兄と妹 ~戦う理由~
クエストが受諾されたあと、カノアはギルドホールの地下にあるトレーニングルームにいた。日が落ちかけてきたこの時間にはかなり広いトレーニングルームでも人は数えるほどしかいなかった。
「こんなに……トレーニングしたのは……久しぶりだよ……」
カノアはベンチプレスを上げながら悲鳴を上げている。元々筋肉を鍛えていたわけではなくテクニックを磨くタイプだった彼にとってはトレーニングにはあまり縁がない。
しかしそんな自分を克服しなければ仕事を続けていけない、と感じた勢いでずっとトレーニングルームにこもっている。
「おぉ、カノアじゃねぇか。こんなところにいるなんて珍しいな」
元チームメイトのバーレンが部屋に入ってきた。彼はカノアがこの部屋にいることになかなか驚いてるようだ。
「どうしたんだ? 今さら体鍛えてもオレには追いつけないぞ?」
バーレンはカノアの隣でベンチプレスを持ち上げ始めた。もちろんカノアよりも相当重いベンチプレスを。
「追いつく気なんてないよ。ただ何かやらないとダメな気がして……さっ」
カノアは再びベンチプレスを持ち上げようとするがもう体力が残ってないらしく全く上がらないので掴むのさえやめてしまった。
そのあと会話が続くことはなく、しばらくバーレンの呼吸音だけが聞こえてくる。
「……なんでこんな時間にトレーニング始めるの?」
「ウィルロッテが見た目の割にはなかなか熱心な奴でな。ミーティングが予定より大幅に長引いたんだよ。でも筋トレしてからじゃないと一日が終われない体質だからこうしているんだ」
「そう……」
バーレンは話してる時も手を止めない。カノアは手を止めたまま答える。
またしばらく沈黙が続く。まるで付き合ったばかりの恋人同士が恥ずかしくて沈黙が続く。
「……ミリアさんは、元気か?」
またバーレンから口を開いた。ミリアとはカノアの妹である。
「……ちゃんとリハビリしてるよ、ひどくはなっていない」
カノアはうつむきながらつぶやくように答えた。さっきより重い空気が流れている。
「だけど良くもなっていない、って訳か……」
「まぁ、不治の病だから当たり前だよ……」
カノアの言ったとおり、ミリアは二年前から不治の病に襲われている。簡単に言うと全身の筋肉が言うことを聞かない病であり死の危険性もある。五万人に一人の確率で起こる珍しい病気らしく治療法が未だに見つかってない。
カノアが仕事をどうしても続けなければいけない理由はミリアにあった。多大な治療費用がかかるのでどうしてもお金が必要だった。スランプに陥っていた一時期、転職を考えたことはあった。しかしその時にミリアが病に襲われたのである。そうしたら転職なんて選択肢は必然的に選べなくなる、こうして今もこの仕事を続けているのだ。
「シャワー浴びてくるよ、じゃあね」
カノアはこれ以上話したくないのかその場をあとにしようとした。
「カノア」
バーレンが呼び止めた。カノアは振り向かずに立ち止まる。
「待ってる」
「……」
「待ってるから、がんばれ」
「……」
何も返事しないままカノアはシャワールームへと歩いて行った。
この街で一番大きな病院のロビーをカノアは歩いていた。ここでミリアは治療を受けている。しばらく歩いてミリアのいる病室の前までやってきた。
コンコン
一応、ノックしてから入ることにしている。中からは「どうぞ」と女の子の声が聞こえてくる。
「あ、お兄ちゃん」
ショートの赤い髪で肌が白くまさに病弱な感じを出している女の子がベッドに座っていた。
「ミリア、元気にしてたか? この頃会いに来れなくてごめんな」
「ううん、大丈夫だよ。お兄ちゃんはお仕事が忙しいから仕方ないよ。お兄ちゃんはこの街のヒーローなんだから」
「ま、まぁそうだな……」
ミリアの言葉と笑顔に罪悪感を感じた。ヒーローがスランプに陥っていてクビになるかもしれないなんて言えるわけがない。
「ねぇお兄ちゃん」
「ん?」
「治ったら、遊園地に行こうね。お母さんと一緒に」
「……もちろん」
力のない返事だった。ミリアがしっかり治療を受けさせ続けるのもわからない状況で力強い返事はできなかった。でも、自分のせいで妹が不安になってしまうのはもっといけない状況である。
「絶対に……行こうな」
「……」
返答がないのでミリアの方を見ると、彼女はスヤスヤと眠っていた。きっと薬の効果で眠気が不安定なのだろう、とカノアは理解して彼女の布団を優しくかけ直してあげた。
ガー
「あら、カノア。来てたんだね」
落ち着いた女性の声が聞こえてくると、病室のドアが開いてカノアの母のアルミアが入ってきた。アルミアは前までは年より若く見えて美しかったが、ミリアが病に襲われてからは大きく変わってしまった。シワも増えてきて老けてきた。美容になんか構ってる暇なんてないのだ。
「カノア、この頃は仕事はどうなの?」
アルミアは少し心配そうな顔で尋ねた。
「まぁまぁかな……」
また罪悪感が生まれる。今すぐ悩みを打ち明けたかったがなぜか出来なかった。アルミアとミリアの事を思うと自分の弱い姿を見せられないのだろう。
「そう、無理だけはしないでね」
無理しないと仕事が続けられない時はどうしたらいいのか、内心ではそう言いたかった。しかし答えは自分で見つける、そう決めていた。
「明日は朝からアスハラス地区で仕事があるんだ」
特に必要性はないがカノアの明日の仕事のことを家族に伝えておいた。
「あら、この時期のアスハラスはもう涼しいから熱中症の心配はないわね」
「そうだね、この頃は暑くてたまらなかったよ」
夏のバルアン地区は熱中症で倒れた人がしょっちゅう病院に搬送される光景がよく見られるほど暑い。そんな熱帯で仕事をこなすのはかなりの体力が必要である。
「カノア」
「なに?」
改まってアルミアは何かを確認しようとした。
「無理に頑張らなくてもいいんだからね」
「……え?」
カノアはアルミアの言葉の意味がわからなかった。そんな事言われても今が頑張り時なのでいっそう意味がわからなかった。
「もちろん頑張る事は大事なこと。でもどんなに頑張ってもダメなときがあるの。物事には限界があるの。だから一つの事に執念深くやる事をダメとは言ってないけど、違う事に挑戦してみるのも大事なことなのよ」
「……あぁ」
「カノアは武闘の才能はあると思ってるわよ。でもそれだけしかないなんて
思わずにいろんな事に挑戦しなさい。今更とか、遅いなんてことは絶対にないから」
「……」
言葉の真意があまり理解できなかったが今のカノアには重く突き刺さった言葉達であった。
「俺は先に帰るわ。御飯の用意もしておくよ」
「あら、悪いわね。じゃあ私はもう少しここにいるわ」
「また来てね、お兄ちゃん」
カノアは一人寂しく病室を出て行った。