勝利の後は、爺と二人きり
◇◇◇
戦闘が終わると、夕方に聞いたのとは別の鐘の音が、街中に木霊していた。
安全を告げる鐘の音だそうだ。
ぞろぞろと人々が住処に戻っていく光景を見てきたが、特に大きな被害は無く、無事に戦闘を終えられたように見えた。
で、いろいろあって、ここはギルド本部の一室。
部屋には、俺と、ギルド長のじいさんしかいない。
窓からの闇を、室内のランプが照らして、跳ね返す。
「まあ、堅苦しい挨拶は抜きにして。狭いところじゃが、ゆっくり掛けなさい」
テーブルにはじいさんだけが、ゆったりと腰掛けていた。
じいさんに呼び出された俺は、事情を聞かれている。
他の人たちも一人ずつ職員に呼び出されているようだった。
「わしが一人なのが、そんなに不思議かね?」
表情に出てしまったのだろうか。
確かにお付きの人がいないのは不思議でも有るが、じいさんは快活に笑った。
「なに簡単なことよ。今は護衛なんぞ必要ないから、付けておらん」
必要ない?
それは、どういう――
「さておき、聞かせてもらいたい。なにがあったか。情報が錯綜しておるでの。皆の証言をまとめたい。できるだけ詳細に頼む」
事情を説明する。
とりあえず勝利したこと。黒幕がいたこと。まだ、危機は去っていないかもしれないこと。
あの謎の人物。
人と言っていいのかわからないけど。
滅びをもたらす者。
エスクード、というその名を伝えたとき、じいさんの顔色がわずかに歪んだ。
「ふむ、そのエスクードという者……聞くに、わしの不肖の弟子じゃな。まず間違いなかろうて」
「弟子?」
「さよう」
「あの人、影に溶けるみたいに現れたり、消えたり、明らかに人間業じゃなかったんですけど」
「それはわしも解せんが……まま、そういうこともあるんじゃろう。あやつの執念を踏まえれば、な」
「……魔術師と名乗ってましたけど、おじいさんも、魔術師なので?」
「そうは見えない、とでも言いたそうじゃな」
じいさんが、耳をぴこっと立てて、ムッとしていた。
俺は慌てて謝る。
「す、すみません」
「いや、その通りなのだがな。見た通り、わしは魔術師ではない」
カカ、と笑うじいさんは特に怒っている様子はなかった。
……このじいさん、最初の印象と違うな。ずいぶん話易そうだ。
じいさんと話していると、嫌でも思い出す。
爆発で犠牲になった男のことを。そりゃ、いい印象は持っていなかったが、だからといって死んでほしいなんて思っていなかった。
恐ろしくなる。
感情も何も無い身体。一目で死んでいることがわかる、身体と言う名の肉塊だった。
でも、本当に恐ろしいと思ったのは――
「……ふむ、人が死ぬのを見たのは初めてか?」
「え? はい」
「おぬしの世界では、人は死なぬのか?」
俺の世界?
国、ということだろうか。
確かに日本は平和な国だし、そうそう人が死ぬ事は無い。
海外の国では違うだろうけど。
「死にますよ。ただ、身近にはありません」
「さぞ素晴らしい世界じゃろうな」
「いいえ、退屈なだけですよ」
そこまで聞いたじいさんが、わずかに相好を崩した。
「……おぬし、似とるの」
「似てる?」
「決まっておろう。彼奴にじゃよ」
俺が?
あの影みたいなやつに?
「止してくださいよ」
まったく似ていないと思うのだが、俺の様子を見て取ったじいさんは慌てずに弁解した。
「ああ、勘違いするでない。似とるのは外見ではなく、雰囲気や性格の方じゃ」
「性格?」
「彼奴は、おぬしと似ておる。似ておった。物腰が穏やかで、自分には関係ない違う世界から、現実を見ておるような奴じゃったからの。いやいや、懐かしい」
じいさんはそこで言葉を切って、
「ときに、終末思想というのは知っているかね?」
「なんですか、唐突に」
「終末思想とは、世界が終わるとき、とんでもないことが起きるから、今のうちにやれることをやっておきましょう、って教えじゃな。
世紀末への不安を煽り、世界の切り替わる瞬間、人々の罪悪感を揺さぶる。
いわゆるカルト教徒どもが、信者の心を掴むためによく崇拝する思想でもある」
じいさんが話してくれた内容と、俺が知っている内容は大体同じようなものだった。
けど、なぜ突然じいさんが、そんなことを聞いたのかは、わからない。
「なぜ、そんな話を?」
「いや、こたびの騒動に関りがあるのだよ」
じいさんは口のヒゲを、もそりと動かそうとしたが、すぐに止めてしまう。
言い辛いのだろうか。
世界の終わり。
襲いくる虫の群れ。
現われる滅びの使者。
様々なことが浮かんでは消えた。
俺は、とてつもない事態に巻き込まれているのでは?
ぶるっと震える。
じいさんが重い口を開いた。
「先に言っておくが、終末思想なんてモンは、根も葉もない噂話じゃよ。
そんなモンに振り回されるものは、馬鹿者じゃ、大馬鹿者じゃな」
「馬鹿ですか!?」
「さて、話を戻そうかの。
そのエスクードという者はな、元々、わしの元で、体術と剣術を学んでおった男だよ。
貴族の生まれでの、何不自由なく育ってきた輩での。
……ゆえに、戦いの才能がまるで無かった。ほんに、これっぽっちもさっぱりな。
だが、わしは彼奴に魔術の才があることを見抜いた。
なればこそ、奴を破門にし、追放したのだ。
無論、彼奴を思えばこそ。
だが、奴は、承諾しなかった。最後まで反抗した。
それが数年前のことよ。
あの馬鹿者は、弟子だった頃から終末思想に染まっておったが、まさか、同志を見つけて、悪化して戻ってくるとはのぅ」
「なら、この街が襲われたのは」
「うむ。あやつは滅びだ何だと言うておったのじゃろうが、わしへの恨みがあるだけじゃろう。復讐するまでは、また来るはず。執念だけは人一倍強いやつじゃったからのお」
じいさんは大きく頷いていた。
い、いや。
悪いのはじいさんじゃない、身勝手な恨みを爆発させたやつだ。
「此度のこと、あやつ一人の仕業ではないのは気になるが、おかげで大分、事態がつかめてきたわい。もう今日は遅い。帰ってくれて構わんよ」
じいさんは俺に礼を言った。
このじいさんは、信頼できると思う。
なら、もう少し聞いてもいいのかもしれない。
「あの。ちょっと気になることが」
「何かな」
「マアトのことなんですが」
「少年と同じく、記憶の無い子供じゃったか。なんでも、此度の窮地を救ったのは彼女だとか。皆が、大した魔術だったと誉めておったわ」
「ええ。その、彼女。あのときに、初めて知ったはずなんです。あの手品を」
「……というと?」
「彼女からすれば、初めて見た手品を、面白がって真似したようなものなんですよ、たぶん」
「ほう」
「前にも、そんなことがあったんです。そのときも真似しただけだと言って、魔法みたいなことをやってのけました。
でも、手品と呼ぶにはあまりにも、現実離れしすぎている。種も仕掛けも、まるでわからない。
マアトは、いや、彼女は、何者だと――」
「やめんさい」
じいさんが止めた。
「彼女には身元が無いと聞いている。
最大の味方でいてくれる親が、今は側におらぬのだ。そんな子供を、近しいはずの、ぬしが信じなかったら、誰が信じてくれるというのか?」
「い、いえ、そういうつもりでは」
「どうあれ、彼女が皆を救ったのは事実。
となれば、詮索するよりも、先に感謝を伝えるべきではないか?」
「あの、俺を家に帰してくれる件は、どうなってますか」
「うむ……まだ、もうしばしかかるかの」
「そう、ですか」
俺は、じいさんに小さく頭を下げる。
もう、用は無いだろう。
さっきのやりとりを思い出した。
俺が、本当に恐ろしいと思ったのは。
俺が、その光景に、なんの感情も抱いていないことだった。
「……少年。
常者、未来を憂わず、過去を引きずらず。
悩むより、動きなさい。今だけを懸命に生きよ。悩み止まる者に、未来は無いのだから」
じいさんの言葉はなんとなくわかった。
だが、割り切ることはできなかった。




