湯けむり連続殺人事件(未遂)
◇◇◇
切羽詰った様子のサーシャさんが飛びついてきた。彼女を抱きとめることはできたが、突然のことと、あまりの勢いのせいで倒れてしまう。
がいん。頭を軽くぶつける。
(いってえ……)
俺が頭の痛みに注意を向けた。そのとき。
びゅん。
------風切音と共に、銀色に輝く刃がさっきまで俺のいた位置を通り過ぎていった。
(え……)
寒さのせいか、背筋が震えた。
今のは、なんだ?
「……どうしてルドを狙うの?」
サーシャさんが俺を守るように立ち、一際、闇の濃い林を見つめる。そこに誰かいるのだろうか。淡々と語りかけた。闇の中から音も立てずにヌゥと現れたひとりの男。闇と同化する黒い衣装が本能的な恐怖を誘った。この場で、その男だけが服を着ていることは異常であった。
「知らねーなあ。んなこと聞いてどーするよ? ここでおまえらは全員、俺に殺されるんだ。知ったところで、どうにもならなくね?」
黒衣の男はへらへら笑いながら口を開いた。口調はずいぶんと軽いが、殺意が隠し切れていない。
男は妙な形の刃物を握っていた。さっき、通り過ぎていったのはアレだろう。
いつまたあれを投げつけられてもおかしくない。危険だ。ましてや今は。
「あ」
いつものように剣を構えようとしたサーシャさんの手が、するすると宙を彷徨った。剣が無い事に気づいちゃったようだ。勝利を確信したのだろう。黒衣の男は余裕綽々で語りだした。
「俺は、おまえらが温泉に入るのをずっと待っていたんだ! なぜなら! 温泉では! 完全無防備! 武器を持ち込まないだろうからなぁ!」
アホだ。あいつ、あほに違いない。
「ん……しょうがない……これで」
彼女はその辺に落ちてた棒切れと、温泉に置いてあった風呂桶で装備を整えた。
剣と盾が揃った。他には何も持ってないけど、割とサマになってた。え、うそ。それで戦うの?
「ハハハハ! バカが! そんなモンで勝てるわけねーだろぉ!!」
黒衣の男が踏み込む。力に任せた袈裟斬りだ。あっ、と俺は息を呑んだ。サーシャさんはそれを、微妙に角度をずらした風呂桶で受け流した。
「なにっ!?」
驚愕する男に身軽なサーシャさんは棒切れで殴りかかる。頭部への振り下ろし、首筋を狙った一閃、胴体への叩き付け、手への殴打、切り上げからの突きetc。
アーマーをつけてないせいか、棒切れを剣のように使いこなすその動きが尋常じゃないくらい速い!
びゅん、がががっ、びゅんがががっ。
一閃、二閃、三閃。思ったとおり、彼女には剣術だけでなく、武術の経験もあるんだろうな。
剣で殴りつける、けん制でアクロバティックな蹴り、フェイントをからめた打突、しかし、攻撃はしっかり受け流す。その美しく洗練された所作はアクション映画のワンシーンのようで、思わず見惚れてしまう。別の場所にも見惚れてしまいそうになりますけど命のかかった真剣勝負ですんで、煩悩はどっか行け。
黒衣の男が踏み込めばサーシャさんは風呂桶と棒切れで押し返し、サーシャさんが殴りかかれば男は刃物で斬り返す。
……あの男も、意外に強い。彼女の動きにはついていけてない感じだったが、持っている武器のアドバンテージでその差を補っていた。互角の戦い、だと思う。どっちもすげえ。
『すごいねえあの子』『さすがばあさん自慢の孫じゃ』『人間技じゃないんですけど』『ふつくしい』
のほほんとしたギャラリーの声と対照的に鈍い音が響く。おい、最後。隣の女性に聞こえてますよ?
「グアッ」
くるくるっと身を翻したサーシャさんの回し蹴りをモロに喰らい、黒衣の男が吹っ飛ぶ。
どがあ、と木製の宿の外壁に激突し、木片が舞った。サーシャさんが弾丸のように男との距離を詰める。
「クッ!」
黒衣の男が懐から刃物を8つ取り出し、同時に投擲する。
どかかかっかかかっかっ。
サーシャさんは風呂桶ですべて防いだ。風呂桶がトゲトゲのついたイージスの盾みたいに見える。
「おかえし」
「なんだとおっ!?」
ぶおん。
シールドバッシュの要領で風呂桶をスイングすると、突き刺さった刃物がすごいスピードで黒衣の男に向かって戻っていった。その数、8。
男は必死に避けた。当たったら、痛そう。
数十にも及ぶ打ち合いがここまで続くと、さすがに男が焦ってくる。まさか、押してるの? 勝っちゃう? うそでしょ? 棒切れと風呂桶で?
「あ」
サーシャさんが小さく呟いた。
「剣、折れた」
サーシャさぁぁぁぁん!!
見ると風呂桶も割れて穴だらけになっていた。
い、いや。むしろその辺の棒切れと風呂桶で暗殺者(?)と打ち合えてた時点で、すげぇことだよ。誇るべきことだと思うよ。
「ふぅふぅ、このガキが。てこずらせやがって。けど、これでおしまいだなあ!」
ちくしょう。俺はなんて無力なんだ。もし俺が剣職人とかだったらこんな戦闘中でも「ほらサーシャ新しい剣だよ!」とか言って武器を届けられるのに!
ええい、くそ。せめて棒切れは……落ちてない! チクショウっ!
「目撃者は全員生かしておけねぇぞ。この宿にいるやつらは皆殺しにする。が。おまえだけはしばらく生かしておいてやる。楽しまなきゃならないからな」
「? 意味がわからない」
「すぐに教えてやるさ。その体に直接な、ククク」
お回りさん、どこですか! あそこにヘンタイがいます!!
俺は心が震えた。サーシャさんのピンチに何もできない。何もできずに見ているだけ。それは今まで何もしてこなかった俺への、神様が与えた罰でもある気がした。
「俺が魔法でも使えれば、あなたを助けられるのに」
「……まほう」
「サーシャさん?」
ふたたび俺を守るように、黒衣の男の前に立つ小さくて頼りないサーシャさん。けれど、その背がなぜか頼もしく見えた。彼女はそのまま、
「あんたは今、丸腰なんだぜ? 武器も失った。その小さい身体で、何ができんの? 俺にヤラしいことをされちゃう以外に、なにができるってーの?」
ぐっぐっ、と、その小さな手の平を、笑う黒衣の男に向けて。
「……【燃盛業炎】」
寒空に響く言葉を投げつける。事象が具象化する。
「ハハハッ!! 剣士風情が、魔術師のマネゴトかぁ!? できるもんならやってみやがれってんだ!」
ぼっ。
「あ」
「えっ?」
メラメラメラ。
「ごめん。やりすぎた」
「アーーーーーーーー!!」
火達磨になる男。黒い衣装はよく燃えた。すげえ、人体発火だ。
「みずみずみずみずぅゥ!」
熱量がすごい。炎の塊が水を求めて右往左往。地獄絵図だ。
「お、温泉がありますよ?」
俺が見るに見かねて教えてあげたが。
「そぉかァ! あリがとうォ!」
「ダメ。温泉が汚れる」
「そンな殺生なァ!」
「……【大雨】」
どばーん。
大量の水がどこかから男に降り注ぐ。ぽたぽたと黒い装束から水滴が滴る。
「あ、ありがとうございますだ」
「ううん。いいよ」
「おいおい。よくはないだろう、よくは」
完全に蚊帳の外だったほかの湯客4人が戦闘に加わった。
「え、あの? ちょっと、皆さん? お顔が怖いんですけど」
「俺たちを殺すんだっけ? どうやって?」
「ちょっとお仕置きが必要なんじゃないかな」
「あ、あれぇ?? やだなあ。あんなの冗談に決まってるでしょ。本気にしちゃいました?」
「嘘つきはいけませんねえ、じいさんや」
「嘘つきはいけませんなあ、ばあさんや」
「ヒッ、ひぃぃぃぃぃぃぃい!!」
温泉を覗いていた不審者はこらしめられた。男が完全に沈黙する。俺たちの勝利だった。




