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16話 silvery moon

ちょっと過激な表現がありますので注意。百合百合。

 リナンの目覚めはとても良いものだった。面倒なことが多いときほど自分の体は調子がすこぶる良い。もう何年も昔のことのようになってしまったが、これは地球でもそうだった。

 ジュアと二人だけの生活をしばらく過ごし、喧しく図々しいホウのいない静かな環境にも慣れてきた。


 枕元にはあまり手を出さなかったこの世界の歴史書が積まれている。人種とある程度の地理。生物まではやる気が出ず、一切読んでいない。

 約10年放っておかれていたリナンであったが急にモノを学ぶようにホウに指示されたのである。彼女は仕事に集中することにしたらしく、もうこの家に帰ってくることはない。出立の日に服がびしょびしょになるくらい抱きつかれ泣かれたことはもう懐かしい。少しは寂しいと感じる部分はあったのでまた会えるのはいつかと聞いたら仕事を辞めると言い出してジュアと必死に宥めた。


 ジュアはあの畑での一件以来リナンに対しそういった感情を見せることは無くなった。ただ、彼女の視線や声、表情で未だにその内には熱いモノが燻っていると感じる。

 その事に対してリナンも何も言わず彼女たちにとっての日常を繰り返してきたが、それもあと数日だ。


 何故なら、ついに外に出ることになったからである。条件はついているのだがやっと自由を得られるのだ。



「姫様、おはようございます。今日の気分はどうですか?」


 いつものように可愛らしい従者が起こしに来た。

 この光景をリナンはちょっと気に入っていた。だからこそそれを壊すための勉学は面倒で、好きではない。


 ここから出るための条件、それは高度な召喚魔術であるラクテクア召喚を成功させ、護衛となる従者を増やすことであった。


「まあサイアクかもね。ある意味」

「うん? よくわからない言い回しですね」


 その決行日が今日だ。



 魔力のつく料理を食べてから召喚場へ向かう。ホウがリナン用に作ったその空間は屋敷の地下にあり、天井、壁、床に刻まれたいくつもの術式の文字たちが主の来訪を今か今かと待っていた。

 この場所で早くとも半日、手こずれば2日以上過ごすことになる。


 そのことをリナンも承知しているが一人きりで気持ちの悪い文字に囲まれるのは御免だ。さっさと終えてしまいたい。


「どんなに頑張ってもその召喚? される人はランダムなんでしょ? 別にちゃっちゃとやってよくない?」

「駄目ですよ。一人目ですぐ契約すれば痛い目をみます。聞いた話では契約を交わした瞬間に乗っ取られることもあるとか」


 ラクテクアは一般に喚ばれる召喚獣とは違い、人格をはっきりと持つ。それが優秀な部分でもあるが問題点でもある。

 召喚者の魔力やそれぞれに対応した霊力をエネルギー源に活動することになる彼等であるが、それとは別に欲求も存在するのだ。契約時にある程度のやり取りは行うが基本は契約後にその目的を知ることが多い。

 それが召喚者の意に合わない場合や仲が悪くなった場合は契約を破棄し、エネルギーの供給を解除。新たな召喚を行うことになる。その際にあまりにも悲惨な別れ方をしているとまだ留まっていたラクテクアに殺されることもあるという。

 召喚の目的は戦闘、師事、性交渉など様々だが相手は基本的に人型で、人格を持つ考える人なのである。


 つまり簡単な話、きちんとコミュニケーションをとる必要があるということだ。


「条件がジュア程ではないにしろあたしを守れることだっけ? 大物じゃなくてもいいんでしょ」

「まあそれはそうですが……。英雄クラスをとは言いませんが、あまり役に立たないのも魔力の無駄ですよ」

「かわいけりゃあどうでもいいわ」

「はあ……。それでは私は出ていますので。呪文も忘れないで下さいね」


 睨みながら扉を閉める従者にひらひらと手を降る。リナンも雑に行うつもりなどない。これに失敗すればまたあの監禁生活なのである。

 居心地は悪いと言えば嘘になる。ご飯もちゃんと食べられる。だが、瀬川梨南として我慢できないものがある。


 人間関係の乏しさだ。


「よーし、やるぞー」


 部屋の中心の手前で正座する。その術式の描かれた床の中心にラクテクアは喚ばれるのだ。

 息を整え、ランブラズ語で召喚詠唱を行う。この術がランブラズ独占の技術となっているのは文字、言語、術者全てがランブラズでなければならないからである。母親が外国の者であるジュアはおそらく不可能なのだろう。

 魔力が消費される感覚がして、その魔力量を調節する詠唱の節に入る。迷わず最大を選択し、続ける。汗が吹き出し体力をどの程度消費するかを決める。もちろん最大。精神力も最大。

 ジュアにはああ言われたがリナンは初回で終わらせることを決めていた。どんなラクテクアが召喚されようとも契約する。普通の人間関係も変わらない。その方がきっと楽しいのだから。選んでいても消費量は変わらない。


「はあ……はあ……、きっつ……。『我、この血を太陽に捧げし者。混沌の黒也』……『我が声は神の暖かさ、輝き也』」


 ホウに絶対付け足すよう言われていた一節を詠唱する。同時に血を持っていかれた感覚がするが大したことはない。


 重要なのはここからだ。ラクテクアの種類と能力を選択する。選択中はこの世界から飛び出し魂の状態になると言われる。二体以上ラクテクアを持ちたくないと多くの術者が語るのはこの瞬間がトラウマになっているからだ。まるで世界と接続したかのような感覚になり自我を失うと言われる。


「うっ……?!」


 浮かぶような感覚になり真っ白な空間が目の前に広がる。言い様のない孤独感と寂しさが自らの精神を支配する。

 真っ黒な空間にいきなり放り出された宇宙の果てツアーとかいうふざけた裏理事長の授業がなければリナンも耐えられなかっただろう。


 その中で何かに囁かれる。望む人物像は何か。


 そんなものは決まっている。


「エロもグロもいける仕事できる娘」


 大真面目にリナンは選択した。





 リナンが目を開けると目の前には銀髪の少し痩せた女が立っていた。その目は濁っていて、服もただ着ているだけの地味なものだ。リナンを見るその表情はどこか気だるげで、やる気が感じられない。なぜ自分が喚ばれたのが理解できないと混乱している様にも見える。


「あー、えっとお……喚んで下さりありがとございます。あなたが御主人というわけで」

「そうよ。よろしく」

「ええ……。ホントに自分でいいですか? 払ったエネルギーを見ますともっと良い方いますよ? たぶん500年前の英雄ならいけるんじゃないでしょうか」


 銀髪のラクテクアはリナンを見つつそんな提案をする。腹黒いラクテクアはいきなり取り入ろうとすると聞いていたので、本当にただやる気がないのだろう。


「あんた人は殺せる?」

「えー? まあ手段を選ばないのなら……」

「仕事はできる?」

「うーん。あんまり目立つのは嫌ですけどそれなりには」

「エロい?」

「……はあ……? 人並みにはまあ……。情婦としては見映えは良くないと思いますよ」

「女いける?」

「ええ……? いけないことはないですけど」

「決まりね」

「……なんで?」


 困惑を隠せない女だがリナンとしてみれば最後の質問の答えだけで良い。それさえあればもう充分だ。

 契約の詠唱を行うと自分の情報が書き換えられる感覚がした。体を見回すと決定的に変わる部分があった。


「あれ、髪の毛が白髪になってる」

「銀ですよ銀。わたくしがそうなので、それを踏まえた上で遺伝情報が書き換えられたのでしょうね。もう同じ詠唱はできないと思いますよ」

「ふーん。なんで?」

「ちょっと待ってくださいますか。今同期中です。なんかバグ多いですね貴方の体」


 頭痛でもするのか頭を押さえながらそう答える女。ちなみにお互い交わす言葉はバラバラで本人たちの最も分かりやすい言語に翻訳されている。リナンには日本語に聞こえているのだ。


「あいたたた……。御主人は何者ですか? ブラックボックスが多すぎます」

「乙女の秘密。で、この銀髪直るの?」

「それはこの世界にわたくしを無理矢理縛り付けたが故のものですので、わたくしと契約を切れば直るかと。先ほどまでの美しい黒髪が良いのでしたらどうぞお切りください。何も文句を言いません」


 そうお辞儀をしながらほほえむ女。本当に働くのは嫌なようだ。


「なんでそんななのにあたしに喚ばれたのあんた」

「……いや逆になんでわたくしを喚んだのか……」

「雑に条件設定したらあんたが来ただけよ」


 そこまで聞くと女は目を見開き、驚愕を浮かべる。


「えっ? いやだって……え……あの消費量ですよ? 神でも喚びそうな勢いでしたけど……」

「あー、どおりでこんな疲れた訳ね」

「神族の血液まで出してましたけど……まあ今はわたくしと同じ種族になったのだと思いますが」

「へー。人間じゃないのあんた」

「…………サキュバス」

「んー? 夢魔だっけ。いいじゃん! あははっ!」


 アレマテト・ジャールマヌウト。精力を糧とする種族で現代では滅んだとされる。見た目はどのアレマテトとも変わらないが常に栄養不足で痩せていたと言われている。異種族との交わりを苦手とすることが多かったようで、通常の食事でたんぱく質を多く取っていた。アレマテト・ヴェラザイト、吸血鬼と同様雑食ではなく肉食のアレマテトに分類され、性交を好むというよりは性交でも栄養を補給できるよう変化した種族だ。


 その生態により毎日性交渉していた彼等は滅んだ今でも淫乱であると一般的には認識され、乱れているものを揶揄する言葉としても使われている。

 そんな種族であると知って興奮する自らの主人を呆れたように見る女。なぜそこまで歓迎するのか理解できない。『銀髪の大婬婦』といえば人々の歴史では類を見ない汚点のようなものなのだから。

 しかしここで彼女はある可能性に辿り着く。


「あの……御主人。もしかしてわたくしが誰かわかっていらっしゃらない感じですか?」

「なに有名人なのあんた。名前は? 結構勉強したからわかるかも」

「…………シャビリュ・ファファトーラです……。1000年くらい前にいろいろやらかしたんですけど……」

「……誰それ」


 かつて世界を滅ぼしかけた女性はそれはもう盛大に溜め息を付くのだった。




 「えーと、契約は無事完了。わたくしを存在させるための理由付けも障害なく終わりました。それでこれから何をするんですか?」

少し時間を置き、肉体のチェックを終えたシャビリュはリナンに訊ねた。足を崩し、だらしない格好になったその年端もいかない少女は、まだ疲れが残っているのかだるそうに答える。


「正直なところやることは特にないわ。あたしの目的はあんた、いやラクテクアを護衛用に喚ぶことだったし」

「召喚自体が目的なのですか。腕ためしのような……。詳しく聞いても?」

「めんどくさ」


 愚痴をこぼしながらも少女は説明をした。

 産まれたときから母親ではない女性に育てられていたこと。両親は会いに来ることはないし、出ていくこともできなかったこと。何故か自分は姫と呼ばれ甘やかされていたのだが、ある日突然外に出ることになりそのためにラクテクア召喚を行ったということ。


 転生やその他諸々を話すほどリナンはアホではない。以前別の授業で似たような状況になり、説明しても笑われた経験からの判断とも言える。

 自身がこの世界で認識しているのはある程度の身分の高い生まれであり、お家騒動で処分されそうなところをホウに助けてもらったというものだ。妾の子だったのか跡継ぎ争いだったのかわからないが、今その場に自分がいないのが悔やまれる。


 憂鬱そうに膝を抱える少女を見て、シャビリュは少々の憐れみといつの時代もそんなものかという諦めの感情を抱いた。聞けば皇族専用の詠唱も自覚せず、教えられただけのようだ。

 喚ばれたときに召喚者の欲望のままの性交を望まれ、期待はずれだったと契約を一方的に切られてきた情けない経歴を持つシャビリュはただ自分を喚んだだけの主に興味を持つのだった。


「まあよろしく。しばらく面倒見てよ」

「……そうですね。できる範囲で頑張ります」


 国をいくつも落としてきたはずの大婬婦はその吸われるような少女の瞳に約束するのだった。





 ジュアは姫が召喚を行っている間荷物の整理をしていた。あれだけ注意をしたが、ジュア自身も姫が失敗するとは思っていない。姫を目の当たりにした人間が嫌悪の感情を向けるという状況が何故か想像できないのだ。

 少し手を止め、人生の中では短い期間過ごした部屋を見回す。こんな何もない空間なのに一つ一つの場所に思い出が宿っている。

 姫の身長の刻まれた柱。ホウが酔っ払った拍子に穴を開けた壁。料理中に突然姫に声をかけられたために火の強さを間違え焦がした跡の残る台所。

 

 ジュアの頭の中に姫の笑顔や声が甦ってくる。そして、あの日の泣き顔も。弱音を吐いた彼女を愛しく思ってしまったあのときの感情。その後の過ちは未だに心の見えないところに引っ掛かっている。

 姫がここを出ることになったとき、ジュアには選択肢が与えられていた。記憶を消してここをやめるか、このまま付いていくかである。その答えはもちろん決まりきっていたが、なんの迷いもなく付いていくという選択しか選ぶことができないほどに自分があの主人に溺れていたことを自覚してしまったのだ。


 じわじわと何かが自分の心を焼いていくような、抜け出せぬ深い深い沼に足をからめとられてしまったかのような妙な感情がジュアを蝕んでいた。

 少しでもその疼きを抑えようとあの無垢な少女の着物を汚したのは1度だけではない。隠れてそんな慰めをする自分に怖気が走る。でも、やはり、どうしようもなかったのだ。

 ホウのあの姫に対する愛情はきっと冗談でもなんでもなかったのだと今なら分かる。


「……姫……さま……」


 名前のない少女のことを口にするだけで体が熱を持つ。少女の服を抱きしめ、熱を冷まそうと身体中をまさぐる。その呼吸は荒くなっていく。

 ジュアは口には出さないが姫が外に出ることには反対だった。

 なぜなら、アレは『毒』なのだ。人の心を溶かすとても綺麗で艶やかな、アレは広めてはならないものだ。

 世界に出て、関わっていくなかで誰もがアレを求め身を焦がす。やがて散々犯され尽くした後に人々は気付くのだろう。あの危険さに。


 だがそれでも、誰もあの毒を拒むことができない。

 ただの予感━━、ちっぽけな女の思い違い。そうであって欲しいとジュアは願うのだった。








「どーもシャビリュと言います」

「えっ、あっジュアと言いますヨ!」


 きっかり半日後、召喚場から出てきたリナンは疲れたとだけ言うとさっさと布団に入ってしまった。

 居間に残された二人に気まずい空気が流れるが、取り敢えずは自己紹介をしなければ始まらないとシャビリュが口火を切ったのであった。


「ん……え……シャビリュ? シャビリュ・ファファトーラ……ッ!?」

「ああ、ははは。やはりそういう反応ですよね。うんうん、それが普通なんですよ」


 ジュアは呑気に座る銀髪の女から距離を取った。少しのどかな時間を過ごしすぎたのか、戦闘系のスキルの発動が遅れてしまう。護身術に使用するための肉体の強化、反応速度の向上、手刀を扱う技能を発動させた。

 だが、肝心の女は動こうともせずけらけらと笑うだけだ。


「……なんで、アンタみたいのが姫さまのラクテクアになってるヨ? むしろなぜ姫さまがアンタを喚べたのヨ?」

「あっ、やっぱそんなつもりじゃなかったみたいですね。そうですよねえ、皇族の方々の専用詠唱でしたからね」


 下級、邪悪なラクテクアを排除し、選ばれるラクテクアを上位の者に限定するはずの詠唱で歴史上類をみない()()を姫が召喚した。一体何をどういじればそうなるのか。


「まあまあ落ち着いてくださいよ」

「……話を続けるといいヨ」


 ジュアは構えを解くことなく、所謂『悪』に分類される女を睨む。


 1000年前、大陸を支配する種族すらまだ定まっていなかった時代、今大陸をほぼ支配したと言っていいアレマテトですら数ある形態の一つでしかなかった頃にその女は存在した。存在していたはずなのだ。


 現代に生きる人々がこの女を知ることになったのはほんの数十年前、ラクテクアの召喚技術が発展してからだった。それまでどの文献にも遺跡にも記録されることのなかった女の存在を初めて語ったのは1000年前に存在した国の偉大な王で、彼の口から語られたのは恐ろしい事実だった。


 その時代、種族間での争いがあったとされるデンゲンマレル期のことが記された媒体が語ってきたことは全て偽りだったのである。国の歴史学者と彼との対話で噛み合ったものなど都市、人名程度だ。

 栄光の獅子王の武勇も賢者たちが築いたとされる巨大な魔法都市も弱小たるアレマテト達の逆襲も()()()()()()()。その真実は少なくない波紋をランブラズにもたらした。


 学者たちは進んだラクテクア技術、召喚者を総動員し、ゲンデンマレル期に何があったのかを調べた。


 ある英雄は語った。いつも傍らで支えてくれた麗しい銀髪の少女のことを。


 ある暴君は語った。いつも自分に知識を与えた醜悪な銀髪の魔女のことを。


 ある獣は語った。自分達を治めた銀髪の女帝のことを。


 やがて彼らの語るその女はいつも何処かへ姿を消してしまうのだ。その後の彼らの人生は大抵悲惨なものになる。

 ここで学者たちは嫌でも気づく。その時代の真の支配者に。

 偽の文献を記した者を召喚できるまでに研究が進み、その名前は世界に轟くことになる。その名を呟いてしまった記録者は次の瞬間にはこの世の記憶から消え、二度と召喚することは出来なくなったという。


『シャビリュ・ファファトーラ』


 アレマテト・ジャールマヌウトの痩せた銀髪の女性。戦乱の中暗躍し、歴史すら操った黒幕。

 その都市伝説のような存在はジャールマヌウトだということから男を誑かした淫婦であるという脚色が民の間でなされ、妖艶な美女というイメージが付いた。創作の世界で銀髪の女が登場しなかったことは無い。


 彼女が召喚されたという噂もあちこちで流れたが、誰もその事実を確認することは出来ない。なぜなら、それが「シャビリュ・ファファトーラ」というモノなのだから。




 それが、目の前に、()()のだ。



「はあーあ。この召喚にも困ったものですね。わたくしは確かに世界に記録して貰っている身ではありますが、なにも死後に晒さなくてもよいではありませんか。せっかくあそこまで自分の存在を隠したというのに……。そう思うでしょう?」


 濁りきったその白い瞳がジュアを射貫く。女はただ笑っているだけだ。だがなぜこんなにも足がすくむのか。


「なんの目的でッ!! 姫さまにッ!! ……はあ……はあ」

「あら可愛いですね」


 大声を上げて緊張した体を解す。そうしなければ飲まれてしまいそうで、心が、魂が。

 姫とは逆の魅了。ジュアの敬愛する主のソレは人々が集う綺麗な泉。だがこの化物のソレは人々を引き摺り込むような泥だらけの沼だ。


「そんなことしていても疲れるだけでは? 座ってはいかがでしょうか」

「うッ……うるさいヨッ!!」

「うーん……。困りましたね」


 すうっと、人差し指をその女は立てる。自然とそれに視線を誘導され、その女の唇にたどり着く。そして女は語り出す。


「わたくしは現代のあなた達が思うほど大それたことをしていませんよ」


「どの口がッ!!」


 ついにジュアは臨戦態勢に移行する。ラクテクアとて存在方法が変わっただけの人なのだ。心臓を破壊すれば死ぬ。

 机を破壊しながらの踏み込みで一気に距離を詰める。……はずだった。


「うるさい! 静かに寝させろっての! ジュア!」


 珍しく不機嫌な主の怒声によってその攻撃は空しく止まる。そのまま正座で座らされ直々に説教される。

 普段ならばホウがされていたことなのにまさか自分が受けることになるとは思っていなかったジュアは落ち込んだ。

 だが、反省などしていなかった。なぜなら麗しの姫の黒髪を醜い銀色に変えた女がずっと笑っていたからだ。その態度はなぜかジュアを煽り、どうしても良い感情を抱くことはなかった。


 それを女も分かっているのか挑発的に主に触れる仕草をする。それを払いのけるとまた主に叱られる。

 それを夕食時まで繰り返すのだった。




「あら美味しい。貧乏くさいですけどいいですねこういうの」

「アナタ要らないでしょ! それはワタシの分ヨ!!」

「あー……。なんとなくわかったわあんたらのこれから」


 どんどん減っていく自分の夕食のおかずを見ながら、リナンは呆れた。これが犬猿の仲ってやつだと。















 


「あの、どういう状況か聞いてもいいですか?」


 食後、銀髪の女二人の姿はリナンの作った風呂の中にあった。まだ幼いリナンがシャビリュの主張の少ない胸に寄りかかる形だ。

 慣れぬ湯船にシャビリュはあまりリラックスできていない。


「見たまんま。大切でしょ、コミュニケーション。それにしても昼間のあれは何よ。ジュアで遊ぶのはあたし。横取りすんな」

「そうでしたか。やはり御主人もそういうのがお好きなようですね」

「やはり?」


 湯に浮かぶリナンの髪の毛をいじりながら楽しそうにシャビリュは言う。


「人の心を弄ぶと言うやつです」


「言葉にすると確かにそうかも」

「ふふふっ、否定するべきですよ」

「ふーん。まあいいんじゃない? なんかあんたって不思議な感じがする」

「おや、それはどんな? ……うん?」


 リナンは振り向くとシャビリュにキスをした。油断していたシャビリュは目を丸くする。

 口を離したまだ年端も行かぬ少女の顔は煽情的で()()()()()()()()


「すごい近いっていうか……。遺伝とか種族とかそういうんじゃなくてもっとなんか……」

 息を切らしながら少女が話す。その手は間違いなくシャビリュの肩に、脚に。そしてさらにその体に食い込んでいく。


「……ラクテクアとは良くも悪くも個性を持ちます。そして、それが被ることもあ、ありません。なぜならそれはこの世界が欲したデータだからです。一種類あればいいから重複することはあり得ないの……ですッ。う、上手いですね……」


「へえ。それで?」


「ふんっ!? あ……え、えっとラクテクア召喚には、本来召喚者の中に召喚したい人物像と言うものが存在しているためそれに近い者が呼ばれるのです。あっ! ……も、もしくは」


「召喚者と同じ個性の人」


「そういうことですよ。いけない子ですね御主人? 主を諫めるのも従者の務め。……なかなか良い趣味を持っているようで……お付き合いしましょうか」


「ふふっ……あははっ! 久しぶりに燃えそう」


 その穢れが混じる水の温度が下がっていることに気付かぬ程銀色の女達は交じり合う。

 その悦びは自らの性欲を、食欲を満たしているから得ているわけではない。二人の思考はその部屋の外に向いていた。

 嬌声を上げると返ってくるのは押し殺したような慟哭、強烈な女の匂い。


「そんな……いやぁ……嫌です姫さま……。やめて、やめて……。ワタシの……姫さま……。ぐううううぅッ!! あ、あっ、あっ!」


 あぶれた哀れな女が夜空の下に一人。主の疲れを癒すためにその湯に薪をくべていたその女は手を止めていた。いや、手は動いていた。

 楽し気な話声、色気のある声、耳を塞ぎたくなるような悦楽に浸った声。それら全てが彼女の心と体を焼いた。炙った。蒸した。


「やめて……」


 声を押し殺す。苦しみの感情がそのまま溢れてしまいそうだったから。


「淫乱がぁ……」


 爪が食い込むほど自分の体を抱え込む。怒りの感情が牙をむいてしまいそうだから。


「ハア……ハア……」


 愛と呼ばれるものが心を引き裂く。もう、零れた。


 液に塗れた顔にぐしゃぐしゃな表情を浮かべながら蹲る女が一人。そこは彼女にとって地獄、或いは天国なのだろうか。


 銀色の悪女たちは笑う。その悦びの源泉は三人目の少女の流す涙。

 そんな女達を照らすのは夜空に浮かぶ満月。あとは欠けていくだけ。











 旅立ちはそれが欠け切った後だ。

















 

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