2-11
「ほう。これはおいしい」
岳人先生は箸の先っぽをくわえ、目をまん丸にした。
森永さんはリンゴみたいな顔をさらに赤らめながら、ひざに乗せた両手を強くにぎる。
「せめてもの恩返しです。あまった食材で作った、質素なお弁当ですけれど」
「謙遜することはない。筑前煮をうまく作れる高校生なんて、意外と少ないものだ。十二個もの鍋を焦がした俺の妹とは、中秋名月とクサガメくらいの差がある」
「なぬっ」
大口を開けて色取りどりのおかずを賞味していた国沢さんが、ピクリと耳を動かした。
森永さんは両手で口を覆い、目を細める。
「ほぅちゃんたち、毎晩ここに泊まりこみでしょ。晩ご飯がコンビニ弁当とかばかりじゃ、栄養がかたよるかなあって思って。うん、思っちゃって」
「ううー。ちぃちゃんって絶対、いいお嫁さんになるよ。わたしの所へ嫁いできてえ――って、どわお! な、なんかっ、お腹が猛烈に痛い痛い」
「あほ。腹の傷が治りきってない状態で、他人に抱きつくバカがどこにいる」
国沢さんに森永さん、それと唐田。
みんな、全治五週間の大ケガだ。傷がふさがるまで、あと二週はかかるってことになる。退院したのだって、つい昨日のことだ。
ちなみに岳人先生はといえば、一番の重傷を負っていたはずなのに、戦いの翌日には職場復帰を果たしていた。セーターの下がどうなっているのかは知るよしもないけれど、少なくとも外見上は、たいした傷も残していない。
背中のアザが、なにか関係しているのか? それとない調子で聞いてみても、あいまいな態度ではぐらかされてしまう。なにか話したくない理由でもあるのかな。
ともあれ国沢さんが入院している間は、部員は当然、ぼく一人だけだった。その三週の間に、『夜』との戦闘がなかったのはうれしい。一晩で二体も現れたあの日を思えば、この三週間は神様が用意してくれたお休み期間だったのかなとも思えてくる。
そして今日。六月最初の、日曜日。
国沢さん家での稽古を終え、保健室へ訪れたぼくらの前に、森永さんは現れた。細身の彼女には不釣合いとも言える、五つに重なった弁当箱をたずさえて。
そんな経緯があって、ぼくらはイスを囲みながらお弁当をつつきあっている。もう六時を回っているわけだし、夕飯だって考えればちょうどいいだろう。
六月をむかえたこともあって、みんな夏用の制服に切り替えている。
ただ一つ、岳人先生のサマーセーターだけは、前と全然変わってなかった。たぶん、同じ物を何着も持ってるんだろう。
「あ、そういえば先生。あの、これ」
森永さんはふとポケットをまさぐり、中からロリポップを取り出した。
白地に赤が絡めてある。味は、いちごミルクってところだろう。
「……は?」
さすがの岳人先生も鉄面皮を崩し、眉根を寄せた。
二十過ぎの男の人が、女の子にロリポップを差し出されてる図ってのは、なかなかどうしておかしい。こればっかりは先生も、恥ずかしさを感じるんだろう。
森永さんはまつげの多いどんぐり眼をしきりに開閉しながら、
「あれ? 先生、甘い物が大好物だって聞いたんですけれど」
「誰に」
森永さんは、真横に視線をめぐらせた。その目線を追っていくと、彼女の親友兼岳人先生の実妹が、景気よさげな笑顔でピースしている。
対する先生は、嫌いな上司に嫌々お酌をすることになった若手社員を彷彿とさせる、むっつりとした表情。
「ちぃちゃん、ビニールをはがすのだっ」
言われたとおり、表面のビニールをはがす森永さん。つま先を立て、先生の口元にロリポップを突きつけた。大型動物への餌付けを連想させる光景だ。
先生、ぐっ、とくぐもった声を漏らし、背中をえびぞりにした。
「……もらおう」
幼い子供のような瞳で直視されることにたえかねたのか、目前のスイーツの誘惑に根負けしたのか、とにかく岳人先生は白旗をかかげた。ため息を吐き、アメをくわえる。
森永さんはぱあっと顔を輝かせたあと、あわてて表情を引きしめ、
「今回は、本当の本当に、ご迷惑をおかけしました」
ぼくらを見回し、一人一人に対して頭を下げた。
「ちぃちゃんは、抱いて当然の悩みに苦しめられてただけだよ。悪くなんかない」
国沢さんは親友の両肩をつかみ、鼻息荒く言い聞かせた。放つ言葉に力が満ちている。
「でもこれからは、一人で悩まずに相談してね。わたし、ちぃちゃんとはそういう間柄になりたいの。なにがなんでも、絶対に」
「ありがとう」
森永さんは目を細め、穏やかに微苦笑した。
「わたしもほぅちゃんみたいに、自分の意見を言える人になれたらいいな」
「言いたいことがあったら、どんどん言っちゃえばいいんだよ。怖がる必要なんてない。なんでもいいから、自分から誰かに声をかけてみて」
「うん。がんばる。とりあえず明日、がんばってみる」
力強く背中をたたかれ、森永さんは眉毛と口を引き結んだ。前髪についたタンポポのかざりが、夕日を受けて輝く。
明日、なにをやる気なんだろう。
それをたずねようと思ったんだけど、
「じゃあね、みんな。がんばって」
残念。空のお弁当箱を片手に、森永さんは保健室をあとにした。
「うん。お母さんによろしくね」
立ち上がり、親友を見送る国沢さん。軽やかにかかとを回して、こっちを振り返った。
両手を背中で組んでいる。夕日を浴びたその顔は、はちみつに似た色を放っていた。
「陽之上くんには、また助けてもらったね。ごめん、お礼を言うのが遅くなっちゃった」
「そんな。ぼくなんて、なにもしていないよ。土壇場までなにもできなかった」
ぼくは、うつむいた。
そのとき、やわらかい手がスッと両ほほを包みこんで――
ドキン! 胸が高鳴る。
三十センチくらい先に、国沢さんの顔。まつげが長くて、目が大きくて、ほほに赤みがあって、それで、それで、ええとっ。やばい。脳が熱暴走を起こしている。
ていうか、どういう状況?
岳人先生がむせた。どうもショックで、ロリポップを飲みこみそうになったらしい。
「実の兄を前にして、まさかのストロベリー・タイム突入か? 甘々なのはこのキャンディだけで充分なんだが」
「うっさい。ミルキー男爵はだまってて――あのね、陽之上くん」
くちびるをひん曲げる先生を無視し、国沢さんは幼児を説得するような口調で言った。
「わたしは、陽之上くんにお礼を言ったんだよ。うつむく必要なんてないの」
真摯さを帯びたその瞳が、一直線にこちらを射抜く。
たえられず、目をそらした。
「ちゃんとこっち見て」
その声は、いつもより一オクターブくらい低い。
「人を助けたのに、そんな顔しないで。ヒーローはこう、胸を張ってさ」
腰に手を当て、「がっはっは!」と笑う国沢さん。
え、ええと。
天井に向かって上体をそらす同級生を、ぼくは呆気に取られつつ見やった。
こういうときって、どう反応すればいいのかな……。
「お前には、張るような胸もないだろう」
「そんなことないわいっ」
お兄さんの冷徹な指摘に、国沢さんはゆでだこよろしく顔を真っ赤にした。
「……ぷっ」
その様子がおかしくて、ついつい吹き出す。
とたん、国沢さんがパッと目を輝かせ、ひとさし指を突き出してきた。
「それだよ陽之上くん、その笑顔! いつもそんな感じで、笑ってればいいんだよ。悪くもないのにうつむいてるなんて、バカらしいじゃない」
「な、なはは……」
ぼくはぎこちなく笑んだ。
窓から風が吹きこむ風が、なんだか温かい。燦とした香りを放つ、初夏の風だった。
「まあ、妹の言うことにも一理ある。お前の兄も、いつも笑って前を見ていた」
アメ色の夕日に照らされながら、岳人先生はふと表情をほぐした。
「一番の敵は、『夜』じゃない。『できない』と思う、お前の心だ」




