14話 スタートライン
ホウ・コロライル・シェイファは通常の業務を終え、町の大通りよりも広く、太陽光を取り込み黄金に輝く神殿の大廊下を歩いていた。仕事の疲れの残る彼女の眼にはその光の反射が眩しく突き刺さるが、この廊下は他の王族も使用する世界的にも有名な場所であり決して欠伸することもできないのだ。
高々と両脇にそびえ立ついくつもの柱には嘗ての皇帝の成した偉業が文字や絵で彫刻され、記録されている。奥に進めば進むほど、その柱に刻まれる皇帝の代は遡っていく。そして、初代であるアラメヒビカの柱の立つ前にこの帝国の玉座が存在する。
しかし、今回ホウの用があるのはこの大廊下を途中で曲がった先に存在する女帝を中心とし、多くの女王、王女たちが住まうアラメコージョ宮殿である。
「お呼びでしょうかコハカ様」
皇帝の間と対をなす女帝の間でホウは跪いていた。王、王子たちが仕えるのが皇帝であるなら、女王、王女たちが仕えるのが女帝である。
ホウの主であり、クガノサエツグ帝の正妻コハカサダメキ帝は、赤い花で彩られた玉座で黒髪をいじるような仕草をしてから周りに侍らせていた侍女達を下がらせた。
その腰まで伸びる黒髪は間違いなく神の血を持つ証である。近親の結びつきで血を繋ぎ止めている皇族であったが、最近ではそれが問題視され血の遠い者との婚姻が多くなっている。コハカはその流れを受けつつもより濃く血を残している者であり、そのため簡単に正妻の座を勝ち取り今の地位を築いた。神の血を尊ぶ帝国民の崇拝も受けており、皇帝の他の妃の追随を許していないカリスマの持ち主だ。
「良いぞ。楽にせい、ホウ」
「はーい」
女帝にそう声を掛けられたホウはこの部屋に入ってくるまで感じさせていた厳しい雰囲気を消し、緩く返事をした。女帝コハカもそれを咎めることは無く、それが日常なのだと感じさせる。
コハカも姿勢をだらけるようなものに変えると玉座近くまでホウが近寄るのを待つ。
「それでコハカ様、今日はどんな用ですか?」
「……分かっておろうに。リナンの調子はどうか?」
「それがですねえ! 昨日は一緒にお風呂に入りまして! ふふふ!」
コハカが皇女のことを聞くとホウは頬を染め、体をくねらせながら語り出す。それを聞くコハカの表情は変わらず口を手で覆い、椅子に寄りかかりながら何か考え事をしているようにも見える。
第3皇女リナンサエツグの国での評判は大変良い、と言える。外交や祭事の際に見せる振る舞いや言動も完璧だ。ホウが話す事柄はその皇女のイメージに合わないものばかりであった。寝坊をよくするのが可愛い、畑で泥だらけになっているのが可愛い、などなど、やんごとなき人物に対しての評価ではないだろう。
では女帝の言うリナンとは誰か。それはこの神殿より忘れ去られた本来の皇女のことである。
「健康そうで何よりよ。毎度のことであるがお前のその惚れっぷりはどうにかならぬのか」
「えへへへ」
報告を聞き終わったコハカは呆れたように溜息を漏らすもホウは表情を崩したままだ。
「では新しい付き人は決まったのだな」
「はい。彼女はなかなかのものですよ」
「聞いただけで有能だと分かる。ニヤウシ巫女養成所も阿呆よな。異性の巫女ならともかく同性の使用人で民族など気にしてどうする。皇女の巫女に手を出す馬鹿者もおるまいよ」
皇帝や皇女の巫女が純粋なランブラズ人でなければならないという決まりなどない。ただもしも子を成した場合に後継ぎとしての資格をその子は持つことができない。過去にそれが原因となり他国との問題が発生してしまったため、中途半端な血筋を残さないようにそういった暗黙の了解ができているだけである。尤もその理由を理解している者は現代では少ないだろう。
伝統として守るのは良い。しかし、それが自国民は格が高く、他国の血を持つ者は格下に見るという考えになってしまっているのは頂けない。
「ご自身の巫女に散々手を出しておいてそうおっしゃられるのですか。噂では他の王女の侍女も奪っているらしいではないですか」
「ク……フフフ。それを言われると弱いが向こうから来てしまうのだから仕方があるまい。子供の出来ない女同士は良いぞ。逆もな。アハハハ」
愉快そうに初めて女帝は笑った。この神殿の娯楽などそのくらいしかないのだ。
「……さて。今まであやつの世話を任せていたことには感謝を述べよう。……そんな顔をするな。辞めよと言っているのではない」
「だってぇ……」
本題を切り出そうとしたコハカは本気で泣き出しそうなホウにさらに呆れた。
禍々しいあの日、コハカが唯一信用できたのは彼女だけであった。
「お前には本来の任務に戻ってもらう。再びのその能力を私に示せ」
「了解です陛下。で、何をしましょうか? 肩でも揉みましょうか?」
コハカは少し笑うと踵を鳴らした。すると彼女とホウの間に大陸の地図が浮かび上がった。それは視認できるほどの濃い魔力で構成されており、スキルによるものだ。
ラシューニュー大陸を現したその地図には陸の高さも立体で青色に表示されており、南西に位置する山脈の一番大きな山は赤く表示されていた。
「炎神の大噴火は知っていような?」
「はい。この国ではまだ知らない者もいるようですが、王族であれば知らぬ者はいないでしょう」
昨今の不作、冷夏は偶然ではない。つい数か月前のカガラド山の大噴火が原因である。
今も各地を覆う黒い雲は大量の灰だ。神殿にいる数人の研究者はこの状態が長く続くとさらに被害が出てしまうと述べた。
そして、この大陸でいずれ起こるであろう混乱を見越して動く必要があるのだと、この帝国の上層部は検討し始めている。その方針として内政に目を向けるものが多い中でコハカは外に目を向けていた。
コハカが指をならすと表示された大陸の上を緑で再現された雲が覆いはじめる。
「流石にこの国までは灰は来ていないが、西に行くと昼ですら太陽が見えない状況が続いているようでな。カガラド地方まで人は送れていないが相当な被害を受けているだろう」
「支援を考えておられるのでしょうか?」
「……支援して何か返ってくるのであればすぐにできたのであろうがな」
いくら絶対的権力を皇帝や女帝が有しているとはいえ、動くのは王族達である。彼等の働きなしでは決してこの国は成り立たないのだ。一時期ではそんな愚行を冒した皇帝が権力を失ったこともあった。
「クガノ様はどのようにお考えなのですか?」
「あの男の考えなぞ知るか! 私の前でその名を口にするでないッ!」
「っ! 失礼を致しました」
女帝は激昂した。滲み出る魔力がこの空間の温度を上げていく。汗ばむような熱気をその身に受けながらホウは地に頭を伏せ謝罪した。
やはりまだ皇帝との仲は最悪なままのようだ。
皇帝は娘が何処かで餓死したと信じているのだ。そしてそれに安堵している。実の娘を葬ったばかりか見せ掛けの皇女を作り出し、それを娘だと女帝に押し付けたのである。
夫として皇帝を愛する気持ちはその時点で失われた。娘が生きていることを喜ぶのはここにいる二人のみ。二度と女帝コハカはこの宮殿に夫を招くことはないであろう。
「許さぬ。しばらく苦しめ。
さて、話を戻すが私は今後国外との協力が不可欠であると考えた。それは理解できるだろう?」
「はい。この問題は一国で対処できるほどの大きさではありません。既に食糧難に陥った小国同士で小競り合いが続いているようです」
「我々やエーピアはまだ余裕があるから良い、と考え驕っていれば、連合を組まれ大戦争に発展する可能性もある。……そうなれば共倒れよ」
女帝は遠い目をして下らぬと吐き捨てるように笑った。その未来は低くない確率でやってくるのだ。
この大陸での戦争の数など数えればキリがない。ジリベリデン帝国が君臨していた時代の方が少なかったとも言われている。まあその時代も異物ギャレイデンによって破壊されたのだが。
覇権国家といえる国は存在しないラシューニューだが、列強の一つが傾けばあっという間にバランスを失うだろう。
「難しい問題です」
「……フフフ。面倒の間違いであろう? ここは鎖国的であるからな。形骸化しているもののなんと多いことか」
溜め息を漏らしながら表示された大陸図を動かし、女帝はある場所を踏みつけた。そこは列強の中でもさらに上位、エーピア国の首都ツーデンスだ。
「近々、ある催しを開こうと思うておる。名前はどうでも良いのだが腕試しの場のようなものだ。それを大陸規模でだ」
女帝の言葉を一言一句聞き間違えぬようにホウは耳を傾ける。
「その開催場所としてエーピアが相応しい。立地も交通も考えてな」
「それにエーピアは納得するでしょうか?」
「させるのがお前の仕事だホウ。もうじきエーピア国王は死ぬ。それを利用しろ」
国王の死を確定しているかのように女帝は語る。
「私の後任はなかなか優秀なようですね」
「慎重すぎて時間が掛かるのが玉に瑕だがな。エーピアが断れぬ状況、他国が参加せざるを得ない雰囲気を作り出せ。こちらの厄介な王族は気にする必要はない。内政に勤しませるからのう」
「この催しの結果をどのようにお使いになるのですか?」
「国際連合軍を創設する。問題解決屋だな。今後はかなりの力を持つことになろうよ。いや、そうなってもらわねば困る」
「……つまり、大陸中から優秀なものを集め選出。そして、その連合軍にどれだけの人材を送り出せるかが……」
「今後の世界情勢に関わるであろうな」
皆で仲良く問題解決などこの大陸では不可能だ。ならば、問題対処にあたらせるための組織を作る。そしてその組織はどこの国とも関係するが、無関係でもある。一々どこが介入しただの、不干渉だなどと言わせないための処置だ。
女帝の目的を聞いたホウだったが、彼女の勘がまだこれだけではないと告げていた。それに気づいていることを女帝もわかっているようで異様に目を剃らす。
「なるほどー。流石はコハカ様。いやに具体的な考えです」
「そ、そうであろう? なんだ。言いたいことがあるのか?」
「それはコハカ様ではないですかあ?」
にっこりとホウが微笑むとコハカは少し眉を上げ困った顔をする。幼馴染みゆえの反応だ。
「はあ……。なんだ、その、その催しはな身分問わず参加できるようにするつもりだ。ある程度はな」
観念したのかぽつりぽつりとコハカは語りだした。ホウはこの話の着地点を理解してしまい、自然と顔がにやけてしまう。
「そして、この国の代表として参加し、優秀な者にはもしかしたら皇帝や女帝が興味を持つかもしれぬ。傲慢な女帝が是非侍女にしたいと思うかもしれぬよな?」
「はー?」
分かっていてホウは分からぬ振りをする。
「はあ……。性格が悪いぞホウ。察しろ。いい加減私も会いたいのだ」
「ふふふ。失礼を致しました。ですが、姫様を外に出すとなると……」
「言いたいことは分かる。あの外見だろう? 変装を施すのもいいが、それだとやはり不安だろうよ。『ラクテクア召喚』を許可する」
ラクテクア。この世界に存在した魂。英雄達の分身。それを召喚し自身の従者として使役するということをランブラズ帝国は技術として確立させた。
ラクテクアは主に影響を及ぼし、主のステータスを変化させることもある。完全に融合することも少なからず確認されている。
「姫様の生まれや血の情報が書き換えられる可能性も存在します。それでもよろしいのですか?」
ホウの一言でコハカは少し笑うと、体をだらけさせ天井を向く。そして、力なく息を吐き出すと目を閉じた。
「構わぬ。のう、ホウよ。10年はこんなにも長いものだったのだな。娘との生活、あるはずだった幸せを想うとな、心が死にそうになるのだ。なんとか私の娘として、皇女として取り戻そうと画策しても待っているのは神殿の混乱だけだ……。
ああ、お前に頼んだのは正解であったし、間違いでもあった。なんと憎らしい」
ホウは何も言えない。その資格がない。母親の代わりになろうとしていたことを否定できない。実際に母が存在するのにも関わらずだ。
「……ごめんなさいコハカ様」
精一杯の謝罪しかできない。
「許さぬ。私の、娘を待つ母親としての生を終わらせたのだからな。もう私は出会ったとしてもあの子の顔が分からぬであろう。アレはお前の娘だ。もし、少しでも私を慰める気があるのならばこの任務見事こなしてみよ」
女帝コハカサダメキは立ち上がるとホウの前に立った。その威圧感は慣れているホウですら窒息させるものであった。
「この命に換えても必ず」
そう、ホウは答えた。
2年前、エーピア国の首都ツーデンスではある話題で持ちきりだった。
マリャッカルを密輸していた組織が壊滅したのだ。ある者は単純に驚き、ある者はそんなことでと呆れ、またある者は一つの娯楽を失ってしまった喪失感に支配されていた。
その組織の壊滅はさらなる場所に飛び火する。ツーデンスにその組織を招き入れ、支援していた貴族の存在である。その貴族が六大貴族の一つであったのだ。
騎士団は世論に押される形でニンバンヤル家を強制捜査。その時点での頭首と直系は死刑となり、一切血の繋がりのない者が頭首に据えられ監視されるようになったのだ。
そのばたばたの中心にいた四騎士ケレイル家。その頭首コーザは頭痛がまたひどくなったような気がした。
「ぐぬ、誰か頭痛薬を持っていないか?」
首都の東西南北に配置されている砦の一つ、その執務室でコーザは唸った。ここは南に位置するケレイル家の砦だ。あとの3つの砦は他の四騎士が管理している。北はブリュザレート山脈、東は巨大なシャルガール川、西はケントランザ砂漠に囲まれたツーデンスの中で南側は最も攻められやすい平原に面している。
「おーい。無視するな! オリッカザス!」
騎士団の一つを率いる『団長』、コーザの次に偉いと言える大男に声を掛けるも無視される。
この部屋にいつもいるのはコーザ、五つある騎士団の団長たちだ。今日はマリャッカル密売組織壊滅事件の後処理に追われて、後回しになっていた他の様々な処理をコーザを入れて三人でしていた。
「……あ? え? ああ……すんません将軍。意識飛んでました……」
普通の状況ならば髪を左に流したナイスガイなのだが、目は充血し、額に貼っている冷却の呪符が剥がれかかっておりとてもひどい顔だ。とても彼が第1騎士団の切り込み隊長と言われる勇敢な両手剣使いとは思えない。
「さっき飲んでませんでしたか? 将軍ももう歳ですねー……」
「いや、飲んでおらんわ。半日前の話だろうが」
「あれー? もう日が沈んでるー?」
猫背で目に隈を作りながらペンを走らせるのをちょっと止めた女性はメリーチェ。
第2騎士団団長で、蝶のように舞いながら蜂のように刺す俊足のレイピア使いと呼ばれたその美しい姿も今はどこへやら。こんなはずじゃなかったと日々腰痛と肩こりと芋虫や蜂の幼虫のようにもそもそと戦っている。
「大体ですねー。この都市の再開発の予算案なんて貴族の仕事ですよ?! なんで騎・士・団、である私達が目を通すんですか? 視察しに行くんですか? 建築業者に頼みに行くんですか?」
「やめい、頭に響く」
「お、おお……そうだこいつらはカセンドラの騎竜兵なんだ。畜生、手も足も出ねえぜ……」
「寝ないでよ! オリッカザス!!」
「あ、頭が……割れる……」
そんな阿鼻叫喚の執務室にノックが木霊する。
「ケレイル将軍失礼します!」
「ぐっ……。どうした?」
頭を押さえながらコーザは騎士に返事をする。よい声だ。そう喋るように教育を行ってきたのはコーザだが今はその声が頭に響く。
「御子息が是非会いたいとこちらにお出でです!」
「まったく。3日も家に帰ってこないと思えば仕事場に籠りきりだったとは」
ヒオは頭痛薬を父に、休憩用のお茶菓子を3人に配膳した。
「心配して来てくれたのか? 父は嬉しいぞ!」
コーザは上機嫌だ。息子の愛でまた3日頑張れると思った。
「あれが将軍自慢の我儘ドラ息子」
「見た感じただのボンボンじゃねえか。そんな不良には見えねえチビッコだ」
少し回復した団長二人がひそひそとヒオを観察していると、ヒオはその二人に向き直り騎士流の挨拶をした。腰の剣に手を掛けお辞儀をする。尤もヒオは丸腰だ。
「ヒオ・ケレイルです。まだまだ学ぶ身ではありますが、将来はここで働くつもりです。どうかお見知りおきください」
「おお? あはははっ! なんつーか貴族みてえだぜチビッコ。おうよろしく。俺はオリッカザス・カランガ・ケレイルだ」
「一応将軍の息子さんにあんたはー……。私はメリーチェ・シキ・ケレイルよ。宜しくお願いします!」
「……あとの3人の団長にも挨拶しようと思ったのですが。留守のようですね」
空いているが書類が山盛りの三つの机を見てヒオはそう判断した。
「ああ。あいつらと俺らが交代で街を見張ってんのよ。いつもは一人で十分なんだがなあ」
「大変でしょう。父の様子を見ればわかります」
「あははー。まさか犯罪集団を突然潰されるとは思わなくてね。キミも知ってるでしょ?」
「はい」
「おう、ちゃんと情報を得てるようで関心関心。能力に自信があろうが今は夜に一人で出回らないほうがいいぞ」
「はい。ご忠告痛み入ります。町では騎士団の方が秘密裏に潰したのだと噂されていましたが違うようですね」
「だから家でも違うと言っただろうヒオ」
「まあねー。ちなみにヒオ君はどう思ってるの?」
「私ですか?」
「お姉さんに考えがあれば教えて欲しいなー」
「うげえ」
メリーチェは俊足でオリッカザスの足をヒールで踏むとヒオに視線を送る。
「と言われてもどう判断したものか分かりません。騎士団の起こしたことでないのなら内部での潰しあいで勝手に崩壊したとかでしょうか?」
「うんうん。なるほどー。ありがとう参考になったよ!」
「……。なら良かったです。では私はこれで失礼します。父上、ちゃんと寝てくださいよ!」
「ほいほい、分かっておるよん」
コーザを見て溜息をつくとヒオは退室していった。
「どうよ?」
メリーチェは足の指を骨折させる勢いで踏み付けたのだがどうやらオリッカザスには効果がなかったようだ。
「どうってもうギラッギラじゃない。なによあの目。なんで私達が測られてるのよー?」
メリーチェは疲れたように書類の山に顔を埋める。ただでさえ体力を削られているのに勘弁してもらいたい。
「クカカッ。やっぱ将軍の息子ってのはちげーや」
「……あの子もあーなるのかしら」
二人は上機嫌で事務仕事をこなすこの国の四人の将軍の一人を見た。そして、再び自分達も苦しい戦いに身を投じるのであった。
人通りの多い街道をヒオは一人で歩いていた。認識を薄くするというスキルを使っているので注意して見られなければ人に気付かれることは無い。
いつもの木が並ぶ元々は城壁だった場所に登り腰を下ろすと、大通りを進む人々の観察を始める。これがヒオイチがこちらに来てからの習慣だった。
個体特性:{絶対人生}。他者の来歴を知ることができるアビリティ。本人の本来の出自を表示するので相手が無自覚の場合は噛み合わなくなることがあるが、いちいち調べる時間がカットされるので重宝している。
「まあた人間観察ですかい坊ちゃん。いけねえやこんな時間に一人で出歩いちゃ~」
「黙れランブラズのスパイめ。なぜ時間通り来ないのだ」
ヒオの座る城壁の下に黒い服を纏う男が現れた。髪は茶色に染めているがランブラズ人らしく本当は派手な色なのだろう。
「いやあワタクシは慎重さが売りでしてねえ」
「完璧な時間管理を貴様がずらしたのだという自覚を持て」
「ひゃはははっ。完璧と仰るか。いやあ、本当に奇妙なお方ですわ」
この男とヒオの出会いは数か月前だ。ヒオが手駒が欲しくて半獣を助けていた時、たまたまこの男を発見したのだ。
情報屋との取引を目撃したヒオはこの男を脅したのである。
「吃驚したもんですわ。なんせこんな小さな子供が突然、ランブラズのスパイと言うことをバラされたくなければ情報をよこせと酒屋で言ってくるのですからねえ。未だに不思議なんですがなんでワタクシバレちゃったんです?」
「本当に口の減らん男だ。お前のボロだ」
「まっさかあ~。なんでワタクシが皇帝軍バリッターであることまで知られちゃうんです?」
ヒオは木の枝に吊るして隠してあったものを男に落とした。その鞄の中にはいくつかの書類が入っていた。
「いやあ坊ちゃん……。本気で情報を持ってくるとは思いませんでしたぜ。盗んだんですかい?」
「俺はただ頭の中の妄想を書き記しただけだ。それが都市計画と騎士団の配備表、城内地図と被っていたとしても偶然だ」
「はあ~。素晴らしい~。『緑の組織』の情報なんかと釣り合うとは思えねえんですけどねえ。あっ、そういえば坊ちゃんどうやって壊滅まで追い込んだんですかい?」
「見ていただろう。ククク……火のついた若さを舐めるな」
「転移門を止めたくらいであんな組織作っちまうなんてねえ。まあ、ワタクシはこれでお役御免。そういう約束ですぜい?」
しばらく、書類に目を通した男は塀から離れる。
「貴様これからどうする?」
「そういう坊ちゃんこそ。これは立派な反逆ですぜ。クーデターでも画策してんですかい? ひゃはははっ……って、ええ?」
ヒオは否定しない。ただ無言で男を見つめる。バツが悪そうに男は髪をいじると参ったと首を振った。
「……これは本当に怖いなあ。まあ、ワタクシはこれから開発計画に便乗して城に乗り込みますんで。ああ、坊ちゃんは騎士になるんでしたっけ? ならまた会うこともあるかもしれませんねえ。ではこれで失礼しやす。これ以上いたらちっちゃな護衛達に何されるか分からねえや」
歩き出す男にヒオは声を掛けた。
「レー・サレイナ・エテンタ。貴様女か?」
それを聞いて男は嬉しそうに振り向いて答えた。
「あり? 聞くってことは気付いてなかったんですかい? 経歴なんもかんも当てといて? もちろんワタクシは男ですよ? ひゃははははははははっ!!」
上機嫌でそれは町の人混みに消えていった。
声は明らかに男だ。だがその外見は会う度に変わっていたのである。
所詮は向こうにとってヒオとの取引は遊びの範疇だ。ヒオは場所を移動するが、そこで見た状況に舌打ちをした。
そこにいたのは眠らされたヒオの手駒の半獣たち。それが一人残らず精神支配を受けていたのである。
「やはり、まだまだ足りんな。成長も知識も」
そう一人愚痴ると半獣たちを蹴り起こしていくのだった。
「よく来たな。こんな格好で済まない。最近体が弱ってしまってね。今日はランブラズ女帝コハカサダメキ殿直々の願いを持ってきたとか」
「はい。時間を割いてくださり感謝を述べます国王陛下」
エーピアの王城で国王ガル・ザイス・サットシーは病に侵された体を無理に動かしながら、神聖ランブラズ帝国の使者を迎え入れていた。
そろそろどちらかが動くと思われていたのでそこまでの混乱は起きなかった。
国王が病にかかったのは2年前。それまでは元気にふるまっていたものの次第に咳き込むようになり、遂には床に伏せっている状態だったのである。家臣達も今国王が動ける状態を不思議がっている。
(軽い催眠。麻酔を受けていますね)
使節団のリーダー、ホウ・コロライル・シェイファは国王の状態をそう判断した。王自身なぜ動けるのか分からないのだろう。
軽い挨拶の後、使節団は部屋に案内された。歩く途中、家臣たちからよりも貴族たちからの視線が強く刺さる。あまり歓迎されてはいないようだ。
王族と貴族の確執は情報通り大きくなっているのだろう。
「シェイファ様のお部屋はこちらになります」
メイドの一人に案内され、使節団はばらばらの部屋に入る。扉を閉めて部屋の椅子に腰掛けるとホウは溜息をついた。
「では王都の状況を聞かせて貰いましょうか?」
「え?」
ホウはメイドを睨んだ。一切集合場所を指定してこなかったこの後輩に少し苛立ちを覚えていたのだ。
「ひゃははは! いやあ流石は先輩。ワタクシメイドになってますって教えましたかねえ?」
「何年私もスパイをやっていたと思っているのですか。はあ、しかし資料と全然外見が違うではありませんか」
「いやあ絵の映りが悪いんすよねえ」
観念したのかレーはホウに情報を提供した。ホウは事前の情報との違いを修正しながら整理していく。
「? これは?」
「あ~。やっぱそれ気になりますよねえ。ひゃはははは……っ! すいやせん……」
胡麻化そうとするレーにホウは殺気を放つ。手を上げ降参するとレーは語り出した。資料に残していないことから余程伏せたい事情なのだと察する。
ホウが気になったのは2年前のマリャッカルの密輸ルートを牛耳っていた組織の壊滅だ。原因不明とあるが、当初の予定ではこの見た目だけは清楚なメイドはその組織を通じて城内に入り込む手筈だったのだ。
そして後輩の語った事情を初めは理解することができなかった。
「え……は? 子供に? 情報を売って取引した?」
「たはは~」
ホウは頭を抱えて椅子に深く座り込んだ。そして細かく聞いていく。こいつをどうしてくれようかと考えていたが、次第に少し改める。
「……いきなりバレた?」
「はい。ありえないですよねえ。多分人生で一番小便漏らしました」
「もう、茶化さないでください。それで、何者なのです? 普通の平民? 他国の教育されたスパイ? 始末していないのでしょう?」
「いやあワタクシも必死に動ける範囲で調べたんですよ。ですが分かったのは最近でして。今まで表に出てこなかったんです。今年で10歳、ピッカピカの1年生ですよ」
ホウはさらに唖然としたのだった。
ツーデンス学園。国内でもトップのここでは本日入学式が開かれていた。
新入生代表が呼ばれ、登壇する。少し力強い顔つきをした少年で、今年入学する同級生で彼の名、いや家を知らぬ者はいない。実質騎士のトップ、ケレイル家の直系の次期頭首。
「ヒオ・ケレイルだ。このオレが入学したからには最も有意義な学園生活になると約束しよう」
彼のその一言を聞き逃す者は存在しなかった。