三題噺より~永遠の嘘~(短編)
題噺を加筆修正したもの。「嘘」「ポンプ」「手術」
謎の場所にいる彼女と記憶の物語。
前半→彼女サイド
後半→彼サイド
<彼女side>
朦朧とする意識の中で、不気味な金属音が鳴り響く。それと重なって、規則的な、秒針の刻む音が聞こえてくる。それらの音は見事に噛み合うこともなく、一緒に時が進むのを教えてくれている。
「今、何時だろう?」
私は状況をどうにか把握しようとする。視界は暗い。いかに私が懸命に瞼を持ち上げようとしても、そうすることができない。そればかりか、全身に力が入らず動けなかった。その事態に私は軽くパニックに陥ったが、身体が動かないとなるとどうにもあまり長い時間は狼狽できないようだ。ほんの数十秒経つと、私は今の境遇を冷静に考え始めた。
疑問一。なぜ私は動けないのか。すでに私には一つのある嫌な仮説が浮かんでいたが、無視することとする。まずこうやって現実逃避する時点で、やはり私はまだ冷静ではないのかもしれない。そして疑問二。ここはどこなのか。そこまで思考を廻らせて思う。詰まる所、この二つの疑問の行き着く先は同じじゃないかと。私はつけないため息を心の中でつき、仕方なく仮説と向き合うことになった。「私は病院で手術を受けている最中」という仮説に…。時計と金属の音しか聞こえない空間。指さえピクリとも動かせない自分。「そうだ、私の最期の記憶!」ここまできてようやく、自分の記憶を探ることを思いつく。
―確か私は、大好きな彼とお散歩デートを楽しんでいたはずではなかったか?久々に彼の仕事に暇ができたからと、電話越しで同時にはしゃいでいたのを思い出した。私のアパートからほど近く、彼の高層マンションの目の前にある河川敷。地域開拓された私達の町は自然と、近未来感が入り混じった二十世紀代表のようなところだった。そんな場所を、手を繋いで彼と歩いていたんだ。…そうだ、その道すがらに古びた井戸を彼が見つけたんだ。だんだんと、私の記憶が蘇ってくる。無機質な音のみ響く室内(?)だからか、思考がどんどんと加速していく。―
「綾、見て見て!」
無邪気な彼が私を手招きする。見ると、ポンプ式の井戸である。
「なに…?っあ、井戸だね。しかも、かなり古めの」
「へぇ…。これさ、今でも使えるのかな?」
「どうだろう、ここら辺では珍しいし壊れてるかも」
「ものは試し、やってみよ!」
「えっちょっ!!!」
彼が錆びれたポンプを押す。…………。
思い出した。すべて。錆びれたポンプは案の定壊れていて、水が勢いよく噴出したこと。その矛先が私に向いたこと、予想外に勢いがあって私が後ずさったこと。そして…、ちょうどそこに大型トラックが通りかかったこと、私の後ずさった方向が道路だったこと。彼の笑った顔。悪戯っぽい笑みを浮かべた彼を見ながら、私は………轢かれた。
今私がいる場所。時計と金属音。頭のなかで「手術台」というワードが思い浮かぶ。身体が動かない。頭のなかを「麻酔」という単語が横切る。
すべて、繋がってしまった。私は、死ぬのかもしれない。不思議と恐怖はなかった。いや、さっきまではあったのかもしれない。けれど経緯を思い出した私は、彼ともう会えないかもしれないという別の恐怖、後悔を一番強く感じていた。彼の、最期に見たような、微笑みがもう一度見たかった。そう思った途端、急に私の意識は遠のいた。唯一覚醒していた意識が失われようとしている。
「さようなら」
頭の中で囁く。私は深い眠りに落ちる直前、真っ暗な世界を垣間見た気がした。
「…や!……綾!」
肩を強く揺すられる振動で、私は目を覚ました。目の前に、彼の汗だくの顔が見える。その隙間からは蒼い空が覗いていた。
「あっれ……?」
「綾、やっと気がついた。ごめんね、綾。僕が勝手に井戸動かしたから…。そのまま倒れたときは本当に焦ったよ」
「た、おれた?」
「うん。それでたぶん頭を打ったときに気を失って…」
状況を飲み込めないでいる私に、彼が色々と説明をしてくれている。だが、
「あ…、洋介、トラック…は?」
そう、トラックだ。私は確かにトラックに轢かれた…はずだ。私の目の前に、迫るトラック。大きなクラクションの鳴る音。私は自分の身体を確認する。上半身を起こすと後頭部ににぶい痛みが走ったが、ただのたんこぶのようだ。そして、私の身体は、それ以外無傷に近い。おかしい。
「そんな、そんなことは…」
「たぶん綾は混乱してるんだよ。ああ、本当に無事でよかった」
そう、なのだろうか。さっきのあれは悪い夢か何かだったのだろうか。私は辺りを見渡す。エンジン音を軽快に立てながら過ぎては去ってゆく車たち。そのすぐ横に位置する河川敷沿いの土手。四月の若草の匂いが立ち込める中、私と彼は雑草の上に腰を下ろしている。道路が隣接する危ない場所とはいえ、事故があったような形跡もない。私は徐々に、あれは夢だったんだと思うようになっていた。
「ほんとにね」
短い溜息をつきつつ、私は気絶の原因を作った彼を少しからかってやろうとゆっくりと立ち上がった。
<彼side>
僕はほっとしていた。彼女に悟られることなくやり終えたことに。
「あっという間だったなあ」
車の通らなくなった車線の横、土手の下で彼女と戯れながら僕は思い返す。終わってみれば、こんなに上手くいっていいものかと疑ったものだ。だけど、彼女と一緒にいるとじわじわと実感が沸いてくる。この笑顔を、護れて良かった。
普段から交通量が多いのは前から知っていた。この道を二人で歩くときは必ず、僕は彼女を庇うように車道側を歩いていたし、「車注意」の看板もあった。そんなだったから、彼女の病気の話を聞いたとき、すぐに思い出すことができたのだ。
先月、彼女が「一年以内に死ぬ」とわかった。三月の初めだった。その日は来年から社会人になる彼女と、お祝いをする約束をしていた。普段より背伸びをし、先に社会人として働いているに相応しいお祝いを。日頃散歩デートしかしてこなかった僕達にとっておそらく初めての試みであろう、と少なからず緊張していた。そんな心境の中で、彼女がいくら待っても待ち合わせに来ないというのは僕にとって耐え難いことだった。電話しても繋がらず、彼女のアパートに行っても不在で。最終的には一度しか訪れたことのない彼女の実家に向かい…。そこで、母親のひざの上で泣きじゃくる彼女を見つけた。
話は彼女の母から聞いた。今度入社する会社の健康診断の再検査が先日あったこと。今日その結果が出たこと。結果、…彼女は、胃癌だった。それもかなり進行しているらしく、stageⅣだとか。とにかく、彼女は一年以内に死ぬという事実だけ僕はその場で理解した。
僕は探した。どうしたら彼女は短い命を最大限に楽しめるか。無論、彼女を死なせない方法は一番に調べた。でも、科学の進歩が病気に追いついていないのだ。どうしようもないと思う。だから、彼女にこの一年を幸せに過ごしてもらうことを考えた。それはもう懸命に。
あるとき、僕は彼女に聞いた。何が一番の幸せかと。
「…幸せ?そりゃ、洋介とずっと一緒にいることよ」
自然と温かいものが頬を伝った。彼女を愛して良かったと、心の底から思った。
嬉しかったんだ。真剣な面持ちで、そう言ってくれた彼女が愛おしかった。でもそれは叶わない夢物語だ。彼女の寿命は、あと一年しかないのだから。
だから、こうすることに決めた。危険な土手、新たに見つけた壊れたポンプ式井戸。後必要なのは、おのれの覚悟くらいでいい。こんな簡単なことはなかった。「一緒にあの世へ行くこと」、そうすれば、彼女は僕と永遠に一緒にいられる。ただ一つ気がかりだったのは、彼女の優しさだった。きっとこのことを正直に話したら、彼女は反対する。僕は彼女のためならなんだってできるのに…。
だから僕は、彼女に黙って嘘をつくことにした。彼女のためだ。僕は彼女のためだったら何だってできる。
まあ、彼女にばれたときのため、僕は一つだけ逃げ道を作っておいた。今日の日付は4月1日。もしも責められたら、こう切り返すつもりだ。
――今日はエイプリルフールだから、許してよ。綾――
気休めにしかならないだろうけど、ないよりはましかな。
end.
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