12話 小さな島の大きな出来事・下
ケルゴとローノの関係は不思議なものだった。お互いに嫌っているわけではない。かと言って親交が深いかと言われるとそうでもない。自然と会話も弾み、意見を述べ合う対等な関係でもある。
明確な違いがあるとすればそれは『変革の方法』だった。
共にこの島の在り方に疑問を持っていた。
作るために作られた人々。ただ種類によって分別され、能力がたまたま貴重で優秀なものがなんとなく偉くなる社会。産み出された後は放置されるか次の材料にされるかのどちらかのみ。
より良い社会が欲しい。目指したものは同じだった。だが彼は今を捨て、自らの持つものだけで新しき場所を作ることを選んだ。そして彼女は今を無理矢理破壊し、暴力的な再構築を選んだ。
「何か言うべきことはあるか?」
漆黒の空を背に雷の化身はケルゴに問い掛ける。言われずともわかる。あれは怒りだ。
この島を変えたいと言っていた幼い決意の表情はもうない。ただ敵に対して宣戦を布告する戦士だ。
「いや、ないよ」
荒れる海の上空で二人は今初めて敵対していた。
ゼファルスの屋敷を出てローノが目にしたのは海岸で困惑している警備隊といくらかの番号付きだった。後からついてきたファルに上空の警戒を任せゲルガンの元へ向かう。
「何事だゲルガン!」
「ああっ! ローノ様! いやそれが何というか……やばいことになってる」
「はっきり言え。どうした」
ゲルガンの指さす方を見ると、沖の方で船が一隻傾いていた。船底に穴でも空けられたのであろうか。船員達は小型のボートに乗り込み、脱出している。
「……なんだあれは。なぜ沈んでいる?」
「一匹の番号付きが攻撃したようです」
上空より降りてきたリューンがそう報告する。自分の報告で主が良い顔をしないことがわかっているのか、その表情は暗い。
「なに? 誰がそんな指示を出した? そもそもお前たち以外は近づいてはならないと命令していたはずだが」
主より感じる威圧感に畏怖しながらリューンは答えた。
「攻撃したモノは行方不明になっていたモノ。つまり、噂の……」
「……ケルゴのお抱えか」
ケルゴがこの島の番号付きを無差別に助けていることは上級の名前持ちならば知っていることだ。
だが、なぜ今あの船を攻撃したのか。
「あちらの船団の主は怒り、もうこちらの話を聞いてはくれません。攻撃したモノは既に殺され、幾人かの海生番号付きも捕らえられています」
ちり、ちりと小さな弾けるような音が聞こえる。ローノの表情は変わっていないがいつ雷を落とすのか分からない状態だ。
「ロ、ローノ様今は落ち着いたほうがいいぞ! 俺たちじゃどうしようもねえ! あいつら無理矢理上陸してくるつもりだ!」
必死に怯えながらもゲルガンはそう意見する。リューンも彼のこういうところだけは尊敬している。
「……殺せ」
「え?」
雷が一度落ちる。
幸い誰も死ななかったところを見るとちゃんと理性はあるようだ。
「もう私は何も言わん。この島の掟に従え。漂流物は早い者勝ちだ。ここら一帯の名前持ち達にもそう伝えろリューン」
「畏まりました我が主」
雷の擦れる音が大きくなる。近くにいる者は逃げ出したい欲求に駆られるが必死に抑える。この紫色の怒りが自分達に向かってこないようにただ祈る。
頂点の娘。その理不尽な力が敵対するものに落ちるように願うしかないのだ。
なぜこうも上手くいかないのでしょうか。
わたしは権力を持っています。偉いわたしになぜ従えないのでしょうか。
ケルゴ。あれはやはり邪魔です。
「ケルゴを探せバンシィ!! 島中の巡回を強化しろ!!」
近くにいるであろう部下に怒声を浴びせてしまいます。全く尊敬していないエルーの息子に対して礼儀がなっていないとまた嫌われてしまうでしょうか。
いつもの怖い悲鳴が返ってきました。良かった。彼女はわたしに甘いので結構無理を聞いてくれます。
「ファル! 今日はご馳走だ!!」
勘弁してくれとばかりにペットの大きな鷹が鳴きますがもうあきらめてください。
このイラつきはどうしようもないのです。これでいきなり一部とはいえ大陸との戦争ですから。予定はもう崩壊。軍備だけは整っていますが、連携の取れないこの国での侵略戦争など巻き返されるに決まっています。
少なくない時間をかけてやっと秩序を持った纏まりができ始めたというのに……。またこの便利な体を酷使しなければならないと考えるともう、もう我慢なりません。
「奴を殺す」
小さく呟いたその言葉はいやによく響きました。
「来たかいケルゴ」
陽動を終え帰ってみればミリィがオレを待っていた。彼女も仕事を終えたようだ。
「どうだった?」
「くふふふふっ! すごいよあの子。まだ完全に落とせていないんだ!」
部屋の椅子に座らされているメイナはぴくりとも動いていない。ミリィの能力に抵抗できるなんてさすがはサーデの子だな。
「しかし、よく捕まえられたもんだよ。一体どんな手を使ったんだ?」
「なになに、簡単な事だったよ。ほとんどは彼女のおかげさ」
そう言われミリィの指す方を見ればメイナの従者だった番号付きの子が立っていた。その子はお辞儀をしてくるがその表情は硬い。
「キミが協力してくれたのか感謝するよ。共に新天地に行こう」
「……はい」
そう彼女と握手を交わそうとするが、なんだろう。何か気になるのだろうか。
「……あのケルゴ様。メイナさ……いや、あの人は本当に皆の言うような残虐な方なのでしょうか? 最初は確かに虐めとも呼べるような行為を受けましたが、考えてみればまだ子供なのですからよくあることだと思います。今となってはいくらかの分別を持って私に接してくださいましたから……。
ですからこんな扱いは少々酷いと思うのです! まだ10歳です! こんな、こんな騙し方!」
「おっとお! だいぶ調教されちゃってるね」
「いえ! 私は一切そんなことされていませ……」
邪魔だと言うようにミリィはその従者を寝かせる。訳が分からない。
メイナに洗脳でもされたかのような彼女の発言はオレに混乱をもたらすだけだった。
「あまり手荒な真似はよせミリィ」
「ごめんごめん。でもボクだって疲れてるんだよ。で、そっちはどうだったのさ」
「成功だ。彼は最後までオレ達のために働いてくれた。彼の家族はオレが助けていく」
「名前持ちに一泡吹かせたわけだ」
大陸の船に特攻をかけた人はなんでもいいから名前持ちを困らせたいと語っていた人物だ。
力無きゆえに同じ種族の名前持ちに虐げられ、生きることさえ苦しそうにしていた。やはり、こんな島は出ていかなければならない。
団結した彼らの為に、オレは名前を持てなかった彼らの王となる。
「出航だ」
数千の番号付きを乗せた大戦艦が動き出す。誰にも邪魔させない。
「ねえあの声を聞いた? お姉様」
「ええ。嫌な声ね、おねえさま。バンセファイはどうしてあんなに冷たいのかしら」
「ああ、確かこれは島中の警戒レベルを上げるものだったか……。面倒だ」
ジェンドの城で名前持ちのトップ達、ジェンドの娘ミミレイルンとメメレイルン、エルーの息子ライオは島中から鳴り響いてくるバンセファイの悲鳴を聞いていた。
自ら動くローノとは違い、彼らは御三方の指示無しでは動かない。
それに対し何度かローノに苦言を受けたことがあったが基本的に親に似て彼らも自室に籠って趣味に没頭することの方が好きだった。
頭脳を強化されすぎた個体、「アレメテリンジェンス」たちにより教育は受けたが政など面倒なだけであった。
「とうとうぶつかるの。ローちゃんのエネルギーをびりびり感じるの」
「そうね。やっと来たと言うべきか、早かったと言うべきか。ライオとしてはどうなのかしら?」
「知らん。まあ、馬鹿弟よりはローノに残ってもらった方が助かる」
「ひどいの」
「ひどいわ」
「争いなんて面倒なだけだ。がしかし、これも父上達の計画の一部なのだろうな。お前たちはどうなのだ。ケルゴを気に入っていただろう」
それを聞いた姉妹は互いに顔を見合わせるとはしゃぐように笑いだした。
「フフフフフッ! ただの暇つぶしなの。お姉様もわたしも遊んでただけなの」
「ハハハハハッ! 今はローノの方が可愛いわ。それに感謝もしているから。私とおねえさまが兵器作りに没頭できたのもあの子のおかげ」
「まあ確かに。俺もローノが厄介事解決してくれてたから趣味の改造しまくれてたからなあ」
姉妹の作った水のモニターには木々を薙ぎ倒しながら海へ向かう水陸両用の戦艦が映っていた。3隻建造された内の一つで今日はたまたま誰も警備していなかった。
もう一つのモニターには南方の海岸での諍いが映し出されている。大陸側の船団は数を増やし魔大砲を撃ち始め、陸には続々と名前持ち、番号付き問わず物資を奪い取ろうと集まってきている。
結局のところこの混乱は力があるものが得をする。ずっとこの島で続いてきた風習だ。
しかし、この騒動の中心にいるのが弱者を庇う二人というのもなかなかに度し難い。
「きっとわたしたちローちゃんに怒られるの」
「そうねおねえさま。でも、怒ったあの子の方が可愛いわ」
「あーあ。後処理めんどくせー」
「今日も天気が悪いですねクイーン」
「うん、そうだねー」
海上巡回隊であるアレマテト・バンセルフォンが二人、今日も変わり映えのしない海を泳いでいる。
時刻は夕暮れ。いつもならばあと少しでバンセファイの喧しい歌が聞こえてくる時間帯だ。空を飛べるように作られていない彼女達は海や水中での移動に優れている。そう作られた。
「クイーン」
「なあにー?」
北方の隊長である名前持ち、クイーンは呑気に返事をした。しかし声を発したパートナーは黙っている。
「もう、なあにー? ……?」
パートナーの見る方に視線を送ると巨大な船が島から海上に出るところであった。
動く基地としても作られたその全長はメートル換算ならば優に400を越える。正面に配置された魔大砲がこちらを威圧しているようだ。
外壁は超硬度の水に浮くという性質を持つ素材に覆われ、その内部には2000以上のアレマテトが暮らせる居住スペースと食料生産工場、小型船収納スペースなどが存在する。
生産に数年を掛けた貴重な兵器であり、そう軽々しく持ち出して良いものではない。
「……いつも通りにしていてねー。下手に歌っちゃだめだよー」
「いや、でもあれは……」
「いいからさー」
【操作:3:水属性】
そうパートナーに言うとクイーンは波を立てた。
その波はやがて大きくなっていき渦を作り、その見上げれば首を痛めるような船の進路を塞いだ。
ゆっくりと近づけば、戦艦リノセンダの前方の甲板に血統持ちであるケルゴとミリャイーヤが姿を現した。
「ケルゴ様でしたかー。この船を動かすと言う話は今日聞いていなかったので驚きましたよー」
波が高く上がり、甲板の二人より少し低い位置にそれを停止させると、クイーンはその波を固定し上に乗った。優しく歌うように彼女は問い掛ける。
「ああ、実は今日南の方で大陸の船団がやってきていてね。威圧するためにこれを向かわせようと思ったんだ」
「なるほどー。ローノ様の許可は取りましたかー?」
「これは驚いたな。ボク達が許可を取る必要があるのかい?」
「うーん。そう言われてしまうと困りますねー」
この島中に2度は通達したはずの他領地通行許可証の発行システムを無視されるクイーンの主。その努力を無にされるところがクイーンは好きだ。もっとも、ちゃんと許可を取っているものの方が少ない。
いつもならば注意して、ローノが後で愚痴るだけで終わるのだが少し状況が違う。
「まあ許可証は良いですー。では案内は私達で致しますねー。アホな巨大生物除けにもなりますから」
「いや、平気だよ。君たちも忙しいだろう」
ケルゴ達の方も無理矢理ここを突破するわけにはいかなかった。ローノに選ばれたバンセルフォン達の能力は高い。今のように渦で囲まれ、高波を起こされれば乗員である番号付きたちが危険だ。
このバンセルフォンを殺そうにも彼女達は二人組で行動しているためどこかにいるパートナーに報告されてしまう。運よく両方殺せたとしても定期連絡の歌声にここの担当をしている者達が返さなければあっと言う間にローノが召喚される。
失敗したとローノが思っていたシステムがケルゴ達を少し困らせていた。
「そうですかー。お気を付けてー」
「ああ、ありがとう」
海上に降りていくバンセルフォンは一応納得して見せたようだ。渦も消し、こちらに手を振っている。
「適当な仕事だね。ちゃんとローノは教育してるのかな」
「……ちゃんと教育してるからこそだ」
よくわからないと手を振るミリャイーヤ。
露骨にこちらを怪しんでいればそれこそミリャイーヤが手を出していたかもしれない。まず報告することを彼女は選択したのだろう。
(このままでは終わらないな)
そんなことを思いながら船を進ませていると、案の定島の方から恐ろしい悲鳴が聞こえてきた。ケルゴには区別することはできないが、きっとバンセルフォンである彼女には分かっているのだろう。
その時、一人のバンセルフォンが船内から出てきた。
「どうした? まだ出てきちゃダメだ」
「ケルゴ様! あれに返事をさせてはいけません! あの歌は『レベル3の指名手配』!」
いやな予感は当たるものだ。
「ローノ様がケルゴ様を探しています!! きゃっ!?」
船が揺れる。いや揺らされている。巨大な吸盤を持つ触手が戦艦を抱き抱えているようだ。
深海で生かされている巨大な烏賊のような生物、バンセルフォン達の庇護下にいるダルラーンの足が船に絡まってきたのだ。もう一人のバンセルフォンがつれてきていたのだろう。
「ミリィ、ここの守りを頼む」
「了解。一応戦える人達には働いて貰うよ? ただで乗せてる訳じゃないからね」
先程の悲鳴に対しクイーンが返事をした。その距離は遠く、ケルゴの射程範囲外だ。やはり賢い。
「ローノは人を見る目があるな」
「言ってる場合? 結構ヤバい音がしているんだけど」
この船を沈める訳にはいかないことを向こうも分かっているようで、ダルラーンも足を絡め減速させるだけに留めている。
【魔術:2:風属性】
「祓いの剣」
ケルゴが詠唱を加えた魔術を行使すると巨大な風の剣がダルラーンの足を数本切断した。重りが突然無くなったことにより船が縦に大きく揺れる。
バンセルフォンの歌声が海中から聞こえる。励ますような優しい歌だ。それによりダルラーンはまた足を生やした。
バンセルフォンの特殊なスキルだろう。再び船を覆うように巨大な触手が伸びてくる。
異常を察知し外の様子を伺っていた魔術を使える番号付き達が応戦し始める。だが、どんなに傷付けようが焼こうが回復する速度の方が早い。
「本来はこの戦艦を海中の攻撃から守るためのものなのに、いざ敵対すると厄介だ」
ダルラーンはバンセルフォンが操作し、艦隊を海中で守護するために作られた生物だ。ただそのための命だ。
そのため自我と呼べるようなものは存在せず、余計な事故を起こさないように選ばれたバンセルフォンの声のみに反応する。
「可愛そうだけど、今はキミは邪魔だ」
【魔術:2:風属性】
「風の送り人!」
空中に浮かぶケルゴがそう唱えるとリノセンダ船が浮いた。何重もの竜巻によってその巨大な質量をもつ物体が浮いたのだ。
離せという指示を受けていなかったダルラーンも一緒に浮いている。混乱している様子もない。しかし、乗員達の攻撃により受けた傷は回復することはなくなっていた。
水属性を経由してのスキル効果だったため、パートナーであるバンセルフォンの歌声は届いていない。
「ごめんな」
ケルゴが右手を横に払うとその軌跡通りにダルラーンは切断され、その生命を終えた。巨大な肉片が海に落ちていく。波を操作していたクイーンも空中に浮かぶ戦艦には手を出すことができない。破壊せずにという方が正しいだろうか。貴重な戦力だということを理解し、失った後のことを恐れている。
「このまま前進する!」
「相変わらず馬鹿みたいな魔力量だね」
クイーンは焦った。ダルラーンを1頭失い、さらに戦艦を素通りさせてしまったとなれば大目玉だ。ローノの本気の怒りを受けて生き残れたものはあの御姉弟しかいないのだ。
だが同時にどこまでならあの船を傷付けてよいのかもわからない。これはどちらにしろ怒られるのではないか。
「不味いですねー。……あ」
その瞬間紫色に輝く線が船に直撃した。
後部のスクリューの配置されている部分だ。同時にそこが炎上する。
「少しずれますね。ミミおねえさまにあとで報告しておきましょうか」
光が消え、その場にいる誰もが見上げると、雷鳥に跨がり紫電をその髪に纏う超越者が槍を携え暗い空に鎮座していた。
言いたいことはあるのかとその少女は聞いた。ない、と青年は答えた。それだけで戦いは始まった。
少女は今回の騒動の落とし前を彼の命を以てつけさせるため。青年は夢の邪魔となる少女を退けるため。
ローノが右手に持つ槍をケルゴが護ろうとする船に向ける。
雷槍「スパイアングリール」。ミミレイルンが戯れにローノ用に作った槍という名の霊力放射装置である。
彼女の首と手足に付けられたエネルギー変換装置から霊力を吸収しその槍は紫色に輝く。再びまたあの光線で船を攻撃するつもりだ。きっと今の彼女は損失がどうのこうのなど考えていないのだろう。
黙ってそれを受け入れるケルゴではない。風の刃を数百展開して放つ。
しかし、その刃は雷鳥の放った魔力の波動に打ち消されてしまった。ケルゴのもとまで来たその衝撃は凄まじく、かなりの魔力量だろう。
「くっ!」
雷槍から光線が放たれ、今度は居住区の上部を焼く。頑丈なその作りをものともせず3層まで貫通し、その射線上にいた番号付きが蒸発した。
ローノは無言で再びチャージに入る。
「オレだけを狙えローノ! なぜ彼等を焼く!?」
「…………」
今度は竜巻を作りだし向かわせるが、再び雷鳥の波動で消されてしまう。あのエネルギーは一体どこから来るのか。
「ローノをあれから降ろさないとダメだよケルゴ! ローノの魔力をずっと食べてる!」
霊覚に優れるミリャイーヤが助言する。するとなにか、あの少女は武器と雷鳥に自身の力を与え続けているのか。
そう考えている間にも3発目が放たれる。
「くそっ!」
「ケルゴ!」
その射線上にケルゴは向かった。熱に対する防御を上げてそれを受け止めようとする。
「だと思いましたよ」
その声を聞いた時にはもう遅く、ケルゴは雷撃を受けた。純粋な霊力による一撃。
魔力による防御は一つのものにしか耐性を持てない。熱に対する防御ではこの一撃は防ぎきることはできない━━はずであった。
「…………イライラします」
ケルゴは健在だった。ダメージを負っているのは服で隠れていないちょっとした肌の部分だけだ。
「絶縁体ってやつさ」
おそらくそれだけではない。あらゆる精霊殺しの術が服に、装飾品に施してある。
準備をしていたのだ。共にこの島を良くしようとほざいておきながら、この男はローノと戦うための準備をしていたのだ。
「また来るよ!」
「ちっ」
だが状況は変わらない。壊れるのが船が先かケルゴが先かの違いだけである。ファルの波動でケルゴの魔術を打ち消し、今度は光線を放つ。魔力の盾でケルゴがそれを防ぐが、その魔力も無尽蔵ではない。
アレマテト・エンプリーバ。アレマテトで在るがゆえに決してケルゴは無限を持てない。だが、自然そのものであるローノに有限はない。
人を越えた彼女には人としての制約を受ける必要がないのだ。
「グガアッ!」
しばらくその状況が続くかと思われたとき、ファルが火の攻撃を受けた。風の魔力を打ち消していたためそれ以外を消すことができなかったのだ。
その攻撃の主は炎上する戦艦の乗員。名も無き男だった。それを見てか、一斉に番号付き達がちんけな魔術を放つ。
「みんな!」
「オレ等も頑張るぞケルゴ様!」
「みんな! 援護するんだ!」
「ケルゴ様だけを傷付けさせるな!」
なんという団結か。ローノの敵は恩をちゃんと返しているようだ。この世界に来てからもそのような経験が一切ないローノは無性に腹正しくなった。
これはもう消えて貰うしかない。
「なんだあの霊力は……」
一番近くで見えてしまうミリャイーヤは真っ先に絶望した。あれは防ぐという概念が通じない、霊力の暴風だ。あの少女は手加減をちゃんとしていたのだ。
「戦艦を吹き飛ばすつもりかい? 貴重な戦力が失われることになるよ?」
ミリャイーヤに出来ることはこれしかない。心が少しでもこの化け物に残っているのなら、惑わせる。
その雷槍が船に向けられる。雷鳥はもはや微動だにしない。的確にケルゴの魔術のみを防ぎ後はただその肉体で受けている。
ここまでか。
「一応あの船にはメイナも乗っているんだけどね」
その時雷の光がミリャイーヤの方を向いた。庇うものがなければ避けるだけだ。
夜を昼に変えるほどの一撃が通りすぎたあとには無表情でありながら、その怒りをミリャイーヤにのみ向ける幼い少女の姿があった。
「……見つけたよ、キミの心。ははは、でもボクに固定されちゃったね……」
ただの航海道具が役に立ったものだ。夜の一族の血を継ぐミリャイーヤはそれでも微笑むのであった。
火事による被害はメイナのいる部屋までは来ていなかった。
しかし、メイナが動けないことには変わりないし、戦闘による振動で椅子や机は倒れていて、彼女は残った僅かな意識で天井を見上げていた。
最初こそ必死に抵抗していたのだが、あの性悪の提案でケルゴとミリャイーヤの抱き合う姿を見せ付けられ、もうどうでもよくなっていた。
ただ本当に自分は騙されただけなのだと切なくなっただけ。崩壊しそうな精神を支えていたのは単純な自分の力だった。ミリャイーヤの精神奪取に抵抗能力ができはじめていたのである。
「メイナ様!」
何かがメイナを呼ぶ。ああ、自分を裏切った従者の声だ。いつもメイナは彼女の声で起きていた。
会話のできないメイナを従者は立たせ、歩くこと自体は可能だと分かるとメイナの腕を肩に回し支えながら移動した。
彼女は一体何をしているのだろう。
「はあ、はあ。暑いですね。すみませんが今はお茶の用意ができません。
……そういえば覚えていらっしゃいますか? カネル様とローノ様の喧嘩した日もこんな感じで城中が暑くなりましたよね。驚きましたよ貴方が消火活動をなさっていたのですから。……考えてみればあの日から貴方は優しくなりました」
最初から敵だった者の分際で彼女は物言えぬ主に語る。何をいまさら。
「貴方にとってはただの気まぐれだったのでしょう。でも、私が受けてきた扱いの中で一番貴方のところが優しかった。楽しかったのです」
気紛れに一緒に島を見て回ったことがある。夜遅くまで他愛のない恋の話をしたことがある。
「ここでの私の扱いなんて貴方の元へ行く生贄のようなものでした。おかしいですよね。番号付きたちの中でも偉い、偉くないがあるんですよ?
……どうか許してほしいのです。私は最初にこちら側になってしまっただけの女。でもだからこそ貴方に出会えた……。私の番号を覚えてくれていたのは実は貴方が初めてでした」
メイナは心が熱くなっていくのを止めることができなかった。
父の恐怖でも妹の力でもなく、ただの人間の言葉によって涙を流した。
『良いことをしても返ってくる。ならば、良いことを優先して行う方がよい』とも妹は語っていた。
その通りだったとただ、ただ彼女の心情を受け止めた。
その時、別の誰かが彼女達に気付いた。数人の男達が罵声を浴びせながらやって来る。裏切者、と。名前持ちに懐柔された腑抜けだと。
「どうか御無事で、我が主。貴方のあどけない寝顔が好きでした」
あの島で育った侍女に相応しい怪力でメイナを抱き抱えた彼女は窓からメイナを優しく落とした。
「あ、ああ。……にーぜろ……ぜろ……はちきゅー」
浮遊感の中で手を伸ばす。さあ、貴方も早く。
そんな僅かな思考も胸を魔術に貫かれた侍女の姿によって掻き消された。
自分のことを心配させまいと主に対し無理矢理微笑むが、やがてメイナの従者は息絶えた。
自分を射殺そうとする魔術の矢が降り注ぐがどうでもよかった。
あるのは後悔のみ。あんな子供のような遊びをしていなければ。もっと早く歩み寄っていれば。この世にこんな力を持って生まれてこなければこんな悲しみを味わうことは無かったのに。
メイナは自分を見てくれていた存在を一つ失ったのだ。
ローノは戦闘時間の限界を感じていた。島との距離は離れ、自分の相棒の限界が近づいているのだ。魔力をふんだんに使いケルゴは戦艦を動かしているため、ファルを失ったローノの速度では追い付けないだろう。
さらに混乱をもたらしたのは姉の存在である。ケルゴに憧れていたのは見ていてわかっていた。だがしかし、こんな馬鹿げたことに協力するほどだったのか。
確かにメイナが力を貸すのならば海を渡る上では無敵だ。水霊である彼女は水そのものであり、その能力は水を生み出すことも沈めることもできる。永久に水に困らないということは旅をするには有用だ。
海上でメイナの能力を使われることはなかった。眠っている? かもしれない。ケルゴに頼まれ断れなかった? ありえるか。
「だが、結局はアレを殺せば済むことだ」
元凶である男に視線を戻す。ローノが羽虫に気を取られている内に、船上で怪我をした番号付き達の治療をしているようだ。
ローノは誰が何を考えているのかすぐに察せるほど器用ではない。今こうして跨がる相棒の方が器用だろう。敵の魔術の種類を読んでそれに合わせて魔力を放って打ち消す。不可能だ。
それにもう限界だった。
「いいのかい? キミの姉が巻き込まれてしまうよ? 大事な大事な家族がさあ! ホントに優しい変な子だね!」
「ファル、そのハエの相手をしろ」
少し光線を避け損ねボロボロになったミリャイーヤを無視して、ローノは船に向かって飛び降りた。槍はファルがその足で器用に持つ。これによりローノの身に付けた霊力変換器を通してファルは魔力を補給できる。
ファルは恨みのこもった視線をローノに向けたがすぐに自分が任された獲物の方を睨む。
「……ボクに構っていていいのかい?」
ミリャイーヤは力無く笑う。ローノに対抗できるはずも、この雷鳥に対する策も用意もない。ミリャイーヤはあの島の頂点の血統を持つ。だが、それだけなのだ。
ミリャイーヤの親は無能だった。すぐにジェンドは世代交代を行い、それにエルーも協力した。彼等の孫となるミリャイーヤは辛うじて能力を持っていた。だから処分されなかった。ただそれだけ。
名前を持つ無能。それが彼女だった。
そんな事情など知らぬ。いや、知っていたとしても彼は構わない。
ファルは名前すら持たぬ失敗作だ。そんな彼に人生の続きを与えたのはローノ。その彼女の行く手を阻む者に一切の容赦はしない。主の八つ当たりを引き継いだ雷鳥は大きく翼を広げ嘶いた。
ケルゴは空から降り注いだ一撃を辛うじて避けていた。
治療に集中する彼を番号付きが一人庇ってくれたからだ。その番号付きはもう息をしていないことがわかる。なぜなら、文字通り塵となっていたから。
肉の焼けた臭いが鼻を刺激する。ソレは立ち上がった。そしてケルゴを見る。
紫色の瞳。それは宝石のように輝き、つい手を伸ばしてしまうだろう。だがそれに触れることなどできはしない。神の怒りに触れるも同じことだ。
ゆっくりと歩いていくる彼女の足元、戦艦のもっとも頑丈な甲板部分は少しずつ熱で形を変えていた。
同じ疑問を持ちながらもケルゴとは違い、あの島の中心へ入り込んでいった幼い少女。悪魔の娘。
ローノ・デルタニア・ヴァラケルス。
「……どうしてオレ達の邪魔をする。オレ達はただあの島を出ていきたいだけなんだ!」
雷光が駆け抜けた。まったく反応できなかったケルゴはその腹に剛拳を受けた。体のあちこちに仕掛けた術により雷霊の伴う雷や熱は防げたが、ただの筋力を使った衝撃は彼の内臓に無視できない損傷を与えた。
激痛に呻きながらも右手を振るい斬撃を放つが、光の速度を捉えることができない。いや、水平に凪ぎ払えば傷を与えることはできた。だが、今彼の周りにいる守らなければならない者達を巻き込むことはできないのだ。
「貴様はわたしの邪魔をした。それだけだ。ここにいる姉以外の者達が出ていくのは許そう。こんな中破した戦艦もくれてやる。だが、貴様は死ね」
冷酷に彼女は言い放った。そして、彼女の姿を捉えることができないケルゴはただその打撃を防ぐのみ。初撃程のダメージは受けていないが、肋骨数本、右手は折れていた。
そんな成す術のないケルゴを見て、番号付き達が叫ぶ。
「ケッ、ケルゴ様を助けるんだ! 今こそ恩を返すとき!」
「なんでもいい! 攻撃するんだ!」
ローノはローキックを食らわせ、ついに膝を付いたケルゴを見下ろす。その身に降り注ぐ数百の攻撃を受けても微動だにしていない。
傷は負っている。そんなことを考えられるだけの冷静さが残っていないだけだ。体の周りには小さな雷が走っては消えていく。時々、それが放たれた魔術と反応して発光する。
番号付き達は近付くことも攻撃することもできなくなっていた。
絶対的な力の差。種族の壁。能力、権力、血統。あの島で自分達を支配していたモノに再び飲み込まれていたのだ。
「なんでだ、ローノ。君はなんであのとき断ったんだ! 君が協力してくれればこんな無理矢理なことをしなくて済んだんだ! 君だってあんな島嫌いなんだろ!?」
息も絶え絶えなケルゴはそれでも叫ぶ。自分の理想を邪魔するな、と。彼等の幸せを願って何が悪い、と。
ローノを中心に雷が落ちる。その音はその声と甲板に存在するほとんどの番号付き達を消し去った。いつかの夕食会を思い出す。
表情は変わらずともケルゴは彼女が怒りに震えていることを理解した。今溢れだしたローノの魔力は彼女のしている首輪にもヒビをいれるほどのものだった。それが雷霊と反応して大爆発を起こしたのである。
彼女は一度深呼吸するとぽつぽつと語りだした。
「……貴方も所詮はあの島の生物なのです。劣るものを見下し、支配する。それを知ったからわたしは貴方との交流を絶った」
「ッ!? オレは違う! オレは番号付き達を差別したりしない!」
「…………。何故、名前を持つ人達が等しく強いと思うのです。何故、彼等も悩む心を持つひとつの命だと思わないのです」
「……え?」
何を言われているのかわかっていない彼を見て、ローノの心はまた煮え繰り返る。そして、再び剛雷の輝きを放ちほんの少しだけ冷静を取り戻す。
「…………何故、番号を付けられた者達が等しく弱いと思うのです。何故、彼等も驕る心を持つ醜い生物だと思わないのです」
「…………」
「貴方は名前持ちが番号付きを虐げる社会が普遍だと考えていた。番号付き達は自分が救わなければならない存在なのだと、その血統を行使しました。それにより犠牲になったのは力のない名前持ち達です」
「……違う……」
「貴方は島を変える気なんてなかった。ただ、……逃げたのです」
ローノがケルゴに止めを差そうと構える。ケルゴは動けない。心も魔力もない。項垂れ、人形のようだ。
「そんなことない!!」
一つの紫色の雷が走った。
それはローノに向かい、偶然にもローノの首輪を破壊した。
この甲板で、なんの対策もせずローノの雷撃を受けても生きていることのできる人間。そんなものいるはずがいない。雷からは人は逃れるしかないからだ。
ならば、その声の主は……。
「わたしは、わたしが生まれることが出来たのはケルゴ様のおかげなんだから! その方は御三方に従ったあんたとは違う!」
まだ5つにも満たないであろうその少女は震えながら、その紫色の髪を揺らしながら叫んだ。
ローノに瓜二つ。サーデが他に子供を作った話は聞いていない。つまり、この子の母親は――。
ローノは自分を傷付ける攻撃を受けながら辺りを見回した。混乱した頭を再び沈めるために。胸によぎる不安を払拭するために。一抹の期待すらあった。
今、まさにケルゴを抱き抱え、必死に運ぼうとしている女性をその目の端に捉える。幼い女の子が陽動だったなんてローノにはどうでもよかった。
殺されたと思っていた。突然いなくなったのだから。
「…………お母様」
「…………。……ローノ」
母は覚えていた。サーデに処分されそうだった心の病んだ母。父の言うことを聞くという条件で必死にその命だけは助けて貰った。化け物の娘に対し心を閉ざし、会話もしてくれなかった。それでもこの世界の大切な家族。
あんなに顔色を良くして動いている。話している。元気に動いている。
「……え、どういうこと? 母様?」
どうやら種違いの妹は知らないらしい。
「……ローノ。優しいあなたならどうか聞いて欲しいの。私達を、ケルゴ様をどうか見逃して……!」
目眩がした。どうやら魔力補給経路を失ったファルが落とされたらしい。それにこの動揺に対して小バエの精神干渉を受け始めている。
遠くから2種類のバンセルフォンの歌声が聞こえる。それは姉の無事とローノの位置を伝えた。どうやらかなり北に来てしまったらしい。
甲板に新たに上がってきた番号付き達の攻撃を受けながらローノは中に浮いた。その瞳は母しか捉えていない。
「…………幸せになれますか? お母様」
その表情には全く覇気がない。しかしどこか笑顔のようにも見える。
「……ええ。少なくともあの島にいるよりは」
それを聞いたローノは瞳を閉じ、一瞬だけ自分に無謀な一撃を加えた少女を見ると去っていった。
嵐の去った船の上は晴れることはなくただ、静寂が支配していた。
かなり水温の低くなった海面でクイーンはファルの治療を行っていた。メイナに対してもだ。
何度も主に声を送ろうと試みていたのだが、激昂している状態では届かない。援軍は島南方に向かってしまっているようだ。
溜め息をしていると主の光が見えた。やがてそれは近くに降りてくる。
「ローノ様ー。メイナ様が降ってきたときは驚きましたよー。一体どう……なったん……ですかー……? あ、はは……」
クイーンは言葉につまった。主が見たこともない形相を浮かべていたのである。
それは普段はっきりと伝わらない怒りの表情だった。目が合えば今、自分が殺されても文句は言えないような憤怒を表していた。
「南はどうなった?」
「お、思ったよりも敵の数が多いみたいで長引いているようです」
「そうか。私も向かう。お姉様を頼む」
「か、畏まりました我が主」
轟音と雷光を放ちながらローノは南へ向かった。それを眺めながらクイーンは今まで感じたことのない主の威圧を思い出し、ついつい興奮してしまうのであった。
波に浮かされるファルの小さなため息が聞こえた気がした。
南方の歴史的に重要な戦いは、後にこの島を語る上で欠かせない人物の一撃で決着が付いた。そう一撃だ。
魔力と霊力を同時に放ったそれは大陸側の艦隊を横から凪ぎ払った。灰の空を紫色に輝かせたその夜明けはこの島の復讐の幕開けを告げるに相応しいものであった。
ローノ・デルタニア・ヴァラケルス。デーマレンテト軍の三将軍の一人であり王女。雷霊の化身とも言われた超越者。彼女は常に最前線で戦い続ける。
「どうですか! あの一撃!」
「やべえなローノ。なんだありゃ」
「明らかに初期スペックを越えてるね」
どこかの古ぼけた地下室で3人の男が笑いあっていた。
「ふふーん。さすがは僕の娘です」
「いやあ情けないねケルゴは。10歳にぼこぼこにされるとは」
「……そういやミリャイーヤもいたっけか。あいつももうちょっと調節がうまくいってりゃもっといい感じに戦えてたんだがなあ」
「まあ遺伝ミスはしょうがないですよ」
この3人にとってケルゴが出ていくかどうかなどどうでも良かった。むしろエルーとジェンドにとっては自分の血が広まる良い機会だったのだ。
「メイナはアホですね」
「なかなか傑作だったよ」
「どうすんだアレ。結構痛んでね?」
「うーん。処分しようとするとローノが怒るんですよ……」
「ホントローノに甘いなあサーデ」
囲んでいたちゃぶ台に頭を置き唸りはじめるサーデ。それをエルーとジェンドはからかう。
「貴方達にはわかりませんよ。ローノは良い子なんです」
「……? まあそうだろうけど」
「まあおめえが殴って死なねえからな」
「そう! そうなんです!」
しまったとジェンドは思った。サーデが娘自慢をはじめるとキリがない。ローノがいかに頑丈で、頭が悪いのか嬉々として語るのだ。
そしてある一言でそれは締められる。エルーとジェンドが一族の再びの繁栄を望むのとは違うサーデの望み。彼の目的であり、超人の終着点。
「絶対にあの子なら僕を殺せるようになるんです!!」
そう語るサーデは笑顔だった。