虫、あるいはエスクードという男の事情①
次回の更新はちょっと遅れるかもしれません。ごめんなさい!
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「いたい。くるしい。た、たすけて。命だけは、命だけは、たすけてくれ……」
大小さまざまな肉塊が散乱する狭い部屋の中、地に伏す男は、まだ生きていた。
辛かろうに、いまだ生にしがみつく。皮膚を焦がす匂い。うめき声が、きりきりと脳に響く。
彼を見下ろす私は、少しだけ興味を覚えた。
「……面白いことをおっしゃる。その命に、なぜ執着なさるか」
「俺には、俺には、家族が……俺を待っている人が、いるんだ。だから……」
家族。
ああ、なんと、弱く、もろく、病的で、つまらない答え。
私は虫が好きだ。彼らはシンプル。
命令には忠実、本能に生きている。
それに比べ、ヒトの如何に滑稽なことか。
「――だから、なんです?」
「……だから……?」
「待っている人のところに帰れない人など、この世界にいくらでもいるでしょうに。家族が待っていれば、特別だとでも?」
「おっ、おまえは、おまえというやつは!! おまえには、人の心が無いのか!! 慈悲は、情けはないと言うのかッ!!」
慈悲。
そうだ。早く救ってやらねば。
「ありますよ。ですから、こうするんじゃありませんか」
私は指先を向けた。
ブブブブン、と嬉しそうな羽音が聞こえる。
「あなたに、神の慈悲があらんことを」
「や、やめてくれ!! お願いだ、たすけ……てええええええええ」
ぼぼぼぼぼん、と虫は爆裂し、かろうじて残っていた男の命も失われた。
「アーメン」
十字を切る。
我々は、悪夢の只中にいる。娑婆苦に満ちた世界に安らぎを。
彼に救いを。
「こちらにいらしたのですか。お疲れ様です、エスクード様。【遺物】回収の任務にあたられていたのでは――」
「いえ。それはまだ……それと、ここでその名を呼ぶのは、やめていただきたいですね」
「そうでした。申し訳ありません、ペイル様……しかし、また派手にやりましたね」
実験室の頑丈な扉を開けて現われたのは、私の知己の研究員の男性だ。
知らぬ仲ではないだけに、知らなくて良いことも知っているから困る。
「勝手に使わせてもらいました。少し散らかしましたので、片付けておいてくれると助かります」
「わかってますよ。あなたは、いつも気まぐれにやるから」
研究員が壁に飛び散った肉片を見ながら、苦い笑いを浮かべた。
「……」
「いかがなさいましたか、エス……ペイル様」
「ひとつ確認しておきたいのです。昨日お借りした、虫のことですが」
「いいでしょう、アレは。普段は無害なのに、合図ひとつで凶器にもなる。ラボの自信作ですよ」
彼は嬉々として語った。
アレの開発は、彼が主導していたのだったか。
「確か、あの虫の、もっとも素晴らしいのは、魔術を無効化する術式を仕込んだところでしたね?」
「虫どもの一世一代の大舞台を彩ってやろうと思いまして。魔術で防がれました、では興ざめですから。インパクトの瞬間に【術式解除】を発動するように改良してあります。絶妙なタイミングの発動に、実に細かい調整が――」
「……ふむ」
「なにか、問題でもあったので?」
「いや。今も試してみたが、正常に機能しているようだった」
奴隷の中に魔術を使えるやつがいたのでニ、三試してみたが、虫の爆発は、展開された魔術障壁を無かったもののように貫いた。
だとすれば――
「――人を相手に、あの爆発が防がれるような場合には、どのようなケースがあると思いますか」
「面白いことをおっしゃいますね。そんなことは起こり得ないと思いますよ」
「魔術で防がれることは? 絶対にありえませんか? ディスペルとはいえ、万能ではないでしょう?」
「確かに、術式解除は、魔術無効とは違って、顕現した事象自体を無効化することはできませんが……しかし、ただの虫に魔術無効なんて仕込むのは現実的じゃありませんよ。ぶつかってくるエネルギーと同じエネルギーが必要ですから。コストがかかりすぎます」
「いや、その点に不満はないのです。私は、あなたたちの働きには、感謝しても仕切れない」
術式を維持し続けなければならない障壁。
ディスペルはいわば、防ぐことに特化したものを崩す。
コストは抑え、被害は最大に。よく考えてくれたと思う。
「では?」
「たとえばの話として聞いてください。魔術ではなく【魔法】だったとしたらどうです? あるいは、自然の力、神の力」
「そうですね。魔術ではなかった場合、単純に破壊の力になりますので、強固な鎧などを身に付けていた場合、防がれることもあるかもしれません。ただ、あの爆発に耐えられる強度のものは【飛翔金属】くらいのものですよ」
「魔法ではどうか?」
「なんともわかりかねます。ただ、もし魔術と似ている部分があると仮定するなら、ディスペルで無効化することも充分、可能かと」
「そうですか」
「……ペイル様は、矛と盾、という話をご存知ですか?」
「いえ」
「どんな盾も必ず貫く矛と、どんな矛からも必ず守る盾。この二つがぶつかると互いに壊れてしまう、というものです。
総じて、考えても仕方無いありえないこと、という意味でも使われます」
「哲学という奴かな」
「そうです。ありもしないものを考えても仕方ありません」
ありもしないもの、か。
「では、もし、滅びの御使い様だったら、どうか? あの方は、現実でしょう?」
「恐れ多い事ですが、滅びの御使い様ならば。我らの愚かな行為を、せせら笑いながら、容易く何もなかったことにしてしまうでしょうね。本当にいらっしゃれば、ですが」
瞳が揺らぐ。疑っているわけではない。ただ、不安なのだ。
「世に悪意が満ちしとき、滅びの使いが現われる」
「本当に、そうなのでしょうか」
「そうですよ、だから、我々が悪意を振りまくのです」
「ええ」
彼は短く返事をし、仕事にとりかかった。
いつか『白衣がわたしの正装です』と言っていたように、仕事中以外も、常に白衣しか着ていない彼と、奇しくも、私は志を同じくする。
壁に散る肉。床に転がる肉。
無駄な命などありはしない。
「……確かめる必要がある。いずれにしても、もう一度、出向かなければ」
世界を浄化してくださる。その日を信じ。
私は、私の、為すべきを為す。




