ニートは少女と月夜の森を散策する。
◇◇◇
(……あれ、俺は、生きて、る?)
ぺちぺち。
ちょんちょん。
ふにふに。
何かが俺に触れている。不規則に俺の身体を刺激する。
耐えかねて身体を起こすと、女性がいた。
「あれ? 昼間お会いした人です、よね?」
俺を叩いたり、突っついたり、いろいろしていたと思われる女性を、俺は見たことがあった。
ちょうど、今日の昼のこと。
一人でネットゲーム遊んでいたら、突然、俺の家に訪ねてきて『あなたに仕事を紹介してあげますよ』とか、国に委託されていて、一週間後に返事を聞きにくるとか、なんとか言ってきた人だ。
「? なんの話?」
確か、昼に会ったときは、眼鏡をかけていて、スーツを着ていた。
今、目の前の女性はファンタジーのコスプレなんかでよく見かける、身軽そうなアーマーを着込んでいる。
だからだろうか、なんとなく幼いと感じた。
ルビーの色を思わせる西洋風の剣も持っていたが、こちらは、
百人中百人が【アレには絶対に斬られたくない】と答えるであろう凶悪なデザインだ。
発泡スチロールとプラスチックだと思うけど、なかなかに出来がいい。どこかでイベントでもあったのかな。
「確かに、助けたけど。きみの言ってること。なにか、違う気がする」
「ごまかさなくてもいいでしょ。それは、趣味ですか?」
「趣味じゃないよ。これは、装備」
「装備?」
「うん、装備」
そういう設定なの? 探り探りいかないと、この人、ちょっと面倒そうですよ? 気持ちはわかるけど。
「あっと。それで、ここ、どこでしょう? もし知ってたら帰り道とか教えて欲しいんですけど」
この人と話していて、さっきまでの緊張は少しずつ無くなっていった。
起き上がっても、異常はない。あの狼の印象が強すぎたから、追い詰められる夢でも見たのかな。
「ここは常遠の森。帰り道で一番近いのは、あっち。ふもとに村がある。私は村に帰るから、村に帰るならついてきてもいいよ。ギルドにいきたいなら、私はついていけないけど」
「もり? ぎるど?」
なんかファンタジーでよく聞く単語が出てきたぞ。ゲームの話だろうか?
「もう歩ける?」
「歩ける、とは思いますけど」
「それじゃ」
軽く頭を下げて、女性は行こうとする。
「あの! 一緒についていっていいですか?」
我ながら情けないとは思いますが、道がわからないので。
背に腹を代えられるのは、死の淵を彷徨って生き延びる生き物だけ。
「村に帰るの?」
「えっと、まあ、はい」
村ってのはなんだろう。俺は秘境にでもいるのだろうか。
それならそれで、どうしてそんな場所に? って疑問も出てくるけど、
でも、なにより、とにかく話を聞きたい。
「いいよ。こっち」
女性の口調は砕けていた。すごくマイペースな感じだ。
なんというか……女性というよりは、少女という方がしっくりする。
解放された状況だと素の自分が出るタイプなのかな。
どちらにしても可愛いんだけど。
女性に遅れないように、ついていく。
誰かと一緒に歩く。散策なんておしゃれなもんじゃないけど、でも、それが何故か、やたらと楽しい。
月の光が、深緑を照らす。
小さな虫がいて、草むらの影に動物がいて、遠くから鳥の鳴き声がして。
小さくても、当たり前に生活し、当たり前に死んでいくものたち。
懸命に生き足掻く、生き物たち。
緑の風が吹く。木々の匂いと懐かしい香り。
しばらくお互い無言で歩いていたが、話し掛けてみることにした。
「あの。この辺は、地名で言うとどの辺りになるんですか」
「【常遠から続く深樹の森】」
とこ……なんだって?
「とこしえから つづく しんじゅ の もり、だよ」
俺がぽかんとしていたからだろう、今度はゆっくり言ってくれた。
「長いから、ふだんは、常遠の森、って呼んでる」
確かに普段使う場所の名前としては長い気がする。というより、そんな場所、日本にあったかな?
それよりも、一番気になる質問をしよう。さっきは答えてもらえなかったからな。
「あなたはどうしてこの森に?」
「採集クエストの依頼があったから、来てたの。夜にしか咲かない珍しい花を取るクエストで――」
…うん、そう。そういう設定なんだったね。OK、わかった。把握した。
話すうちに段々と、話が読めてくる。
こういう非日常的な世界を楽しむためのファンタジー・ツアーが実際に行われていると聞く。
田舎町を借り切って行うという話題性もあって、ずいぶん盛況だったとニュースでは言っていた。
この女性は、そのツアーの参加者なのだろう。
となると。
あの狼は作り物で、企画の一環。演出の一つ。ツアーのお客さんに楽しんで貰って、最後には倒される役の演者。
そもそも、あんな赤黒い狼は日本の山中にはいない。動転していたから本物のように感じたが、思い出してみると作り物っぽかった気もする。
とはいえ、どうして俺がそのツアーの渦中にいるのか?
という根本的な疑問の解決にはならないけど…
「…わたし、余計なこと、した?」
「え?」
女性の唐突な一言が俺を困惑させた。
「ずいぶん、軽装だから」
「いや、これは」
視線に気づいてみれば、俺は昼間会ったときの服のままだ。着替えをしていない。
夏だからか、寒くはないが、外出する格好ではない気がする。
「いえ。助かりましたよ。すごく」
「そう」
なんとなく気まずくて、話題を変えた。
「あの狼。すごく強そうでしたね」
「厄介だよ。【ネクロレッドウルフ】は再生するから。首を落としても死なないんだ。
ふつうは光魔法で浄化するしかないけど、わたしは光魔法が苦手だから、爆発させた」
爆発? 光魔法?
なんの話だろうか?
「…ああやって、食べ続けてれば、生き返れるって信じてるんだ」
ぽつりと女性がつぶやいた。
話をしながらも景色が流れていく。
少し会話の歯車がおかしいなと思う場面はあったが、気にすることはないだろう。
単純に経験不足のせいだ。
話し掛けてくれることはほとんどなかったけど、ちゃんと聞いたことには答えてくれた。
夜はふけていく。道中に危ないことは何もない。
森が闇に覆われてしまう前に、俺たちは無事にその村にたどり着くことができた。