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くっ。
しんどい。
歩くたびに、関節がぎしぎしと鳴る。
毎日の筋トレに加え、土日は剣術の稽古までした。久しぶりに体を酷使したもんだから、全身が痛くてたまらない。
休み明け、月曜日。放課後。
ホームルームが終わるのと同時に、ぼくは席を立った。行き先はもちろん、保健室だ。今日も今日とて、部活動にいそしまなくちゃいけない。
当面の目標は、戦闘用の体力づくりだ。筋肉痛くらいで体を休めてたら、いつまで経っても強くはなれない。
両腕にはアザ。それも五ヶ所。全部、昨日おとといの稽古で付けたものだ。お悩み相談部には、どうやら土日休みってのがないらしい。休みの日も、日中は実戦の稽古。日が暮れたら、学校に行って戦闘待機。それを毎週こなさなくちゃいけないっていう事実に直面し、ちょっとばかりゾッとする。
まあ、こんな弱音ばかり吐いていたら、いつまで経っても強くなんてなれないんだけど……。
「やっほ、陽之上くん!」
廊下を歩いていたところで、背後から肩をたたかれた。
ばしん! 心臓が飛び出るくらいの衝撃に、一瞬、気が遠くなる。
「わっ、ごめん。軽くたたいたつもりだったんだけど」
今日も元気百二十パーセントの国沢さん。ぼく以上に激しい稽古をしてたはずなんだけど、そんなのまったく感じさせない。毎日毎食、スッポンの血でもすすってるのかって思っちゃう。
「やっ、陽之上。ごきげんよう。そういや陽之上も、『相談部』のメンバーだったっけか」
国沢さんのうしろから、耳心地のいいアルトが聞こえた。副委員長の修野くんが、人のよさそうな笑みをこっちに送っている。
背が高く、清潔感に満ちあふれた黒髪。顔立ちは涼しげで、目や鼻の形がおどろくほど整っていた。歯並びが綺麗なので、笑顔がとにかくサマになる人だ。
「国沢も陽之上も、部活動、お疲れ。明後日からテストだってのに、大変だな」
テスト! ――その単語が、心に重くのしかかる。
どうしよう、ほとんど勉強してないや。
「嫌な時期だよな。テストなんて、この世からなくなっちゃえばいいのに」
「またまたー、そんなこと言ってえ。勉くんなら、クラス一位だって目指せるじゃない。修野勉。名前からして、いかにも優等生っぽい字面だし」
「いや、それがさ、聞いてくれよ国沢。俺ん家の母親、勉強やれってうるさくって。テスト期間中にテレビなんざ見ようものなら、すぐ電源落とされるんだぜ」
「うわっ。スパルタだねえ」
「ほんっと、勘弁してほしいよ。……陽之上はどう? 中間対策」
まさか話を振られるとは思ってなかったから、ちょっとばかしビックリした。
「ぼ、ぼくは……全然だよ。一応毎日、勉強はしてるけど。それでもいつも、赤点ギリギリなんだ」
「え、そうなの? なんか意外。陽之上って結構、点取れそうなイメージあるんだけど」
点取れそう。そんな印象を持たれたのは、たぶん生まれて初めてじゃないかな。
とりとめのない会話をしながら進んでいたところで、ふと、修野くんが片手を挙げた。
「やっ、森永さん。ごきげんよう。どうかしたの。顔色、悪いよ」
廊下の反対側から、森永さんの姿。
うん。たしかに、浮かない顔をしている。両手を胸の前でにぎりながら、視線を右往左往させていた。
あれ? なんだか、違和感があるぞ。
なんだろう。普段の森永さんと、少し髪形が違うような。
「やっほ、ちぃちゃん。あれ、タンポポは? 昼休みのときは、つけてたよね」
あ、そうか。いつも前髪につけてる、タンポポの形した髪かざり。あれがないんだ。
「ああ、ほぅちゃん。うん、それがね。あれ、どこかに行っちゃって」
「えっ、そりゃ大変。いつ、なくなったの」
「ついさっき。帰ろうとしたところで、頭の上が妙にさびしいなって思って」
「そっかー。じゃあ、例のグループに盗まれたってことはないかな」
「例のグループ? 森永さん、誰かに嫌がらせでも受けてんの」
首をひねる修野くんに、ぼくはここ数日のできごとを説明する。
聞き終わるや、彼は静かに、
「へえ、そう」
こぶしをにぎり固めた。
そして森永さんに、聞く。
「あいつらは今日、きみに話しかけたりしたの?」
「ついさっき、トイレの前で会ったよ。前髪ずれてるよって言われて、直してもらったの」
ぼくと国沢さん、修野くんは、いっせいに顔を見合わせた。
あの。それってつまり、そのときに……。
「あの子たちにも、親切なところってあるんだね。やっぱり、表面だけで人を判断しちゃいけないよ。うん、いけない」
うふふ、って笑う森永さんを見て、ぼくと国沢さん、修野くん。
三人共、絶句。
そして、小声でささやきあった。
「天然だな」
「そだねっ。それも絶滅危惧種レベルの」
「な、なはは……」
ある意味、女子を敵にしやすい性格って言えるのかも。
「あのね、ちぃちゃん。たぶん、そのときじゃないかな。タンポポ、取られたの」
「えっ!」
見ているこっちがかわいそうに思えるくらい、森永さんは真っ青になる。マンガだったら、うしろに「ガガガガーン!」って感じの擬音が入ってるところだ。
「そっか。そっか。うん、そうだよね。考えてみれば、そうなるよね」
涙目で肩を落とす森永さん。天然っていうか、人を疑うことを知らないらしい。頭巾をかぶって森に出かけようものなら、悪いオオカミにだまされること必死だ。どんな家庭で育ったのか、ちょっと気になった。
「とにかく、教室に戻ろう。まだいじめグループも残ってるかもしれない」
修野くんの言葉に、ぼくらはうなずいた。そのとき、うしろから声がした。
「あのブタ共なら、今日は残ってないぜ。めずらしくな」
振り返ると、唐田がいた。ポケットに両手を突っこみ、ぼくらをにらみまわしている。
かざり気の失せた森永さんの髪を見て、だいたいの事情を悟ったらしい。いらだちのこもった舌打ちを放つ。
「森永よお。お前、盗られたらやり返せばいいだろうが。あんな髪留めなんかより、数倍いいのが手に入るぜ」
森永さんは、首を横に振った。まるっこい両手をぐっとにぎりしめ、語尾に熱を持たせる。
「あれ、お母さんにもらった大事な物なの。お母さん、すごく悩んで買ってくれた物だから。だから絶対、なくしたくないの。うん、なくしたくない」
「はん、わーってるよ。マジになって反論すんな、気持ち悪い。そういうぶりっ子みてえな口調してっから、嫌がらせなんざ受けるんだよ。察しろボケ」
「ちょっと。なに、その言い方!」
「まあまあ国沢、鼻息を荒げずに。ここで怒っても、森永さんが居辛くなるだけだよ」
額に血管を浮かせた国沢さんを、修野くんが冷静になだめた。必殺のフレドリー・スマイルを形作り、唐田に呼びかける。
「よければ、亮も手伝ってくれない、髪留め探し。みんなで手分けしようよ」
「はっ、冗談。つうか、気安く下の名前で呼ぶな――俺は帰るぜ。せいぜい、がんばって探せよ、学級委員さん」
唐田は国沢さんをねめつけた。軽侮と侮蔑の色を湛えた、バカにするような笑みだった。




