3-1
ばんっ。
教卓に、白い両手がたたきつけられた。
「おたくらは、いったいどういう教育をされているのですか」
「え、えーと、その? どういう、というのは、あの。……どういう意味ですか?」
あわてふためく担任の先生を、女の人が教壇から見下ろす。
「この間の中間テスト。うちの勉ちゃんは七位でした。言っておきますが、この子はいままで、テストの順位で三位以下を取ったことなどないのですよ。それがいきなり、七位。進学校ならともかく、特筆すべき点などなにもない、こんな田舎の高校で。これはあなたがたの教育姿勢に問題があると、言わざるをえないでしょう」
「オフクロ。たんま、たんま。やめてくれよ、みんなの前で!」
修野くんはいまにも火がつきそうなくらい、顔をほてらせていた。だけど女の人は、そんな息子にかまう様子もない。
「あの。勉くんのお母さん、ですよね」
国沢さんが、やや声色に厳しさをこめつつ質問した。自分より頭一つ分以上も大きい相手に対し、よどみない視線を送っている。
「ええ、そうです。そういうあなたは、出席番号二十八番、国沢明日歩さんですね」
「……! わたしを、知ってるんですか」
「このクラスにいる人の情報は、おおよそ頭にたたきこんであります。誰が勉ちゃんの友達としてふさわしいか、親であるわたしには判定する権利がありますので。あなたの成績は、全学年中、十二番。……合格です」
ロボットを連想させる淡々とした声を発しながら、女の人はメガネをずり上げた。
「いまの、本気で言ってるんですか。友達は、親に決めてもらうものじゃないでしょ」
国沢さんはムッとした表情で切り返した。彼女にとってみれば、これはそうとう面白くないことのようだ。
「友達は、自分を向上させてくれる人のみを選ぶべきです。不出来な友達とお付き合いして、希望通りの道を歩めなかったら悔しいでしょう?」
「だから、いい加減にしてくれって」
しびれを切らした修野くんが、声を荒げた。だけど、
「だまりなさい」
冷たい一言で一蹴される。
「勉ちゃん。わたしが今日ここへ来たのは、あなたのためを思ってのことなのよ。あなたは本来、ここよりもずっとレベルの高い学校へ行くべきだった。入試当日に熱を出しさえしなかったら、あなたは輝かしい学歴を手にしていたの。それを取り戻すためにも、せめてここで一番になって、いい大学に進んでもらわなくちゃ困るのよ――それなのに」
女の人は視線を滑らかに移動させ、担任の先生をねめつけた。
「七位とは、どういうことです。これでは大学入試の際、大きなマイナス点になってしまうではないですか。どうしてくれるんです?」
「は、はい! どうしましょう」
先生、肩を震わせ、硬直した。
「期末テストの際は、誰か優秀な先生を一人、勉ちゃんにつけてください。高い学費を払っているのですから、それくらいは当然でしょう」
「ちょっと、ちょっと。さっきから聞いてれば、なに言ってるんですか。そんな特別扱い、いくらなんでもやりすぎでしょ」
再び噛みついた国沢さんに、女の人はクールな一瞥をよこす。
「礼儀のなっていない人ですね。親の顔が見てみたいです。これではテストの結果がよくても、勉ちゃんの友達にはふさわしくないと言わざるをえないでしょう」
散々に言い捨ててから、修野くんの腕をつかんだ。
「もういいです。こんな学校、一秒たりとも長居できません。さあ、勉ちゃん。早く帰って勉強しましょう」
むりやり彼の腕を引っ張り、連れて帰ろうとする。だけど当の修野くんは、その場から動こうとしない。
「俺は、オフクロといっしょにいたくない」
つま先を見つめつつ、消え入りそうな声でつぶやく。
すると、かわいた音がして、クラスの何人かが肩を震わせた。もちろん、ぼくもだ。
誰もが教壇上に目を奪われた。修野くんが腫れた右ほほを押さえ、くちびるを横一文字に広げている。その真向かいで、女の人が平手を振り上げていた。
「そんなことを言う子は、うちの子じゃありません」
言って、強引に修野くんを連れ出した。間髪入れず、前扉がピシャッとしまる。
「な、なんなんだ? 今日はホントにさあ」
誰かがア然とした声を放った。
「つうか勉の母ちゃん、こえーのな」
「ああ。重度の親バカってヤツ? 勉ってひょっとして、マザコンなのかもな」
「わっ、嫌やなあソレ。イメージくずれるわあ」
爽やか優等生の思わぬ家庭事情に、ぼくらは少なからずショックを受けていた。
「ボイコットの次はクレーム……。ああ、もうわたし、明日から職員室にイスないかも」
頭を押さえつつ、膝からくずれ落ちる先生。
意気消沈とした教室の中で、一人、気を吐いているのが国沢さんだ。
「もう、アッタマきた! 面と向かって、とっちめてやる」
結局そのまま、クラス一同、流れにまかせて解散。
カバンをかついで出て行くクラスメイトたちをよけながら、国沢さんがこっちに近寄ってきた。
「ちょっと勉くん家に行ってくる。あのお母さんに、ガツンと言ってやらなくちゃ」
場所はわかるの? って聞くと、彼女は得意そうにケータイの画面を突きつけてきた。
「ほら、アドレス帳。勉くん、自分の住所とかも書いてるから」
なるほど。この住所だと、ここからそう遠くはない。
「ぼくも、行っていいかな」
そんな言葉が、自然と喉の奥からまろび出ていた。
自分でも、おどろく。
国沢さんは、
「大歓迎、だよ」
花にたとえるなら、文句なしの満開って呼べる笑み。ぼくの勘違いでないのなら、どこかうれしそうですらあった。
そんなわけで保健室へ行き、岳人先生にことのあらましを説明する。
「わかった。そういうことなら、行ってこい。留守中のことなら心配するな。悩み相談の一つや二つなら、対処も利く」
なにやら難しいことが書かれた書類に目を通しながら、先生はそう言った。
イスに座ってるように見えるけれど、実はそうじゃない。お尻の下にはなにもなかった。いわゆる、空気イスってヤツだ。
先生は、普段どおりの涼しい顔。けれど、両足はプルプル震えていた。
う、うーん。トレーニングにしちゃ、やりすぎじゃないかな……。
「ただし」
ベッドの上に腰かけるぼくらを、先生は静かな迫力をたたえた目つきでにらんだ。
「修野勉の心に触れるような失態は絶対に犯さないこと。部員自身が生徒の傷口を広げるなんて、話にならないからな」
「もう、わかってるよ。実の妹を信用してないの」
「お前はいつでも危なっかしいんだよ。それと、門限は十八時だからな」
まるで子供を注意するお母さんみたいなセリフだ。
ともあれそんな岳人先生の了承を得て、ぼくと国沢さんは修野くんの家へ急いだ。
目的地まで、軽くジョギング。国沢さんは、あいかわらず元気だ。森永さんのカバンもかかえてるっていうのに、息一つ乱れてない。
市内でも有数の高級住宅街に入ったところで、彼女はこんな質問をぶつけてきた。
「陽之上くんのお母さんは、どんな人なの」
「どうって言われると、うーん。まあ、特に厳しくはないかな。勉強は一日に三時間って約束だけれど、やぶってもあんまり怒られないし」
母さんだって、イチイチぼくばかりには構ってられないんだろう。きっといまでも頭の中で、行方不明の長男を探し続けているのだから。
「そういや、国沢さんの両親は? ぼく、一回も会ってないけど」
「二人とも、めったに帰ってこないんだ。お手伝いさんたちが親代わりみたいなもん」
へえ……。お金持ちの家庭事情は、複雑だなあ。
「その代わり、お兄ちゃんズの中に一人、すんごいイジワルなのがいてね。ちっちゃいころはよくおやつ取られてた。大福六つ、ガム八枚、梅仁丹が百二十六個。あとは……」
「く、国沢さん。目が血走ってるよ……」
それにしても、「兄」か。そういえば。
「ねえ国沢さん。岳人先生の背中についてるアザって、いったい――」
「よし、ここだね」
さえぎられ、またもや聞くタイミングを逃しちゃった。
顔を上げてみると、目の前に、三階建ての立派な一軒家。黒塗りの門が、上品な光沢を放っている。その向こうに構えられた、洋風建築。高く作られた塀の向こうには、芝生の生えた開放的な庭が垣間見えた。
大きい。リッチで立派な雰囲気に、否が応でも目を丸めてしまう(もともと、人の目って丸いだろうけど)。修野くんの家を見ただけでこの有様なのだから、おそらくケタ違いの大きさを誇るだろう国沢さんの実家を目の当たりにした日には、思わずポカンと開けた口からなにか変な液をしたたらせること確実だ。
表札には、「修野」っていう文字。ぼくらは門の脇にあるインターホンを押した。しばらくして、声がする。ラッキーなことに、修野くんだった。
『うおうっ』
悲鳴といっしょに、声が引っこむ。
続いて玄関のドアが開き、中から修野くん本人が出てきた。
「ごきげんよう! いったい急にどうしたんだ。ひょっとして、遊びにきてくれたの?」
満面の笑みを向けられると、教室で起きた一連のやり取りがウソのように思えてくる。
「まあ、用件は中でゆっくり説明してよ。さ、上がった上がった」
お言葉に甘えて、ぼくらは彼の家にお邪魔した。
脱いだ靴を恐る恐るそろえ、肩をすぼめながら玄関を通過――エレベーター! お金持ちの家には、こんな物まであるんだ……。
「勉くん、勝手に押しかけちゃってゴメンね」
「いやいや、きみらはちょうどいいときに来たよ。オフクロ、いま出かけてるんだ」
国沢さんは複雑そうな顔をした。
「そっか……まあいっか。じゃあゴメン、ちょっと、勉くんの勉強部屋を見せてもらってもいいかな」
「ん? べつにいいよ。特に面白みもない部屋だけれど」
階段を上がり、二階へ。たどり着いた部屋で、ぼくはその異様な光景に圧倒された。
「……うわっ」
壁一面に、表彰状が張りめぐらされている。それこそ、一ミリの隙間もない。
勉強机の上には、ビジネスマンが使いそうなノートパソコン。それに、ノートと筆記具。奥のほうには、鈍器にでも使えるだろう分厚さをほこる多種多様な辞書類が、きれいに並べられていた。
天井に届くほど背の高い本棚たちが、周りを取り囲んでいる。その数、五つ。納められてるのは、難しそうな本ばかりだ。難読漢字が大量に記された背表紙群は、見ていて威圧感すら覚える。マンガや雑誌なんて物は、一冊も見当たらない。
どの本棚も、まんべんなく本が敷き詰められている。だっていうのに、床にはあまった本が何百と積まれていた。『仏説全集』や『経済学大全』なんて書かれた表紙がそこかしこにあって、ほとんど床板が見えないくらいだ。高度成長期の鉄筋ビル群を思わせる本のタワーたちは、そのどれもが腰の高さくらいまで積み上げられていた。
ベッドはなかった。寝室は別にあるみたいだ。こんな部屋で寝ちゃったら、夢の中でも勉強に追われちゃうかもしれない。
壁に貼られた賞状。床を覆いつくす本たち。たった五畳半くらいの室内にすさまじい量の情報が集約されていて、見ているだけで活字酔いを起こしそうになる。
空気を「硬い」と感じたのは初めてだった。落ち着いた雰囲気を漂わせるこの家の中で、ここだけが明らかに異質だ。まるで、別次元に迷いこんだような感覚におちいる。なんだかなあ。この部屋からは、娯楽っていう名の要素が一つたりとも見つからない。
おもちゃも、ゲームも、ポスターも。写真も、小説も、シールやストラップでさえ。
ない。
見渡す限り、どこにも。
「見苦しい部屋だろ。こんな所で一日、八時間も勉強させられるんだぜ」
八時間! 休日ならまだしも、平日に八時間は、きつい。
修野くんは一足早く部屋に入り、片手を伸ばしてぼくらをエスコートした。
「どわお、すごい生活してんだね。……むっ。あれ、なに」
ふと国沢さんが、窓際に置かれた物を指差した。
右半分が派手に砕けた、バイク用のヘルメット。その真上には、「苦霊示威」って書かれた特攻服がつり下がってる。その右肩部分には、赤黒い血の跡がついていた。ぼくは息を詰まらせる。真面目な雰囲気を放つ部屋の中で、この二つはどう見ても浮いていた。
「ああ、あれね。オフクロが置いたんだ。こんな人間にならないように、て教訓らしい」
じゃあ、これを着てたのって、ひょっとして……。
ぼくは、質問する。
「修野くん。きみのお父さんは?」
すると彼は、さびしそうに微笑んだ。
「いまはいない。顔さえ、ろくに覚えてないよ」
そうか……。だからあのお母さんは、あんなにも息子に厳しいんだ。わが子には、お父さんみたいに荒れた道をたどってほしくはないんだろう。
「道をあやまたず、レールに沿った人生を歩むのが一番いいって、オフクロは思ってる。勉強をしなければ人生損だ、って。だけど俺から言わせれば、遊べもせずにひたすらレールをなぞり続ける人生のほうが、ずっとずっと損してるよ」
明るく、だけどうつろな口調でつぶやく修野くんを、ぼくと国沢さんはだまってながめた。
「このまま勉強して、大学行って、いい会社に入って。それで、他人を蹴落とそうとがんばるのかな」
彼を宿主にして、新たな『夜』が育つんじゃないか? ――不安が、心の中に芽生える。それとも見えないだけで、もう育ち始めてるのかもしれない。
「やだなあ。もっと遊びたいよ」
修野くんはアイロニカルに微笑し、
「面白い奴らの面白いところを、もっと見ていたい」
ため息。
やりたいこともやれない。言いたいことも言えない。
そんな人生、なんのためにあるんだ……?
「部活のほうも、ちっとも顔出せてないし。クラスのみんなにも、迷惑かけたなあ。本当、あんな親を持って、恥ずかしいっていうか」
「そんな! 気にする必要はないよ。親は親。勉くんは勉くんっ。クラスのみんなも、それくらいはわかってくれるよ」
なぜか胸の前でファイティングポーズを取りながら、国沢さんは息巻く。
「ん、そうだね。さんきゅ」
修野くんは微苦笑をたたえたまま、お礼を言った。
そのとき、
「なにをしているのですか? あなたたち」
廊下から声が響き渡った。振り返ると、修野くんのお母さんが立っている。
「オフクロ! ……早かったんだな」
「なにをしているのか、と聞いているんです。なぜクラスメイトの二人が、わが家にいらしているのですか。ねえ、国沢明日歩さん。それに」
おばさんは、ぼくの顔に目をとどめた。高い位置から冷徹極まりない目で見下ろされると、こっちの心臓もヒュンってなっちゃう。
おばさんはメガネをずり上げ、しばらく黙考した。思い出したように口を開いて、
「ヒガミくん、でしたっけ」
な、なはは……。そんな、イヤミやズル木的な立ち位置っぽい名前で呼ばれても。
「失礼しました。陽之上くんでしたね。出席番号十七番、陽之上明日くん。テストの順位は二百四十人中、百九十二位。違いますか?」
……違いません。
「悪いのですが、うちの勉ちゃんとは縁を切ってください」
え?
突然の急展開に、思わず目をしばたたかせた。
「おいっ。急になに言いだすんだよ、オフクロ」
修野くんが、声を荒げて反論する。
おばさんはそれを無視して、ぼくの目元に人指し指を突きつけた。スッと尖った白い指は、果物ナイフを思い出させる。ぼくは、ゴクリと喉につばを下げた。
「目下のクマ。成績のよい子であれば、それは努力の証と言えるでしょう。ですがあなたの場合は当てはまらない。おおかた夜遅くまで、くだらないゲームでもやっていたのでしょう。そんな人は、勉ちゃんの友達としてふさわしくない」
ナイフのような指先を突きつけられ、言葉の弾丸を胸に食らい、ぼくは硬直した。
うつむき、歯を噛みしめながらも、なにも言い返すことができない。
ゲームなんか、やっちゃいないのに。
悔しい。こんなことを言われて、なにも反論できない自分が。
「くっだらない!」
国沢さんが盛大に息をはき、おばさんを見上げた。
その目に、明らかな敵意をみなぎらせている。
「成績って、なんですか。順位ってなんですか。友達って、そんなので選ぶものじゃないでしょ。表面上のデータで、人の優劣を決めないでください」
「うるさい人ですね。前にも言ったでしょう? 友達は、自分を向上させてくれる人のみを選ぶべきです」
「なにが……、なにがわかるっていうんですか、あなたに。陽之上くんのなにが。自分の子供のこともろくにわからないくせに!」
それを言った、次の瞬間――
国沢さんの右ほほに、するどい張り手が飛ばされた。
ふいの一撃によろめき、彼女は尻もちをつく。肩から落ちた二つのカバンが、本の塔の一角を崩した。
ぼくはギョッとし、倒れている彼女へ手を差しのばす。
「だ、だいじょうぶ?」
「あ、うん。ありがと」
やんわりと首を振り、自力で立ち上がる国沢さん。目を丸くし、ぼう然としていた。ぶたれた箇所が、赤く腫れている。
それを見たとたん、ぼくは喉元から、なにか熱いものが競り上がってくるのを感じた。
ぶたれた? ぶたれたのか、ぼくのせいで。
「なにやってんだよ、オフクロ!」
激昂する修野くんを、国沢さんが無言で制した。そしておばさんの目を、いま一度しっかりととらえる。深々と頭を下げた。
「いまのは、明らかに言い過ぎでした。すみません。ろくにわかってないのは、わたしのほうでした。あなたたち家族のことを知りもしないのに、勝手なこと言っちゃって」
「出てってください。あなたの顔など、二度と見たくありません」
おばさんは、めずらしく動揺してるようだった。ロボットみたいな口調はあいかわらずだけど、ちょっと息が乱れている。
「はい。お邪魔しました」
もう一度お辞儀し、国沢さんは廊下に出た。ぼくも、だまってあとに続く。
「今日は、本当にごめんな」
修野くんは、ぼくらを引き止めたりはしなかった。ここで止めたら、ぼくらがより嫌な思いを味わうって悟ったんだろう。
「……ていうか、どうしてだよ」
彼はいままでに見たこともないくらい苛烈さを帯びた目つきで、おばさんをにらみつけた。
「わざわざ来てくれた友達を、どうして追い返す必要があるんだよ! 国沢たちは、俺のことを思ってきてくれたんだぞ。なんでそれを追い出すような……なんか言ってよ、オフクロ」
おばさんはしばらく押しだまった。やがてメガネの位置を正し、一言。
「宿題は済ませたの?」
同時にドアが閉ざされた。




