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イラストレーター・「みるの」さんに、拙作「夜、人影に潜む」のキャラ絵を描いていただきました。 まずは主人公・陽之上明日の立ち絵です。
みるのさんのブログ http://blog.goo.ne.jp/namaharu01
次の日の夕方は、まるでぼくの心をあざ笑うかのような大雨だった。
放課後、ぼくはゲタ箱の前に立っていた。
目的は、目の前に収められた一足のスニーカーだ。
新生活に合わせて購入したのだろう。まばゆいばかりの白が、少し目に痛く感じる。靴の入ったスペースの上には、『国沢明日歩』と書かれた名前シールがはられていた。
ぼくはつばを飲み、両手をにぎり固めた。
これで周囲に人がいたら、ぼくはなにもしないまま、葛藤することもなくこの場を立ち去れたかもしれない。
靴を盗ろうと手を浮かし、再び下ろして息をつく。これを八回はくり返したか。
やらなければ、殴られる。
でもこれを盗ってしまえば、国沢さんは大雨の、どうやって帰るっていうんだろう。
雷が鳴る中、ソックスを泥んこにしながら走る彼女を、想像した。
だめだ、そんなの。あのリボンつきニーソックスを汚す権利なんて、ぼくにはない。
だけど……いまこれをやらなくちゃ、ぼくがひどい目に遭う。
ぼくは目をギュッとつむり、眉間にしわを引き寄せた。まぶたの裏に、国沢さんの顔が描かれる。その隣に、唐田のずる賢い笑み。
そもそも、悪いのは唐田じゃないか。
そうだ、ぼくは悪くない。国沢さんも、事情を話せばわかってくれるだろう。この場でぼくが彼女の靴を盗ってしまっても、彼女だったら許してくれるはずだ。
意を決した。
目を見開いた。
彼女の靴を抜き出し、カバンのチャックを開ける。靴底の土でカバンが汚れるかもしれないけど、そんなことには構ってられない。
「なにをしてるの。……陽之上くん」
声が、した。
恐る恐る振り返ると、通学カバンを肩に下げた国沢さんが、あっけに取られた様子でこっちを見ていた。
まずい。
心臓が、バクバクと音を立て始めた。体が硬直し、脳内が真っ白になる。
「あ、ええと」
なんでもないよと言いたいところだけれど、動かぬ証拠が手元にある。なんせぼくはいままさに、彼女の靴を自分のカバンに納めようとしていたんだから。
「どういうことか、説明してくれないかな」
国沢さんの目が、まっすぐにぼくをとらえる。
鉛のような感情が、心の底でズドンと響いた。ついさっきまでの自分を殴り飛ばしたくなる。わが身かわいさに恩人を犠牲にするなんて、信じられない行為だ。
言うんだ、正直に。
奥歯を噛みつつ、自分に言い聞かせる。
ぼくは彼女をおとしいれようとした。そのことを、この場で打ち明けるんだ。
だけど、できなかった。
気づくと、ぼくは彼女に背を向け、校舎から飛び出していた。
「あ、待って。陽之上くん」
呼び止める彼女の声を無視して、雨の中を駆ける。またたく間に全身、ぬれネズミになった。
水たまりに踏みこむ。すると靴の中に、冷たい泥水が染みこんできた。
ゴメンよ、国沢さん。ぼくはやっぱり、きみの部活には入れそうもない。自分のことすら持てあますぼくなんかが、人の悩みなんか解決できるはずもないんだから。
校門を抜け、道路に出る。雨粒が目尻に当たり、ほほへと伝った。
最低だ。ぼくは唐田以上のクズだ。恩を仇で返した上、その事実から逃げ出すなんて。
悔しかった。大雨に打たれている自分が、みじめで、ブサイクで、かっこ悪かった。
卑怯者、と。
弱虫、と。
国沢さんは唐田を、そうののしった。
違うんだ、国沢さん。そのセリフはそのとき、きみの真後ろにいた奴にかけるべきだったんだ。
取り柄もなく、存在感もなく、根性すらもない、雨に打たれてずぶぬれの自分。
こんな自分じゃ、一生かかってもたどり着けない。兄や、国沢さんのような強さには。
兄。
その単語に、心のどこかで引っかかりを覚える。ぼくはいまさらながら、自分がどこに行こうとしているのかを悟った。
気づくと、あまりなじみのない道に出ている。しばらく走っていると、目の前に、無言でたたずむ墓石の群れが見えてきた。
墓地に入ったぼくは、一つの墓石の前にたどり着く。
それは、ぼくら陽之上家の墓だった。
墓石には、兄の名前も刻まれていた。