第二十九話 嵐の後のひと騒ぎ
語らうように囀る小鳥の声が、激闘の夜が明けたことを知らせる。
その声に誘われるように、少女は重い瞼を押し開いた。
「いっ……つ……」
薄目を開けた眼球に、天幕から零れた陽光が容赦なく突き刺さる。
ジンジンと痛む瞳を固く瞑り、アイラはもう一度瞼を開けた。
「……違う」
うわ言のように小さく呟く。
アイラの視界に映った天幕はこの数日使用していたテントのものとも、ジークがテント変わり使っていた大布とも違う。
眼前に広がるそれは、今挙げた内のどれよりも大きかった。
「おはようアイ……いえ、もう昼過ぎだからおはようではないわね」
未だ寝惚けているのだろう。
やや焦点の定まらない瞳が、声の主を探して彷徨う。
「ともかく、目が覚めて良かったわ。どうアイラ、身体は動かせる?」
「うん……なんとか」
その肢体は全身が包帯で巻かれており、彼女が負った傷の深さをありありと物語る。
思えば怪我を負った後、身体に痛みが残ったのはこれが初めてのことだった。これまで負った怪我は、例えどれだけ酷くともウルの回復魔法で完治していたからだ。
痛む箇所を労わりながら、アイラはゆっくりと上体を持ち上げる。
ようやくといった面持ちでアイラは伸ばした膝に手を置き、ほうと一つ息を吐いた。
「全く無茶をするわね。ほんと、あんたには手を焼かされてばかりだわ」
「えへへ……いつも心配かけてごめんね。おかあさ──」
心臓が大きく跳ねあがった。
アイラは放心したまま、半ば自動的に声の主へと向き直った。
「ど、どうしたの? そんな幽霊でも見るような」
アネシス・テンペスト。
そこには紛れもなく、アイラの母親が座っていた。
あの夜、彼女はイグニスの業火に飲まれたのだと思っていた。となれば必然、人間は自分の死んだ可能性を考える。
だがアイラには、そんな考えは微塵も浮かんでいなかった。
何故なら彼女は救われたから。
何故なら彼女は守られたから。
青の翼を称える、心猛き龍翼の剣士に。
「お母さんもね、流石に今度はダメだと思ったのよ。でも炎に飲まれたと思ったら、急に熱いのがどっか行っちゃってね。気が付いたら村の皆と一緒にここに居たの」
柔和に笑って、アネシスは言葉を続けた。
「だからあの記録者さんに、私の子を見たら匿って欲しいって伝えたんだけどね……。まさかあんたが、自分で魔物と戦いたいって言い出すとは思わなかったわ。本当に、無事でよかった」
胸がいっぱいだった。
もう二度と会えないと思ってた最愛の母が、アイラの目の前で微笑んでいる。己の身を案じて優しい言葉をかけてくれているのだ。
アイラはもう、自分を抑えることが出来なくなっていた。
痛む身体も諸共せず、アイラは母の胸へと飛び込んだ。
「お母さん……おかあ──」
「って、言うとでも思ったの!?」
「いっ……つぅううう……!!」
アイラの頭部に、怒声と共にアネシスの鋭い手刀が振り降りた。
感動に身を震わせていたアイラは、当然の如く受けの姿勢は取れない。
激しく動かしたことによる身体の痛みと、新たに加わった頭部の痛みに悶えながら、アイラは涙面で訴えた。
「い、いきなりなにするの!? 私怪我人なんだよ!?」
「黙りなさい!!」
母の怒声に、アイラはぎゅっと身を竦める。
最早再会を懐かしむ余裕は彼女にはない。痛みと喜びと驚きと、アイラの思考は混沌を極めていた。
「自分の好きで負った傷でしょ! それを盾にするのは半端者のすることだわ! 散々好き勝手して、人に迷惑かけて、あんた自分がどれだけ皆に心配かけてたか分かってるの!?」
「……!?」
ビクリと肩が跳ね上がり、アイラは咄嗟に身を小さくしていた。
彼女を支配していた感情の濁流は一気に吹き消され、代わるように恐怖で思考が満たされていく。
そして正論を言うアネシスにまともな反論すら返せない。
今までのアイラであれば、そうだった。
「──お母さんこそ!! 生きてるなら生きてるってちゃんと教えてよ!! 私、皆死んじゃったと思ってすっごい悲しかったんだから!!」
アネシスの怒声に張り合うように、アイラは憤慨する。
過去の自分と対峙し、自らの戦う理由を得た今でこそあの時の決意は間違っていたと言えるが、大元を辿れば彼女が刀を取ったのは皆の仇を討つためだ。
その胸中を知らぬ母への憤りと、この数日で備わった胆力が爆発したのだ。
「だから私は皆の仇が取りたくて頑張ったんじゃない!! この怪我は確かに私が好きで負ったモノだよ……でも──」
これには流石のアネシスも驚いたように目を剥いた。
だがその驚きはアイラが母に対して反論したからではなく、もっと別のところにあった。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。仇討ちって、あんたジーク君から聞いたんじゃなかったの?」
アイラの濁流の如き感情の奔流はピシリと止まった。
「……ほえ?」
そして再び思考が止まったアイラの口から、いつかのような間抜けな声がするりと滑り落ちた。
♢
「それじゃあ、新たな怪我人や容体が急変した患者は居ないんだな?」
依頼完了の旨を報告すべく、俺は保護した村人を集めた収容施設へと来ていた。ガヤガヤと賑わうこの施設は、村が襲われた際に土妖精のノーグに作らせた仮住まいだ。
彼女がここ数日眠りっぱなしなのもこれが主な原因だ。
なにせ土地の開拓と建物の幾棟もの施設建造をさせたたのだ。例え強大な力を誇る精霊であろうとも、繊細かつ大規模な力の行使をすれば限界は来る。
彼女が力を回復させた際には、労いの意味も込めて何か報酬を考えねば。
お陰で村人たちは特別苦労なく過ごせたことだろうが、ノーグは根っからの戦闘好きだ。それを我慢させたことへの対価は、ちゃんと支払わなければなるまい。
「はい。お陰様で、村の皆も平静を取り戻しております。この先に不安を持つ者も多いですが……」
「その点は抜かりない。村の損害については既に王国に提出してあるから、暫くしないうちに使いが来る筈だ。ステアフィロートは国土の広さが売りだからな、きっとどこか余った土地を……なんだ?」
依頼主、テンペスト村の村長と離れていた間の情報交換を進めていると、突如大天幕の方から誰かの叫び声が耳に飛び込んできた。
「~~~~……ッ!!」
しかし声の主が遠いのと、発される言葉も支離滅裂なためによく聞き取れない。怪我人の誰かがパニックでも起こしたのかと施設を飛び出すと、見慣れた黄緑の瞳と目が合った。
「あっ、見つけた──!!」
アイラは俺を指さして声を上げ、件の奇声を発しながら駆け寄ってきた。驚くことに加護の速力増強を全力開放して、だ。
解けた髪をバタバタと振り乱して滑走する様はなかなか滑稽だったが、今はそんな冗談を言っている場合ではない。
アイラは加速した勢いをそのままに、グッと右拳を引き絞って……
「このっ……大ウソつき!!」
「うおっ!?」
怒声と共に、渾身の右拳が顔面へと迫った。それをなんとか首を捻って躱し、続けて放たれる拳を広げた手のひらで捌きながら、俺は紛乱するアイラを諭そうと試みる。
「落ち付け! というか嘘吐きって、いや、まあ、騙すような真似は散々したが……」
「うるさい!! 黙って一発殴られろおおお!!」
それについてはあの時、アイラは理解を示してくれていた筈だ。もしや、状況が落ち着いて心境が変わったのだろうか?
確かめるにもまず、一度彼女を諫めねばな話も出来ないだろう。
「すまない、アイラ」
「えっ? うわあ!?」
突き出された腕を取り、思いっきり引き寄せる。
本当であれば背負い投げていたところだが、今のアイラは全身に大怪我を負っている。折角塞いだ傷も開いてしまうかもしれない。
掴んだ腕をそのままに、俺は暴れるアイラを抱き締めるようにして抑えこんだ。
「ちょっと……離してッ!!」
「それは出来ない。一端落ち着けアイラ。それじゃあ何を言いたいのかさっぱりだ」
その言葉を受けて、ようやくアイラは暴れるのをやめてくれた。ホッと胸を撫でおろしながら、俺はアイラの肩に手をやって引き離し、彼女の話を促す。
「どうして私のお母さんや、村の皆が生きてることを黙ってたの!? あなたは私が悲しんでるのを見てたのに、それなのにどうして!?」
アイラの瞳からポロポロと涙が溢れだす。しかし、俺には全く身に覚えのない話だった。
確かに俺はアイラを騙して利用したり、不要と判断した情報は伝えていなかったが、嘘を吐いたことは一度だったない筈だ。
ましてやそれが家族の生死に関わることだ。そんな大切なことを、俺は絶対に隠したりはしない。
例え村民が全滅していたとしても、俺は必ずアイラにそれを伝えていただろう。
「黙ってたって……俺はちゃんと確認を取ろうとしたぞ?」
「え……? どういうこと?」
「どういうことって……。お前が言ったんじゃないか。ほら、アイラが村でのことを話してくれたあの時に『大丈夫、分かってる』って」
そう。俺は確かに、アイラに確認を取ろうとしたのだ。村の惨状を語るアイラの言葉は、村人まで焼き払われたような含みを持っていた。だから俺は村人は生きている旨を伝えようとしたのだが、アイラはそれを遮って先の言葉を言ったのだ。
「あれ? そういえば確かになにか言いかけてたような……あれ。あれ……?」
「もしかして、本当は気付いてなかったのか……?」
アイラは村人の死体が残っていないのを見て、自分で村人たちの生存を確認していたモノだと思っていたのだが……必死の形相で記憶を想起させている彼女を見る限り、きっと俺の予想は外れていたのだろう。
会話を一つ一つ思い出すと共に、彼女の表情は段々と青ざめていく。
「ええっと、じゃあもしかして……私が村でのことを話してた時、ジークは私を気遣って言葉を選んでくれてたんじゃなくて……」
「ああ。死んだと勘違いしている人達について、アイラにどう伝えたものかと悩んでたんだ」
直後。アイラはビシッと姿勢を正し、目に追えぬほどの速度でその青い額を地面に擦り付けた。
これが何かは知っている。
そう。それは戦乱の期に極東の島国から、英雄ローランが各地へ伝えたと謂われている、当時ハモンノ国で使われていた礼儀を示す最上の礼式。
これこそが。
例え相手にどれ程の無礼を働いたとしても、それを仏の笑顔で許されるという必殺の座礼。
「すみませんでしたぁぁああああああああああ……ッ!!」
妙技──『ザ・土下座』である。




