2-10
いた。唐田と、森永さんだ。
ぼくと国沢さん、岳人先生は、塀の陰からこっそり前方をうかがう。
街灯の下に、立ち止まった二人の背中。半端な距離を置きながら、向かい合っている。
「あまりしゃべるなよ」
岳人先生が、小声でぼくらに念を押した。
「こんな格好で出歩くお前らを見たら、森永たちは不審に思うだろう。できうる限り気配を消して、いざというときになったら飛び出すんだ。いいな」
辺りに、車は見当たらなかった。人の姿もない。先生の仲間が暗躍したらしい。付近の通行を規制したのか。それとも人のいない所へ、唐田らをそれとなく誘導したのか。どっちにしても、冗談みたいに手際がいい。
「あいつらが唐田を引き離してくれていたら、なおよかったんだがな。このままでは、奴の命が危険にさらされることになる」
鞘走りの音がした。同時に、白い光が目に飛びこむ。国沢さんが抜刀していた。戦闘準備は万端のようだ。
「戦いたいと強く思え。そうすれば、陽之上の手にも現れる」
ぼくは目を閉じた。目の前に、黒い空間ができ上がる。
――戦おう。
念じた。
――国沢さんや、岳人先生といっしょに。
目を開けた。
だけど両手は、なにもにぎってなんていない。
やっぱり、だめか……。
しょせんぼくは、陽之上明日だ。先のことばかり怖がって、自分の殻を破れない。
――わたしにとっての、ヒーローだよ。
ぼくは、ヒーローなんかには、なれない。
「俺はただの小悪党だ。ヒーローなんかじゃねえ」
唐田の声が、ぼくの思考をさえぎった。落ちこんだ響きをしている。らしくもない。
「小悪党? それってどういう意味。唐田くんは、いつもわたしを助けてくれるじゃない。小学校のときだって」
森永さんは、つばを飛ばしかねないくらいに声を弾ませた。
「わたしがいじめられてたとき……いじめてた子たちを、やっつけてくれたでしょ」
初めて聞く情報だ。
いじめられっ子を救った唐田。そんな彼が、なんでいじめる側にまわったんだろう。
「わかんねえのか。それこそが、俺がいじめを始めるきっかけだったんだよ」
続けざまに放たれた返答に、ぼくはますます耳を疑った。
え? それって、どういうこと。
「……初耳、かも。うん、初耳」
どことなく軸の見当たらないぼんやりとした口調で、唐田は言った。
「人を殴れば、周りの奴らに賞賛される。それが案外、気分よくてよ。だから俺は、いじめを始めた。手頃な奴をいじめて、周囲の視線を集める。いじめられた奴は、一生俺を忘れないだろう。マンガの主役にでもなったような気分だった」
……知らなかった。唐田がどんな気持ちを抱きながら、ぼくをいじめていたのかなんて。
「だがこの間、俺と明日の前に意味のわからない事態が降りかかったとき……俺は逃げることしかできなかった。しかも結局、明日に助けられたんだ。いつも俺にいじめられていた、モヤシ野郎なんかに。それで気づいた。明日にとって、俺は主役どころか、単なる小悪党の一人に過ぎなかったんだってな」
そこまで言って、ふと、われに返ったようだ。
「……て、なんでお前なんかにこんな話をしてんだ? 馬の耳に念仏だぜ」
軽く振り上げたこぶしを、森永さんの天然パーマに落とした。
森永さんは目をきゅっとつぶり、殴られたところを軽くなでる。
「わたし、見栄を張る唐田くんよりも、こんな風に弱さを出してくれる唐田くんのほうが好きだよ。うん、好き」
「はあ? お前の好みなんか聞いてねえっての。自意識過剰すぎんだよ、このバカ」
ポカリ。また、げんこつを落とす。
「あの野郎、なにしてくれてんだ」
国沢さんが、聞いたこともないような低い声を発した。
いや、あの。キャラ違くない?
「……わたしも、弱い自分を出せたらいいんだけどな」
ぶたれた部分に手を当てながら、森永さんは夜空を見上げた。星のない空へ、ため息を放つ。
「わたしね、ときどきね。わたしをいじめた人が、一人残さず不幸になればいいのにって考えてるの」
胸を突くセリフだった。「天然」というベールの下に、彼女がどれだけの苦悩を隠しているのか。その一端が垣間見えた気がする。
「表ではそれを隠して、ニコニコして。嫌な部分も弱い部分も、ほとんど心の奥にしまっちゃうの。弱くてひどい自分をさらけ出して、周りのみんなに嫌われたらやだなあって思うから。だけどそうやって嘘をついてる自分も、それはそれで嫌いだったりするの。これって、おかしいよね。変だよね」
「いまは違うのかよ」
「えっ」
「いまのお前は、俺に対して弱さをぶつけたんじゃないのか。嫌な自分ってヤツをよ」
その反論は森永さんにとって予想外だったらしい。だまりこみ、つま先をじっと見据えた。
「つうか、お前が強かったことなんて、一度たりともありゃしねえ」
カバンを肩にかつぎなおし、唐田は再び歩き出した。その背中を、あわてて追いかける森永さん。
「ついてくんじゃねえっての。うっとうしい」
「だって道、いっしょだもん」
お隣さん同士なんだから、そりゃそうだろう。
唐田は小さく舌打ちした。くるりときびすを返して、来た道を戻りだす。ぼくたちのほうへ向かってきている。
「あっ、どこへ行くの」
「うっせ。どの道を行こうと、俺の勝手だ」
唐田は両手をポケットに突っこんだ。そこから、なにか小石のような物が落下する。
ぼくは目を見張った。国沢さんも、「あっ」と口を丸くする。
「唐田くん、これは……」
森永さんは、ひろい上げた。タンポポの形をした、自らの髪かざりを。
唐田はハッとし、口をつぐんだ。言葉を探すかのようなそぶりで、うつむいている。
そのときだった。
「来るぞ」
緊迫した様子で、先生。
短く言った。
「『夜』だ」
影が動いた。
森永さんの影。街灯の下、異様な早さで伸びていく。
まるで沼の底から這い上がるかのように、地面から頭らしき物が出てきた。
「ぎゃっ」
のけぞり、尻もちをつく唐田。森永さんは首をひねり、彼の視線を追って振り返った。
そこにあった顔と、目線があう。
顔。顔だ。宙に浮かんだ、二メートルはあるだろう、女の人の巨大な顔。やせこけた真っ白なほほに、ぬれた黒髪を惜しげもなくたらしている。無表情で、目だけがひどく落ちくぼんでいた。顔から下は、ない。
「あれが、『夜』……ですか?」
ぼくのときと、姿が全然違う。完全に別の生き物だ。
「奴らの外見は、食べてきた悩みによって大きく変わる。同じ個体は二つとない」
それってつまり、毎回まったく違った敵と戦えってこと? そんなの、対策のしようもないじゃないか。……聞いてないよ、そんなの。
「危ない!」
国沢さんは、駆け出すと同時に一閃。キラリと白刃がまたたき、『夜』の鼻柱を正確に斬り薙ぐ。風といっしょに血がサアッと吹きしぶき、暗闇をわずかばかり彩った。
「え、えっ。なに、これ」
身をすくめ、腰を落とす森永さん。
そんな彼女の前に立ち、国沢さんは刀を構えた。大声で唐田に呼ばわる。
「ちぃちゃんをお願い。早く!」
心ここにあらずといった感じの唐田だったけど、どうにか言葉の意味を受け止めたらしい。森永さんの体をひょいと持ち上げ、両手にかかえて走り出した。
ぼくと先生がいるほうへ、一直線に駆けてくる。そのまま塀の陰へ入った。荒い息をはきつつ森永さんを降ろしたところで、ぼくと目を合わせる。
お互い、口をつぐんだ。なにを言ったらいいのか、とっさには思いつかなかった。
「先生たち、どうしてここに……?」
森永さんだけが、状況を飲みこめていない。
「陽之上。まだ、迷っているのか」
ぼくは再度、目を閉じた。
戦いたい。強く強く、そう念じる。
だけど……いつまで経っても、右手は空をつかんだままだ。
国沢さんの優勢は続いた。彼女が斬りかかるたびに、『夜』の肉片が宙を舞った。
なぜか知らないけど、敵は反撃一つしてこない。どころか固く口を引き結んだまま、その場からまったく動かなかった。まるで死んでいるみたいだ。
ぼくは身震いした。嫌な予感がする。
国沢さんは敵の顔面を蹴飛ばし、一気に頭上へおどり出た。振り上げた刀で、敵の額をたたき割ろうとしている。
そのときだった。敵の口が、かすかに開いた。すき間から、闇が覗く。
「いかん、離れろ」
岳人先生が忠告するよりも早く、国沢さんは刃を降ろした。その攻撃は敵の額に、血の一文字を刻みこむ。
とたん、
恐ろしい叫びがこだました。黒板を引っかいたような、ヒステリックな女の悲鳴。『夜』は天をあおぎ、聞けば悪夢にでもうなされそうな声を延々と発し続けた。
くぼんだその両目から、とめどない涙があふれ出ている。血の色をしていた。
赤黒い涙をたたえた両眼が、引き裂けそうなほどに見開く。ふいにそこから、まばゆい光がほとばしった。
なにかくる!
右手に、硬い感触。鞘に納まった、日本刀。それを認識するより先に、ぼくは駆け出していた。
「国沢さん、下がって!」
一瞬、飛び散る。
爆発音といっしょに、コンクリートの破片がヒョウのように降り注いだ。数メートル先の地面に、クレーターができている。
国沢さんは無事だった。間一髪でよけたらしく、地面に片ひざをついている。
彼女めがけて敵の両目がピカッと光り、
「させないっ」
ぼくは抜き打ちざま、敵の眼球を片方、貫いた。黒光りの刀身は綿でも断つようないきおいで肉に沈みこみ、敵に狂気の悲鳴をあげさせた。引き抜くと、二つに割れた眼球が垂れ下がる。
黒髪をなびかせ、女の顔は頭上高くに浮かび上がった。生えそろった犬歯をむき出しにして、こっちへ急降下してくる。
横っ腹に衝撃。国沢さんがぼくを突き飛ばしていた。さっきまで立っていた所に、『夜』が突っこむ。コンクリートの地面が、いとも簡単にえぐり取られた。
敵はすぐに軌道を変え、目線をこっちに合わせた。また、突進。数メートルの距離を、一瞬でゼロに縮める。上下に生えた牙が、凶悪そうに光った。
ギリギリの距離でかわす。なんてこった。これじゃ、取りつく島もない。
そのとき、目の前に、精悍な背中が割りこんだ。岳人先生が、ぼくらの前に立っている。
「俺がオトリになる。お前らはそのすきに、奴を討て」
「なっ」と国沢さんが口を開くのを待たずに、岳人先生は駆け出した。
黒髪の合間からのぞく血ぬれの片目が、先生をとらえる。怒りとも悲しみとも取れる張り詰めた叫びを上げ、『夜』は先生に覆いかぶさった。
「ああ、もう!」
国沢さんが地面を蹴った。ぼくも彼女に続く。二人同時に、敵の背中を取った。
「なんでいつも、一人で勝手に飛び出すの。このバカ兄!」
ぼくらは飛び上がり、左右両方向から、刀を振り下ろす。刃が頭蓋骨に当たって、硬い音を立てた。だけどそれも一瞬のことで、次の瞬間、絶叫。ぱっくりと割れた後頭部をさらしながら、『夜』は空高々に悲鳴を放った。
国沢さんは敵の正面に回りこんだ。叫びがやむ。敵の喉を突いたらしい。
『夜』の体はとたんに生気を失い、横倒しになった。重たげな音といっしょに、地面が軽く震動する。
や、殺った……。
「お兄ちゃん!」
巨体の下から、血だるま状態の岳人先生が現れた。あお向けに倒れている。セーターは見るも無残に引き裂かれ、胸は弱々しく上下していた。
「バカ兄、バカッ。本当にバカ」
国沢さんは涙まじりの声を放ちながら、先生を思いっきり抱きしめた。バキメキグシャ! ――先生の体が、身の毛のよだつ音を立てながら軋む。
ぼくは倒れている敵を、恐る恐るうかがった。
『夜』は脳みそをまき散らしたまま、ピクリとも動かない。よく見ると、その体は少しずつ半透明になっている。数秒後には、全身が跡形もなく消滅していた。
え。
消えるの?
愕然と目を見開いていたところで、塀の陰から森永さんが顔をのぞかせた。
「だいたいの事情は、唐田くんに聞かせてもらった、よ」
吐き気をこらえるような口調で歩み出るやいなや、彼女はいきなり頭を下げた。白く照らされたコンクリートに、一滴、二滴と涙が落ちる。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。わたしのせいで、大変なことになっちゃった。いまのわたしには、もうこうするしか――」
「めそめそすんな。よけい腹立つ」
唐田が現れ、乱暴な手つきで彼女の頭をかき乱した。
涙で腫れた森永さんの目が、前髪で隠れる。唐田なりの配慮だったのかもしれない。
「ていうか、これがちぃちゃんのせいだなんて、誰も思ってないよ」
「俺以外はな」
鼻を赤くする唐田。
「なにはともあれ、一件落着だね」
晴れやかな笑顔を咲かせつつ、国沢さんは岳人先生の肩を持った。体格差のせいで、少し持ち上げにくそうだ。ぼくはあわてて、もう一方の肩を支えに行く。
先生の体、すごい。見た目は細身なのに、服の下の筋肉は岩みたいに盛り上がってる。
……ん?
なんだろう、これ。露出した背中に、アザみたいなのが大きく浮き出てる。
左右の肩甲骨に描かれた、紫色の二つの丸。その下に点。一番下の半円は、耳まで裂けた口のようだ。
それら一連のアザは、まるで魔物の顔のようで。
「……!」
なぜか急に、身震いが起こった。
本能か、はたまたそれに近いなにかが、警告を訴えている。思わず、身を引いた。
なんだ……? このアザ。
胸に手を当てた。心音が、異常なくらい耳に響く。
――そのとき、背後。
唐田の悲鳴。
振り返ると、なにかが、地面の上を這っている。
――唐田の影から、這い出ている。
「あ、ああ……あああああああああ!」
唐田はかろうじて立ちながら、だけどもその足を小刻みに震わせていた。
森永さんはといえば、口を両手で覆い、青ざめた顔で彼の前に立ちつくしている。
目の前に、花が咲いていた。
タンポポ。多年生の植物。道の端にひっそりと生え伸びる姿を見れば、誰もがほっこりすること確実な、幸せの運び屋とも言うべき植物だ。
ただし目の前のそいつは、端どころか道幅いっぱいに、その巨体を利かせている――唐田の倍くらいもある直径。見る見るうちに、根を地面へ張りめぐらせている。
茎の上に開いた、花の部分だ。その中央が円形状に開き、中からはすき間なく並んだ細かな歯がのぞいている。
植物とも怪物とも表現できないその存在は、一同の視線に答えるように鎌首をもたげた。いくつもの切れこみが入った、八枚の葉。そのうちの一枚を、そろりと動かす。
「なんてこった」
声が震える。歯が、うまく噛み合わない。
「『夜』は二匹いたんだ!」
右手がなにもにぎっていないことに、気づく。刀が消えていた。こんなときだっていうのに、戦う気持ちが少しもわいてこない。
そんなぼくを尻目にわれへと返った国沢さんは、さすがとしか言いようがない。
右へ左へと跳んで、敵を翻弄。神速の剣さばきで、葉を四枚、一気に切断した。
「すごいっ」
森永さんが息を呑んだ。
ぼくもただただ、彼女の勇姿に目を奪われる。
だけどそこまでだった。背後から襲った一枚の葉が、国沢さんの胴を貫いた。
彼女は口から血をまき散らし、手足の下がった状態で高々とつり上げられた。
クワリと目を見開き、微動だにしない。気を失ったか、あるいは――
「うそだ」
国沢さんが、やられるなんて。それじゃ誰が、この化け物を倒せってんだ。
ぼく? 無理だよ。ただでさえ弱いうえ、丸腰。勝算なんて一パーセントだって、
「よけろ、森永!」
唐田が跳ね起きた。だけどそれよりも早く、肉を刺す音。そして悲鳴。女の子の悲鳴。
森永さんの。
短い、悲鳴。
『夜』はさも見せしめとでも言いたげな様子で、森永さんの体をつるし上げた。宙にかかげた女の子二人を、食べることもせずに、ぐるぐる巻きにしてぶら下げている。
「野郎、見せしめのつもりか」
唐田が歯を軋ませた。そのとき、視界のすみで、むくりと影が起き上がる。
「おちおち寝てもいられないな」
やぶれたお腹を押さえつつ、岳人先生が息を荒げていた。身をかがめながら、ふらついた千鳥足で『夜』との距離を詰めていく。
「待ってください、殺されちゃいます!」
たまらず、ぼくは止めようとした。だけど先生は、足を休める気配もない。
「多くの人を守るためにも、あのバカ妹は必要だ。それに命なら、八年前に捨てている」
そうやって歩き進む先生の前に、影が立った。唐田だ。
「悪いが、先に行かせてもらうぜ」
「ほう。ほれた女子の前では、ヒーローでいたいってことか」
先生は疲れた様子でうそぶいた。
「じ、自殺行為だよ! 勝てないってわかってる相手に、素手で歯向かうなんて。どうして、そんなことができるの?」
「じゃあてめえが戦えよ。いっちょまえに刀まで持てるってのに」
唐田の容赦ない視線が、ぼくを捕らえる。
「俺はよ。力があるのに泣き言ばかり言ってる腰抜けヒーローよりかは、無力でもぶざまにがんばる小悪党のほうが、まだましだと思ってる」
そういう唐田のこぶしは、かすかに痙攣していた。
怖いんだ、唐田も。でもそれをこらえて、目の前の現実に立ち向かおうとしている。
それに比べて、ぼくは。
ぼくは――なにをやってるんだ?
「じゃあな、ビビリくん」
言い捨て、唐田は駆け出した。裏返った叫びを上げ、体当たりをかまそうとする。その行為が無謀であることを、ぼくは痛いくらいに理解していた。
案の定、貫かれた。三枚目の葉に。
喉を焼きつくしかねないほどの、痛烈な悲鳴。じょじょに持ち上がっていく唐田の体は、ぼくの心に「絶望」っていう名の二文字をこれでもかってくらいに刻みこんだ。
助けて、兄貴。
胸元に手を当て、強く願う。
この間みたいな不思議な力で、あの化け物をたたき斬ってよ!
念じた。眉間が痛くなるくらい、固く固く両目をつむって、ひたすら奇跡を祈った。
だけど、印が光る様子はない。
「じゃあ、次は俺の番か」
言って、岳人先生は歩き出した。
「なんとしても食い止めないとな。犠牲者を出さないためにも、ここで倒すしかない」
「無理しないでください。あんな化け物を相手に、どうやって勝つって言うんですか」
「無茶であることは重々承知さ。俺は、あの三人を助けられない。だけどな。お前はさっき、刀を出したとき――いちいちあと先のことを、考えていたのか」
そうじゃなかった。さっきはただ、夢中だったんだ。国沢さんを助けなくちゃって思ったとたん、体が勝手に突っ走っていた。
「一つ質問だ、陽之上」
岳人先生は振り返らないまま、言う。
「八引く四は四。ではそこからさらに四を引いたら、答えはいくつだ」
一瞬、意味がわからなかったけれど。
「……!」
次の瞬間、理解した。
ぼくが目を見開いたのを悟ったんだろう。先生は、ゆっくりとうなずく。
「お前の刀に、妹たちの命は重過ぎるかもしれない。だがそれを承知の上で、いまはあえて言わせてもらおう」
かすかに、笑った。
ような気がする。
「『夜』を討て、ヒーロー」
先生は『夜』の根元に駆けつけ、血ぬれの両手をめいっぱい広げた。
「来い、化け物。お前の大好きな血のにおいだ。そんなちんちくりんなバカ妹より、俺のほうが食べごたえもあるだろう」
『夜』は動きを止め、値踏みのしぐさを見せた。だけどそれも数瞬。次の瞬間、葉の先端をスラリととがらせ、いきおいにまかせて先生を突き刺した。
くぐもった声を上げながら、岳人先生は粉のような血をはき散らす。
「やっぱ、外見通りのザコキャラだな。このタンポポオバケ」
宙づり状態のまま、唐田が息も絶え絶えなかすれ声であざけった。
「俺たちがなんの武器も持たずに、ただやられに行っただけだとでも思ってんのか」
答えは「いいえ」だ。八引く四は四。敵には最初、八枚の葉があった。それが国沢さんの手で、半分にまで減らされている。残った四枚にはいま、それぞれ誰かの体が刺しこまれていた。葉は何重にも巻かれ、人質たちをしめつけている。
つまり敵は、手足とも言える葉を完全に塞いじゃってるってことだ。
いまなら勝機もある。
勝負は一瞬だ。失敗したら、命はない。迷っている時間なんて、どこにもなかった。
「さっさとやれや、明日。それとも、また逃げるのかよ」
無意識のうちに、背筋が伸びる。背骨がまるで、一本の刀にでもなったみたいだ。
右手に、刃。すでに鞘はなく、黒の刀身が洗練された輝きを放っている。
つばを飲んだ。敵を見すえる。この間、だいたい一秒。
逃げちゃいけない。怖いだなんて、考えるな。
深呼吸し。
もう一度、深呼吸。
「……っ」
飛び出した。
コンクリートを蹴飛ばし、股が裂けそうなくらい足を広げて、走り、走り、ひたすら前へ。刀を振り上げ、足を折り曲げ、跳んだ。
ねらうのは、花の下の茎部分。人間なら、首に相当するだろう箇所だ。
ヒーローなんて、ぼくの器じゃあない。ぼくなんかが他人を助けるなんて、荷が重過ぎるとさえ思う。
だけど、誰かを。誰かを見捨てて逃げ出すような、そんな根性なしにだけは。
できる、ことなら。
かわいた叫びを上げる。振り下ろした刀は、敵の喉元に深く深く、こっちの両手をしびれさせるほど硬く食いこんだ。化け物の放つ甲高い悲鳴が、両肩を突き抜けていく。ぼくは柄をにぎり、歯を食いしばり、この一撃に全身全霊をこめた。
ふいに刀身が、ガクンと一気に沈みこみ、そして一瞬の、
間。
それを吹き飛ばすかのように、どう、という地響きがして、サア、と赤い水が噴き上がり、続いてシン、とした静寂が――
夜を覆いつくした。




