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「実は今日さあ。体育ンとき、森永の制服からケータイ抜き取ってきたのよ。ほら」
そんなセリフを耳にしたのは、次の日の放課後のことだった。
机の中にノートを忘れたぼくは、面倒な気持ちをおさえながらも、放課後の教室を目指していた。来週から始まる中間試験のためにも、ノートは絶対に必要だ。
そんなこんなで、教室の前へ。ドアを開けようとしたところで、
「あの子、トロいからさ。たぶんまだ、気づいてないと思うよ」
扉の内側から、聞き覚えのある談笑。クラス内でも発言力の大きい、女子グループだ。
「ねえ、開いてみなよ」
誰かがせきたてる。
「ちょっ、なにこれ。家族写真? うーわ、こんなの待ち受けにしてんの」
心臓が縮み上がるのを感じた。
間違いない。森永さんのペンケースを落としたのは、この人たちだ。そしていまは、森永さんがなによりも大切にしている携帯電話を、その手につかんでいる。
「あー、なんか聞いたことあるわ。あの子のお母さん、病気で入院してるんだって」
それを受けて、主犯格らしい声が鼻を鳴らした。
「ふうん。つまりこれは、思い出の写真ってことね」
なにを思ったんだろう。声音をいっそう、明るくさせる。
「じゃあこのケータイ、明日、本人に返しちゃお。あの子バカだから、落ちてたのをたまたま見つけた、って風に言っておけば納得するっしょ」
嫌な予感を覚え、引き戸に手をかけた。一気に開けて教室内に入りたいんだけれど、しかし腕は、怖気づいたこの両腕は、ピタリと静止したまま動かない。
いま入れば、彼女らを止めることだってできるはずだ。
だけどぼくには、そんな勇気すらない。
「え、返すの。なんかつまんなくね?」
「バカ。そのまま返すわけないでしょ。返す前に、待ち受け画像を消しとくの」
「あ、なーる」
いっせいに、忍び笑いが聞こえてきた。
つばが――ためこまれたつばが、少しの痛みといっしょに喉を流れ下る。
胸の内がカッと燃え上がるのを感じ、こぶしを固めた。これで恐怖さえ抱いてなければ、怒りにまかせて扉をこじ開けられたことだろう。
でも。
「じゃ、消しちゃおっか」
やめてよ。
その一言さえ、ぼくは口に出せない。自分の中のドアを、開けられない。
いままさに、彼女らは待ち受け画像を消去すべく、デリートボタンに手をかけようとしているに違いない。そんな状況なのに、ぼくはなにも。
なに一つとして、できやしないのか。
「死ーね」
残酷な一声が、響く。
ダメだ、もう。
そう悟って、目をつぶったときだ。
「邪魔だ、どけ」
ドアが開かれた。背後から伸びた、たくましい手によって。
誰かの足が、ぼくの背中を思いきり押した。つんのめり、教室内に倒れこむ。まだ治りきっていない頭の傷が、倒れた衝撃でズキリと痛んだ。
起き上がろうとしたところで、ズボンに包まれた両足が視界に入った。足の持ち主は力強く床板を踏みしめながら、女子たちに近寄っていく。
女子の一人が、「ひっ」と声を漏らした。
ぼくは顔を上げた。唐田がいた。憮然とした表情を浮かべている。フンと鼻を鳴らし、リーダー格らしい女子の手から、ケータイをかすめ取った。森永さんのケータイだった。
「落ちてたモンに群がって、ブーブー騒ぐな。ブタかお前ら」
「なっ……」
一瞬、顔を真っ赤にした女子たちだったけれど、すぐにだまり、仲間内で目配せしあった。一人、また一人と席を立って、気まずそうに教室から出ていく。
教室には、唐田とぼくだけが残された。
「いつまで寝てんだよ。立てや」
言われて、ぼくは立ち上がる。
反対に、唐田はイスに座りこんだ。乱暴な音を立てつつ、横の席にカバンを置く。カマキリみたいに細長い足を、机の上に投げ出しながら。
このときのぼくは、きっと狐につままれた顔ってのをしていたに違いない。
なんで唐田は、ここに来たんだ? ……ううん。それよりもどうして、森永さんをかばうようなことを。
「その頭の傷」
唐田の流し目が、ぼくの顔を捕らえた。正確に言えば、頭を覆っている包帯を、だ。
ぼくは肩を震わせた。教室内で、いじめっ子とマンツーマン。自然、全身に力が入る。
「化け物相手に作ったヤツだよな」
胸に、鋭利なメスを入れられた気がした。
「見てたんだよ、俺は。お前が変な刀で、化け物を真っ二つにするところ。寝ぼけて変な夢でも見たんじゃねえかって思ったけどよ。そうとかたづけるにしちゃ、あの血のにおいはきつすぎた」
ああ……。ばれちゃったか。
「しゃべれや。あの化け物はなんなんだ。聞こえないふりとかは、通じないぜ」
しゃべらなかったら、殴られる。それは嫌だ。
あきらめて、『お悩み相談部』の情報を唐田に伝えた。部の目的。怪物の正体。突然光った、胸の印。すべてを洗いざらい語りつくした。
「ふうん」
あらかた説明を聞き終えたところで、唐田は腕を組んだ。
「古臭い少年マンガの主役みたいだな、お前の能力」
そして、窓の外の空をあおぎ見た。
「俺はさしずめ、それをいじめる小悪党か」
なんでだろう、遠い目をしている。
ぼくは一瞬、恐怖さえも忘れて、唐田の様子をうかがった。
場違いなほどハッキリとした声が響いてきたのは、そんなときだ。
「ちょっと! なんで唐田くんが、そのケータイを持ってるの」
国沢さんだ。そのうしろには、森永さんもいる。
森永さんは唐田のにぎるケータイを見て、「あっ」と口を丸くした。
「うるさい女だ。変な誤解すんじゃねえよ。むしろ、感謝してほしいくらいだぜ」
唐田はえらそうな態度で鼻を鳴らし、国沢さんにケータイを渡した。
国沢さんは、ふくれっ面のままぼくを見る。
「なにがあったの? ねえ陽之上くん、よかったら説明してくれない」
ぼくは言わば、証人の立場に立たされていた。唐田の肩を持ちたくはないんだけれど、ここはありのままの事実を伝えなくちゃいけない。
ぼくは所々つっかえながらも、ことのなりゆきを説明した。
「へえ」
国沢さんが、目をパチクリさせる。
「そういうことなら、ごめんなさい。ちょっと疑りが過ぎたみたい」
森永さんはといえば、口の端を少し上げて、こじんまりとした笑みを浮かべていた。
「ありがとう。やっぱり、唐田くんは優しいね」
「べつに、お前のためにやったわけじゃねえよ」
舌打ちしつつ、ほほをかく唐田。
「ともかく!」
国沢さんがこぶしを固め、ふしゅん! ――鼻息を吐く。
「こんなこと、絶対に許せないよ。明日、いじめグループを問い詰めなくちゃ」
「やめとけ偽善者。お前なんかがヘタに動いたところで、火に油を注ぐだけだ。説得されてやめるくらいなら、いじめなんて誰もしねえんだよ」
「あっ、ええと。ぼくも、やめたほうがいいと思う」
なんてこった。唐田と意見があう日が来るだなんて。
「うーん。じゃ、どうすればいいんだろう……あっ、そうだ! ねえ唐田くん、一つ聞いていいかな。唐田くんにとって、いじめにくいタイプってある?」
唐田は虫の居所が悪そうな目つきで、国沢さんをにらんだ。やがて、大きな瞳で見つめられることにたえかねたんだろう。親指でぼくを指した。
「いじめっ子ってのはな。だいたい、こいつみたいな友達のいないカワイソーな奴をねらうんだよ。発言力の強い奴が周りにいると、やっかいだからな」
「教えてくれてありがとう。だけど少なくとも、わたしは陽之上くんの友達だよ」
そんなフォローをされると、なんだかなあ。ちょっと、くすぐったい。
「あっ、そうか。それだよ、それ! わたしが、森永ちゃんの友達になればいいんだ」
指をパチンと鳴らしつつ、国沢さん。
「と、友達?」
「そ。今日からわたしたち、友達」
まん丸になった森永さんの目をしっかり覗きこみながら、深くうなずく国沢さん。
「となると、呼び方はどうしよう。『森永ちゃん』だと呼びにくいし……。千尋ちゃんだから、ちぃちゃんって呼ばせてもらうね」
「えっ。あ、うん。じゃ、じゃあ。ほぅちゃん、って呼んでもいい? 明日歩ちゃんだから、ほぅちゃん。うん、ほぅちゃん」
両手を胸の前でにぎり締め、声を弾ませる森永さん。国沢さんは、まるっとした笑みを返答代わりにした。
イスが軋んだ。唐田が立ち上がっている。カバンを手に、長身を揺らして歩き出した。
「くだらね。帰る」
「あ、わたしもそろそろ。じゃあね、ほぅちゃん、陽之上くん」
森永さんもその場を立った。唐田との間に微妙な距離を空けつつ、教室をあとにする。
「あの二人、ひょっとして……」
ぼくはぼんやりつぶやいた。
「んっ、どうかした?」
国沢さんが首をかしげる。彼女に春が訪れるのは、どうやらまだまだ先のようだ。




