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夜、人影に潜む  作者: 影人
第5話:真夏の悪夢は独白する
38/41

5-2

 目の前に、敵がいる。

 敵。夜の帳に潜み、ぼくらの血肉をむさぼる宿敵。

 真っ暗な廊下の隅で、そいつはドッジボールサイズの体をカタカタと震わせていた。

 細く長い両耳。真っ白な毛に覆われた、丸みのある体。外見はウサギによく似ているけれど、しかし手足にはするどい爪がある。そして口の両端からは、ナイフのような牙が突き出ていた。それらは、人ののどを破るのには充分すぎる代物だ。

『夜』。

 ぼくらの敵。

 ここで、殺さなくちゃ。

「……、……」

 シン、と。

 呼吸を整え、刀を構え、歩を刻む。

 一歩、一歩。こっちが音を立てて歩み寄るたびに、敵はおびえたようにその肩を震わせた。

「わたしがやるよ」

 国沢さんが横に立った。

「いや、いいよ」

 ぼくは頭を振り、彼女を制した。

 国沢さんに、こんな役目を負わせたくはない。無抵抗の相手を、一方的になぶる役なんて。

「でも……。陽之上くんだって、こんなのやりたくはないでしょ」

「きみにやらせるよりはずっといい」

 冷たいリノリウムの床を、キュッと踏む。そして、雪玉のようなその背中へ、刀の先端を突きおろした。

 ハムをスライスするような感触。「ゲッ」ていう、つぶれたカエルのような断末魔が漏れる。刀を引き抜いた瞬間、敵は脳をほじくられたかのように、激しくのたうち回った。節減のように真っ白だった全身に、赤い物が付着していく。床に広がる血の川が、真夜中の校舎で赤く際立つ。

 見るに忍びない光景だった。また、しとめ損なってしまった。この光景はかわいそうだし、気持ち悪い。早く楽にさせてあげよう。死ぬことが楽であるかは、わからないけれど。

 ぼくはのたうつ敵へ、再度刀を振り下ろした。血のにおいが濃くなると同時に、頭の中で赤信号が明滅する。

 どうしてぼくは、こんなことをやっているんだ?

 嫌な思いをしてまで、つらい戦いをしてまで。それでいったい、ぼくになんの得があるっていうんだ? 

 目の前の誰かを、守る。そんな目標をかかげる資格が、いまのぼくにあるとは思えない。

 目の前のクラスメイト。森永さん。ぼくは、彼女を守れなかった。きっとこの先も、ぼくは似たような経験をするに違いない。しょせんぼくは、ただの子供だ。正義感だけじゃ、なにも守れやしない。

「陽之上くん」

 ふと、国沢さんのやわらかな手が、ぼくの手首をそっとつかんだ。

「もう、戦わなくていいんだよ」

 ぼくは初めて、自分が亡骸相手に刀を下ろし続けているのに気づいた。足元にはバケツ一杯分の血だまりができ、戦闘服には血の斑点が付着している。力の抜けた右手から、ゆっくりと刀がすべり落ちた。

 足元で、かすかな光が舞い上がった。こときれた敵の体が、少しずつ消えていく。地面に、たくさんの血だまりを残して。

 背後から近寄ってきた岳人先生が、静かに声を出した。

「また、消えたな」

 そうですね。

 血のにおいは、こんなにも色濃く残ってるのに。

「お前が斬った『夜』は、なぜかいつも死骸を残さん。最初の戦いのときもそうだった。お前は気を失って、覚えてなかっただろうけれどな――む、陽之上よ。どこへ行く気だ」

「プールへ。シャワー浴びてきます」

 ぼくは国沢さんたちに背中を向け、早足で廊下を進んだ。この手に染みついた生臭さを、少しでも早く洗い流したかったから。

「陽之上」

 背後から、先生の声が飛んできた。

「森永の件。まだ悩んでいるのか? ……すまないことをしたな」

 落ち着いた声色だったけれど、そこには先生なりの誠意が感じられた。ぼくは少しつばを飲んで、

「いいんですよ。先生は正しい指示を下したんですから。でも、知りませんでしたよ。化け物を倒す部活動だって聞いていたのに、人を殺すはめになるだなんて。それもよく知っている人間を」

 先生が眉をひそめたのが、なんとなくわかった。

「何度も言っているだろう。あれは森永の姿をした『夜』。森永本人ではない」

 そんなの、斬ってしまえば同じようなもんだ。どっちも血を噴いて、叫び声と生臭さを発生させる。それも一度や二度じゃない。血まみれになった彼女の姿が、ことあるごとに脳裏へよみがえるんだ。

「嫌なら、もう辞めるか? こんな部活動」

 先生が言った。

 ぼくはおどろいて、振り返った。

「いいんですか、抜け出しても」

「本心を言えば、むろん辞めてほしくなどない。お前が辞めてしまえば、明日歩の負担が格段に大きくなる。下手をすれば、より多くの犠牲者を出すやもしれん。だがな。お前が命を張るいわれを持たないのも、また事実だ」

 ぼくはうつむき、こぶしを固めた。

「……ぼくは」

 戦いたい。こんなぼくでも、多くの人を救えるのなら。

 でも。

「人の血を浴びたり、断末魔を聞いたりなんて……。もうこれ以上、絶対にしたくない。勝手な願いだってのはわかってます。だけど、それでも」

 ぼくは。

「勝手? なに言ってるの」

 国沢さんが、朗らかな声を上げた。

「陽之上くんは、当たり前のことを言ってるだけでしょ。誰だって殺したくはないし、殺されたくもない。相手が人の形をしてるってんなら、なおさらだよ」

 そこへ先生が、声をかぶせてきた。

「では陽之上。お前に少し時間をやろう。なにかあったら連絡する。だから、あまり遠くへは行くなよ。ともかく、朝までに自分の今後を考えておけ」

 先生が歩き出したのがわかった。足音は、ぼくと正反対の方向へ遠ざかっていく。

 次第に小さくなる靴音を聞きながら、ぼくはスーツに包まれた右手を改めて見つめた。

 ゆっくりと鼻を近づける。

 血のにおいが、濃さを増したような気がした。


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