樹の上の少女
◇◇◇
サーシャさんは子供を背負って俺と変わらない歩調で歩いている。俺が途中で「代わりましょうか」と聞いたら「へいきだよ」と返された。これは、多少強引な感じで代わってもらわないとダメかもしれないな。
先ほど子供たちを見かけた広場まで戻ってきたが、子供たちはいなかった。
(ん、起きた?)
そのとき、サーシャさんの背中で子供が身じろいだ。眠そうに目を覚ました女の子は、俺を認めるとぱちりと目を開いた。
「ひぅ、だ、だれ??」
女の子は俺たちを見て怯えていた。
「お、お、降ろして、おねがい」
樹の上でよほど怖い目にあったのだろうか。サーシャさんがゆっくり女の子を降ろした。
途端に、さっ、と俺たちから距離を取る少女。
「怖がらないで。わたし達は、あなたにひどいことをしない」
サーシャさんが優しく語りかけた。
「……ほんとう? マアトに、ひどいこと、しない?」
穏やかな声色に、女の子からほんのすこし警戒の色が消える。
「マアト? あなたの名前?」
「……うん」
「わたしはサーシャ。こっちの彼はルドルフだよ」
「サーシャ、おかーさん……ルドルフ、おとーさん」
んん? おかあさんに、おとうさん?? ツッコもうとしたけど、サーシャさんにアイコンタクトで「今は何も言わないで」と頼まれたので、黙っていることにした。
「マアト。いい名前だね」
「あ、ありが、と……」
女の子は はにかんだが、その笑顔はぎこちなかった。その目の奥にはまだ少し恐怖の色が見えた。
「ひっ! あ……」
俺が手を伸ばすと、びくん、と震えた少女だったが、頭をそっと撫でてやると、すこしずつ落ち着いてきたようだった。安心した顔をしてくれる。
ずいぶん臆病な子だ。どうにもこの子と木登りが結びつかないぞ。どうしてあんなところにいたんだろうか。
身をかがめたサーシャさんが、
「おうちの場所、わかる?」
とゆっくり尋ねたが、少女は首を振った。
「……おとうさんと、おかあさんのことは、わかる?」
「おとーさんと、おかーさん」
少女は俺たちを交互に見つめて言った。
「ううん。あなたを育てて、産んでくれた大切な人のことだよ。わかるでしょ?」
今度も少女は首を振って、
「しらない。マアト、気が付いたら、おとーさんと、おかーさんがいたの」
と答えた。
どうすればいいのか途方に暮れてしまった。身元不明。樹上で眠っていた少女。わかるのはマアトという名前だけ。
「どうしましょう」
俺とサーシャさんがこっそり話すのを見ていた少女が、なにか勘違いしたのか、
「マアト、売られるの? ヤダ、やだよ……ヒック」
突然、泣き出した。その様子に胸を締め付けられた。
……もしかしたら。この子も、俺と同じなのではないだろうか?
俺と同じように。誘拐されたのでは、という想像にたどり着くまで、それほど時間はかからなかった。
◇◇◇
「この子、どこの誰なんでしょうか」
泣き疲れて眠ってしまった少女を、サーシャさんが背負って街の方へと歩く。ぷにぷにとした頬を突付いても、一向に起きない。
さし当たって、この子をどうするのか。
「わからない。ギルドに預けてあげたほうがいい、と思う」
そうだよな。この子とは何の係わりもないのだから、ふつうだったら、そうするべきだ。
でも。さっきの怯えた様子が浮かんだ。売られるのは嫌だと泣き叫んだ少女。頭を撫でられて、ほっとした顔をしてくれた女の子。……なんとか力になってやりたい。
「俺たちで、この子の親、捜してあげませんか」
せっかくこうして出会えたんだ。丸投げってのは、なんだか後味が悪い気がした。
サーシャさんが改めて女の子の寝顔を見た。俺も見てみる。よく眠っていた。
「……そう、だね。うん。捜してあげよう」
眠る少女とサーシャさんと三人で森を出た。行きは二人、帰りは三人。スフィンクスの謎掛けみたいだな。
少女の栗色の髪の毛をそっと梳いてやるとくすぐったそうに身じろいだ。暖かい昼前の出来事だった。




