宿に帰りましょう、そうしましょう
◇◇◇
部屋を出ると、大勢の人がわいわい騒いでいる廊下で、対照的に静かなサーシャさんがいた。
俺の姿を認めると、そっと声をかけてくれる。
「無事?」
「はい」
「……ヘンなこと、聞かれなかった?」
「? 変なこと?」
「左の手に、違和感を感じるか、とか」
「いえ。サーシャさんは、なにを聞かれましたか」
「どんなことがあったの、って」
「マアトは?」
「向こうで、ルピアが看てる」
「ルピア?」
誰だ、それ。
サーシャさんが身振り手振りで、教えてくれる。
「あの、えっと。受付の、人だよ」
あの、おねえさんか。
ルピアって名前なんだ。
俺、人の名前、こうやって他の人から聞くことが多いな。
「マアトの具合、そんなに悪いんですか?」
倒れてたもんな。もしかしたら、なにかの病気かもしれない。
「ううん。さっき、わたしも見たけど、疲れただけだと思う。
急に魔力をたくさん使ったから、身体の方が驚いちゃったんだろうね。
少し休めば、すぐによくなるよ」
確かに、倒れてしまったマアトを、心配した冒険者たちは、手厚く看病してくれた。
すぐにギルドまで運んでくれたのも、彼らだ。
……魔力、ね。
「迎えに行く?」
「そうですね」
◇◇◇
つん、とする消毒薬のニオイがした。
部屋にはいくつかベッドがあって、そのうちのひとつに、マアトが眠っていた。
傍らには、あのおねえさんだ。
「はぁはぁ、寝顔も可愛い、マジ持って帰りたい」
「あの、おねえさん?」
声をかけると、守護者よろしく、鎮座していたおねえさんがゆっくり振り返る。
「あぁ? 私とマアトちゃんの至福の時間を邪魔する奴は誰だろうと……あら?」
にっこりと愛想よく挨拶してくれた。
振り返ったとき、おねえさんの顔が、一瞬、般若みたいに見えたけど、気のせいだよな?
「具合、悪いんですか?」
「まさか。眠ってるだけよ」
おねえさんが脇にそれて、俺たちに、どうぞ、と場所を譲ってくれた。
マアトの規則正しい息遣いが聞こえる。
幸せそうな寝顔だった。
「よく寝てますね」
「もうこんな時間だもの」
言われて気づけば、だいぶ遅い時間。
俺も、あくびを噛み殺すと、サーシャさんがくすり、と笑った。
これ以上、襲撃も無いだろうし、手伝えることもなさそうだ。
言われた通り、後は、専門の人たちに任せて、帰ってもいいのかもしれない。
「帰るの? お疲れさま。クエストの報酬は、後日、払うから、ちゃんと受け取りにきてね」
「ええ、いろいろありがとうございました」
「いいのよ、仕事だもの」
視界の端で、サーシャさんが、マアトを抱きかかえようとしていた。
すると、
「……あ。連れて、帰っちゃうの?」
おねえさんが、伸ばした手を空中で彷徨わせた。
「え、ダメなの?」
「ひ、一晩でいいから、貸してくれないかな? 大事にするから」
「だめ。モノじゃないから」
「うぅ……わかった。諦めるよ。ところで、イモちゃんたちが泊まってる宿って、なんて宿?」
「春風荘」
「あー、あの裏路地のとこかー。安くて、評判いいんだよね。ありがとイモちゃん」
「うん」
「サーシャさん、教えないでくださいよ」
「なんで?」
「どうして?」
二人して疑問符を浮かべられた。
一波乱ありそうな予感がした。
こういうときの俺の勘は、当たる気しか、しない。




