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デュランダル・レコード ~ある記録者の言行録~  作者: 鬼灯 守人/ホオズキ カミト
第一章 動き出した英雄譚
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第二十三話 霊起

『周囲の雰囲気は、昨日夢で見た真っ黒の世界と酷似していた。


 私は確かに夢でのことは思い出せなかった筈なのだが、何故だか今は、あの時のことを鮮明に覚えている。

 私を呼ぶ少女の声も、握った手のひらのか弱さも、消えゆく彼女になにもしてやれなかった……己の無力さも。


 そして今この世界に在るのは、私と、そして正面に佇む精霊だけだ。


「うん。全部思い出したよ。この後、私は……」

「ああ。妹を失い、憧れであった存在が無力に打ち拉がれる姿を見て──アイラは心を閉ざしてしまったのだ」


 妹を死に追いやった自責の念と、全能だと信じていた存在が叩きつけた無情な現実。

 その重圧に耐え切れず、私の心は壊れてしまった。


 ここに来る直前精霊が言った、私が廃人になるというのは、文字通り過去の私を指していたのだ。


「酷い有様だった。モノも言わぬ、飯も食わぬ。まるでアイラの姿を模した人形かであるかのように。あのまま放っておけば、其方は間違いなく妹の後を追っていただろう。だから──」

「だから……あなたは私の記憶を消したんだよね」


 精霊の息遣いが小さく震えた。

 だが、精霊自身ももう覚悟は決めてきたのだろう。決意するように、精霊は言葉を続けた。


「そうだ。吾輩は其方の、吾輩に関する記憶を全て消し、そしてそれを思い出すきっかけになるであろう風の加護を、村の住人から取り上げたのだ」


 その現象を、"霊起(れいき)"と呼ぶらしい。

 テンペストの村には稀に、イーレのように力の強い者が度々生まれていた。それが起こるのは、決して偶然などではない。

 テンペスト村の守護精霊である大精霊シルフィードは、この村の住人を、人間というものに強く関心を抱いていた。


 故に極稀に、母の胎内に宿った命を揺り籠とし、精霊は人の身に扮していたのだ。魂に宿ると一口に言っても、精霊が人間として生まれるということではない。精霊は霊起することによって、宿り人の人生を体験することが出来るのだ。


 つまり、それは宿った人間を通して世界を見ることが出来るということ。

 精霊が言うには、人間として生きている間は、己が精霊であるという記憶を封じているらしい。精霊にとって、霊起は人間に歩み寄るための一種の手段に過ぎないのだ。

 故に、霊起した身体に精霊が残っていては意味がないのだ。精霊が人間として生き、その体験を記録として持ち帰る。それが彼女、シルフィードの目的であり、彼女の生を彩る娯楽の一つだった。


 霊起は何千年も昔から、まだこの村がテンペストと呼ばれるその前から繰り返し行われていたらしい。


 精霊は語る。

 「吾輩は、吾輩が愛した人間のことをもっとよく知りたかったのだ」、と。


 そうして人の身に扮し、人としてその生涯を遂げ、再び、三度……数え切れないほどの霊起を重ね、やがてイーレへと成ったのだと。

 精霊にとって、その行いは単に愛故の施しだった。

 自らが愛する彼らと触れ合いたい。彼らのことをもっと理解したい。それ故の行動だったのだが……それが私という人間を苦しめてしまう原因となった。


 民を愛し、村を愛した精霊は……しかし皮肉なことに、霊起や加護の付与を重ねるうちに弱り始めていた。


 大精霊の力を持ったイーレが魔物に敗北したのも、精霊が幾百人もの人間にその強大な力を分け与えていたからだ。それを村人全員に分け与えるのだから、それの行いは相当精霊自身の力を削ったことだろう。


 即ち『精霊の加護(フェアリー・ギフト)』とは、精霊の強大な力の一部なのだ。


「……ずっと気になっていたんだけど。どうして私から風の加護を取らなかったの?」


 そうなのだ。

 風の加護が私の記憶を呼び起こしてしまうものに成り得るなら、まず一番初めに私から加護を奪わなければ意味がない筈なのだ。

 しかし現に私は、風の加護が使えている。これでは辻褄が合わない。


「逆だ。この加護は言わば身体の一部なのだ。故に其方から力を奪えば、それ自体が其方にとっての違和感となる。ならば其方には力を残し、周りの人間から力を奪えば良いと、我々は考えたのだ」


 仮に異能を日常的に使っていたとすれば、それは最早自らの肉体と同義だ。

 彼らはそれを危惧したのだ。だからもう二度とこのような惨状を引き起こさないようにと、一部の戦士を除き、全ての村民から加護の力を回収した。


 それが村人たちにとって更なる危険を招くものだと精霊も理解している。

 しかし同時に、加護を失くした程度で衰退してしまう彼らではないことを、彼女は霊起を通して体験していた。力を持たなければ、むやみに大敵に立ち向かうことはないと信じていた。

 そして、危険に立ち向かう力を奪えば、彼らは守る術を磨くことを、精霊は知っていたのだ。


 記憶を消す魔法は大規模な儀式を伴う魔法だったのだと、精霊は語る。

 身体に一切害を与えず、記憶のみを操作するのだ。それがどれほど高等で、精緻な技術を要する魔法かは、想像に難くない。

 そうして私の記憶を封じ──剣聖に関する記憶も、その時一緒に封じたらしい──、村民にはイーレの存在を無かったものとして振る舞うよう求めた。


 力を回収した精霊だったが、記憶の根であるイーレを抹消しようとする以上、その姿を模す精霊自身が直接村民を導くことは出来なかった。


 自身が表に出ることは出来ない。

 しかしアイラの記憶を呼ぶ要員は残せない。


 だから精霊は、己の力を村民に委ねることにした。

 村が危機的状況に瀕したその時のために、精霊はその身に宿る力をある場所へ封印したのだ。それが母から渡されたあの緑の宝石、極大の魔光石なのだと。封印を解けば精霊は完全に力を取り戻し、その強大な力を遺憾なく発揮できるようになるらしい。

 だが精霊が再び村に姿を現すということは、同時に私が再び廃人と化す危険性を孕んでいた。


 『トロッコの命題』、というものがある。


 一を救うか、多を救うかという有り触れた議題だ。

 テンペスト村はその命題に直面し、村の人々は一を選んだ。私という一人の人間の命は、何人もの苦悩の上に立っていたのだ。


 唇の震えが、一体何の感情によるものか分からなかった。

 しかしここで留まってはいけないと唇をきつく強く噛んで、私は今最も気になっていることを口に出した。


「加護を取り上げる時、村の人からの反感はなかったの?」

「ない。誰一人として、吾輩の申し出に異を唱える者は居なかった。その時吾輩はあらためて思い知らされたのだ。アイラ、其方が皆にどれだけ愛されていたのかを」


 即答。

 その言葉を受けた私に、我慢なんて到底不可能だった。


 涙が止まらない。

 拭っても拭っても、涙は溢れて止まらない。


 暫くそのまま、私は嗚咽を上げて大泣きした。

 胸に灯る熱があまりに優しく、あまりに暖かく、私はそれを手放したくなくて、自身の身体を掻き抱いた。

 どれくらい時間が経ったのだろうか。

 ようやく涙が治まり面を上げると、精霊は真剣な面持ちで最後の問いかけを私に言った。


「そろそろ時間だ。さあ選ぶのだ、アイラよ。全てを知って其方は、なにを望む?」

「……決まってるよ」


 答えに迷う必要がどこにあろう。

 私の心は、もうとっくに決まっているのだから。


「そんなの、私は絶対いや」

「そうだな。其方はもう十分傷付いた。もうこれ以上、其方が傷付く理由は……っ!?」


 彼女の弁を遮るように、私は精霊の身体を抱き締めた。

 その直後、精霊が驚きの声を上げた。彼女にとって、この抱擁は予想だにしていないものだったのだろう。

 驚きのあまり、慌てて私から離れようとする精霊を、イーレを、私は強く、強く抱き締める。

 抱き締めた彼女の身体は震えていた。それがどんな感情から来るものなのか、知り過ぎてしまったが故に、私には計り切れなかった。


「折角……折角こうして会えたのに……また一人になるなんて絶対にいや──っ!!」


 イーレの身体が、まるで雷に打たれたように弾んだ。

 再び訪れた身体の震えは、きっと私のものと同じ感情からだろう。


「一人でなんか笑ってやらない! 私は……イーレと一緒に笑って居たい! 私たちは、二人で居なくちゃダメなんだ!」


 その直後、胸に飾った魔光石が、強く、激しく輝いた。それだけではない。何の力によるものなのか、魔光石は額から外れ、自ら浮遊を始めた。

 やがてそれは天高く昇っていき、暗闇の世界を煌々と照らす。


 そして魔光石が頂点に昇ったその瞬間、魔光石が勢いよく弾け飛んだ。

 まるでそれが合図だったかのように、いつか見たあの白光が暗闇の世界の天を穿った。

 白光は漆の上に咲く緑に反射し、辺りに舞う黄緑の吹雪を美しく照らしていた。


「ずるいぞアイラ……そこまで……言われてしまっては……もう……止められないではないか……」


 私の背中に、小さな手の感触が現れる。私たちは暫く、互いの温度を感じ合った。


 やがて、どちらともなく抱擁を解く。

 瞳に映るイーレの痛快そうな笑顔は、先までとは違い、非常に晴れ晴れとしていた。

 きっと、私も同じ笑顔を浮かべている。


 私はイーレの手を取り、ゆっくりと立ち上がる。

 もう私には、一片の迷いもなかった。


「さあ、行こう。皆が外で待ってるよ!」


 やがて白光が、暗く淀んだ世界をその輝きで満たしていく。

 今度は一人ではない、二人で一緒に帰るんだ。


「……ああ! 吾輩たち姉妹(かぞく)の力で、あの男に目に物見せてくれるわ!」


 戻った時、きっと私には忘れていた数多にも溜まった辛酸を飲み下すだろう。

 その奔流を想像するだけで、私の足は恐怖に竦む。


 でも、大丈夫。

 私はそれを乗り越えられる。


 恐怖の渦なんて、この風で吹き飛ばしてやろう。

 後悔の炎なんて、この手で振り払ってやろう。

 二の足なんて踏むものか。

 今の私は、空だって自由に飛べるんだ。


 これは予感ではない。

 実感として、確かに私の胸にある。


 握った手に力を込めた。

 彼女の手のひらから伝わる温もりが、私の心に勇気の火を灯してくれる。


 迷いなんてない。

 悔いなんてない。

 不安なんて、微塵だってあるものか。


 ──だって、私にはこんなに頼もしい家族が附いてるんだから。』



 ♢



 どれくらいの時間が経っただろうか。

 未だ眠りから覚めない少女を見やり、ウルはそっと目を細めた。


 遠方で爆音が轟く。

 その音を聞く度に、ウルは主への裏切りに等しいこの行為を酷く呪っていた。


 本来であれば、激戦など起こりようもなかったのだ。

 本来であれば、今頃この森は平穏に包まれていたのだ。

 本来であれば、眼前で眠る少女がこれ程苦しむ必要もなかったのだ。

 ウルが居れば、かの敵は瞬きの間に地に伏していた筈だ。


 だが彼女にそれを許さず、たった一人の命ために己の過酷を選んだのは、紛うことなく彼自身の選択だ。

 全てはウルと、その主であるジークの甘さが産んだ顛末だった。


「……守ルッて、難シイノね」


 まるで誰かに語りかけるように、ウルはポツリと呟いた。

 だがそれに応える声はない。

 小さくこぼれた独り言は夜闇に溶け出すように、静寂の中に掻き消えた。


「いたた……はっ……!? 大変だ──!」


 俯いていた頭が、弾かれたように後方を振り向く。


 いつの間に戻って来たのだろうか。

 戻した視線の先、暗闇の中で淡い緑の暖光を放つ童女が、アイラの枕元に現れていた。


 突き飛ばされたような姿勢でこちらを見上げる童女は、今にも泣き崩れそうな面持ちでウルに迫る。

 わざわざ語るまでもなくただならぬ事態が発生したことを知らせていた。


「一体ナニが……いいエそれよリモ、アイラはドウナった?」

「無事に記憶を取り戻し、村のことも、吾輩のことも思い出した。だが……」


 悔しそうに唇を噛み、童女……イーレは己の頭を鷲掴み髪を掻きむしる。


「試練は乗り越えられた。全て上手くいったと思った。だがその最後、アイラは捕まってしまったのだ……」


「捕まッタッて、誰に?」


 黄金の双眸が途方もない不安に揺れている。

 まるで大人に助けを求める幼子のような、そんな弱々しい輝きだ。

 だが、彼女は幼子でも、ましてや大人でもなく精霊だ。


 その曇った表情は即座に消え、それを覆うように平静な調子に戻った。

 そして静かに彼女の薄い唇が動き──


「"アイラに"、だ。彼奴は今、過去の己に囚われている」

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