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夜、人影に潜む  作者: 影人
第3話:見えない心と、切れない糸
27/41

3-6

「今夜零時、校舎裏にて待つ。警察には連絡するなよ。従えば、修野勉は必ず返す」

 誘拐犯はそれだけ言い残し、一方的に通話を終えた。

「だけどさ。本当、よくわからないよ」

 指示通り校舎裏まで来たところで、国沢さんが言った。

 彼女もぼくも、いまは制服を着ている。戦闘用の衣装を着ていたら、誘拐犯に怪しまれてしまうからだ。

 時計を見ると、十一時五十七分。約束の時間まで、あと三分ある。

「なんで誘拐犯は、わざわざわたしを呼び出したんだろ。こういうのって普通、保護者に電話するものじゃない。それにあいつ、身代金を一銭たりとも要求してこなかったよ」

 耳をかたむけつつ、ぼくは校舎の壁にもたれた。目の前のグラウンドを見渡す。当然だけれど、辺りはすでに真っ暗。ぼくら以外に、人の気配はない。

「ひょっとすると、向こうの目的は俺たちなのかもしれない」

「え。それって、どういうことですか」

 岳人先生は腕を組みながら、さびれた壁へ静かに背中をあずけた。

「『組織』の説明は、まだだったな」

 そしき?

「『夜』関連のことについて、全般的な管理を行う組織があるんだ。いわば国沢家のパトロンさ。破壊された校舎を修復したり、出現地周辺の交通規制をするのもそいつらの役目さ。戦闘員であるお前や明日歩は、その詳細を知る必要などないが――ともあれその組織には、敵対するグループがいくつもあってな。そいつらの内の一つが、なんらかの目的で修野勉を人質に取った。そういう推理もできる」

 組織。それに、敵。

 たしかに、言われてみればその存在にも納得がいく。付近一帯を通行止めにしたり、破壊された壁を一晩で元通りにするには、尋常じゃないくらいのお金と技術がいるはずだ。国沢家のほかにも、なにか大きなバックボーンがなければ、できることじゃない。

 あるいはただ、と岳人先生。

「俺たちに一泡吹かせようとたくらんだ、単なる大バカ野郎の愉快犯か」

 そのとき、上空に、まばゆい光が宿った。

 なんだ? ぼくらはいっせいに振りあおぐ。

 夜空に咲いた大きな花が、周囲の一番星をかき消していた。

「花火? しかもどうやら、屋上から放たれているようだが」

 火薬のはじける音。ぼうぜんとするぼくらをよそに、夏の大花たいかは二発、三発と、次々に星空を彩った。

「見て、あそこ!」

 国沢さんが、はるか真上にある屋上を指差した。

 花火に照らされるかたちで、人影が映っている。顔は、よく見えない。

 その人影が、飛び降りた。

 なっ……。

 息を呑むぼくらめがけて――両手を広げながら、人影はぐんぐん急降下していく。

 地面までたった二メートルってところで、止まった。しばらく宙をぶらんぶらんしてから、お腹に巻かれた極太のロープを、ナイフで手際よく切断する。

 そして地面に降り立ち、すっくとその足を伸ばした。

 ドン。

 火薬が上空で爆発する。花火はどうやら、これでおしまいらしい。

「おいおいおいおいおいおいおいおいおい! ちこぉぉぉぉぉぉっと登場シーンを演出したくらいで、なにをそんなにびびっちゃってんだ? はっ、さてはあれか。てめえら全員、リアクション芸人の道でも目指してんのか。パネえなあ、おい!」

 縦横無尽に乱射されるセリフが、耳をガンガン突いてくる。

 現れたのは、二十歳くらいの男の人だった。

 華奢な体で、パット見、性別を間違えそうになる。夜でも目立つ、オレンジ色の長髪。高い位置でひとくくりにし、四方八方バラバラな方向にほつれさせていた。子供のような無邪気な観察眼さえあれば、その有様をパイナップルの茎のようだとでも表現してたんじゃないかな。

 だけどその下にある表情は、凶悪そのものだった。笑みを浮かべてこそいるけれど、ネコのように見開かれた右目は、油断なくこっちをにらんでいる。そしてもう片方の目はっていうと、眼帯。眼帯には、星のマークが縫いつけられていた。

「よお――ぃ」

 軽薄そうに緩められた口元が、岳人先生のほうを向いた。

 この季節には少しむし暑そうな、長袖の背広。手袋をはめ、両耳には鈴をぶら下げている。ネコ目なせいもあってか、喉に巻きつくチョーカーが首輪に思えてならない。

 先生は、いまいましげに舌を打った。

夏乃なつの。やはりお前だったか。修野勉を誘拐したのは」

「ピンポンパンポン大ピンポーン! なんだよなんだよ、愉快痛快たる誘拐劇だってのに、身代金一つ用意してねえのか。セニョールセニョール、そりゃないぜ。てめえらの住む成金趣味の日本家屋にゃ、掃いて捨ててもまだありあまるくらいの金があふれかえってるだろうにさあ。ゴミ親父だまくらかして、万でも億でも持ってこりゃいいのによ。ったく、兄ぃよお。気の利かねえのはあいかわらずだな」

「なに、いまさら戻ってきたの? この町に」

 国沢さんが目を細め、ややケンカ腰な態度で毒づく。

 男の人は、軽薄な笑みで応じた。

「かっ。いまだ中二病が抜けきってねえだろうクソ兄様と、ゴリラに似た妹の顔を拝みに来てやったまでだ。光栄だなんて思うなよ、虫唾が走って死んじまう」

 兄様? 妹? てことは、この人って、ひょっとして。

「国沢さんたちの……ご兄弟?」

「恥ずかしながら、そういうことだ」

「残念この上ないけど、そういうこと」

「認めたくはねえが、いちおー、そうなるかねえ」

 三者三様の反応が返ってくる。岳人先生が、代表して答えた。

「国沢夏乃。俺と入れ替わりに能力者として目覚めた、国沢家の次男だよ」

 国沢さんの、お兄さん。そして、『夜』を討つ能力者。

 ……この人が?

 なんだかなあ。国沢さんや岳人先生とDNAを共通しているとは、とても思えない。

「ちっちっち。その紹介は三十点ってところだぜ、兄ぃ。俺はもう能力者でもなければ、お前ら家族の一員でもない。家を持たず情を持たない、全国行脚の風来坊さ。つうか兄ぃ。コイツなに。まさかまさか、新しい能力者じゃねえよな」

 ぼくをあごで示し、薄笑いをする男の人――夏乃さん。

「そのまさかさ」

「はあん?」

 先生の返答を受け、夏乃さんはかん高い声をあげて哄笑した。

「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい! 童貞兄貴さんよお。あんたはいつから、ジョークを解する人間になった。このウラナリビョウタンが新しい能力者だって? セニョールセニョール、そりゃないぜ。どう見たところで、こいつは村人Dって感じの面じゃねえか。ヘチマ並の戦力しか期待できそうにねえぜ、おい」

 さすがに言い返したくなった。だけれど、この人と口論しても勝てそうにない。だから、こうささやくしかなかった。

「ヘ、ヘチマでもひょうたんでもないです。ちゃんと、陽之上明日って名前があります」

「はあん、なんだって? 聞こえねえな。男だったらもっと、ハキハキしゃべれ」

 両手を耳に当て、トボけた口調の夏乃さん。国沢さんが噛みついた。

「うるさいなー、この粗悪品パイナップル。なにその眼帯。なんで星マーク? 星の瞳の少年にでもなったつもり? とにかく、早く勉くんの居場所を教えてよ」

「明日歩ちゃんよお、てめえは昔から怒りんぼうでいけねえ。そう回答を急ぐなよ。物事にはいくつかの手順が必要なんだ。キャストがそろうには、もうちょい時間がかかるみたいだしよお。ちょっくら、後輩野郎の意気ごみを拝見しようじゃねえか」

 夏乃さんは狂々(くるくる)とシニックに笑い、ぼくに指を突きつけた。挑発的な口調で、

「つうこって、よろこべナスビ面。てめえが『夜』を討つ能力者としてどれくれぇの覚悟を決めてるのか、俺様が直々にたしかめてやるよ」

 たしかめる、って……。そんな、急に言われても。

「簡単な話さ。俺とサシでバトればいい。てめえが俺の体にかすり傷一つでもつけられたなら、俺はお前らのお友達の居所を吐いてやる。逆に、この誘いを受け入れないようなら、俺はお前らになに一つとして教えない」

 それは無茶な注文だった。刀なんて、人間相手に振るえるわけがない。丸腰の彼に剣で挑んだら、大ケガをさせちゃうこともありえる。剣術に関してはド素人のぼくだけれど、扱ってるのは化け物さえ真っ二つにする刀剣。血を浴びる可能性は、ゼロじゃない。

 それになにより、怖い。人を傷つけるなんて、できるはずもない。

「いきなり出てきて、なに勝手なこと言ってるの。そんなの、だまって見過ごせるわけないでしょ。それより、どう? わたしたちがいっせいに夏お兄ちゃんをボコボコにして、無理やり情報を吐かせるってのは」

「へえ、粋な提案だな。修野勉がどうなってもいいってんなら、それでもかまわねえぜ」

「やめとけ明日歩。このバカ弟を説得するのは、馬に二足歩行を教える以上に困難だ。それくらい、お前も嫌というほど知ってるだろう」

 三兄妹の会話が、耳を筒抜けていく。

「すまない、陽之上。戦えるか」

 先生が確認を取ってきた。

 ぼくは目を閉じ、深呼吸をくり返した。

 だけれどやっぱり、刀は手元に出てこない。

 いままでは、相手がわけのわからない化け物だったから、斬ることもできた。

 でも、今度の相手は人間だ。人間に刀を向ける。そんなの、許されることじゃない。

「だいじょうぶだよ、陽之上くん。夏お兄ちゃん、いくらぶっ殺しても死なないから」

 国沢さんはそう言ってくれたけど、彼女の言葉も今回ばかりは信じきれない。

「へっへー、びびって手も足も出ないってか。そんなバンビくんにゃ、ハンデをやるぜ」

 夏乃さんは不敵に笑った。両手を広げ、決して厚くはない胸板をこっちに差し出す。

「ほれほれ、どこからでもかかってきな」

 調子よく呼ばわってくる。ぼくはただ、その場に立つことしかできない。

「こねえのか?」

 夏乃さんのネコ目が、一気に細くなる。

「なら、こっちから行くぜ」

 その突撃が、見えなかった。

 かろうじて認識できたのは、数センチ先までせまった星のマーク。そして、繰り出されたナイフの刃先。夜闇を裂き、ぼくをしとめようと向かってくる。

 ヒヤリ。

 冷たい恐怖が内蔵に落ち、たまらず右手を目の前にかざす。

 にぎったのは、黒く光る、刃。それをそのまま、ナイフを持った夏乃さんの右手にたたきつけた。とっさの防衛本能ってヤツだった。

「ぐあああ、いってえ!」

 刃先が腕に食いこみ、夏乃さんが悲鳴をあげる。

 ぼくはハッと息を詰めた。反射的に、刀を持ち上げる。

 やってしまった……。

 後悔の念がドッと押し寄せ、胸をざわつかせた。

すると、

「なあんちゃって」

 夏乃さんはペロリと舌を出し、バカをおちょくるような見下した色を瞳にたたえた。右袖にできた裂け目へ指をかける。決して安物には見えないその背広を、なんのためらいもなく引き裂いた。

 やぶれた袖の下から現れたのは、鋼。にぶい輝きを放つ、鋼鉄の義手だった。

「なっ……」

「だめだな。戦う覚悟がまるでなっちゃいねえ」

 ぼくが驚愕で呼吸を止めるのと、夏乃さんがぼくの刀に鉄拳をたたきつけるのが、同時。

「だからこうも簡単に、砕け散る」

 見る見るうちに刀はひび割れ、そして無残に無様に、砕け散った。

 そして次の瞬間、ナイフ。そのするどい切っ先が目に飛びこみ、

「陽之上くん!」

 国沢さんが飛び出しかけたところで、

 ピタリ。

 刃先は、眼前で押しとどまった。

 そして、床を伝うヘビのようにぬらりと移動し、ぼくの首筋を冷たくなでた。

「……っ」

 息を止め、呼吸をすることすら忘れ去る。ねっとりとした汗が額に浮かんだ。

「怖いか?」

 暗闇の中、夏乃さんのネコ目が明るい。星の刺繍が入った眼帯。泣きボクロ。お互いの鼻先がくっつきかねない距離から、ちりん――両耳の鈴が、鳴る。

「怖いと思うんだったら、こんな部活動やめちまいな。人間一人すら斬れない。そんな生半可な考えでやっていけるほど、化け物退治ってのは甘くない」

 言うなり、夏乃さんは左目の眼帯をはぎとった。

「戦うってのは、こういうことだ」

 えぐり取られた眼窩があらわになった。少しデコボコしたその肉肌は、暗い洞窟を連想させる。油断すると、魂まで吸いこまれてしまいそうだ。

「片目を失い、右手を失い、仲間を失い、思い出を失い――そして最後には、なにも残らない。わずかに得た希望すらも、流血によって洗い流されちまう。戦いってのはそういうもんだ。なにも得ることなく、ひたすらなにかを失い続ける」

 喉が鳴った。たまっていたつばを、飲みこんだからだ。

「『夜』と戦って救われた奴なんていない。俺も、そしてそこにいるボンクラ兄様もな」

 夏乃さんはナイフを下ろし、岳人先生に半笑いをよこした。

 そうか……。先生も、自分のパートナーを失ってるんだった。

 ぼくの兄を。

「物事を引き受ける際は、自分がどうして、なんのためにそれをやるのかってのを考えなくちゃいけねえ。でねえとそのうち、笑えなくなるぞ」

 なんのために。誰のために。どうして、戦っている。こんな怖い思いまでして。

 人に褒められたいから? 自分の居場所を、見つけ出したいから?

 いや、違う。そういう願望を達成するのに、わざわざ命を張る必要なんてない。

 じゃあ、なんのために? なんのためにぼくは、こんなことをしているっていうんだ。

「おっと。ようやくキャストが出そろったみたいだな」

 ふと、夏乃さんは真顔になった。視線を追ってみると、遠くから細い影が歩み寄ってきている。

 化粧気のない白い顔。肩口で切りそろえられた、おかっぱ頭。それらの持ち主は、立ち止まってぼくらの顔を見回した。

 とりわけ夏乃さんの顔をじろじろと観察し、

「あなた誰です。うちの勉ちゃんをどこにやったんですか」

「勉くんの……お母さん?」

 思わず声を上げた国沢さんに、おばさんは冷ややかな一瞥をよこす。

「また、あなたたちですか。なぜ、こんな時間にいるんです」

 とっさの言いわけが思いつかなかったんだろう。国沢さんは口をつぐむ。

「へへえ。こりゃまた、威勢のいいマミーじゃねえか。パネえなあ、おい」

「いいから、とっとと息子を返してください。お金ならいくらでも出します」

 両目に静かな迫力をこめ、夏乃さんとの距離を詰めていくおばさん。空気を裂きながら前進しつつ、鉄の右手へ不可解そうに目を落とした。

「へへ、まあそう生き急ぐなよ。金なんて、実はそこまでほしくもねえんだ。まあ、なんつうの? 今回の誘拐は、単に俺の気まぐれなんだよ」

 気まぐれ。

 たったそれだけの理由で……夏乃さんは、子供一人を誘拐したっていうのか。

「ほら。恵まれない子供に愛の手をってヤツ? 幸薄そうな顔した坊やが一人、自分の家の前で立ちつくしてたもんだからよ。俺が話を聞いて、『保護』してやったんだ」

「なに言ってるんです? 意味がわからないし、話にもなりません」

 バキバキと、おばさんのこぶしが鳴った。眉間に、激しいシワが刻まれる。

 夏乃さんのチェシャネコめいた笑みは、揺るぎない。

「いきり立つなよ、クソババア。そんなんだから、愛する息子に家出されるんだぜ」

 瞬間――おばさんが、劇的に反応した。

 一瞬で夏乃さんのふところまで近づき、そして、

「あんだるっしゃあ!」

 彼の股間を思いきりにぎりしめ。

「ほふぅ!」

 さすがの夏乃さんも悶絶し、

「うおおおおおお、俺の股間でビッグバンが! 宇宙誕生の瞬間!」

 お股を両手で押さえながら、コンクリートの上を転がり回る。

 そんな誘拐犯の醜態めがけて、つばを吐きかけるおばさん。クールな雰囲気はどこ吹く風。眉をいからせ、くちびるをこれでもかってくらいにひん曲げている。

「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、やかましいんだよ! 金玉みじん切りにすっぞコラ」

 あまりと言えばあまりの豹変振りに、ぼく、国沢さん、岳人先生、

 ぽかぁん。口をまん丸に開く。

 え、ええと。目の前で怒り狂っているこの方は、いったいどこのどなたでしょうか?

「御託はいいから、さっさと息子を出せっつってんだよ、この眼球お星様野郎が! パイナップルみてえなその頭、むしって酢豚に浸しこむぞ」

 夏乃さんの胸倉をつかみ、おばさんはまくし立てた。さっきまでとは、まるで別人だ。

 ひょっとして、多重人格? なわけないよね。マンガやライトノベルじゃあるまいし。

「ま、まっ。落ち着けよ、おばさん。少し頭を冷やして、待っててくれ」

 夏乃さんは猛獣から逃げる子ウサギのような敏捷さであとずさりし、ケータイを取り出した。その顔には、笑みが戻っている。

「たぶん、そろそろ来るころだろうからよ」

「来る? いったい、なにが来ると言うのです」

 おばさんは表情を、再び氷点下まで落としこんだ。

 そのときだった。夜の帳の向こうから、軽快な足音がこだました。

「おおい、夏乃さん。すごく楽しかったよ。ありがとう」

 小走りで駆けてきたのは、ぼくと同年代くらいの男の子だった。茶色いおかっぱ頭で、黒縁のメガネをかけている。

 誰だ? ぼくは目を細め、その男の子をじっと見た。

 男の子が、自分の髪の毛を乱暴に引っ張った。はぎ取られた茶髪の下から、豊かな黒髪が現れる。同時にメガネも取った。顔の雰囲気が一変する。きれいに配置された目と鼻のパーツが、その子が修野勉くんだってことを証明していた。

「えっ」

「ど、どういうこと?」

 ぼくと国沢さんは顔を見合わせ、いっしょのタイミングで口に手を当てた。

「って、おお? なんで国沢たちやオフクロまで、こんな所にいるんだ」

 驚愕するぼくらへ、無邪気に手を振る修野くん。

 その顔は、どこまでも晴れやかだ。誘拐の被害者とはとても思えない。こんなにうれしそうな修野くんの顔を、ぼくは見たことがなかった。

 夏乃さんが、勝ち誇ったように鼻を鳴らす。

「おいおい。なんて顔をしてんだ、てめえら。言わなかったか? 俺はこいつを誘い、あずかり、そして自由気ままに遊ばせてやっただけだ。でもそれだけじゃつまらねえ。そう思ってたらよお。なんかこのガキ、俺の妹の同級生だっていうじゃねえか。だからサプライズとして一芝居うって、家族へ顔見せしたのさ。だのに邪険に扱われ、あまつさえ金玉をつぶされそうになるとはよお。お前ら悪人どもは、人に優しくって言葉を知らねえのか」

 いけしゃあしゃあとのたまうパイナップル頭には目もくれず、おばさんは修野くんの元へ駆け寄った。その肩をつかんで、問い詰める。

「勉ちゃん。あなた、いままでどこへ……」

 ピカピカの一等星が押しこめられた瞳を、修野くんは惜しげもなく見開いた。

「そこの人にお金を借りて、あちこち遊びに出かけてたんだ。遊園地に行ったり、映画館へも出向いて。格安ホテルにも泊まったりしちゃってさ。本当、すっごい楽しか――」

 ばしん。

 張り手が飛んだ。修野くんの右ほほを、直撃する。

「どれだけ心配したと思ってるの。親の心をなんだと考えているわけ!」

 おばさんは、歯を食いしばっていた。目だけでなく、鼻の下も赤くしている。鬼のような、般若のような、人の顔。普段浮かべる、氷のような無表情とは正反対な、血の通った、人間らしい怒りの表情をしていた。

 尻もちをつく修野くん。激しい剣幕で怒鳴るお母さんを見上げながら、あっけに取られた顔でほほを押さえている。

 国沢さんが駆け寄ろうとしたけれど、岳人先生が無言でとどめた。

「俺はただ、周りのみんなと同じようなことをして、遊びたかっただけだ」

 修野くんは下を向いたまま、立ち上がった。その声には、揺らめきがある。

「子供みたいな駄々をこねないで」

 おばさんはピシャリと言い放った。

「わたしは、あなたが遊んでいたことに怒っているんじゃないの。あなたがだまっていなくなったから、こうして声を荒げているのよ」

「じゃあ、前もって連絡をしていたら、許可してくれたのか?」

 目を伏せ、首を横に振るおばさん。

「ま、そりゃそうだよな」

 修野くんはあきらめ口調で言った。

「俺、もう帰りたくないよ。勉強でしか自分の存在価値を見出せない生活なんて、嫌なんだ。オフクロは成績のことばかり口にして、俺自身を見ようとしない」

 修野くん……。

 ぼくは、なんて言葉をかけていいのかわからない。

 そのとき、くぐもった声が飛んだ。夏乃さんが目元を押さえ、忍び笑いしている。

「かっ。パネえなあ、おばさんよお。ここまで息子に嫌われてるとは。言っておくけどよお。こいつは自分の意思で、俺に誘拐されることを選んだのさ。付近の学校に不審者勧告されたことすらある、怪しい怪しいお兄さんにだぜ。そんな奴にさらわれちまうほうがいっそマシだって思えるくらいに、この秀才くんは追いこまれていた」

「部外者が、口をはさまないでくれますか」

 けわしい表情で反論するおばさんを、夏乃さんはあからさまに無視した。

「さっき駆け寄ってきたときの顔、見たか? すげえ笑顔だったろ。あんたさ。息子のあんな笑顔、ここ数年で見た記憶ある? やっこさん、まるで子供みたいな顔で笑いやがるんだぜ。映画見て、遊園地行って。たったそれだけのことでよ」

「それがどうしたというのです。努力と怠惰を天秤にかけた場合、どちらがより重要性を持ってくるかは至極明白です。くだらない友達とばかり遊んで勉学をおろそかにしていれば、どう転んだところでろくな大人にはなりません。幸せになるためには、ここで苦しむべきです」

 夏乃さんは口をつぐんだ。ややあって、あきれ混じりに嘆息した。

「そうかい」

 ぼりぼりと、鋼鉄の右手で頭をかいた。

「どうやらあんたにゃ、なにを言っても無駄みたいだ。せっかく俺が、ガラにもなく親切心を働かせてやったっていうのによお。あーあ。なんか、興もすっかり冷めちまった――つうこって、俺は退散させてもらうぜ」

「よい子は寝る時間なのだ」って大あくびしながら、彼は校舎の壁に沿って歩き出した。

 国沢さんが、背後からその左袖をつかむ。

「また、旅に出る気?」

「ああん? んだよ、文句あっか」

「文句あっか、じゃないでしょ。なんでわざわざ、誘拐なんてリスクの高いことをやらかしたの。知ってる? 誘拐事件の検挙率って、九割七分。夏お兄ちゃんなんかあっという間に捕まって、過去の経歴洗いざらいにされちゃうんだから。ガム八枚、大福六つ、梅じんたん百二十六個! 全部、わたしから奪い取ったじゃない」

「うっせ。過去を振り返らずに生きていくのが、俺の流儀なんだよ。まあそう心配してくれんな。こちとらサツにかがれねえよう、いろいろ手を回してんだ。たまにゃー、こういうスリリングなこともしとかねえとな。退屈するくらいなら、死んだほうがマシだろ」

 軽く腕を振り、妹の手を払う夏乃さん。振り返らないまま、ひらりと片手を上げる。

「じゃあな。てめえが態度だけじゃなく体までしっかり生意気にしてくれたら、一回くらいは拝みに来てやるよ。思春期らしく恋の一つでもして、女らしさを磨きやがれ。恋をすると女は変わるって言うし――ああ、お前はとっくにしちゃってんだっけか」

 え、ええっ、恋?

 あの、国沢さんが?

 ぼくは星空をあおぎ、隕石が落ちてこないか確認する。困ったな……。明日は、きっと大雪だ。

「ば、バカじゃないの! わたし、好きな人なんて」

 国沢さんはせわしなく視線を動かした。ときどき、こっちを振り返っている。その顔が、ちょっぴり赤い。

 まさか、ぼく? 国沢さんの好きな人って。

 いや、そんなわけないよな。ぼくのそばには、修野くんもいる。彼のほうを見てたのかもしれない。修野くんは美形で文武両道、おまけに国沢さんとも馬があう。可能性としては、ぼくより断然上だ。彼女が恋をしていて、しかもその相手がぼくだとしたら、きっと隕石衝突を発端とした最終戦争ハルマゲドンにより人類が死滅するだろう。

「もういいっ。とっととどっかへ行っちゃえ、お化けパイナップル!」

 国沢さんは、去っていく背中へ罵声を浴びせた。

「夏乃」

 壁にもたれた岳人先生が、通り過ぎようとする夏乃さんを呼び止める。

「あまりこれ以上、よそ様に迷惑をかけるなよ」

 わーってるよ、と、上げた片手をひらひらさせる夏乃さん。

「てめえはてめえで、背中の魔物に食われねえよう、気をつけるこった」

 彼はそれだけ言って、夜の帳の向こうへ帰っていった。

「待ちなさい。あなたにはまだ、聞かなければいけないことがたくさんあります」

 おばさんが声を張り上げるけど、もう遅い。夏乃さんの姿は、跡形もなく消えている。

 にしても……背中の魔物? 先生の背中のアザは、やっぱりただのアザじゃないってことかな。

「先生。背中の魔物って、どういう意味ですか」

 ぼくは聞いた。先生は沈黙したまま、腕を組んでいる。

 そのとき――

 また、張り手の音がした。

「どういうこと? 家に帰らないって。なぜ、そんな寝ぼけたことを言うの」

 おばさんが、冷静さの中にわずかな熱をこめた様子で、言う。

「……もう嫌なんだよ」

 修野くんはつま先を見つめたまま、ぶたれて赤くなった右ほほを押さえた。

「俺は、オフクロの人形じゃない。やりたいことは自分で決める。付きあう友達だって、自分の意思で選びたい。俺はもう、オフクロの思い通りには動かない」

「そんなことを言う子は、うちの子じゃありません」

 一切のためらいも持たずに放たれたその言葉に、修野くんは顔を上げ、苦しそうな表情をいっそう強くした。

 それを見た瞬間に流れてきた感情の名前を、ぼくは知らない。いつもより温度の高く感じられるつばが、喉をゆるやかに刺激する。

 国沢さんが歯を食いしばり、ぎゅっと両手をにぎりこんだ。ぼくは手元を見なかった。きっと彼女と同じく、強くこぶしをにぎりしめていただろうから。

 修野くんはいらだちを混ぜた口調で、続けた。

「少しは、俺の気持ちもわかってよ。クラスメイトからの誘いを断り続ける気持ちをさ。付き合いの悪い奴だって思われたくなくて、せいいっぱい愛想だけはよくしてさ。それでもどっか、周りとの間に壁を感じちゃって……。せめて友達との長電話とか、帰り道での買い食いとか、それくらいはさせてよ」

 再び、張り手。でも、すんでのところで、

「おいっ」

 岳人先生が声を上げた。

 だけれどそれは、おばさんを呼び止めようと発した声じゃあなかった。

「まずいことになったぞ。急速に大きくなっている」

 なにが? なんて質問はしなかった。三回も戦ってれば、だいたいの察しはつく。

 全身を、緊張が駆け抜けた。冷や汗が――ほほを伝って、地面に、

「喫緊事項だ。抜け、お前たち。奴が来る!」

 咆哮。

 瞬間、影、ゆらりと揺らめく。

「なっ……」

 修野親子が絶句した。

 修野くんの影から、ぼこぼこと飛び出すその足、八本。それらに囲まれる形で、丸い胴体が現れた。黒い。だけど背中に描かれた、砂時計型のペイントだけが、赤い。

 クモ。縦の長さが二メートルはある、大グモ。

 だけれどコイツをクモと呼んでいいのかどうか、ぼくはちょっと疑問に思う。なにせ胴体から生え出たそいつの頭は、人の顔にそっくりだったからだ。少し歳を重ねた、女の人の顔だ。違いがあるとすれば、その両ほほから、クワのように折れ曲がったアゴが突き出ていることくらい。

 でもよく見ると、それだけじゃなかった。胴体のうしろ。本来ならお尻に相当する部分からも、顔が突き出している。女のものよりやや小ぶりな、幼い男の子の顔。前後に取り付けられた二つの顔は、どちらも意地が悪そうにニタニタしている。

「こ、これっていったい……」

 修野くんは口を開け、その場で棒立ちしている。

「勉ちゃん、下がって!」

 おばさんが、修野くんの前におどり出た。クモが彼女めがけて、恐ろしい速度で前進する。いや――後退か? お尻の部分を、つまりは男の子の顔を前にして進んでいる。

 危ない! 思わず目を閉じかけたところで、

 かけ声。国沢さんが割りこんだ。ガキンって音がして、ぼくは思わず彼女の名前を叫びそうになった。ここからだとクモの体が邪魔で、彼女の姿が見えない。たぶん国沢さんは、クモのアゴを刀身で受け止めたんだろう。

「明日歩!」

 岳人先生が、国沢さんたちのもとに走り寄る。

 ぼくはようやく刀を抜いた。黒刃こくじんを振りかぶって一足飛びに駆け、女の顔めがけて下ろす。だけど、弾かれた。女の口から突き出た赤いムチみたいなのが、刀を遠くへ吹っ飛ばした。

 頭が真っ白になりかけたけど、ボーッとしてたら危ない。転がる刀めがけ、疾走する。

にしても……いまの赤いの、なんだ? まさか、糸? 束になった、真っ赤な糸。とても固く結束していた。

「早く逃げてっ」

 クモの向こうから、国沢さんが叫んだ。修野くんらに呼びかけてるんだろうけど、彼らが動く様子はない。

 おばさんが声を上げた。その声は、少し震えている。

「国沢明日歩さん。あなたがわたしをかばうことに、なんの意味があるのですか」

 それに対して、国沢さんは答えた。一言一句に、力んでいるのが感じられる。

「意味? そんなの、どうだっていいですよ。わたしは、わたしが守りたいから守ってるんです。目の前の誰かを見殺しにする、そんな自分が嫌だから」

 胸が騒いだ。

 なんのために。誰のために。どうして、戦っている。そんなの、もうわかりきっていたことじゃないか。

 ぼくは、ヒーローにはなれない。だから国沢さんみたく、誰も彼をも救い出すなんて芸当はできない。

 だけれどこの間、自分自身に誓ったんだ。逃げないって。

 目の前の誰かを見捨てない。いま自分ができる、せいいっぱいのことをやる。

 糸束がムチのようにしなり、ぼくの体をたたきつけようとする。反射的に、刀で打ち返した。

 くそっ。ここからじゃ、うかつに近づけもしない!

 なにかないのかと、壁に寄りかかろうとしたところで、肩に硬い物が触れる。

 これは……ロープ? 夏乃さんが飛び降りに使った、太めのロープだ。

 ――そうだ、これを使えば。

 また、赤いムチが襲いかかる。ぼくは壁を蹴り、振り子の要領でロープを揺らした。つまりは、ツタで移動するターザンだ。

 もう一発! 

 前に大きく揺れ動いたところで、今度は敵の体を蹴飛ばした。同時に、ロープから手を離す。ぼくは高々と宙を舞い、クモの背中に降り立った。

 おどろいて、振り落とそうとする『夜』。そうはされまいと、敵の体へ必死にしがみついた。

 この位置なら、攻撃を喰らわずにすむ!

「なあ、オフクロ。わかった?」

 真下で、修野くんのくぐもった声がした。

 ぼくは片膝をつき、両手で刀をにぎりしめる。

「俺、こんなに大事な友達ができたんだ。自分の命を投げうってまで、俺を守ってくれる友達がさ。だからもう、みんなのこと、表面だけで判断しないでくれないかな」

 暴れる敵の背中へ、刃を深く突きたてた。

「俺の友達は、くだらなくなんかない」


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