トイレを覗いていた勇敢な変態紳士
◇◇◇
「いいとも。ただし、私の協力を欲するなら、土下座してもらおう」
土下座?
わたしは、よくわからない顔をしていたのだろう。彼が説明する。
「知らないかな。ひざをついて、頭を地面につける。相手への最上の礼を尽くすときに使う、東方の習慣だそうだ。相手への屈服も意味するそうだけど」
「……」
「どうした? 早く地に這いつくばってもらおうか。できないのなら、キミには協力しない」
「……わかった」
わたしはあまり迷うことなく、言われた通り、地に頭をつけた。
どうしてこうなっているのかよくわからなくて不安なマアトの声がしたけど、気にしてられない。
膝をついて、両手を地につける。顔を下げると、べちゃりと泥がついた。土が冷たかった。
彼が驚いて、息を呑んだ。
「ほう?」
「これで、満足?」
「うん。実にいいね! 今のキミの姿は滑稽だ! 感動すらしている! キミの大事な人にも、ぜひ見せてあげたいよ!」
笑い声がする。
頭を土につけたままのわたしは、沸々と込み上げるものを感じた。
でも、ここでわたしが爆発すれば、守れるのは、わたしのプライドだけ。
二人のことを思い出す。泥をすするくらい、なんてことはないんだ。
「……生きるということは、恥を忍ぶ事だ。キミは、それができた。ならば私は、キミに報いよう」
顔を上げると、土に塗れていたわたしに、綺麗な手布をそっと差し出していた。
意外にも嫌な顔をしていなかった……ように思う。
使え、ってことかな?
「ありがとう」
「いや、構わない。汚してしまったのは私だ。それは、あげよう。キミはよほど助けたいようだね、あの彼を。
少し、キミの方にも興味が湧いたよ。……ただの変わり者の、冒険者ではないのかな」
長身も金髪も声色も。
彼女なら王子と形容するこの人の姿が、わたしにはぜんぶ、作り物のように感じる。
細まるこの人の目は、誰かを獲物としか見ていない蛇のようだ。
「昨日から、わたしたちを見張っている理由は、聞いてもいい?」
「……いや、正確には昨日の夜からだ。そこの愛らしいお嬢さんが、虫どもの爆発を食い止めた辺りからだね」
「んぅ?」
わたしは、マアトを見た。
急に見られた彼女は、首を傾げていた。
「あの虫は、自然界にいるものじゃない。見た目にはわからないが、改良されていた。おおかた、どこかの狂った科学者に、別の魔物の因子でも与えたんだろう」
「それは、なんとなくわかってる。でも、わたしたちを見張る理由になるの?」
「なるさ。なにせ、あんな【魔法】みたいなことを見せられたら、ね。気になって当然だと思わないかな」
やっぱりこの人のことを好きになれない。
最も、それは、向こうも同じだろうけど……。
「おにいさん、マアト、なにかいけないことしたの?」
「……いや、お嬢さんは何も悪いことはしていないよ。私の問題だから気にしなくていいんだ。いろいろと事情があってね」
「じじょう?」
「街を離れるんじゃなかったの?」
「離れるつもりだった。あの後、すぐに緊急クエストの召集があっただろう。
で、ちょっと様子を見に戻ってみたら、なにやらキナ臭いことになってるじゃないか?
もうすこし様子を見ようってことになってね」
それはつまり――
「そうだね。もう、私の立場だとかは、ある程度話しておいたほうがいいかな。その方がキミ達にも理解してもらえるだろう。
昨日現われた男、なんだったかな? 『エスクード』とか名乗ったか?
簡単に言えば私は、彼らと敵対する勢力の人間なんだ。私たちも【滅びの使い】を探している。
彼らとは思想が異なるんだが、母体は同じなんだな。福音となるか、災いとなるのか。
災いとなるのなら、摘み取らねばならない。私は王国の枢機卿の命を受けて――」
「ねえ、おにいさん。聞きたいことがあるんだけど」
壮大な話が続いた。これからどんな話を聞かされるのだろう……。
マアトがくいくいと騎士のマントを引っ張って横槍を入れた。
話を遮られて怒るかな、と思ったが、まったくそんなことはなかった。
「なにかな? 愛らしいお嬢さん」
「おにいさんは、昨日からずーっとマアトたちを見てたって言ったよね?」
「ああ、そうだね。それが、なにか――」
「なら、さっきの、おしっこも見てたの?」
「え?」
「マアトのおしっこ、見てたの?」
答えに困っているけど、見てたんだろうな。
いつ、どんなときでも見てなきゃ監視する意味がないもの。
「ど、どうだったかな。よくは覚えていないけど、見てたかもしれないね」
子供の詰問には耐えられなかったらしい長身の騎士に少しだけ好感を持った。
嘘、つかないんだ。
「おにいさん、ヘンタイなの?」
「何故そうなる!?」
「だって、おしっこ覗いてたんだよね。そういうの、ヘンタイって言うんだって、みんな言ってたよ?」
「私が……変態だと……?」
子供にぐいぐい押される『竜殺し』さん。
どうしよう、意外な弱点を発見してしまった。
「ヘンタイなの?」
「私は騎士だ恥辱に塗れてはならないしかし嘘を吐くことはもっと許されない」
「なにをブツブツ言ってるの? 覗いてたんでしょ? マアトの、おしっこ」
「ぐっ……」
「ヘンタイなんだよね?」
「……そ、そうかもしれないね。でも聞いてくれないかな、その変態には理由があってね」
「やっぱりだ! おにいさんのヘンタイ!」
「そっか変態なんだね、あなたは」
「違う! 任務だ!!」
さっきの仕返しとばかりに、わたしも追従してみた。
きゃーきゃー騒いでるマアト。
うん、なんだかほのぼのしてて、すごくいい。
でも、こうして話をしている間も、ルドたちが危険な目にあっているかもしれない。
胸騒ぎが、した。
「……話、走りながらでもできる?」
「私は、まず誤解を解きたいんだが。お嬢さん。あなたを背負わせていただけませんか?」
足の遅い子供のマアトを気遣ったようだったけど、顔を歪ませた彼女に「ヘンタイは、ヤだ!!」と断られていた。
マアトがわたしに追いついてくる。
彼女を抱き抱えると、花の香りがした。
このままルド達のところへ急ごう。
破壊の跡を辿っていけば、きっといる。
きっと、まだ、生きている。
わたしの様子を見ていた彼が、やれやれ、と肩をすくめた。




