2-3
岳人先生。
が、突撃してきた。
「隙だらけだぞ、陽之上!」
剣道場の板張りをキュッと鳴らし、一気に踏みこんで、先生は振りかぶった。歴史を感じさせる古びた竹刀は、だけども磨かれた刃物のようにギラリときらめき、空気をビリビリと裂いてぼくの頭上へ襲いかかった。
ぼくは泡を噴くような思いを味わいながら、手に持った竹刀でその攻撃を迎え撃った。
刀と刀が、空中で合わさる。ビシリ。まるで空間そのものに亀裂が入ったような音が、剣道場内に反響した。
先生はそっと刀身をそらし、手首を回転させて横なぎに竹刀を振るい、
――視界の隅で、先生の白衣が横切る。
そうか、脇だ! 先生は、むき出しになった、ぼくの脇腹を狙っている。
ぼくはいま、防具なんかは一つも身につけていない。この稽古は、互いに私服で行うことになっている。いつ、どんな状況でも戦えるようにっていう狙いがあるらしい。
竹刀は、
斬、
と、まるで牙を研いだ獣のように、ぼくのわき腹に食いつこうと飛びかかってくる。
ぼくは瞬時に、襲い来る刃を膝で蹴った。
あくまでこれは、実戦練習。わざわざ剣道の型にとらわれる必要もない。勝つために、身を守るために、あらゆる手段を使い尽くす。
弾かれた先生の竹刀は、涼しい音を立てて板張りの上を転がった。
いまだ!
丸腰になった先生の頭めがけて、思い切り打ちかかる。
だけど先生は、落ち着いた姿勢を崩さない。
息をシンと潜め、
「背中がガラ空きだ」
瞬間――背中を、これでもかってくらいに強打された。
背骨がビィンとたたき伸ばされ、全身が思い切りそり返る。
「がっ……」
かすれた悲鳴が、口から漏れた。
全身にしびれが発生し、膝下から力が抜けていく。ぼくは音を立てて、前のめりに倒れこんだ。
な、なんで? どうしてぼくは、攻撃を食らったんだ?
先生が動いた様子はない。それに彼の竹刀は、ぼくが遠くに弾き飛ばしたはずだ。
てことは、ぼくの背後を襲ったのは……。
「あちゃ。ゴメン、力加減がなってなかったかも」
国沢さんの声を背中越しに聞いた。下手人は彼女だ。
「甘いな、陽之上。実戦では、敵が一体であるとは限らない。うかつに背後を取られるなよ。それは死を意味する行為だからな」
「あのねえ、お兄ちゃん」
国沢さんのとがった声が、頭上を飛んだ。
「陽之上くん、剣道なんてこれっぽっちもやってこなかったんだよ。そんな子にいきなり実戦練習って、ちょっと段階を飛ばしすぎじゃない? まずはじっくり剣の型を教えこんでから、次のステップに移るのが筋ってもんでしょ」
「そんなことをすれば日が暮れる。すると『夜』たちが動き出す。剣の型を教えこんでも、実戦に慣れていなければなんの役にも立たない。陽之上には即、戦力になるための力を付けさせる必要がある。陽之上自身の命を守るためにも、な」
ぼくはうつぶせになりながら、呼吸といっしょに背中を上下へ揺らし続けた。ほほに当たる床の冷たさが、ほてった思考をゆるやかに冷ましていく。
体を回転させ、あお向けになった。無機質な光沢を放つ電灯たちが、ゾッとするほどはるか高くから、ぼくを見下ろしている。
市営体育館のように広い場内で横たわっていると、なかなかの開放感を味わうことができた。昼下がりの日光が差しこむ薄明るい場内は、時間の流れをひどく緩やかなものに感じさせた。せっかくの土曜日なのに、ぼくら三人以外に人はいない。まあ、それも当然だ。
なにせここは、市営体育館じゃない。
国沢さんの実家が所有する、専用の剣道場なのだから。
それを最初に聞いたときは――ぼく自身、にわかには信じられなかった。
「……」
胸が、静かに波打つ。前髪が額にペッタリと貼りつき、まつげにかかった。喉が異常なくらいかわいている。稽古を始めたのが、十時ちょうどだったから……ざっと五時間、飲まず食わずで続けてきたってことになるのか。だっていうのに、どっぷりと滝のように噴き出る汗が、喉のかわきを手助けしている。
「立てる? 陽之上くん」
国沢さんが手をさしのべてくれた。ぼくはその手を制し、両手を床について上半身を起こした。自分の体くらい、自分自身の力で起こさないと。
思えば、国沢さんの私服を見るのは初めてだ。黄色を基調に、黒のラインが入ったジャージ姿。カンフー映画が好きなのかな? でも、小柄な彼女が着るには、少しサイズが大きすぎる。ズボンのすそは何重にも折りたたまれ、あまった袖の部分が、小さな手元をすっぽり覆い尽くしていた。
「ボサッとするな、陽之上。早く身を起こせ」
先生が、やや厳しさをこめた口調で言い放った。ぼくは、あわてて立ち上がる。すると先生は口調を急激に和らげて、
「昼食にしよう。腹が減っては、戦もできないだろう」
隅に置かれたバッグを取りに行き、そして数十秒後、中から出されたのは、弁当箱の包み。全部で三つあり、黒、白、グレーの三色。どうやら、事前に作ってきてくれたらしい。黒と白のをぼくら二人に手渡してくれた。全員、輪になる形で座りこみ、一斉に手を合わせる。
「いただきマンモス!」
一人だけテンションが高い。国沢さんだ。彼女は目にも留まらないものすごい手さばきで包みを解いたあと、あっという間にふたを開け、俊敏な箸使いでオカズを吟味し始めた。
「……」
言葉を失うぼく。
「気にするな、陽之上。こいつはカバと張り合えるくらいの胃袋魔人なんだ」
岳人先生が悪態をつくけど、国沢さん本人は気にも留めていない。両手で弁当箱を持ち上げて、一心不乱にかっ食らっている。ズゴゴゴゴ、って音を立てながらメンチカツを食べる人を、ぼくはいまだかつて見たことがない。
え、ええと。深く突っこむのはやめて、話題をそらしたほうがよさそうだ。
「にしても……知りませんでした。国沢さんたちの家って、ものすごいお金持ちだったんですね」
家屋のほうがどうなっているのかは知らないけど――それでも。
「こんな広い剣道場を、市内に作れるなんて。しかもぼくら専用の」
言ってから、先生のほうを見た。先生は細い喉をコクリと鳴らして、噛んでいた物を飲みくだす。光ひとつない瞳で、ぼくを見下ろした。
「国沢家は昔から、政財界やら金融界やらにいろいろ手を回していてな。家柄自体もかなり古い。表社会にあまり出ないせいで、それほど知名度は高くないが――早い話が、暴力絡みのアレだよ」
サラリとすごいことを言われてしまった。
「『夜』関連の情報管理や費用出資も、ウチの仕事さ。大半の雑務は、『上』の連中がこなしている。極秘情報も多いから、詳しいことは伏せるがな」
思わず身を乗り出すぼくの横では、国沢さんが弁当をかっこみ続けている。つやつやと目を輝かせ、てかてかと肌をてからせ、剣さばき以上にすばやい箸さばきで。
……平和だなあ。
「でも、なんていうかその、すごい偶然ですよね。『夜』を倒すことに、協力している家。その家で育った兄弟が、全員『夜』を討つ能力を持っているなんて」
つい気になったことを、口にしてみた。すると先生は、けわしい顔つきになって腕を組んだ。
落ちる。静寂。
国沢さんの食べる音だけが、剣道場内にむなしく響く。
沈黙に耐え切れず、ぼくはなにか言葉をかけようと試みた。
「……あ、あの」
「陽之上」
先生の声、どこかトゲを含んでいる。
「お前の疑問はもっともだ。この偶然は出来すぎている。俺も常々、それを考えてきた。『夜』討伐への資金援助を生業とする家系で、何人もの能力者が輩出される――これにはなにか、特別な理由があるのかもしれない」
特別な、理由……?
「あるいはなにか、仕組まれた事情があるのか」
それっきり、先生、黙りこんじゃった。な、なんだかシィンとした雰囲気……。仕方ない。ここはもう一度、話題を変えよう。
「で、でも――先生。訓練の相手なんて、本当によかったんですか? まだ、背中のケガが痛むんじゃ」
「だいじょうぶだ。もうどこも痛くない」
考えこみつつも、ハッキリとした口調で言い切った。大ケガを負ってることをついつい忘れちゃうくらい、背筋をきっちり伸ばしている。健康な人の姿勢と、まるで区別がつかなかった。
まさか、もう治ったとか? いくらなんでも、そんなはずは……。
「ふいー、ごちそうさま。ありがとね、お兄ちゃん!」
国沢さんがカラッとした笑みと共に、弁当箱を置いた。
え、ええ!
ぼくは、度肝を抜かれる。彼女の弁当箱は、まるで洗い立てのようにピカピカだ。ご飯粒一つ残されてない。
それに、なんて早さだ。ぼくなんてまだ、メンチカツとエビフライにしか口をつけてないぞ。
先生が目を伏せ、ため息をついた。
「お前な。毎度のことだが、もっと味わって食べろよ。……まあいい、食後のデザートだ。陽之上にも、ついでに渡しておこう」
言って先生が投げよこしたのは、
「くるみ、ですか……?」
固い殻に包まれた、手のひらサイズのくるみだった。
「そうだ。これから毎日、これを出す。片手で殻を砕けるようになるまで、ずっとな」
片手で、くるみの殻を?
「それって、大の大人でも中々できないんじゃ」
真横で、軽い音がした。くるみの割れる音だ。国沢さんが、むき出しになった中身を、ひとさし指と親指でつまんでいる。
「こんなの、慣れちゃえば簡単だよ。わたしなんて、指二本でつぶせるもん」
ぼくは呆気に取られながら、至福の表情でくるみをほおばる彼女を見つめていた。
手の中のくるみに視線を落とす。殻に閉じこもったくるみの姿は、まるでぼくそのものを表しているようだ。
両手でそれを包みこみ、グッと力を入れこんだ。
……砕けない。
久しぶりの更新となります。
掲載が遅れて、申し訳ありませんでした。




