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男どもを介してあの女を帰した昨日は実に良い気分に浸れた。いつもいつも偉そうに淑女の在り方がどうとか、土地の精霊との会話が大事とかどうでもいいようなことばかり言って、私の自由を制限して、孤立させようとしたひどい女。
いつもいっつも上からものを言うような様が気に入らなかった。
すがすがしい気持ちのまま寝床に入り、翌日の朝を迎えたがいつもよりもあまり寝た気がせず、目や肩腰に疲れも溜まっているように感じながらベッドから降り、洗面所へと向かった。
しかし顔を洗う前に現れた自分の顔に悲鳴をあげ腰をぬかしてしまった。
白く艶やかだったはずの肌はくすみ面皰がこめかみや小鼻や顎と至る所にでき、柔らかで天使の輪と称されるものができるくらいに滑らかだった茶髪はその輝きを失い老婆か何かのようにボサボサとなってしまっていた。
大きくクリクリとした目は昨日まではサファイアの如く存在していたが、今は充血し、目蓋は夜更かしをしたわけでもないのに腫れぼったく垂れ下がっている。
薄紅の唇はカサカサに乾燥し所々出血を起こし汚らしい印象を与えた。
何故いきなりこんな変化が訪れてしまったのか。狼狽え、よろよろと鏡の前から逃げ出してしまいながら考えるも答えは出ない。
精霊と契約を解いたくらいしか覚えはなかったがしかしあれは容姿に関わる精霊ではなかったはず……。
なればこんな現象を引き起こすわけがない。
しかし原因がその事しか思い当たらずに不安な思いを引きずって娘は過ごした。
それをきっかけに様々なよくない事が連鎖する。
末の弟が流行り病にかかり、苦しみながらこの世を去った。生まれた時から体は弱かったが、それでも回復傾向にあったはずだった。死などまだ先の事、そう思っていただけにショックだったが、流行り病は王都だけでなく精霊に守られていたはずの農村までも容赦なく襲ったため、助けを求めて彼らは王都へと押し寄せた。
精霊様にお願いすれば、見捨てられてきた私たちに分け隔てなく救いの手を差し伸べて下さった精霊様ならばきっと。その一心であったが王都にきたところでもう精霊はいない。
そして病にかかりながらも救いを求めてやってきた人々によって更に流行り病は拡大していき…………。
民の4割が亡くなり、貴族、王族も同じくらいに甚大な被害を被った。
流行り病が落ち着いてきた頃、今度は水と土地に変化が訪れた。清らかに流れ日々の疲れをも洗い流してくれる水が渋くなったり、ピリピリとしたものが入るようになったのだ。飲み続ければ体調を崩す事から皆、水に毒が入っているのだとおののいた。
生命が生きるために必要不可欠なものをあげるとすれば真っ先に水があげられるだろう。
そのくらいに重要なものが、目の前にあるのに飲めないという事態に、恐慌に陥った。
少しでも飲める飲み水を探して移動する人々。貴賤問わず、飲み水の奪い合いが起こり、人が死んでいく。
弱い立場のものが消えるのは早かった。
そしてありもしない罪で精霊との契約を一方的に断ち切った彼らを守るものもまた、病や暴動に巻き込まれ次第に数を減らしていった。
王太子。これは精霊の偉大さ重要性を理解する立場にありながら彼の方を追いやり、今回の騒ぎを引き起こしたとして王太子の座を下ろされた。その後、流行り病で数多の民が苦しむ村々へと向かい今回の事態の説明と謝罪をして回るようにと、王命にて下された。
大切な家族を亡くしたもの達の怒りや嘆きを受け止め、目が覚めたなら代々の王族の隠居する場として使われている静宮へと移る事を許可しようというものであったが、逆上した民が王子に襲いかからないとも言えない。流行り病をもらってしまってそのまま帰らぬ人となってもおかしくはない。
宰相閣下の御子息、これは散々に見通す目を養えるようにと教育をされていたにも関わらずに今回の事態を引き起こした事を重く受け止めた父親によって廃嫡された後、流行り病にかかったとして病死とされた。この病死というのは殆ど意味をなしてはいないが、毒を呷らされたという事に他ならない。長く続く名家の名を汚したのだ、真実を知るものには当然の結果であろうと受け取られ憤慨するものも少なくはなかったが、中にはお可哀想にとの声もあった。だがそれは純粋に彼の死を悼んだものには程遠く嘲笑まじりの憐れみの言葉であった。
近衛騎士団団長がその才能を見いだし養い子にとした双子は。今回の件の事で養子解消となるかと思いきや、各地で起こり始めた反乱や小競り合いによって予定よりも早く騎士団に入る事になり、不幸な事に、初めての戦場で片割れが死んでしまった。目の前に迫ってきた隻眼の男が、嘗て自分達に暴力を奮い続けた本物の父親だと気付き、戦意を消失し動けなくなったその隙を突かれ、首を切られたのだ。
双子の弟は別の場所にいて、戦場を撤退した後に兄の死を目撃した兵士の言葉を聞き発狂してしまった。
リーアナ嬢と兄君はというと…………
彼ら兄妹は揃って放逐されていた。
精霊と共にあった時のような清らかな姿の乙女などではなく、どこか街の孤児を彷彿させるような姿となったリーアナ嬢が、己の不幸を嘆き不満ばかりを口にしていた。
「おかしい、皆おかしいわ。だって、私、私は唯一無二の女神のような……尊い御身なのでしょう?」
「誰よりも美しく、誰よりも優しく、愛される……」
「違う、こんなのおかしいわ。だってもうあの女はいないのに、なんで、なんで皆私を見てくれないの……?」
「嫌な目、嫌な言葉ばっかり。これじゃああの時と同じ……。私は悪くない、悪いのは正妻がいたのに母様に手を出して孕ませたアイツよ。何故私が悪く言われなきゃいけないの、私は何も、何もしてないじゃない」
恨み辛み、悲しみややり場のない思いが小さく開いた口より零れる度、共にいる腹違いの兄の表情が険しくなっていくのに彼女は気付いていないのか。それとも気付けないのか。
それから暫くして路地裏で、一人の少女の惨殺された遺体が見つかるが大した事件にはならずに終わった。
何故ならその頃にはもうとっくにその場所にあった国というものは滅んでいたのだ。だから誰も何も思わなかった。飢餓により争い、死んだ人々と同じように見られ多くある遺体のうちの一つと数えられるだけに留まったのだ。