ベルガモット
一応、完結。
あの後、ノエルが大怪我を負ったと別の女性の付添人から聞いた。
わたしの手枷を切り落としたことは、店の内外でちょっとした話題になっているらしい。
それから一週間、ノエルからの音沙汰はなかった。
わたしはいつも通り予約時間になれば邸宅に行き、淡々と仕事をこなした。
何度か貧血になったけれど何の問題もないと医者が言ったため、休むことは許されなかった。
そんな折、
「失礼いたします。支配人様がお呼びです」
店の中ではほぼ唯一聞こえると言っていい低い声と共に、黒い影がのぞいた。
心臓が小さく跳ねあがる。
けれど、意地でも平静を装っていつも通りの笑みを浮かべた。
「……お久しぶりです」
頭を傾ける。
ノエルの肌、わたしから見えるところにはほとんど包帯が巻かれていた。
「お久しぶりです。見苦しい姿を見せてしまって申し訳ない」
「いいえ。……参ります」
「では、手と脚を」
鍵を差し込まれ、手枷と足枷が外される。
ばさりとドレスの裾を持ち上げて、立ち上がる。
「帰りも、よろしくお願いいたします」
頭を下げる。
「レティ」
不意に名前を呼ばれた。
礼の姿勢で固まったまま、動けなかった。
「レティ。俺もついていきます」
ゆっくり、頭を上げる。
目が合うと、彼は睨むような目つきでわたしを見つめた。
「一緒に」
「……それは、なりません」
少し硬い声で拒絶を告げると、ノエルは眉間に深い皺を刻んだ。
わたしがひとりで、行くのに。
傍に体温があれば、それに縋ってしまいそうで怖かったから。
「来ないでください」
「嫌です。貴女を独りにしたくはないんです」
普通の女であったなら、死ぬほどうれしい言葉なのかもしれない。
けれどそんな言葉であっても、わたしは聞き飽きている。
これから殺される人間に向かって、独りにしないと言われても、ふうんそうですか、としか思えない。
……そう、思いたい。
「来たら、殺します」
太腿に差した小刀に手を這わせる。
「わたしは支配人様のところに行きます。殺す日時の相談でしょう。……取り乱すかも、泣いてしまうかもしれません。醜い所は見せたくありません」
本当に、醜い所は見せたくないと思う。
…………とくに、わたしを好いてくれるひとには。
けれどノエルはまっすぐわたしを見つめて静かに言った。
「貴女に殺されるなら本望だと、知っているでしょう」
言葉を失った。
冗談を言うようにも、見えなかった。
それでもわたしはノエルと一緒に行く選択ができそうにもなかった。
「……そんな趣味があるとは初耳です。わたしは一人で参ります」
後ろの抗議の声にも耳を傾けず、扉を開ける。
眩しい光にちかりと目が瞬いた。
「ノエル、いい子で待っていてくださいね」
「レティ。待ってください。俺はまだ――」
「ノエル」
できるだけ、威厳を取り繕った声を出した。
案の定ノエルは黙り込んで、それにすこし安堵した。
檻を出て、支配人の部屋に向かう。
ノックも何もせずドアを派手に開けて部屋に入り込むと、朝の光が支配人の後ろから差し込み、影を作っていた。
それに少しだけ恐怖を覚えたけれど、ドレスの裾を掴んで精一杯の礼をした。
「おはようございます。支配人様」
「……ああ。それでね。ローゼ」
支配人はわたしを、ローゼと呼ぶ。きっと薔薇の訛りか何かだろうけれど。
穏やかだけれど、冷徹とも取れるその声音に戦慄を覚えた。
「きみの身請けがきまった。アングレーム様のところだ」
「アングレーム、さま」
その名前は聞いたことがあった。
相手も、したことがあった。
……そう、確か、人体模型収集家。生身の人間の臓器を集めるのを趣味としている公爵だ。
紫色の目玉や、心臓の模型。
液体の中に入る、目を閉じたままのヒトガタのなにか。
発生が止まった胎児。
モルヒネ漬けにされた作りかけのシャム双生児。
こんな奇妙な人体が好きだと聞いている。
色素の抜け落ちた――アルビノだといわれるわたしもその奇妙の中に入るのだろう。
そちらに身請けということは――、すなわち、死を意味すると。
そういう、ことか。
すとんと腑に落ちた。するとふと視界が開けていく。
俯けていた顔を上げると、
「期限は一週間」
「なん、の――――うっ……、げほっ」
せり上がる感覚。
口から零れる水晶の塊。
「も、うしわけ、……けほ、げほっ……」
膝をついて、口元を覆った。
支配人がゆっくりと近づき、落ちた水晶を拾い上げた。
「…………はあ、っ、はあっ、はー……」
ようやく収まり、支配人の手元を見る。
「これは、何の石」
黒い石。
支配人がわたしが吐き出した水晶を手にすると、いつもその色になる。
「……ヘマタイトです」
「どんな意味なの」
それを聞かれたことは無かった。言いたくはないけれど、しぶしぶ口を開く。
「身代わり、生命力……、秘めた思い」
誰の身代わりなのか、とか、そんなことを気にしてもしょうがないけれど。
支配人はそれをしげしげと見つめる。
水晶を拾い上げて、袋に入れる。支配人に差し出すと、にこりと笑った。
「そう。ああ、話をもどそうか。一週間ね」
「……なんの、期限でしょうか」
支配人はやさしく微笑んだ。
「身の振り方だ。残しておきたいものがあるのなら残しておきなさい」
皮肉とも取れるそれに、少しの反抗を試みる。
「……花は、手折られては生きてはいけません。ここに来たときに、あなた様が仰いました。花が手折られた後に残るものなどありませんから」
手折られては生きていけない。その通りだ。
花はじっとそこに佇んで、彼の人を待っていなければならない。待つことしかできない。
何人にも笑顔を振りまき愛でられていても、本当に愛してほしい人に愛されることが保障されているわけでもない。
そんな、花。
あなたが最初にわたしをそう呼んだんですよ、という意味を含ませて言う。
「棘で誰も怪我しないといいけれどね。もう下がりなさい」
「失礼いたします」
もうこの部屋に来ることは無いのだろうと思うと、すがすがしい気持ちが胸を満たした。
ここを出たら、すぐに部屋に引っ込もう。
手枷と足枷がかけられて、重苦しい部屋だけれど、支配人と同じ空間にいるよりははるかにましだ。
ああ、やっと一人になれる。
ひとりで、残りの一週間を――――、……違った。
ノエルがいる。
ノエル。
彼の名前を心中で呼ぶと、なんだか、救われたような気がして。
彼がわたしを呼ぶ声で、大きな安堵が得られるような気がしていた。
それもただの思い込みだと分かっているけれど、ただ彼に会いたかった。
「……最後にひとつ、よろしいでしょうか」
思わず口を開いていた。
「何かな」
「花を手折ると、花は死にますが、手折った人間にも、傷がつきますね」
「ああ」
それが何かとでも言うような態度。
わたしにはそれだけで充分だった。
「ありがとうございます。失礼いたします」
部屋を出ると、ドレスの裾を掴み、幾分か軽い足取りで部屋に戻った。
ノエル、あなただけでも、逃がしてあげたい。
檻のドアを開けると、わたしの手紙をチェックしていたらしいノエルが振り返った。
「お帰りなさい。ご無事で……何よりです……」
わたしのもとに駆け寄って、膝をついた。
怪我はないかと心配そうに聞くノエルの肩をそっと叩いた。
「わたしは平気です」
「よかった……。ところで」
ほっとした表情だったのもつかの間、また硬い顔に戻ってしまった。
「はい」
「空色が、似合うと思うんです」
「は?」
いきなり何を言い出すのだろうと、ぽかんとしていると。
彼が嬉しそうに口を開いた。
「レティには空色が似合います。肌の白と空の青は映えて美しいと思う。今度支配人様に申してもいいでしょうか」
あまりにも熱心に目を輝かせながら言うから。
こちらの報告もできなかった。
わたしが唯一できたのは、大きなため息とともに、
「……お好きにどうぞ」
了承の言葉を伝えるだけだった。
「ありがとうございます」
そっと手の甲に唇をつけられた。
思いの外それはあたたかくて、冷たくなった素手にじんと沁みた。
いつもなら気持ちが悪くて振りほどくのに、ノエルが手を離すまで黙って見ていた。
「こちらからも、報告です」
「はい」
「ノエル、わたしは殺されるのだと、嘘をつきましたね」
目を細めて、できるだけ下位の売女のような挑戦的な笑みを浮かべた。
心中でごめんなさいと謝っておく。
「…………は」
「そうまでして気を引きたかったのですか。残念です」
「そんなはずは、……」
ノエルが息を呑んだ音が聞こえた。
「そうなのですか。どちらにせよあなたには失望しました」
「……申し訳、ありません」
納得いかなさそうに言うノエルから目を逸らす。
「喜んでください。身請けが決まりました。一週間後にはここを出ていきます」
出来るだけ明るい風を装う。
身請けという言葉を出した瞬間、ノエルの目つきが変わった。
努力の末に生み出した、“たおやかな”笑みはノエルの睨みに掻き消されそうだった。
「……どちらへ」
「アングレーム様」
「あんな変態の、気狂いの所へ行かれるのですか。本気でそう考えていらっしゃるのですか」
本気でそう考えられる正常な人間がいたら会ってみたいものですと言いたかったけれど口を噤んでおいた。
わたしには決定権も拒否権もないのだから。
「本気ですか。正直に言ってください」
「本気です」
正直も何も、支配人の決定は絶対。
素人の――、ノエルを信じさせるための演技なんか簡単にできる。
「ノエル、わたしは本気ですよ。ここから出られることに幸せを感じています」
「そんな、嘘……」
「この決定を、後悔したことはありません」
(そんなのは嘘だけれど)
ノエルが目を見開いた。
「だから……、」
(本当は逃げたくて逃げたくて仕方がないけれど)
顔を俯ける。色素のない髪が視界を埋め尽くす。
(そんなことを言ったら、彼は連れ出してくれるかもしれないけれど)
華やかなドレスの上で指を折り曲げて握り締める。
(代償として突き付けられた惨い要求にきっと)
陰鬱になった雰囲気を振り払うように裾を蹴って。
(辛い顔をするから、だから、)
ノエルを見つめて、笑う。
「アングレーム様に身請けされるのが、わたしでよかったと思っています」
(本当のことは言わない。)
微笑んだ先の顔が辛苦に変わったけれど、知らないふりをした。
「あなたと出会えてよかった。冗談でも愛しているとおっしゃってくださって嬉しかったですよ」
こう言えば、ノエルはきっと怒るだろう。
だから、言う。
「ふざけないでください」
「ふざけてなんかいません。もう下がって。独りにさせて頂けますか」
「……断る」
案の定眉間に皺を寄せたノエルは、わたしの腕を掴んだ。
「貴女なら知っているのでしょう。ここから出る方法を。教えてください」
「わ、わたしは知りません。支配人にでもお聞きください」
「嘘つかないで。貴女の口から聞きたい」
昔から押しには弱かった。それが客からは良いと言われているのも知っていた。
けれど今ほど、流されやすい自分を恨んだことは無かった。
「……花は、手折られたら死にます。けれど花を手折ろうとする人にも傷がつくと支配人は言っていました。わたしが言えるのはこれだけです」
ノエルはにやりと笑った。それは嫌な笑みではなかった。
「貴女に殺されるのも悪くない。……ですね」
ああやっぱり、言ったことの分かってしまうのかと、心の中で呟いた。
「どうしてわたしが貴女を殺さなければならないんです? 変なことを言いますねえ」
「そうかな。それに貴女を逃がすためなら俺は貴女を殺せます」
ノエルの真剣な口調に、気圧された。
やっとのことで、物騒なことを言われるのですねと返すと、彼は薄ら笑いを浮かべた。
「148時間を過ぎる前に返事を下さい」
返事とは、とはぐらかす前にノエルは言葉を継いだ。
「18時に迎えに来ます。失礼いたします」
「え、ええ」
ばたんと音を立てて閉じられた扉の前で、わたしはいつまでも立っていることしかできなかった。
*
5日後、檻に来たノエルは暗い笑みを浮かべた。
「こんにちは、レティ」
「こんにちは」
この4日間、ノエルとは事務的な会話しかしていない。
返事なんか、とても出せない。
ノエルも、その話題を口に出すことは無い。
店に残される後輩の為に、この店で、うまく立ち回る術をひたすら、文にした。
文字を読めない子の為に、絵を描いた。
勿論、逃げる方法も。
店の、恋を知らない鳥たちの為に。
そして、花と呼ばれるアルビノの少女が、もしも、いつかこの店に連れてこられた時の為に。
一冊の分厚い本を引き出しに隠して、わたしは笑顔を見せる。
「どうされたのですか。今日はもう、予約は」
「いえ。一件入りました」
「いつからでしょうか。支度をしなければ」
「今日、今から。……日付が変わるまで」
「……長いですね。どの方でしょうか」
わたしなんかに莫大なお金を払う男の方の気持ちなど、分からない。
ノエルが逡巡した様子を見せた。
それに、少々苛立った。
「時間に遅れます。どなたがわたしを指名されたのですか。アングレーム様ですか」
「……レティ」
小さく吐き出された言葉は、確かにわたしを指していた。
「はい。どうされましたか」
「レティ、です」
「……は、何を、」
ノエルが、わたしを指名したと言うのか。
「レティ。……それとも、なにか花の名前で呼べば良いのですか」
ああ、そうなのかと思うのと同時に、高揚していた気分が一気に下がるのを感じていた。
「御冗談を。結構です」
「貴女を指名させて頂きました。支配人も、納得されています」
支配人の名前を出されると抵抗できないのを、知っていてこう言うのだろう。
それなら、わたしも、そう振る舞おう。
上客にそうするように、ノエルにも。
「……分かりました。わたしは何をすればよいですか。あなたをどう呼べば宜しいのでしょう。……お客様」
「俺のことは、ノエルと。敬語はお止めください。何をすれば良い……ですか、迷いますね」
そこで、ノエルが立ちっぱなしだったことに気付いた。
慌てて立ち上がり、椅子を押し付ける。
「申し訳ありません。椅子をどうぞ」
「貴女が座っていてください」
「お客様なのでしょう」
じっと見つめあう。
はあ、と大きなため息とともにノエルは椅子を引いた。
「……では、失礼します」
「ノエル、様。わたしはあなたに何をすればよいのですか」
恐る恐る聞く。
「様は要りません。とりあえず、それを脱いでください」
「はい」
ドレスのボタンに指をかけ、素早く脱ぐ。コルセットとレースだらけのワンピースに手をかけると、
「普段の格好をして欲しいのですが」
「……はい」
クローゼットの中から、膝丈のワンピースを取り出して身に着ける。
おいでおいでと手招きされ、ノエルのもとに向かう。
「抱っこ」
「……は」
何を言い出すのかと思えば、抱っこ?
「膝の上に乗ってくれませんか。それ以外は何もしないで」
「……はい」
なるべく体重を掛けないように、膝の上に乗るとノエルはむっとした顔をした。
ぐいっと腕を引かれて、足が地から浮く。
「軽い」
「悪かったですね」
思わず悪態をつくと、痩せすぎだのもっと喰えだの言われる。
それにひとり、視られないように笑った後。
「……本当に、何もしなくていいんですか」
「これで十分です。時間いっぱいまで、話しましょう」
顔が熱くなる。小さく頷くと、大きな手が頭を撫でた。
思わず見上げると、目じりをほんのり赤くしたノエルが、嬉しそうに笑った。
わたしたちは、いろんなことを話した。
ノエルの生い立ち。ここで働くようになった所以。
好きなもの。好きになった女の子のこと、その子に振られたこと。
花がとても好きだということ。
わたしも、ぽつりぽつり、話した。
母のこと。店のこと。好きだったもののこと。
相手をしてきた客のこと。体質のこと。今までどんな扱いを受けて来たかということ。
そして、ノエルのこと。
彼の、綺麗な笑顔を初めて見たような気がした。
予約していた時間が過ぎたけれど、わたしたちは抱き合って眠った。
優しい体温がただ、愛おしかった。
翌朝起きると、ノエルはもういなかった。
少し、ほんの少しだけ寂しくなって、そっと目を閉じた。
すると、小さくノックの音がした。
扉を開くと、
「おはようございます」
「お、おはよう……ございます」
長い髪をばさりと切ったノエルが、笑って立っていた。
駆け寄って、抱きしめたくなった。
ノエルは手に持っていた花を差し出すと、髪に押し当てた。
「ベルガモット」
「……え、今、何と」
ノエルははにかんで、口を開いた。
「おはようございます、ベルガモット、と」
*
それから48時間後、レティエールという名の少女は、店の名簿から消された。
レティエールがいた部屋は、すっかり空になっていた。
ベルガモット――――身を焦がす恋
ここまで読んでくださった皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
次(おまけ的なものです。)⇒スターチス




