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話は、五日前にさかのぼる。
その日の朝、ぼくと国沢さんは授業をサボった。
向かったのは、市の外れにある葬儀場だ。季節を少し先取りしたむし暑い日に、その告別式は行われた。
朝っぱらから異常なくらい元気のいい太陽が、なんの遠慮もなく肌に照りつける。
葬儀会場の入り口には、ざっと五十人ばかりの人が集まって、縦二列に並んでいた。
列と列の間には、車を一台通すくらいの隙間が確保されている。
「故人の生前に皆様より賜った温かなご厚誼を、不肖ですが私ども家族にも賜りますようお願い申し上げます。亡き妻に代わりまして、厚く御礼を述べさせていただきます」
前に立った中年のおじさんが、参列者一同に頭を下げる。そのうしろには、森永さんの姿があった。顔面はいつにも増して青白く、着ているスーツの色よりも、もっとずっと暗い表情をしている。両手で遺影を持っていた。
写っているのは、中年の女の人。垂れ目で色の白い、優しそうな人だった。
「いい笑顔だね。お母さん」
国沢さんがこぼした。
たしかに。写真の女の人は、こじんまりとした笑みを浮かべている。その笑顔がどこか森永さんに似ていて、ぼくは無性にやりきれない気持ちを味わった。
男の人が四人、箱をかついできた。白いシーツのかかった、長方形の箱。大の大人が入れるくらいの大きさがある。彼らが進む先にあるのは、派手にかざり立てられた、屋根瓦の付いた車。霊柩車ってヤツだ。
箱は霊柩車の中に、そっと納められた。おごそかにガスを排気しながら、車は動き出す。徒歩にも負けるスピードで列の間を直進し、入り口を抜けて道路に出た。
空は青かった。雲一つなかった。
けれど耳の奥にはかすかに、雨音が鳴り響いていた。
親指を隠そうと、ポケットに突っこむ。そのとき、ケータイが光ってるのに気づいた。
母さんからの電話。なんだろう?
「出たほうがいいんじゃない? なにか、重大な連絡かもしれないし」
国沢さんが進言してくれた。ので、お言葉に甘えて「もしもし」。声を潜める。
『ちょっとトモくん。あんた、まだ学校に来てないんだって? いまどこにいるの』
静かな声色だけれど、少し怒ってる。
そっか。担任の先生が、心配して家に電話してくれたのか。とにかくここは、正直に説明したほうがよさそうだ。
「友達のお母さんが亡くなって。いま、お葬式に来てるんだ」
『……っ、そう。でもそれなら、先に事情を説明してよ。せめてお母さんだけにも。でないと、事故にでも遭ったのかって心配するじゃない』
「ご、ごめんなさい」
ぼく……やっぱりまだまだ、親の気持ちを考えられていないんだなあ。
頭をかき、ちょっと気になってたことを質問した。
「ねえ、一つ聞いていい? 兄貴がいなくなったときさ。ぼく、どんな感じだった」
唐突で、しかもひどい質問だってのはわかってた。母さんにとっては、あまり触れられたくない話だろうから。
でも……だったらなんで、こんなことを聞いたんだろ。
たぶんきっと、お母さんを亡くした森永さんの姿に、強烈なデジャヴを感じたからだろう。兄を見失ったころのぼくも、あれに似た表情をしてたんじゃないかな。
『んー、ずいぶん急な質問ね。どんなって言われても……ごめん、よく覚えてないわ』
「そう。わかった。ありがと」
そりゃそうだよな。ぼくなんかを見る余裕、あのときの母さんにはなかっただろうし。
ケータイをしまったところで、国沢さんがかすかに微笑んだ。
「いいお母さんだね。陽之上くんのこと、誰よりも心配してる。――それより、どうしよ。わたしたちも、火葬場に向かう?」
うーん。それはさすがに、やりすぎだと思うなあ。
「だよねえ。ちぃちゃんに会って、なにか声をかけてあげたいけれど……。でも、おばさんと面識のないわたしたちが、お骨をひろうのも場違いだろうし」
そうなんだよなあ。火葬場なんて、ほとんど赤の他人と言ってもいいぼくらが、おせっかい半分で立ち入っていい場所じゃない。でも、このままなにもしないで学校に戻るのも、なんだか忍びなかった。「どうしたものか」ってうなり続けてたところで、
「あん? 来たのかよ、お前ら」
遠くから、背の高い影が歩いてきた。その顔を確認し、ぼくは身をすくめる。
「やっほ、唐田くん」
国沢さんが、片手を挙げて呼びかけた。
「授業サボったのか? だったら、制服じゃなくて喪服で来いよ」
唐田は身をかがめながら、ぼくと国沢さんを交互にながめた。黒のスーツが、細い体に不気味なくらい似合ってる。
「……ごめん。終わったらそのまま、学校に行く予定なの」
幸い、女子の夏服にはリボンがない。お葬式にも、ぎりぎり着ていける服装だった。
唐田は「あっそ」と淡白に返した。
「唐田くんは、火葬場に行かないの。付き合い深いんでしょ、小さいころから」
「かったりぃんだよ、ああいうの。辛気臭いのは嫌いでな。自分をなでてくれた手を、骨壷に収めるなんてまっぴらだ」
「ふうん……。まあ、そうだよね。あっ、そうだ唐田くん。ちょっといろいろ聞きたいんだけれど、少し時間をもらってもいい?」
国沢さんは身を乗り出し、口元を緩めた。だけれどその表情には、まだうっすらと影がかかっている。彼女にしてはひかえめなその表情が、やけに鮮明に脳裏へ刻まれた。
ちなみにこのときの国沢さんの言葉は、「お願い」って書いて「命令」って読む。ひたすら「お願い」をこばむ唐田に、彼女は執拗なまでに食い下がり続けた。
で、結局、唐田の根負け。
それからぼくらが、いったいどうしたのかっていうと――十分くらい歩いて、たどり着いたのは小さな公園。一月前、森永さんと話したのもここだった。火葬場からはそう遠くない。行こうって思えば、歩いて数分で行ける距離だ。
ベンチはせまく、三人腰掛ければいっぱいいっぱいだった。国沢さんと足が触れ合わないよう、ぼくはキュッと膝を閉じた。
「当たりが出たら、ちょうだい」
言って国沢さんは、ぼくらにアイスを手渡した。となりのコンビニで売られていた、かじると背筋が「ひええっ」てなるソーダアイスだ。
「情報提供に対する代金が、たかがアイス一本とは。俺も安く見られたもんだな」
なんてケチをつけながらも、やぶいた袋からアイスを取り出し、かぶりつこうとする唐田。無防備なその首筋に、国沢さんが袋に入ったアイスを押し当てた。
「ひゃふほぅ!」
聞いたこともない裏声を発しながら、唐田はアイスを落としそうになる。
「お願い。食べながらでいいから、ちぃちゃんのお母さんのこと、くわしく教えて。あの子を元気づけるためにも、ある程度の事情は知っておきたいの。このままだとちぃちゃん、また『夜』を育てちゃうかもしれないから」
そう言う国沢さんの顔には、ひとかけらの笑いもなかった。
それに、と、彼女は無表情で続ける。
「もう、あんなちぃちゃんを見るのは、嫌だよ」
「……しかたねえな、話してやるよ。また化け物に襲われるのは、嫌だからな」
唐田は悪態をついてから、ソーダアイスをガリリと噛んだ。ふとかがみこんで、足元に生えた花をつみ取る。
タンポポの花だった。それを指の間にはさんでくるくる回しつつ、
「こいつの花言葉って、知ってるか」
「たしか、『神託』……それに、『真心の愛』、だっけ」
国沢さんがあごに人指し指を当てながら、すらすらと答える。す、すごい……。
「森永がいつも付けてる、タンポポ型のだせえ髪かざり。母親からもらったもんだってのは、お前らも知ってんだろ。あいつ、ちっちぇえころから肌身離さずアレ付けててよ。小学校のとき、クラスの男共にからかい半分で取られてたんだよ」
唐田のアイス棒に残った最後のひとかけらが、音を立てずに地面に落ちた。唐田はそれをうらめしげに踏みつけたあと、
「で、俺がそいつらをぶっ飛ばした。弱いくせにいきがってる奴らを見ると、無性に腹立たしくなってよ。適当に殴って追っ払って、肩で息をしてたら、急に両手をつかまれた。森永の奴にな」
森永さんは満面の笑顔で、瞳をいっぱいに輝かせながら、こう言ったらしい。
『ありがとう。唐田くんって、ヒーローなんだね』
「あんな安っぽい髪かざりで、なんであんなにうれしそうな顔ができるのか。正直、いまでも理解できねえよ。つうかしたくない」
唐田はつい、強い口調で問いただしたそうだ。
「『なんでいつも、そうやってヘラヘラしてるんだよ』。そう聞いたら、奴はますます調子付いて答えた」
『お母さんに言われたから。親は子供に、たくさん笑っていてほしいって』
「……マザコンめ」
唐田は小さく悪態をついた。
ぼくらは、だまって聞く。いつもなら二十秒でアイスを処理する国沢さんも、まだほとんど口をつけていなかった。
「だから中二の春、母親の病気が発覚したときも、あいつは悲しい表情なんてほとんど見せなかった。胸がむかつくくらいの明るい顔で、ほざいてやがった」
『きっと治るから。わたしが泣いてたら、きっとお母さんも泣いちゃうから』
「森永はいつもそうやって、髪かざりを誇らしげに示してやがった。バカみたいにヘラリとして、母親の回復を信じてた」
つかんでいたタンポポを、唐田は宙に放り投げた。
「だが実際は」
花は空中でゆっくりと旋回し、地面に落ちた。溶け始めたアイスのしずくが、表面を伝い、膝へ落下する。ヒヤリとした刺激が、体を震わせた。
『真心の愛』。
愛の結末が幸せであるとは、限らないわけで。




