。

 私は、私の、為すべきを為す。


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