トイレに向かった勇敢な二人と一匹
◇◇◇
「この辺りで、いいかな」
草むらの茂みに彼女を立たせる。
わたしが屈むと、ホッとしたようにはにかんだ。
「パンツ、自分で脱げる?」
「うん」
のろのろと片足を上げて彼女が下着を脱ぐ。
わたしは後ろを向いて、なるべく気を向けないように努めた。
「んんっ」
安堵した声と共に、ちょろちょろと液体が流れる音がする。
彼女は、いま、ここに生きている。
「終わった?」
「うん」
「あ、待って」
彼女がそのままパンツを履こうとしたので、近くに生えていた清潔そうな草を摘んで、彼女に渡す。
「使って。拭かないと、その、だめだから」
意図がわからず、きょとんとしていた彼女だが、わかってくれたのか、笑顔を向けてくれた。
「自分で拭ける?」
「へいき」
草を使って、汚れをそっと拭いていた彼女が、可愛らしく口を尖らせた。
「ちくちくする」
「がまんして」
できるだけ柔らかそうなのを選んだけど、ガマンしてもらうしかない。
街に戻ればいくらでも紙が使えるけど、今、この場には無いし……。
「ありがと、おかーさん」
「いいよ」
なんとなく無言になってしまう。
おかーさん、か。
今の状況は、逃げているだけなのかもしれない。
彼女の衣服を整える手伝いをしながら、そんなことを考えてみた。
わたしは、彼女に何ができるんだろう。
でも、いまは。
「戻ろう、おとうさんのところへ」
「うん」
わたしが立ち上がると、元気よく頷いてくれた。
彼女の手をしっかり握り締めて、元の場所へ戻ろうとしたとき。
……地面が揺れた。
森が、ざわめいている。
なんだかおかしいな、と思った。
「……地震かな?」
「じしん?」
よくわかっていなそうだったので、彼女に説明してあげる。
「えっと、地震っていうのはね。自然に地面が揺れるんだ。ずっと昔は、神様の怒りだなんて言ったんだよ」
「? 誰かが、揺らしてるの?」
「ううん、違うよ。地震は、誰かが揺らすものじゃ――」
そこまで言いかけて、ぴたりと、思考が止まる。
『誰かが、揺らしてるの?』
彼女の言葉が、心に疑問を投げかけた。
先ほどの揺れ。
わたしは、なんだかおかしいな、と感じなかった?
「――誰かが、地震を起こした?」
ありえない。
そんなことは、この周辺にいる普通の魔物にはできない。
できるとすれば、普通じゃない魔物。
思い当たる可能性は――
「まさか、【グランドグリゲーター】……?」
クエストリストに長いこと放置されていた魔物。
最近は目撃情報もなく、忘れられた魔物。
人知れず討伐されたのかと思っていたけど、ひっそりと、生き残っていたとしたら。
最悪だ。
『このっ、ばかちーーーーん!』
森の向こうから、人の声が響いた。
その方向からは多くの鳥が羽ばたいてくる。
「今の声、獣人のおねーちゃん?」
わたしを見上げたマアトが不安そうに尋ねてくる。
残してきた二人に何かあったのかもしれない。
「も、もどろうよ、おかーさん!」
「そうだね。急ごう」
「うん!」
彼女が転ばないように慎重に歩調を合わせて駆け足で急ぐ。
近づくにつれて、わたしは恐ろしくなった。動物が逃げてくる。木々が妙な形に歪んでいる。
道中にいくつもの動物の死骸が無残に転がっていた。それは、意思を持って殺したというより、通り道を塞いでいて邪魔だったからつい踏み潰してしまった、という感じだった。
「……これは」
現場を見て、戦慄する。
森の一角はボロボロだった。
大木が薙ぎ倒されている。
何百年と森に根付いた意思を簡単に捻じ曲げて、地面から引き抜かれたように転がっていた。
「な、なにが起こったの? おとーさん、と、おねーちゃんは?」
「落ち着いて。さっき、声が聞こえたでしょ。だから、二人は、まだ生きてる」
泣きそうなマアトに慰めの言葉をかけて、周囲を注意深く観察しても、人の死体は無かった。
よかった、と思う反面、あれに目をつけられたらどうなるかを考えた。
【グランドグリゲーター】という魔物は、大抵の場合、森で生まれ、無垢なまま、その一生をすぐに終える。
子孫を残すと、彼らは例外なく死んでしまう。そういう風に造られているから。
でも、ごくごく稀に、伴侶に出会えなかった個体が、長い長い時間の果てに、際限なく成長する事態が起こりえる。
それが【リトルグリゲーター】の変異種、【グランドグリゲーター】という存在だ。
好奇心旺盛で、無邪気な、森の破壊王。
一度、目をつけた生き物は、死ぬまで追いかけてくる。
彼には悪意がない。ないから、逆に困る。
「でも、はやくおとーさんたちを探さないと」
「そう、だね。でも、その場合――」
戦う必要がある。
でも、わたしは【グランドグリゲーター】とは戦ったことがない。
知識としては、ある。ママから聞かされて、鼻先が弱点だということもわかっている。
けれども、実際にどうなるかはわからない。
一人では、勝てるか怪しい。それなら。
「そう、だね。それがいい」
「? おかーさん??」
「いるんでしょ。そこに」
わたしは、昨日からずっとわたしたちをつけていた気配に声をかけた。
今も鬱蒼とした木々に隠れているその人に声をかける。
出てこなかったらどうしようかと思ったけど、ちゃんと出てきてくれた。
「……驚いたね。気配は完全に消したと思っていたのに」
現われたのは、背の高い金の髪の男の人。
昨日、わたしたちに街を離れるといって去っていった、マルドゥークという男の人だった。
ちょっと毛色を変えてみましたがいかがでしたでしょうか。折を見てちょこちょこ追加する予定です。




