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ぼくの通う高校の裏には、山がそびえている。標高は、ざっと五百メートルくらい。山の中腹には、古ぼけた寺がある。ここで名前を言ってもしょうがない。木造のあちこちが傷んでいて、あまり人が住んでいるようには見えない所だ。
だけどなにを隠そう、ぼくの実家でもある。
六月に入って、三度目の日曜日。夕方、国沢邸でのトレーニングを終えたぼくは、いったん家に戻ることにした。稽古を終えて汗だくになったので、着替えがてらシャワーでもって考えたんだ。
歴史を感じさせる古寺なのに、浴槽は最新式のユニットバス。その落差に改めてあきれつつ、蛇口をひねった。降りかかってくるお湯を、頭から浴びる。
ふと見ると、腕や肩、足に無数のアザができていた。稽古でつけた努力の勲章なんだけれど、あらためて見るとかなり多い。
そのことを誇らしく思うのと同時に、情けないとも感じる。
鏡を見た。やせた少年が映っている。骨ばった肩肘。薄い胸板。少しも、強くなったとは思えない。
いくつアザを重ねれば、たどり着けるんだろう。兄や、国沢さんの背中には。
……いまは、こんなことを考えている場合じゃないんだけれど。
修野くん。
姿をくらまして、もう三日が経つ。警察も、まだ消息をつかめていないらしい。
ぼくなんかが彼の安否を心配したところでなんの役にも立たないんだけれど、この件に並々ならない関心を抱いている人がいる。岳人先生だ。
先生はどうやら、修野くんの影に『夜』が潜んでいないかって危惧してるみたいだ。家出した子供の影ってのは、『夜』にとってこれ以上ないくらいの栄養源らしい。
だからこのあと保健室で、修野くんの行方を探るための会議を開くことになっている。そのためにも、あまり長風呂はできない。制服に着替え、髪をかわかす。
玄関に立ったところで、
「またバイトなの? トモくん」
背後から、母さんが声をかけてきた。
両親は、ぼくが怪物と戦っていることを知らない。ぼくは相談部の活動内容を隠し、夜間のアルバイトに就いたっていうウソを通していた。
「夕飯くらい食べていきなさいよ。今日は父の日よ」
父の日。そうだった。ぼくの家では父の日に、家族そろってステーキを食べるのが恒例になっている。お坊さんのくせに肉が大好物だなんて、父さん、一昔前ならとんだ破戒僧だよ。
でも、家族そろって団欒、か……。思えばそんな光景、ここ最近とんとごぶさただ。なにせ夜は毎日、学校で待機だからなあ。
「気持ちはうれしいんだけど、ごめん。もう行かなくちゃ」
「そう。お父さん、最近トモくんと話す機会が減って、さびしがってたよ」
それはまあ、そうだろうなあ。特に平日は、朝しか家にいない。親と会話する時間なんて、ほとんどなかった。
「だいじょうぶ? なんかこのごろ、やけに疲れてるんじゃない。それに最近、アザばかり作ってくるじゃない」
母さんは、アザの付いたぼくの腕へ目を落とした。
「ひょっとして、また誰かにいじめられてるとか」
切実さに満ちた声を聞き、胸がきゅっと痛む。
「ううん、だいじょうぶ。なんでもないから、気にしないで」
「それならそれで、いいんだけど……。でもね、子供が毎日のようにアザを増やしていったら、普通の親は気にするよ。そういう親の気持ちも、わかってほしいな」
首を回し、母さんの様子を見た。小柄で、ろうそくのように細白い全身。血管の浮き出た手の甲や、皿洗いで厚くなった指先を見るたびに、苦労かけてるんだなって思う。
「心配なのよ。お兄ちゃんに続いて、トモくんまでいなくなっちゃったら……。そう考えるだけで、すごく不安になる」
ぼくには、そんな母さんの気持ちなんてわからない。子供を持ったことのないぼくが、親の気持ちを勝手に推測するなんて、おこがましいことだと思う。
数年前、母さんは仕事を放り出して兄を捜索し、ついには過労で倒れてしまった。わが家の墓石に兄の名前が彫られているのは、そのことが関係している。
体を壊した母さんを心配し、父さんは墓石に兄の名を刻んだ。兄を死亡扱いすることで、捜索に区切りを打とうとしたんだ。
だけれど母さんは、そしてきっと父さんも、本心では兄の生存を信じている。
兄がすでに死んでいることを知るぼくとしては、複雑な心境だ。
「母さん」
思いついたことを、そのまま口にする。
「もしさ。もしも、だよ。ぼくがある日突然、兄貴みたいに消えちゃったらさ。そのときは、親としてどういう気持ちになるの」
すると母さんは、ひとかけらの冗談も感じさせない表情で、答えた。
「世界が終わった、って感じるわ」




