4-3
ケータイを開くと、時計は正午を指していた。ざっと一時間半くらい、話を聞いてたことになる。おおかたの区切りをつけたところで、ぼくらはベンチから離れた。
その足で、火葬場へ。タイミングが合えば、森永さんたちに会えるかもしれない。会って、話しかけることができるかもしれない。
ぼくらは一言の会話もなく、ただひたすらに歩いた。
やがて目の前に、白い横長の建物が現れた。空を刺すような、長い長い煙突がある。
「……ここだね」
国沢さんのつぶやきを受け、ぼくはまじまじと建物を見上げた。
この中で、人の遺体が焼かれている。ひょっとしたらぼくも、近いうちにお世話になるのかもしれない。ぼくや、ぼく以外の誰かが、『夜』の犠牲になってしまうかもしれない。食べられて、遺体すら残らないってこともありえるけれど。
「死」っていう概念が数メートル先で待ち構えているような気がして、ぼくは唐突に怖くなった。入り口の自動ドアが、死への扉のようにも感じられる。
そのとき、まさにぴったりのタイミングで、ドアが開いた。
国沢さんが叫ぶ。
「ちぃちゃん!」
自動ドアの向こうから、森永さんが出てきた。どういうわけか一人きりだ。いつもはリンゴ色のほっぺたも、いまはどこか暗い影を落としこんでいる。
すごく不思議な光景だった。昔、森永さんを抱いていただろう人が、今度はその森永さんの両腕に、抱きかかえられている。四角い壷に収められて。
森永さんは国沢さんの声に応えることもなく、下を向いてコンクリートを踏みしめた。一歩、また一歩と、こっちに近づいてくる。
「一人じゃないからね、ちぃちゃんは!」
国沢さんは言った。たどたどしい口調で、声の限りをつくして。
「わたしだって力になるし、唐田くんも勉くんも、陽之上くんだっている。だから――だから、困ったときはいつだって」
森永さんは。
「さようなら」
顔を上げず、小さくささやいて、そしてぼくらの横を通り過ぎた。
国沢さんは虚を取られた顔をして、振り返った。追いすがるように片手を伸ばして、
「待って!」
だけど森永さんは、立ち止まらない。
ぼくはかける言葉さえも見つけられず、だまってその背中を見送る。肩を落とした小さなうしろ姿が、誰かの姿とだぶって見えた。八年前、兄を見失ったぼく自身だ。
ああ、そっか。
『真心の愛』を、彼女にくれた人は。
もうどこにも、いやしないんだ。
「森永」
遠ざかる背中へ、唐田が呼びかける。せいいっぱいの張りを感じさせる声で。
「前見て歩け」
森永さんはなにも言わなかった。振り返りもしなかった。
ただその顔を少し上向け、遠く遠くに離れていった。
しばらくは、誰もしゃべらなかった。若葉のこすれる音だけが、静かに耳をくすぐる。
そんな状況だったから、
「わたし、なにもできなかった」
国沢さんが放ったこのつぶやきは、穏やかな水面に波紋を広げる、一滴の水みたいに感じられた。
「悲しんでるちぃちゃんを前にして、なんて言葉をかければいいのかわからなかった。友達が辛い目に遭ってるのに、なにも、なにも」
ぼくは息を詰めた。唐田までもが、おどろきの目つきで彼女を見る。
「国沢、お前……」
国沢さんは、泣いていた。一粒の涙が、ほっぺたに筋を描いている。
「あれ?」
国沢さん本人も、意外そうな顔をした。しゃくり上げるのと同時に、しずくが地面に落下する。
「なんでわたし、泣いてるんだろ。おかしいよね、反対じゃん。わたしが、ちぃちゃんを元気づけなくちゃ、いけないのに。こんなんじゃ、こんなんじゃ、あの子を守れない」
いじめられた幼児のように、腕でごしごしと涙をぬぐった。
「嫌だな。本当、嫌だな……」
シクン、と胸が痛んだ。口の中で、苦い味が弾ける。
「あの」
ぼくはハンカチを差し出した。ぼくにできることって言えば、しょせんこれくらいだ。
「泣きたいときは……自由に泣いてもいいと思う。誰かの代わりに泣いてあげることって、そうそうできることじゃないよ」
だけど国沢さんは、ハンカチを取ろうとしなかった。
「ありがとう。でもわたし、決めてるんだ。誰かの前では、絶対に泣いたりしないって」
彼女は顔を覆っていた腕を下ろした。その下から、いつもどおりの笑顔が出てくる。
でもその目元は、ほんの少しだけ赤くなっていた。
「だってわたし、お悩み相談部の部長だもん。みんなを元気づけられないわたしなんて、いてもいなくても変わらないよ」
ぼくは歯軋りした。それが一種のスイッチになった。ぐっと力のこもった右手が、ハンカチをにぎりつぶす。
結局ぼくは、なにもできないのか。親を亡くしたクラスメイトをなぐさめもせず、目の前で泣いている友達を、助けることもできない。
……そんな自分なんて。
そんな自分なんて、いなくなっちゃえばいいのに。




