リナリア
「……そう、なのですか」
「やはり、知らなかったのですね」
申し訳ございませんと言い、ノエルは深々と頭を下げた。
「いいえ。いずれは来る道なのです。……ここにいる子は全て、いつ殺されてもおかしくないのですから」
売物として扱われるわたしたちの生死は、すべて支配人の気分しだい。
吐き気がするくらい酷な扱いだけれど、それに何の疑問も抱かない子もたくさんいる。
実際に連れていかれて殺されるところも、沢山見てきた。
だから、ああ、自分もそうなるのか、と。
それだけしか、感じられなかった。
にこりと笑って見つめると、黒い瞳に睨みつけられた。
「どうして、諦めるんですか」
「何を、諦めると言うのでしょうか。ノエル」
「貴女はいつも、諦めた顔をしてる。こんなに綺麗で、」
手袋越しに、指が色素のない髪に触れた。
彼の手に触れられても不思議と嫌だとは思わず――、外見を褒められても心が動くはずはないのに、少しだけ嬉しくなった。
それはきっと、世辞ではないと分かったから。
「一緒に、生きていけたら……と、思わずには、いられないくらい」
「あなたは客ではありません。そんな言葉を吐かないで」
ノエルは静かに瞠目し、また笑みをたたえた。
そこで初めて、彼のそれは気味の悪い、笑みだと思った。
「お気に障ったのなら謝ります。けれど覚えておいてください」
椅子に近寄り、わたしの右手を繋いでいた鎖を切った。
ああ、右手が軽いなあと思ったのもつかの間。
がしゃりと落ちた音で、わたしは我に返った。
「何をするんですか。支配人から、……殺されても知りませんよ」
「それでも構わない。貴女を愛せるのなら」
脚の鎖も外してみせましょう、と言う。
「あなたが嬲り殺されますよ」
それでも貴女をここから連れ出したいと、あまりにも真面目な顔で言うから。
「安っぽい客みたいな科白ね」
そうつぶやくと、不機嫌そうにため息を吐いた。
「俺は貴女をここから連れ出したい。本心です」
「そうですか。屍となったわたしを連れて行ってくださいね」
冗談交じりに言うと、ノエルは語気を荒めた。
「俺はあんたを生きたまま連れ出して、……外を、見せたい」
「面白いことを、言うんですね」
ノエルはまたため息を吐くと、そっと手の甲にキスした。
「愛しています。貴女を笑わせられるなら、何だって致しますよ」
「放っておいてくだされば、野に咲く花のように、綺麗に微笑んでみせましょう」
「それはできません」
堂々巡りになりそうだ。
「……そうだ、レティ様。こういう話を、知っていますか」
「様付けはおやめください。不快です」
机の上に置いてあった豪奢な扇で顔を覆った。
「これは申し訳ない。では、レティさん。ひとつお話でもいかがでしょう」
ぱたりと扇子を机に置き、先を促す。
「……とあるところに美しい女性がいました。彼女は生まれ持った血の為に、君主の囚人でした。彼女に恋をした貴族の男は言いました。“一緒に逃げよう”と。しかし君主は反逆と見、女性と男を、惨たらしいやり方で殺してしまいました。そして二人は、国の端と端に葬られましたとさ」
ああ、それはわたしの母と父の話ではないかと、脳裏でぼんやりと考える。
ノエルは、感想は、とばかりに首を傾げた。
悪趣味だと叫んで逃げだしたくなったけれど、ドレスに拳を沈ませて、ただ笑顔で答える。
「…………嫌な話ですね」
「俺もそう思います」
ノエルの真意は分からないけれど、きっと皮肉なのだろうと思う。
だから、すこしだけ、ほんの少しだけ、出来心が動いた。
「わたしからも、ひとつ面白い話を聞かせて差し上げます」
「是非」
「この店にいるわたしたちは、……わたしを除けば、一概してカナリアと呼ばれています。飼い鳥ですから。カナリアを、籠から解き放つには、――けほっ……」
せり上がってくるこの感覚。
またか、と思うと同時に、唇から水晶が零れ出る。
「げほっ、けほっ……う、……けほっ…………」
「何やってんだあんた⁉」
駆け寄って背をさする手と、声が、やけにあたたかく聞こえた。
「げほげほっ……、ごめ、なさ……うっ……」
「落ち着け、落ち着いてください」
視界が霞むと同時に、背中に腕が回るのをただ感じていた。
暫くして、大きく息を吐く。
「ふ……う……、ごめんなさい……」
「……これ、口に入れて話してたのか?」
床に落ちた水晶を見ながら言うノエルの声がやけに近い。
「……離れてください。時折、出るんです」
「ああ、すみません。……分類としては吐瀉物と同じなんでしょうか」
離れていった体温を少しだけ名残惜しいと思った。
「内臓の一部とでもいうのでしょうか。身体の一部が抜け落ちて行ったような感覚になります」
「そうですか。これ、いつもはどうしているんですか」
憐れむでも欲するでもない、ただ淡々と処理を進めていこうとする態度に、好感が持てた。
「触らないでください。他人が触ると――」
「色が変わるんですね。驚いたな」
「勝手に触らないでくださいませんか」
ノエルがまじまじと見つめる先の石は、何色にも光って見えた。
「申し訳ありません。これ、なんていう石でしたっけ」
「……見たことのない色です」
教養がないとは言えない身だけれど、見たことがない石だった。
光の当て方で、色が変わる石なんて。
「知らないんですか。これは、アレキサンドライトって言うんですよ」
意地悪そうに唇に当てて笑って見せるその顔を思い切り叩きたいと思った。
「知っているのに訊いたのですね。趣味が悪い」
「貴女は石言葉を知っているとお聞きしましたが」
「……そんな色を持つ客はいませんでしたから。ア、レ、キ、……サンド、ライト、ですか」
本棚の中の、一番古い本を取り出し、索引を引く。
「あった。……秘めた、思い。秘密の恋人でもいらっしゃるんですか」
「貴女をそうできればいいと思っていますが」
「冗談はあまり好きではありません」
興ざめだとばかりに本を閉じると、冗談じゃないんだけど、と声がして、それを掻き消すように不自然な声音で、
「ああ、では話の続きをお願いしても?」
といった。
「続き……ああ、カナリアを、籠から出す方法ですか」
「そうです」
一瞬、躊躇した。
けれど、これは、“カナリア”の話だと割り切って、口を開く。
「……それは、カナリアの価値を亡くしてしまえばいいんです。カナリアの価値とは、完全無欠の美しさ。だからそれを一部でも損なえば、商品としての価値はなくなります。……もっとも、それを出来た人はいませんが」
「それは、恋人が、カナリア……の、身体の一部を損なう、と解釈してもいいんですね」
無言でうなずくと、ノエルはにこりと笑った。
「貴女を籠から出したければ、腕や脚を切り落とせと。そういうことですね」
「カナリアを籠から出したければ、の間違いでしょう」
わたしは、カナリアではない。花なのだから。
それを、そっと語気に含ませる。きっと彼は気づかないのだろうけれど。
「壁は厚い方が盛り上がると申しますしね」
挑戦的な笑みを浮かべたノエルに、
「他言すれば殺されます。気を付けて」
と言い、退出を促した。
ノエルが出ていったあとの部屋は、なぜか殺風景に見えた。
わたしは、何を話しているんだろう。
近々殺される身で、生きる話をするなんて、――らしくない。
出ていったはずのノエルの足音が聞こえない。扉の前にでも立っているのかもしれない。
「あの話には、続きがあるのですよ」
重たい部屋の中で、ひとり呟く。
誰ともなく呟く――けれど、声は明確に意思をもって、扉の前の彼に、届く、だろう。
「囚人として殺された女性――――母も、カナリアではなく、花の名前で呼ばれていたんです。支配人からは、ローズと、呼ばれていました。ねえ、あなたならご存知なのでしょう。わたしが支配人から何と呼ばれているか」
手枷のない身体は、思ったより簡単に、扉に縋り付くことができた。
薄い扉の向こうで、少しだけ、身じろぐ気配がした。
「ローズ、なのですよ。わたしは、カナリアではないのです」
暫くの間、返事はなかった。
もしかしたらノエルはいないのではないか、もしかしたら扉の向こうにいるのは支配人かもしれない。
そう考えると背筋が凍る思いがした。
「それでも俺は、貴女を護りたい。貴女を逃がす方法があるのなら、命に代えても」
突然、聞こえた力強い声に、泣きたいほど切なくなった。
けれど期待と、ほんの少しの好意とを押し込めて、冷静を装った。
「……処刑は、いつですか」
「二週間後に」
残り、14日。
そんな具体的な数字にも実感はわかなかった。
「そう、ですか」
「では、失礼します」
硬い声の後、革靴の音が響いた。
「のえ、る……」
呼んでも、返事はない。
「ノエル」
廊下からはくすくすと楽しそうな声。
「ノエル」
籠の中では悲痛な、叫び。
「ノエル、」
籠の中の鳥を、愛でられる蝶を、手折られる花を、演じることすら忘れて。
「のえる……」
彼の名前を呟くだけでなんだか、救われる気がした。
たった数十分、話をしただけなのに無性に恋しくて会いたくて仕方がなかった。
*
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