お仕事デート ~遠くの街にて~
バルアンの夏の朝はやはり暑い。カノアは永遠に垂れてくる汗をハンカチで拭いながら駅前の柱に寄りかかってロニーを待つ。
女の子と二人きりで仕事することなんて彼にはないので、ちょっとデート感覚でワクワクもしていたが、これは仕事だから浮かれちゃいけないと自分に一喝を入れた。
五分くらい待った後、ロニーらしき人物が手を振りながらカノアの元へと駆け寄っていく。昨日は女の子らしくスカートを穿いていたが今日はジーンズを穿いている。きっと今日は男の子気分なのだろう。
「カノアくん、ごめんね。待った?」
「いいや、今来たところだから」
二人は恋人のデートのような会話を交わしてから電車の待つ駅の中へと入っていった。
時刻表によると約二時間ほど電車に揺られるとアスハラス地区に着くらしい。カノア自身、この頃は街中のチームクエストしかしていなかったので外に出るのは久しぶりである。
「何か遠足みたいでウキウキするねっ。前はいっつも一人でクエストに行ってたからさぁ」
電車の指定席に座るとロニーがさっそく持参のお菓子を取り出した。取り出したのはパッキーと呼ばれる細い棒状のクッキーにチョコが塗られたチビッ子から大人までみんな大好きな食べ物だ。
「カノアくん、食べる?」
「あぁありがとう」
カノアはありがたくもらおうと手を伸ばす。しかしその手は抑えられた。
「じゃあボクはこっちを咥えてるからそっちの端を咥えて食べてね。キスするまで離さないでね」
「やっぱりいらないです」
そんなことだろうと思ったよ、とカノアは内心で笑っていた。彼女には性欲を抑えるという行為を知らないのだろうとカノアは諦めかけていた。
「いやー、今日は晴れて良かったねー」
ロニーが走り出した電車の窓の外の風景を見てそう言った。確かに今日は雲一つない青空だがその分暑くなるから不都合な感じはしなくもない。
「子供の頃はこんな日には妹とプールで遊んでいたね」
カノアは元気だったころのミリアを勝手に思い出して少し切ない気持ちになった。
「……近親相姦」
「それだけで近親相姦呼ばわりされるの!?」
カルチャーショックのような衝撃がカノアに走る。しかし常識的に考えてそれだけでは近親相姦呼ばわりされるわけがない。
「……いたんだね……」
「え?」
ロニーが急に下を向いて震え始めた。本当に兄と妹で愛し合ってると思って気持ち悪がってる可能性は著しく低い。
「ボク以外に……恋人がいたんだね!」
「えぇぇぇ」
さっき妹と説明したはずだ、とカノアは自分の言葉を思い返しながら混乱する。
「ボクは遊びだったんだねっ!」
「なんで昼ドラみたいな展開になってるわけ!? とりあえず落ち着いて!」
カノアはこんな恥ずかしい会話を周りに聞かれたくないので早く終わらせたかった。後ろの席の子供がじーっとこちらを見てるのを発覚したころには意地でもこのコントらしいものを終わらせたかった。
「ロニーさん、ふざけるのはよそうよ。みんなに迷惑かかるから」
「……キスして」
「……ん?」
聞き返した。一応聞こえたが聞き返した。
「ボクを選ぶなら、キスして!」
「えぇぇぇ」
「じゃあ妹を選ぶんだねっ!」
「えぇぇぇ」
なぜここで謎の二者択一をしなければいけないのか、カノアには理解できなかった。今日のロニーは男の子気分なので下手すると周りからゲイカップルだと思われるかもしれない。そしてロニーはすでに目を閉じてキスを待っている。
キスはしたくない、なおさら人前では。
「じゃあ妹……かな?」
キスしたくないなら選択肢は一つである。これでキスは免れる、となるような甘い世の中ではなかった。
「……じゃあボク、カノア君と仕事しない」
「えぇぇぇ」
ロニーは仕事を盾に脅してきた。余程カノアとキスがしたいらしい。カノアもここは意地を張って強気に出た。
「キスするくらいなら一人で仕事するよ」
「へぇ、一人でねぇ。今までチームで戦ってきたカノア君が一人でできるのぉ?」
ロニーがニヤニヤしながら挑発してくる。
「で、できるさっ」
なんとかカノアも挑発にのっていった。ちなみにカノアがソロでは出来ないと何度もロニーの前で発言していたことはすっかり忘れている。
「だってカノア君、チームではサポートの役割だったんでしょ?」
「う、うん」
チームバーレンは、バーレンが先頭に立ってその後ろからリリアが遠距離攻撃をして、さらに後ろからサポートするのがカノアだった。昔はよく前に立っていたが衰えてからは後ろに立つことが多かった。つまりソロだと厳しい戦いが待っているのだ。
「今さらボク以外に組んでくれる人が簡単に見つかるとは思えないけどなぁ。ボクならカノア君の戦い方、癖、体重、性癖などなど全て知ってるから最高のパートナーだと思うんだけどなぁ」
「戦い方や癖はまだしも、性癖はどうやってわかるんですか!? そしてそこまでわかっていて、なぜ妹がいる事はわからないんですか!?」
カノアは今までたまっていたツッコミを一気にぶち込んだ。電車内の客は迷惑そうな顔で二人を見ている。
「メイラさんから聞いたからね」
「あの人の言ってる事を信用するんですか……」
メイラは嘘つきとして有名でギルドマスターの正体は私だ、などという事を暇があれば言っている。カノアが最近聞いたのは、私のバストはFカップだ、いう幻想である。
「とにかく私と仕事した方がいいんじゃないかなぁ?」
「まぁ、そうだけど……」
キスが欲しくてよだれまで垂らしそうになっているロニーの顔を見てカノアは悩む。
「わかった、キスなんて強要したボクが悪かったよ」
やっとロニーが折れてくれてカノアは安心する。
「後ろからのハグで我慢するから」
「我慢するハードルが高い……!」
「ほらっ、早く!」
ロニーはくるりと一八〇度回転させてニヤニヤし始めた。錯覚のせいだと思うがカノアはキスよりはマシだという結果にたどり着いてしまった。
カノアは後ろから恐る恐るロニーの体に手を回した。そして体も徐々に密着させていく。ロニーは女の子らしい香りがした。香水やシャンプーの香りだろう。今日は男の子の気分なのにこんな香りがしたら何か違和感を感じる。性別不明と言っているが本当は女の子なんじゃないか、という疑問を浮かべさせるほどロニーは女の子らしかった。
「ロニーさん、もう……いいかな?」
「うん……いいよ」
許可を得たのでカノアはロニーから離れた。もう周りの事が気にならないくらい二人の世界に入っていた。
「カノア君、顔が赤いよ」
「ロニーさんだって……」
二人はまるで恋人だった。互いに顔を見ることが出来ず、変なところを見ている。ロニーはこの前カノアに抱きついたが、カノアから抱きつかれたのは今回が初めてで照れているのだろう。
「さて……これで良い気分で仕事が出来るよ」
「そうだね、頑張ろうか」
電車はスピードを落とさずに二人を運んでいく。