3-7
「やっ、トモ。ごきげんよう」
息を荒げながら校門を駆け抜けたところで、背後から肩をたたかれた。修野くんの人なつっこいスマイルが、ぼくを見下ろしている。朝の空気に、これ以上ふさわしい顔もないんじゃないかな。
にしても……トモ? なんだか懐かしい呼ばれ方だ。兄を思い出す。
「昨日は、本当の本当にありがとう。まさかトモたちが、あんな妖怪じみたものと戦ってるだなんて、ホンット思いもよらなかった。なんだか、いろんな所に迷惑をかけちゃったみたいだね。まあ、こっちもこっちで、あれから警察に行って、学校側にも事情を話してってな感じで、大忙しだったよ。オフクロにも、手間をかけさせちゃった」
「ねえ修野くん。おばさんには結局……、昨日のこと、どういう風に説明したの?」
あのあとすぐ、おばさんは気を失ってしまった。目の下にできたクマが寝不足を物語っていたし、なによりあんな化け物を目にしたんだ。緊張の糸が切れるのも無理はない。
その間、修野くんにはだいたいの説明をしたんだけれど――おばさんのほうは、そのヒマがなかった。警察への連絡とかで、岳人先生も忙しそうに立ち回ってたし。
「国沢先生の指示通り、怪物が出て来たところは、夢オチってことで納得させたよ。そうでもしなくちゃ、オフクロのことだからね。あんな化け物がいる街にこれ以上暮らせるか、とか言って、引越しの手続きをしかねない。ほとんど無理やり説得したんだけれど、オフクロが頑固な現実主義者で助かった。俺、なんだかんだでこの街が好きだから」
「でも、よかったの? ここにいたらまた、怪物に襲われるかも」
「だいじょうぶだって」
修野くんは自信たっぷりに断言して、ぼくの頭に手を乗せた。
「だって、トモや国沢がいるじゃんか」
……たっ。
頼られてる? 頼られてるの、このぼくが。
どうしよう。なんだかすごく、むずがゆいや。
「でもさ、不思議なんだよ。オフクロ、あれから少し、態度が丸くなった気がするんだ」
ゲタ箱で上履きに履き替えていたところで、修野くんは言った。
今後の学習方針について、あのあと親子で話し合ったらしい。
で、その結果、おばさんが折れるかたちになった。……あの、おばさんが、こう言ったらしい。
『いまよりもっと成績を上げてくれるのなら、友達と遊ぶこともいいでしょう』
おばさんの中で、どういう心境の変化があったのか――部外者であるぼくには、よくわからない。ひょっとすると、昨日の「夢」ってのに影響されたのかもしれない。
「にしても、おばさんの変わりようにはビックリしたよ。夏乃さんの股間を、いきなりギューって」
「ああ。ぶちきれたオフクロ、見たのか。いや、実はさ。オフクロってああ見えて、昔は暴走族の総長やってたんだよ。そうとうヤンチャしてたわけ」
え、ええ!
頭の毛が、一本残らずぶっ飛びかねないくらいの衝撃だった。
あのお母さんが、暴走族? たしかにそう言われると、あのキレっぷりにも納得がいくけど、でも、ううん、なんだかなあ。全然想像がつかないや。
「意外だろ。実はオフクロもオフクロで、子供時代に厳しく育てられたらしくてさ。それが嫌で嫌でたまらなくて、高校入ったとたん、遊び歩くようになったんだって」
だけどその生活も、長くは続かなかった。
おばさんは、バイク事故にあったらしい。そしてその結果、右肩を壊してしまった。
思い出す。修野くんの部屋にかけられてた、特攻服。右肩部分を中心に、血痕がついていた。それに考えてみれば、おばさん、いつも左手でビンタしてた気がする。壊れた右肩じゃ、思うように腕を上げられないんじゃないかな。
「で、搬送先の病院で、医者として働く親父に出会ったわけ。真面目で堅実な生き方をする親父を見て、初めて後悔したんだと。親の言うことにさえそむいてなければ、自分はここまで落ちぶれることもなかった、てさ。実際、そのあとも苦労したらしい。出席日数が足りず、就職活動にも困り果てたって、前に言ってた」
それで、息子には同じ轍を踏ませまいと……。ううん、納得できるような、できないような。
ちなみに修野くんのお父さんは、いまはドイツの大病院で働いてるそうだ。多忙で、ここ数年は家に帰ってないらしい。顔さえロクに覚えてないって、そういう意味か……。
廊下を歩きつつ、修野くんはこんなことまで話してくれた。
夏乃さんと出会った、木曜の夕暮れのできごと。
家に入るのをためらう彼の背後から、突然、声をかけてきた人がいた。
振り返ると、そこに眼帯。オレンジ色のパイン頭が、夕焼けに溶けこんでいた。
『お前さ。どうせ、家族と上手くいってないんだろ』
夏乃さんは二カッと笑い、犬歯をむき出しにして問いかける。
『どうだ? 俺に、さらわれてみる気はねえか』
――なんでだろうなあ、と修野くん。
「知らないおじさんについてっちゃいけないって、小さいころから散々言われてたんだけどさ。なんかあの人の目を見てると、そう――」
「……腹が立って腹が立って、しょうがないよね」
うわ! びっくりした。
背後からどんよりした声をかけられ、思わず心臓が大ジャンプ。
国沢さんだった。どうしたんだろ。うつむきがちな顔が、沈んだ気持ちを表している。
「国沢、どうかしたのか。顔色悪いよ」
「ああ、うん。昨日はゴメンね。うちの化けネコ男爵――間違えた。バカ兄が、誘拐沙汰だなんて」
ああ、それを気に病んでたのか。
「気にするなよ。俺自身が望んで、あの人についていったんだから」
「や、だけど、なんていうかね。あんな変人を兄に持って、恥ずかしいっていうか」
「だから、そうしょげなくていいって。兄は兄、国沢は国沢だろ。な?」
修野くんは必殺の爽やか笑顔光線を放ちながら、国沢さんの頭をポンポンとなでた。
国沢さんは歯がゆそうに、くちびるをもごもごと動かす。
「そう言ってくれると、うれしいよ」
「うんうん、その笑顔。やっぱり、国沢にしょぼくれ顔は似合わないって。しかし、破天荒な人だったよな。夏乃さん」
「あー、もう。昔からああなんだよ。兄弟で一番イジワルで、兄弟で一番、人間嫌いで」
国沢さんは大きくため息をしながら、続けた。
「だけど一番、おせっかいなの」
おせっかい。たしかに、なんだかんだで重度の世話焼きだ。見ず知らずの少年の家庭事情を気にかけ、なおかつ後輩であるぼくに戦う覚悟を問いただした。薄情そうに見えて、人と関わるのが好きなのかもしれない。
「そういや夏乃さん、なんか気になることを言ってたよな。国沢に好きな人がいるとか」
「ぶっ」
その小さな口のどこに詰まってたんだろうっていう量のつばを吐き出し、国沢さんは盛大にむせ返った。首の下まで、夕日のように真っ赤っかだ。
「す、好きな人っていうか……。ただの憧れだよ」
国沢さんはなぜか、ちらちらとぼくにアイコンタクトを取ってきた。助け舟でもほしいのかな。泥舟でよければ、力になるけど。
「叶わないってわかってるし、それ以前に『好き』っていうのとはちょっと違う」
「へえ。ひょっとして、クラスの誰かとかかい?」
「教えないっ。もー、この話題禁止! わたし正直、色恋沙汰には興味ないんだよね」
「はは、たしかにな。国沢はやっぱり、色気より食い気って感じだ」
「言ったな!」
国沢さんは小さく伸びをして、修野くんの頭をコツンとぶった。
同時に、ぼくらは教室の敷居をまたいだ。修野くんが、ゆっくりと呼吸を整える。
そうか……家出騒動を起こした手前、クラスメイトに顔を合わせづらいのか。
だいじょうぶかな。ちょっと心配だ。
「おっはよー!」
国沢さんが、愛嬌を振りまく。とたん、クラスのあちこちから声が返ってきた。自然、修野くんにも視線が集まる。
「あっ、修野。いままでどこにいたんだ」
声が浴びせられた。その先にある顔を見て、ぼくは顔の筋肉をこわばらせる。そこにいたのは、面と向かって修野くんをバカにしていた、男子の一人だった。修野くんはバツが悪そうに苦笑する。やっぱり……。すごく気を遣ってるみたいだ。
また、皮肉の一つでも言われちゃうのかな。
自然、身構えてしまう。だけれど、降ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「悪かった。お前がこんなに苦しんでたなんて、ちっとも考えてなくて。だからホント、めんご!」
彼は軽く頭をかいてから、早口で謝り、教室の隅へ駆けて行った。
えっ、と息を呑む音。それは修野くんの口から聞こえている。彼は目をいっぱいに見開き、ただただ言葉を失っていた。
国沢さんはおどけた様子で、なぜかファイティングポーズを取った。
「みんな、勉くんのことを気にかけてたんだよ。わたしだって、そう。副委員長がいないと、みんなをまとめるのだって大変大変」
修野くんは、顔を赤らめる。小さくうつむき、フッと声を落として、
「……ありがとう」
ぼくは席に着いた。窓際から二列目。ぼくの周りに、修野くんと国沢さんが立った。
「だけど、さ」
大きく伸びをしながら、修野くんが切り出す。
「ハッキリ言っちゃえば、今回の家出、ちょっと物足りなかったかな」
え? なんでそう思うんだろう。映画を見て、遊園地にも行って。それで、あんなによろこんでたのに。
「だって」
疑問の目を向けるぼくと国沢さんを交互に見比べ、恥ずかしそうにほほをかく。
「友達と行ったほうが、絶対楽しいじゃないか。映画も遊園地も」
そう言われても、ぼくはいまいちピンとこない。だっていままで、友達と遊んだ経験なんてないんだから。むしろ、他の人といっしょにいると、なんとなく気を遣っちゃう。
でも……。
心の底では、気づいていた。修野くんと話すうちに、肩の力が抜けていくのを。
国沢さんや唐田の前では、それぞれ種類の違った緊張を感じるんだけれど、修野くんに対してはそれがない。ある程度会話を重ねたいまとなっては、穏やかな気持ちで彼の顔を見ることができる。
なんだかなあ。
ある意味、一番話しやすい人っていうか……。
「俺さ、この間さ。みんなといっしょに森永さんの髪かざりを探してたとき――正直言って、かなり楽しかったんだ。めずらしく親の言うことにそむいて、遅くまで友達と協力し合ったりしてさ。なんでもないことのはずが、ついつい夢中になっちゃって――だから、その。……ああ、なんて言えばいいんだろ。うん、そう。またいつか、遊ばない? 買い物したり、映画館へ行ったりしてさ」
「もちろん!」
力いっぱい、国沢さんがうなずいた。
「トモも、な」
修野くんがぼくを見下ろす。
どうしてかな。心に、穏やかな日が差しこんだ気がして。つい、聞き返す。
「ぼ、ぼくも行っていいの?」
「当たり前じゃん。友達って、多いほうが楽しいし」
友達。
たった二文字の単語が、どうにもすっぱく、こそばゆいと感じてしまう。
「そうだっ。この際なら、ちぃちゃんと唐田くんも誘ってさ。二人のラブラブ振りを楽しもうよ」
「ああ?」っていう声を漏らしたのは、唐田だ。真横の席でうたた寝をしていた唐田は、即座に体を起こして反論した。
「かっ、冗談も休み休みにしやがれ。お前らといっしょに遊ぶくらいなら、家で梱包材つぶしにいそしんだほうが、まだ有意義だろうよ」
「とかなんとか言って、森永さんとの時間を独り占めしたい亮なのであった」
「殺す。絞め殺す。ブチ殺す」
唐田の手にあるシャーペンが、バキィって音を立ててにぎりつぶされる。怖い……。
「よし。じゃあ、決まりだな」
殺意をまとう唐田を軽やかに無視して、修野くんがグッとこぶしをにぎりしめた。
遊びかあ。唐田がいるのはちょっと不安だけれど……うん、なかなか楽しみかも。
もっとも。
そんな休みが『相談部員』にあるのかどうか、はなはだ疑問ではあるのだけど。
ん? そういえば。
「森永さん、まだ来てないみたいだね」
ぼくは周囲を見回した。もうあと少しで、ホームルームの時間になる。だっていうのに、森永さんの席は空っぽのままだ。
国沢さんが、心配そうに首をひねった。
「うん……。休みかなあ。ちぃちゃん、遅刻するような子じゃあないし。唐田くん、なにか聞いてない?」
「知らねえよ。俺はあいつの保護者じゃねえ」
「でも、お隣さん同士なんでしょ。いつもいっしょに登校してるじゃない」
「毎日そうしてるわけじゃねえ。どうせ風邪かなんかだろ。バカのくせに」
予鈴が鳴った。それと同時に、ドアが開く。ぼくらはいっせいに着席した。
「ぐっもぅにんえぶりわん! 今日もいい天気ね」
ハピラキな空気をまといながら、担任の先生がルームイン。この間まで、ゴキブリを一気飲みしたような表情をしてたのがウソみたいだ。やや空回り気味のテンションを振りまきつつ、両手を教卓の上にドン。そこで、声を急激に落とした。
「――って、いつもだったら言いたいところなんだけれど。実は今日、みんなに一つお知らせがあってね」
え?
ぼくは顔を上げ、教壇の上に視線を注いだ。
先生は、いつになく表情を引きしめている。
覇気のない声で漏らした。
「森永さんのお母さんが、昨日の深夜に亡くなったの」
というわけで第三話、「修野編」終了です。
個人的にこの第二話と三話は作者自身の欠点が浮きぼりまくっていて、機会があるなら全編に渡ってリライトしておきたい部分でもあります。
まあなにはともあれ、次は森永千尋編。彼女について、掘り下げていく予定です。




