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それから三日後の、お昼休み。
「森永さん、まだ来ないな」
ぼくの机にほお杖をつきながら、修野くんがため息混じりに漏らした。
ぼくは背もたれに寄りかかりながら、二列横にある森永さんの席へ振り向いた。彼女の席は、いまだに空っぽのままだ。
「亮に会ってくわしい事情を確認したいけれど、どうもどっかに行っちゃったみたいだし。そういや国沢って、森永さんのメアド知ってたよね」
真横に立った国沢さんに、修野くんは視線を移した。
「うん……。何度も連絡してるんだけれど、返信がなくて」
「そっかー。じゃ、打つ手なしだなあ。あーあ、なにかいい手段ないかな。一応、亮にはアレを渡してあるんだけどさ」
「んにゃ。勉くん、アレって?」
「ふふん、イイモノだよ。イ・イ・モ・ノ」
ニマァ、と意味深に口を広げる修野くん。
そのとき、教室のうしろから、かしましい声が飛んだ。森永さんの席があるほうだ。
「よっしゃ、配置カンペキッ。ねえ、これヤバくね? すっげえサマになってるじゃん」
あのグループだった。五月のとき、森永さんをいじめていた女子集団。唐田の目を盗んで、また好き勝手にやり始めたらしい。
彼女たちは、森永さんの机にいたずらをしていた。先生の机に置かれていたユリの花を、森永さんの机に設置していたんだ。ドラマとかで、死んだ生徒の机に花ビンが置かれていたりする。あれのマネだろう。
「チョージ読もうよ、チョージ。あー、つってもアタシよくわかんねえわ。このたびはご愁傷様でした、ちーん、みたいな?」
「つうかさー。いくらお母さんが死んだっていっても、もう五日だよ? 五日。その間ずっと不登校って、どんだけメンタル弱いんだよって感じじゃね?」
「だよねえ。ひょっとしてホントに、あと追い自殺とかしてるかもよ。お悔やみ申し上げます、ぽくぽくぽく、て感じでさ」
「うっは、やめてよ。シャレになんねーって」
さすがにぼくは絶句した。肉親を失って落ちこんでいるだろうクラスメイトに、この仕打ち。
家族を失うってことを――なんだと思ってるんだ?
「やめてよ、なにやってんの!」
怒号が飛んだ。マグマがほとばしった。そうと錯覚しちゃうくらいの激しい叫びが、国沢さんの口から飛び出した。そのときにはもう、彼女は森永さんの席まで移動していた。焼けた鉄のように真っ赤な顔は、さわれば火傷をしちゃいそうなくらい熱を感じる。
いじめグループは露骨に顔をこわばらせた。
「なにって、見てわかんじゃん。遊びだよ、遊び。ちょっとはしゃいでただけだって」
「ちょっと? はしゃいでた? ふざけないでよ、この卑怯者! 弱虫!」
国沢さんはやおら右手で花ビンをわしづかみ、床にたたきつけた。花ビンが割れ、けたたましい音がし、教室中のクラスメイトがいっせいに目をひんむいた。国沢さんが履くリボン付きソックスが、またたく間にずぶぬれになる。
いまにもいじめグループにつかみかかろうとする彼女を、駆け寄った修野くんが羽交い絞めにした。
「まあまあまあまあ、落ち着け国沢。トモ、雑巾を」
ぼくは小走りで掃除用具入れへと向かい、中にある雑巾をつかみ取った。割れたかけらを一ヶ所に集めながら、床や机の脚を拭いていく。
頭上でいじめグループの声が響いた。
「あーあー、なにムキになってるわけ? ただの遊びだってんのにさあ。つうかどうすんの? この花ビン、先生がめちゃくちゃ大切にしてたヤツじゃん」
「それを持ち出したのは誰!」
「国沢。気持ちはわかるが深呼吸だ。怒ったところでどうにもならない」
「そんなにキレる必要もないでしょ。カッカカッカしちゃって、ヤカンじゃないんだから。カリウム足りてますかぁー?」
たぶん、カルシウムって言いたかったんだろう。
「足りないのは、あんたたちでしょ。人間性が足りてない。お母さんを失った子に、よく平気な顔して嫌がらせができるね。自分がそうなったらって、考えられないの?」
「考えないよ。だって、母親のことなんてどうでもいいもん」
修野くんの足が、ピクリと動いた。それに気づかず、いじめグループは続ける。
「勉強しろとか夜遊びすんなとか、もういちいちウザったいのよ。こっちがなにしようが、んなもんあたしらのジユーじゃん。なんであんたらに、そんなこと言われなくちゃいけないのって思うわ、マジで」
「まあまあまあまあ、そこまでにしときなよ」
修野くんが笑顔でなだめた。表情をそのままに、ゾッとするくらい声を低くし、
「これ以上言われると、殴っちゃうかもしれないし」
「へ?」と、いじめグループ一同、口を丸くする。そのとき、
ガラリ。
救いとも言えるタイミングで、ドアが開いた。
唐田! ――一瞬そう期待したけれど、違った。担任の先生だ。なにかいいことでもあったのかな。るんるんと鼻歌を口ずさんでいる。
「へろぅえぶりぃわん! さあ、そろそろ席に着いて。お腹いっぱいで眠くなってるかもしれないけど、張り切っていきましょう」
にこやかな笑顔で教壇に立ち、生徒全員に呼びかけた。
そしてにこやかな顔のまま、割れた花ビンに目を向ける。
にこやかな笑顔が、消えた。
静まり返る教室。
授業開始のチャイムが鳴る。
みんな、いっせいに席に着いた。座ってないのは、ぼくと国沢さん、修野くんだけだ。
「だ、だだだだだ、誰!」
先生、ほとんど泣きそうな声色だ。ていうか泣いてる。花ビンが割れてガビーン、って感じの表情だ。
「だれだれだれだれ、誰! わたしのハニーちゃんを割ったのは!」
名前付けてたんだ……花ビンに。
「すみません、わたしが」
「俺が割りました」
凛とした修野くんの声が、国沢さんのセリフをさえぎった。
「え?」っていう声は、ぼくと国沢さん、どっちの口から放たれたモノだろう。
「ちょっと。なに言ってるの、勉く……」
国沢さんの声は、いつにもなく切迫している。説明を求めるその言葉は、しかし先生の声によってかき消された。
「修野くん、本当にあなたなの。副委員のあなたが、人の物を壊すなんて思えないけど」
「持って遊んでたら、手をすべらせて割ってしまったんです。それで、陽之上くんたちにあと片付けを手伝ってもらってました。すみません、全部俺の責任なんです」
「……そう」
先生は腕を組んで眉をひそめた。どことなく腑に落ちてない様子だ。クラス内の何人かが、咎めるような視線をぼくらに注いだ。
「まあ、失敗は誰にでもあるしね。でも、人の物を勝手に持ち出すのはご法度よ。罰として、三日間トイレ掃除ね。じゃ、国沢さんたちは席に着いて」
「え、でも……」
「いいから。俺のことは気にしないで」
言いよどむ国沢さんの肩を修野くんは軽くたたき、しゃがみこんでぼくと目を合わせ、
「ごめんよ、トモ。手伝わせちゃって。雑巾貸して。あとは自分でなんとかする」
人懐っこいウィンク。
ぼくは雑巾を差し出すのを渋った。このまま席に戻っちゃうのは、なんだか嫌だった。
それは国沢さんも同じだったようだ。彼女はおもむろにしゃがみこみ、一心不乱に破片をひろい始めた。軍手もつけずに、素手で。
ぼくらはなにも言わず、黙々と作業を続けた。
「きみら、もういいってのに」
修野くんはあきれ半分のため息を放つ。だけれどその声は、どこかうれしそうだ。
「ごめんね。勉くん、陽之上くん」
国沢さんが、ぼくらにしか聞こえない声で漏らした。
「なにが?」
修野くんは腰を下ろして、破片をビニール袋に放りこんだ。
ちくり。
胸になにかが突き刺さったような気がして、ぼくはフッと顔を上げた。
すると、破片を持った国沢さんの手に、一筋の赤い液体が伝っている。彼女はクシャリと破片をにぎり、その手のひらを包み隠した。噛み締められたくちびるは、小さく小さく震えている。
見ていられない光景だった。無意識のうちに、こぶしが固くにぎりしめる。やさしく胸をなで下ろし、呼吸を整えた。いま自分がなにをするべきなのかを、考える。
そして次の瞬間。
ぼくは動いた。




