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明けて、月曜の朝。窓際で肘を突く唐田のもとへ、修野くんが足取り軽くやってきた。
「やっ、亮。ごきげんよう。どうだった? 昨日のデートは楽しめたかい」
胸がキュッと縮まるのを感じた。両手を強くにぎりしめたまま、ぼくは机に描かれた木目を見つめる。
「どうもこうもあるかよ。散々だった。まったく、余計なことをしてくれやがって」
唐田は不機嫌そうに舌を打った。
「ケンカしたんだよ、森永の奴と」
「へえ?」
修野くんは拍子抜けしたように、
「そりゃ、どうして。森永さん、ケンカを吹っかけるタイプには見えないけどな」
唐田は鼻息を飛ばし、低い声で概要を述べた。
「映画館、親子連ればかりだったんだ。見たところ、母子連れが特にな」
ぼくは胃の中に、なにか冷たいものが落としこまれるのを感じた。
修野くんは、なにも返してこない。だまって、唐田の言葉を待っていた。
「そのせいであいつ、むっつり口を閉ざしちまってよ。食事中でさえ、ずっとダンマリを決めこんでるんだ。こっちは必死こいて話題取りつくろうとしてんのに、『うん』とか『そうだね』とか、生返事ばかりしかしねえ。いい加減カッとなって、帰り道で怒鳴った。で、そのまんま奴を置き去りにして、友達の家へ泊まりに行って。ほかの知り合いも呼んで、麻雀大会を一晩中」
「そうか……。それは、悪かった。もっと別の映画に誘えばよかったな。でも……それはさすがに、謝ったほうがいいんじゃないか? 傷ついてるところを見捨てられて、森永さんは相当ショックだったろうよ。現にまだ、彼女は教室に来ていない」
「はあん? 知るかよ。どうせ、いつものズル休みだろ」
「とか悪態をつきながら、ウズウズしちゃってたまらないんだろ。その貧乏揺すりがすべてを物語っている。それと、ウソをつくときは人の目を見なよ。きみの目は、泳ぎ続けないと死ぬのかい」
「うっさい。……わかったよ。謝ればいいんだろ。帰りに様子を見てくる。なに、チョロいもんだ。アメ一粒ですぐ機嫌直すからな、あいつ。昔からそうなんだよ、昔から」
「はいはい。帰りの時間が待ち遠しいですね」
「おざなりな態度取ってんじゃねえよ。べつに待ち遠しくなんかねえっての」
恥ずかしそうに、声を荒げる唐田。
ぼくはくちびるを強く噛んだ。表面を覆う皮膚が裂け、鉄の味が舌に伝わる。両手をにぎりしめ、爪を手のひらに食いこませた。丸まった背中が、小刻みに振動する。くちびるがひん曲がった。これは無意識下の行動だ。したたり落ちた涙の粒が、木目をぬらした。耳をふさいで、嗚咽をこらえる。
やめろよ、やめてくれ。
森永さんの話題は、もう。
もう。
「どうしたの、トモ。なにかあったのか」
修野くんが、心配そうな顔で覗きこんでくれた。
言えない。森永さんが、もうこの世のどこにもいないなんて。
言えるわけがない。
「おっはよー!」
朗らかな声が、教室全体に響き渡った。国沢さんが、いつも通りの笑顔で入ってくる。軽やかな足取りからは、ケガをしてることなんて感じさせられない。女子数人に囲まれながら、一人一人に愛想よく笑いかけていく。
その顔に貼りついた笑みを見て――ぼくは、体中の毛がそそり立つのを感じた。
なんで……。
こんな状況で、笑うことができるんだ?
昨日の今日で、彼女も悲しんでいるはずなのに。それをまったく、おくびにも出さずに。彼女はまるで、なにごともなかったかのように、白い歯を輝かせている。
その胸ポケットからは、なにか黄色い物がはみ出ている。昨日の晩、彼女が見せた、折り紙のタンポポだった。
森永さんの形見を胸に秘めつつ、国沢さんは笑い続ける。
まるで。
まるで昨日の晩の惨劇が、悪い夢だったとでも言わんばかりに。
タンポポの花言葉。『神託』。『真心の愛』。
『別れ』。
というわけで、「森永」編終了です。
次回より最終章・「明日歩」編に突入します。




