2-12
次の日。どういう運命のめぐり会わせだろう。席替えで、唐田と隣同士になった。
「おい、明日」
ドスの利いた低い声を聞くのも、考えれば三週間ぶりだ。
ぼくは両肩をピクッとさせながら、だけどもわりとスムーズな動作で、唐田の顔を見ることができた。数週間前ならきっと、このノッポないじめっ子のえり元を見るのがせいいっぱいだったろう。
窓際から差す昼下がりの陽光を浴びながら、唐田はしばらく押しだまった。顔をしかめ、お腹に手を当てている。傷がうずくのかな。
やがて口をとがらせ、言いにくそうにチョボチョボと口を動かした。
「ありがとよ。助けてくれて」
このセリフは、どう受け止めればいいんだろう。唐田にされた数々の嫌がらせが頭に浮かんできて、率直過ぎる感謝の言葉を、すなおに受け入れることができない。
なのでぼくは、ゆるやかに話題をそらした。
「どうして唐田が、森永さんの髪かざりを持っていたの」
唐田はまた、考えるそぶりを見せた。たっぷり二十秒くらい経っただろうか、
「ひろったからに決まってんだろ。ただあれを、どんな顔してあいつに渡せばいいのかわからなかった。それだけだ」
投げやりに答え、片肘をついた。教壇のほうを凝視している。
教壇上には、国沢さん&修野くんの委員長コンビがいた。その背後に、森永さんが立っている。
「それではこれで、帰りのホームルームを終わります――と、その前に」
国沢さんが教卓に両手を乗せ、教室中の生徒を見回した。
真横に立った修野くんが、彼女のセリフを引き継ぐ。
「森永さんから、話があるみたいなんだ。みんな、ちょっとだけ時間をくれない?」
一歩、二歩。森永さんが前に進み出る。うつむいていた顔を、静かに上げた。
そのまま、沈黙。口をむずむず動かしているのがもどかしい。
「おい、しゃべるんだったらさっさとしろよ」
野次が飛んだ。それに連動して、あちこちから不満の声が漏れる。
「早くしてくれよー、ミーティング遅れちゃうって」
「話す内容は決まってんでしょ? だったらさっさと言えばいいじゃん」
反論しかけた国沢さんの腕を、修野くんがつかんだ。真剣な顔つきで、首を横に振っている。大人しく森永さんの反応を待て、って言いたいらしい。
森永さんは呼吸を整え、ゆっくり胸をなでてから、改めて全員を見渡した。
「し、知ってるかもしれないけれど」
大勢を前に、緊張したのかもしれない。ふいに彼女、顔をしかめてお腹を押さえた。まさか傷が開いたんじゃないかと、別の意味でハラハラする。
だけどそれは心配のしすぎだったらしい。震えながらも芯の通った声で、彼女は。
森永さんは。
「わたし、嫌がらせを受けてて。物を隠されたり、陰で悪口を言われたりしてたんです」
「えっ、なになに。どういうこと」
教師用机から、怪訝そうな声が寄せられた。声の主は、教師生活二年目をむかえた、女の先生。経験が浅いせいもあってか、少し頼りない感じの人だ。
「いじめられるのは、わたしにも原因があるんだって思う。いじめは、いじめられるほうも悪いって言うし。でも、これだけは言わせてもらうね」
森永さんは大きく、たっぷりと息を吸いこみ、
「これ以上は、もうやめてよ」
言い放った。
そして声を震わせ、いじめっ子たち数人の名前を、口にする。
「いや、ちょっと。意味わかんないんだけど」
教室のまんなかから、主犯格が苦笑交じりの声を張った。
「なんか証拠でもあるわけ? あたしらが、アンタをいじめたっていうショーコはさ」
だまりこんだ森永さんに、国沢さんが助け舟を出す。
「証拠ならあるよ」
それっきり、彼女は口を閉じてしまった。なにか言いよどんでいるのかもと思ったけれど、よく見ると、やたらとこっちへ視線を走らせている。
ぼくは察した。そうか。ぼくはぐうぜん、森永さんへの悪口を聞いていた。それをいまここで打ち明けてしまえば……で、でも。
浮かせかけたお尻を、再びイスにつけた。
どうしよう。大勢の前で話すなんて、ぼくにはとても。
――できるできないかじゃない。大事なのは、やるかやらないかだ。
とても。
――言いたいことは、どんどん言っちゃえばいいんだよ。怖がる必要なんてない。
とても。
「ぼ、ぼく」
気がついたときには。
いきおいをつけて、立ち上がっていた。
「み、見てたんでしゅ!」
か、噛んじゃった。緊張しすぎたせいだ。おかげで、みんなの視線がビシビシって突き刺さってくる。針のむしろに置かれたみたいだよ。
「その……。放課後の教室で、森永さんが陰口をたたかれてるのを」
教室中がにわかにざわついた。ぼくがみんなの前で大声を放つってのは、きっと美術室のモナリザが、「ボンジュール!」とか言いながら片手をあげてくるのと同じくらい、ありえない光景なんだろう。ぼく自身が断言するくらいだし、きっとそうだ。そうに決まってる。
主犯格の子は虚を突かれた表情をしたけれど、アイシャドウで縁取られた両目をすぐにこっちへ向けて、
「で? だからなんなわけ。アンタの言うことなんて、誰も信じないっての。てかアンタ、そんな声してたんだね。子供みたいなのは外見だけじゃないんだ。幼稚園児のスモックでも着てごらんよ。きっとにあうから」
彼女の嘲笑に合わせ、あちこちから忍び笑いがもれた。
恥ずかしさで、脳が沸き上がりそうになる。
だめだ。うつむいちゃいけない。しっかり前向いて、なにか言い返さないと。
「ちょっとみんな! 笑うところなんかじゃないでしょ」
国沢さんがかばってくれる。その気持ちは、うれしい。
でも……。ここは、ぼく自身の口でなにか言い返さないと。
森永さんだって、大勢を前に声を張ったんだ。ぼくも、彼女の勇気を見習わなくちゃ。
ぼ、ぼくは。
「ぼくは、幼稚園児なんかじゃ」
言いかけたところで、口を止めた。
ダメだ。こんな反論をしたところで、ますますバカにされるだけだ。バカにされる奴は、なにを言ってもバカにされる。この十六年で、嫌っていうくらいそれを学んだ。
「おい、俺を忘れてんじゃねえだろうな」
真横のイスが、揺れる。
ふいに差した長細い影が、左半身を覆った。唐田の長身が、日の光をさえぎっている。
「俺もその場にいただろうが。お前らの悪口、耳の奥にまでこびりついてら」
くすぶったマグマを思わせる、ドスの利いた低い声。
主犯格もさすがにひるんだらしく、声を小さくした。
「なんでアンタ、森永さんをかばうのさ。アンタはいじめをやる側でしょ? こんなのアンタのキャラじゃないじゃん。なんでこんな、らしくもないこと……。あっ、わかった。アンタ、好きなんでしょ! 森永さんのことが」
唐田のこぶしが、わずかに動く。歯軋りをしたのが、音でわかった。
主犯格は完全に息を吹き返し、目を細めながらバカにした声を浴びせかける。
「えっ。マジ、そうなの? うは、スクープ発掘しちゃったよ」
唐田はポケットに手を入れ、無言で席から離れた。肩に、カバンをぶら下げている。
「ちょっ、ちょっと待ちなさい、唐田くん。まだホームルームは終わってないって」
先生の注意さえも無視して、教卓の前を通過する。
主犯格はますます勝ち誇った声で、唐田の逆鱗をなで続けた。
「お、ムキになってるー。てか、もう帰るんでっかぁー? お疲れでっかぁー? 森永さんとラブラブデート?」
何人かが派手に笑い出した。静かだった教室が一変、汚い笑いの飛び交う空間になる。
先生や国沢さんの注意の声も、湧きかう笑い声にかき消された。
そんな中、唐田は。
一人悠然と、机の間をかいくぐり。
そして。
――主犯格の机を、思いっきり引き倒して。
ガシャン。
その音が、室内の騒々しさにピリオドを打った。
唐田は机からあふれ出るプリントと、あっけに取られた主犯格をゴミでも見るような目つきで見下ろしてから、
「そうだよ。文句あっか?」
温度も湿度も感じさせない声色で、言い放った。
そして水を打ったように静かになった室内を、大股で歩き進む。
「森永」
前扉に手をかけたところで、教壇を振り返った。
「買い物、付き合え」
その声には、有無を言わさない迫力があった。
「あ、うん」
森永さんは、ビクッと肩を動かす。なにが起こったのかわからないって表情のまま、唐田と連れ立って教室を出て行った。
彼女はうっかり、カバンを席に取り残したままなんだけれど――さすがにいじめっ子たちももう、彼女の私物を隠したりはしないだろう。
嵐が通り過ぎたみたいな虚無感が、教室内を襲った。誰一人、口を開かずに、開けっ放しになったドアを見つめている。
ぼくはただ、その場に突っ立っていることしかできなかった。
どんな思惑があって、唐田がこんなことをしたのかはわからない。ただ一つ言えるのは、彼は行動を起こしたってことだ。
森永さんのためにプライドを捨て、そして自分の、本当の気持ちを受け入れた。
「あっ。だからなんだかんだで、ちぃちゃんといっしょに帰ってたんだ……なーる」
こんな甘酸っぱい事情がねえ、と、いまさら納得する国沢さん。
「亮もやっと、自分の気持ちにすなおになったんだな」
修野くんは底抜けに明るく笑いつつ、端正な顔をクシャリとゆがめて、白い歯をちらつかせた。
「すごいなあ。俺も、あんなふうに自分の意志を貫けたらいいのに」
うん? いつも周囲のまんなかに立つ彼が、なんで疲れた感じで笑ってるんだろう。成績優秀で、この間のテストは、たしか学年七位。バレンタインにはチョコを一ダース貰うこと確実だろうに、なにをそんなに気に病むんだ? まあ、ぼくの考えすぎかな。
「まっ。なにはともあれ、一件落着って感じだな。じゃ、国沢。号令よろしく」
だけど今回の事件でも、ぼくはやっぱり、ほとんどなにもできなかった。
でも、それでも一つ、思ったことがある。
「おっけー、勉くん。それじゃ、起立――」
もう少し。もう少しだけ。
自分の気持ちを前に出しても、いいのかもしれない。
「――失礼します。勉ちゃんの教室は、ここですね」
開け放たれたドアから、おかっぱ頭がのぞいている。
メガネをかけた、賢そうな女の人。歳は、四十代前半ってところかな。
その人は教壇のほうに目をとめるやいなや、きっちりとした歩調で教室内を歩き進んだ。背が高くて迫力があるもんだから、歩き進むっていうより進軍してるって言ったほうがしっくりくる。キャリアウーマン風の黒いスーツを着、背中を少しも曲げていない。左手には、シックな色合いの腕時計をはめていた。
な、なんだ? この人。
突然の闖入者を前に、ぼくらは起立したままポカンとした。
女の人は教壇の中央に立ち、クラス全体を一望している。まるであの人こそが、このクラスの統率者であるみたいだ。
先生も、そして国沢さんさえも、首をかしげて反応に困っている。
ただ一人の例外がいるとすれば、それは修野くんだった。修野勉くんだった。
困惑顔で、彼は言う。
「なにしに来たんだよ。……オフクロ」
おふくろ?
(第二話 終わり)
唐田編、ようやく終わりです。
当初は一話と同じくらいの分量でいく予定だったのですが、あれよあれよという間に増えていってしまいました。もっとテンポよく進ませたいですね。
次回は修野勉がメインです。国沢さんの秘密についても、ちょっと触れていきます。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。




