風の魔法使い エピソード2
「少年、少年よ!」
康太は聞いたことのある声で目が覚めた。
辺りは木々に囲まれた自然豊かな場所だった。
「あ、カツラ! じゃなくて長老!」
「このバカたれが! それより思い出せ少年! かつてお主が操っていた力の存在を! 今まさにそれが必要となるじゃろう」
「そ、それって……」
「あの時のように叫ぶのじゃ! 風の魔法を!」
「風の魔法……」
俺は知っている。その詠唱方法を。
「風の英霊よ、今我が右手に集……」
どっごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!
福島康太はベッドから上体を起こし、右手を前に掲げていた。
目前には、あったはずの部屋の壁がぽっかりと外まで穴が開き、見事なまでに外の様子を傍観できる。朝早く犬の散歩をしているおじいさんもバッチリ見える。
今日も我が町は平和なようだ。
「何してんの康太!」
凄まじい音に反応した康太母が咄嗟に様子を見にやってきて、室内の惨状を目撃するやいなや、予想の斜め上をいく現状に声を荒げて喋る。
「げっ」
説明のしようのない状況を説明するため、康太は頭をフル回転し始めた。
福島康太は目が覚めた。
いつものように学校へ向かう康太。
頭にたんこぶをつけて。
そして、その後方から声をかけてくる愛理。
「何ぼけーっと歩いてるのよ、だらしない」
「いろいろあったんだよ、いろいろと……」
朝、目覚めた瞬間から始まった親子の喧騒。自然現象、爆破テロ、ポルターガイストだのとあれこれ喋ったが信じてもらえず、康太のおこずかいは大幅に削減されることになる。
いつだって大人は理不尽な運命を子供に押し付ける事ができる。そうはなりたくないと康太は思ったのだった。
「ふーん、ま、めんどくさそうだし聞かないけど」
「ひどい!」
どのみち本当の事を言っても信じてもらえないだろう。
実は風の魔法が本当に発動した、なんて。
寝ぼけていたとはいえ、はっきり分かった。右手から放たれる風の気流の感覚。その凄まじい風圧により壁はその壁としての役目の終わりを悟り、粉々に粉砕したというわけだ。
こんな事実、誰が信じるだろうか。
誰も信じるわけがない。
そう、信じるわけがないのだ。 ……ならば!
「いやー、今日は風が強いね」
「風? むしろ無風じゃないの」
「そんなことないよ、ホラ!」
と言うと、突如として突風が二人の間を走り去っていく。風は絶妙な具合に愛理の制服スカートをめくり、そして去っていく。
「なるほど、白か」
ドゴン!
康太の脳天に本日二発目の衝撃が与えられた。
「俺はスカートなんてめくってないぞ!」
「中、見たでしょうが!」
学校に到着した康太と愛理。
頭のたんこぶはふたつになっていた。
「後で宿題見せてくれないか! 壁と一緒にふっとんだみたいなんだ」
「…………」
まだご立腹の様子だ。げんこつ一発お見舞いされてからずっとこの調子である。
「ねーたのむよー!」
他の生徒も普通に登校してくる中康太は懇願し続けていた。その様は、まさに買い物に来ていた子供が、欲しい物を見つけて母親におねだりするかのようだ。
「ちょっと、それマジでやめろ」
本気の怒りモードの愛理。これ以上の交渉は不可能だ。
こうなると康太はおとなしく黙るしかない。
下駄箱へ向かい、靴を出し入れする。
しかし、どうしたものか。1時限目の国語の古文の訳文を一人で完成させるのは相当つらい。親友の佐竹に手伝ってもらうか……。バカだけど。
いや、ここはやはり愛理にノートを見せてもらうのが確実だ。そう思って愛理の方を振り向いた。
そしたら、彼女は呆然としてその場に立ち尽くしていた。
手紙のようなものを手に持ちながら。
どうやら手紙の内容はラブレターだったらしい。
直接聞いたわけではないが、愛理がクラスの女子にこっそり相談しているのが聞こえてきた。
(フフフ……。風の能力者、福島康太に内緒話は通用しないぜ!)
これも風の魔法による力の一環のようだ。小さな空気の動きを読み取ることができる能力までも身に着けてしまっているらしい。
他にもいろいろ聞こえてくる。
「俺、今日2組の相田吉子のパンチラみちゃった!」
「マジかよ! で、色は?」
「黒!」
「マジかよ!」
ほうほう。
「数学の松岡はヅラなのは知ってるよね?」
「ああ」
「うちの校長も実はヅラらしいよ?」
「そんなの知ってるよ」
そんなの知ってるよ。
「うちのクラスの田崎ってマジキモくね? なんであいつの喋り方ってあんな気持ち悪いの?」
「なー! ありえねーよなー!」
かわいそうに田崎。
「うちのクラスの福島康太ってマジキモくね?」
「ふっざけんなーーーーー!」
福島康太は脊髄反射的に席から飛びあがった。すぐ脇に愛理が突っ立っていた。
「何やってんの、気持ちわる」
「もしかして今俺の悪口言ったの、お前か」
「あんたの事話題にしてあげるような人なんて私ぐらいのものよ」
それはそれで傷つくのでやめてください。
「私、人のことどうこう言うウワサ話とか好きじゃないから抜けてきた」
「俺のことさんざんけなしておいて……」
「てか、一人で席に座ってただぼーっとしてるなんて、傍から見たら本当に何したいのか意味不明よあんた。きもちわるい」
「放っておいてくれ。風が俺に告げるんだ。今はまだ動くときじゃないと……」
ふっ、と言って、窓越しに空を仰ぐ。今日の天気はサイコーにグッドである。
「はいはい。安定のバカさ加減に安心したわ。……ってそんな事喋りに来たんじゃないのよ。今日は私ちょっと用事で遅くなるから!」
つまり先に学校帰っててくれというわけである。
「ふーん」とジト目の康太。
「なによ! じゃ、そーゆーことだから」
とすぐにいなくなってしまう愛理。言いたい事だけ述べてあっさり消えるあたりに愛理の合理性と冷徹さを少し感じなくもない。
ああいう手合いを彼女にしたら、間違いなく疲れるだけなんだろーなーと康太は心の中で思うのだった。
下校となり、一人で黙々と校舎を出る康太。
愛理は今頃律儀にラブレターの相手を断りに学校のどこかで話し合いでもしているのだろう。
なぜ、断られるのが前提かと言えば、ぶっちゃけ昼間の相談内容のほぼ全てが筒抜けだったからだ。とはいえ真剣に聞いていた訳ではないので、途中の細かい所は覚えていないが。
差し出した相手は誰だったろうか。確か同じクラスの奴だったような気もするが忘れてしまった。が、誰であろうとその後の結果は見えている。
「外面だけはいいからなー」
そんなことはさておき、康太はさっさと帰る事にした。
駅前の喫茶店あたりでいろんな人の会話を盗み聞きするのも楽しいかもしれない。
などと考えていると、
「あぶなーい!」
という声。危ないと言うからには既に状況は危ないわけで、康太が横を振り向くと、サッカーボールが顔面を向けて勢いよく飛来してきていた。
凡人であれば直撃は避けられないシチュエーションだろう。だがしかし、ここで咄嗟にボールに向けて強烈な向かい風を発生させる。
たちまち康太の前に風の防壁が完成する。ボールは元々の方向とは真逆に向けて再度放たれる!
「ふう」
やはり魔法の力は偉大だ。人間の不可能を可能にしてくれる。
そんな事を思っていると、
バシィーーーーーーーーーン!
という激突音が盛大に鳴り響く!
ボールは逆方向へ飛んだあと、不幸な事にそこをちょうど通りかかった小柄なスーツ姿のおじいさんにぶつかったのだった。
「校長ーー!」
それはまぎれもなく校長だった。
校長はボールに直撃し、バランスを崩し、そのまま近くの木に激突。気を失っていた。
「お、おれ知らねー!」
先ほど注意してきたサッカー部員は、この状況をいち早く飲み込み、ボールを回収するとたちまちいなくなってしまった。
「お、おれも悪くねーし!」
とその場から去ろうとすると、異変を素早く察知した先生により首根っこを掴まれる。
「おい、人が倒れているというのに、無視するというのは人としてどうなんだ? んん?」
「げっ」
体育教師の大谷である。熱血過ぎて面倒くさい奴として有名だ。今日は本当にツイてない。
「とりあえず、職員室へ来い」
「いや、これやったの俺じゃなくて……」
問答無用で連行されていく……。
長い長いお説教の始まりである。