追撃と逃走、あるいはネコとイヌの話①
◇◇◇
ごとんごととん。
歯車は回る。吹き抜けの車内に風が通り抜けた。深緑の薫りが鼻をつく。いい香りだ、と思う。
「サーシャさん」
「ルド」
サーシャさんが俺を見つめて、俺もサーシャさんを見つめる。世界にいるのは二人だけ。
きみの瞳は宝石のようだ。
エンドレス。
名前を呼び合うだけの遊び。彼女が追随してくれるものだから、ついつい調子に乗って延々と繰り返してしまった。他にやることもなかったし。
不意に車内が左右に揺れて、サーシャさんが俺の方に もたれかかってきた。
「あ、ありがと……」
「いえ」
しっかり受け止めた。ほとんど重さを感じない。ふにっとしていて、とても柔らかかった。
「ねえ。ルドの名前には、どういう意味があるの?」
唐突にサーシャさんが聞いた。
「意味なんてありませんけど。サーシャさんの名前には意味があるんですか?」
「うん。わたしの名前は、古い言葉で『白い大地』って言う意味だよ」
ほほう。咄嗟の質問なのに、しっかりそんな設定を考えていたとは。やるなあ。ならば。
「ネコですよ」
「ネコ?」
「ええ、俺の地方で迷いネコって意味が-----」
サーシャさんが首を傾げた。そのとき、
「今、ネコって言った?」
向かいのイスに座っていた乗客の一人が睨みながら声をかけてきた。ずいぶん眼光の鋭い人だな。女性のキトンブルーの瞳はなんだか仔猫を思わせる。女性は近づいてきて、
「あたしは獣人! ネコじゃないの! 見りゃわかんでしょぉが!」
ふんぞり返って憤る女性。なんだ、この人。
良く良く見ると、この人の頭には獣っぽい耳が生えている。尻尾みたいな何かもふりふりと動いて、見え隠れしていた。ああ、なるほど。この人もツアー客なのか。てことは、ワーキャットのコスプレかな。完成度が高いなあ。
「なにじっくり舐めるように全身を見渡してんの? 獣人がそんなに珍しいの? あなたのことヘンタイって呼んじゃうよ? おもに、心の中で」
見りゃわかる、と言っておいてそんな因縁をつけてきた。話をあまり聞かない人っぽい。
「いえ、あの。すいませんでした」
ネコの話をしていたのは確かだし、自身のコスプレを馬鹿にされたと感じたのだろう。謝っておこう。
「……素直だねえ。わかってくれりゃあいいんさー、いいってことよ」
「それ、可愛いですね。よく似合ってます」
「え? あはは。んなこと言われたん初めてっちゃ。おにいさん、口がうまいにゃー」
たぶん照れているのだろう、女性は手をヒラヒラさせて、すぐに元の場所に退散していった。
なんだか、ずいぶん明るい人だ。こういう人と一緒だとツアーも楽しめるんだろうな。
隣にいたサーシャさんが、
「……かわいい、の?」
何か含みを持たせるように聞いてきた。
「かわいいですよ」
「好み?」
「いえ。サーシャさんの方がもっと可愛くて好みです」
「あ、ありがと」
ぽっ、って感じで、めっちゃ照れていた。ちょっと恥ずかしい。でも、サーシャさん相手だと、なぜか、自然とこういうことが言えるんだよな。
「おーい、こうきょうの場でイチャつくのは感心しないぞー」
向かいの女性が わめいた。
改めて周りを見れば、人がいる。俺を含めて何人かの人。
でも、妙な人間が何人か混じっているのが気になった。
そのとき。
がたがたごとぉーん!!
地鳴りかと思うような揺れと、大きな音が響いた。