大好きな貴女
「お、おはよー、ござい、ます」
「おはよう。どうしたの? 寝起きドッキリみたいな小声で」
「いえ、別に」
あーちゃんの家をいつも通り訪ねるも、昨日のことが尾をひいていて本調子がでない。
結局どうすべきか結論は出なかった。ずっと考えていたせいで寝不足だし、体調的にも元気がでない。
はぁ。ここまで来たけど、どんな顔してどんな態度であーちゃんに接すればいいんだろう。
「そうそう、聞いて、さっちゃん。なんと愛美が−」
「おはよう、さっちゃん」
「え」
お母様が何かを言う前に、キッチンから顔を出したあーちゃんの姿に私は固まる。
ど、どういうこと? あーちゃんがもう起きてるなんて……あ、お母様が何か用事あって早くに起こしたの? そゆこと?
「あら、もう食べたの?」
「うん。洗ったけど、スポンジは泡泡なんだけどどうすればいい?」
「今するわ。ほら見てさっちゃん、今日は愛美が自力で起きたのよ? すごくない?」
「え…え!? マジですか!?」
「マジマジ」
ど、どういうこと!? あーちゃんが自力で起きるなんて……というかあーちゃんの部屋は目覚まし自体ないでしょ!?
「ど、どうしたの?」
「別に…私も中学生だし」
え、ええぇぇええ!?
○
あーちゃんの変化は朝だけに収まらなかった。
登校中も手を繋がず、文句もいわずに歩いた。
「おはよう」
「おはっ……お、おはよう」
あーちゃんが通り過がりのクラスメートにも挨拶をした。
「すみません、さっきの授業のことで質問があるんですけど」
「おっ? お、おお…珍しいな。なんだ?」
先生にわからない問題を質問した。
授業中は真面目にノートとってる。
お昼もいつもなら途中から私があーんするのになし。
私が着いて行く形で一緒にトイレに言ったらハンカチ持ってた。
あげく『これから自分のことは自分でするから持ってこなくていいよ。今までありがと。先に言わなくてごめんね』と言われた。
「……うん」
と曖昧に頷くことしかできなかった。
今日のあーちゃんは明らかにおかしい。まるで普通の、いや真面目な優等生並だ。おかしい。
どういうことかわからないけど、なんかちょっと恐い。どうしちゃったの? 私のせい? 私が傷つけちゃったから?
でもこれは、お母様も喜んでたし、いいことだ。あーちゃんが成長してるんだし素晴らしいことのはずだ。
でも、寂しい。自分勝手なこんなこと言っちゃいけないけど、あーちゃんとこんな、普通の友達みたいな、触れられない寄り掛かられない距離は、遠すぎる。あーちゃんが遠くて寂しい。
「お待たせ。先に帰ってくれてもよかったのに」
「何分だって、待つよ。あーちゃんと一緒に帰りたいから」
「あ、ありがとう」
放課後もあーちゃんは自主的に勉強するため、先生に質問に行った。先生たちは戸惑いつつも今までやる気のなかったあーちゃんの質問に嬉しそうに答えていた。
あーちゃんは何だか楽しそうで、嬉しそうで、あれだけ面倒がっていた学校生活というものを満喫してるみたいで、前の方がいいとはとても言えない。
「じゃあ、また来週ね」
「え、あ、遊ばないの?」
家の前で当然のようにあーちゃんは別れようとして、慌てて引き止める。あーちゃんはにっこりと笑ってる。
「うん。私今まで勉強さぼってたから、ちょっと頑張ろうかなって」
そんな風に笑顔で言われたら、何も、言えない。
「今までさっちゃんに迷惑かけてごめんね。これからは私、一人でできるよう頑張るから。見ててね」
「…うん。わかった。仕方ないから見守ってあげるよ。頑張ってね」
「ありがとう」
見てるだけなんて、嫌だ。手伝いたい。せめて一緒に頑張りたい。だけどせっかくやる気をだして変わろうとしてるあーちゃんに、水を差すなんてできない。
○
それから一週間、見る見るあーちゃんは優等生として認知されだした。元々、勉強嫌いだっただけで、頭が悪いわけじゃない。
あーちゃんは自力で小テストで平均をとれるようになった。私から離れて友達と話すようになった。
「はーっ、今週は何だか、時間がたつのが早かった。ねぇ、さっちゃんもそう思わない? もう週末だよ?」
「そうだね」
私は長かった。目茶苦茶長かったよ。あーちゃんがいない日々は、時間の流れが遅かった。
「ねぇ、あーちゃん」
「なに?」
「今週は頑張ったしさ、今日は遊ぼうよ。授業に追いついたんだから、そんなに焦って勉強しなくていいでしょ?」
「ん? うん、そうね。私も久しぶりにさっちゃんと遊びたかったんだ。嬉しいな」
あーちゃんは少し多弁になり感情を出すようになった。その変化は可愛い顔が見れるんだから嬉しいんだけど、まだ違和感を感じるし、変な感じだ。
「はい、お茶」
「あ、ありがとう」
あーちゃんは私を先に部屋に行かせると、なんとグラスとお茶を持ってきた。
なんてこった。あーちゃんが進化しすぎてる。一週間でこれとか、元の素養高すぎ。
「ねぇ、あーちゃん」
「なに?」
「その……あーちゃん、ずいぶん変わったよね。ずっと聞きたかったんだけど。どうしたの?」
ベッドに向かい合うように座ってから訪ねる。いつもなら寄り添って座る。
「……この前も言ったけど、さ……今までさっちゃんに迷惑かけてばっかりだったでしょ? これじゃダメだって気づいたの。今の私、結構いい感じでしょ? お母さんも褒めてくれてるし」
「う、うん…すごく頑張ってるし、真面目な優等生って感じだよね。社交的になったし、かわりすぎってくらい、素敵な人になったよね」
「えへへ。照れるなぁ。でもさっちゃんに認められるの凄く嬉しい。自信つく」
にこにこと笑顔になるあーちゃんは見てるだけでとろけそうなくらい可愛い。可愛い、のに、何故か私の胸の中は喜びでなく焦りで満ちていく。
「……で、でもさ、大変じゃない?」
「ん? まぁ、そりゃ大変だけど、今までのツケだしね。さっちゃんくらいちゃんとやってたら、今になってジタバタする必要ないわけだし」
「じゃ、じゃあ私できることあったら何でも言ってね。あーちゃんのためなら何でもするし。協力するよ」
「……ありがと」
あ、あれ? なんでそんな微妙な顔なの? 口元は笑ってるけど困ってます全開な雰囲気で、むしろ迷惑みたいな……
「でもダメ。私、自分を変えたいんだ。だからもう、さっちゃんには頼らないって決めたの。さっちゃんの気持ちは嬉しいけど……って、さ、さっちゃん?」
あーちゃんが慌てたような声をあげる。だけど今どんな顔をしてるのか、視界がぼやけてよく見えない。
「な、何で泣くの?」
頬にあてられたハンカチを受け取りながら拭うと視界が晴れ、見覚えのないハンカチが目に映る。私のじゃなくてあーちゃんが用意した自前のハンカチ。
それを見るとまた涙がわいてでた。
「さっちゃん、ねぇ、どうしたの?」
「な、なん、でも、ない」
頭を振って否定するけど涙が後から後から零れてくる。本当は何でもなくない。あーちゃんが私から離れるのが悲しくて寂しくて、泣けてしかたない。
でもそんなこと言って、あーちゃんがしたいことを否定なんかできない。いいことだし本人も楽しんでて否定する要素なんてない。ただの私の我が儘だ。言ってあーちゃんに嫌われたくない。
だけど、理性が涙をとめてごまかせと命令するけど、涙は止まらない。
「なんでもなくない! さっちゃんが泣いてるのに何でもないわけない! 私はさっちゃんの役に立ちたいよ。今までずっと迷惑かけたから、今度は私の番。頼りないかも知れないけど、私を頼ってよ」
「あ、ああちゃ…う、うぅ」
「なに? 言って。さっきさっちゃんが言ってくれたみたいに、私もさっちゃんのためなら何でもするよ。だから言って」
「…私……私は…」
言って、いいのだろうか。あーちゃんが自立するのが嫌だなんて。そんなこと言って……言っていいはずない。だけど、あーちゃんが聞くと決めたなら私は覆せない。あーちゃんが聞きたいなら話さなきゃならない。
「……嫌、なの」
「何が?」
「あーちゃんが…しっかりするの、嫌なの」
「え? ……ごめん。意味がよくわからないから、説明してもらっていい?」
「……あーちゃんと離れたくない。頼ってほしい。私はあーちゃんのお世話するのが好きなの。あーちゃんが他の人と話をするのも嫌。あーちゃんは私だけのあーちゃんでいて欲しい。…ごめん。めちゃくちゃ言ってるよね。ごめん」
「……」
あーちゃんは呆れたり怒ったりせず、私を抱きしめた。あーちゃんからこんな風に覆いかぶさるように抱きしめられたのは初めてだ。
あーちゃんの温もりを感じてじんわりと幸せな気持ちになる。涙はとまった。
「……ごめん、さっちゃん。私、さっちゃんの気持ち考えてなかったね」
「え…? 何であーちゃんが謝るの? さっちゃんがしてるのはいいことだし偉いのに、元のダメなあーちゃんを望むなんていけないことだよ」
「ダメって……私のことそう思ってたの?」
「え、あ…や、あーちゃんは、ダメダメなとこが可愛いっていうか…」
「いいよ。私だって、ダメなのわかってたし」
うん、いや、ダメっていうか、世間一般でならダメな人ってだけで、あーちゃんにとってはむしろ長所……ではフォローにならない、よね。やっぱり。
「……私、さっちゃんが好き。恋愛感情として好きだよ」
「……うん。この間の、態度で、もしかしたらって思った」
あーちゃんは私を抱きしめる腕に力を込めた。あーちゃんの顔は見えない。
「やっぱり? 私もそうかなって思った。ていうか、私は普通にさっちゃんも私が好きだと思ってたし、だから恋人になってくれたんだと思ってた。違ったんだよね」
「……ごめん。勘違いしてた」
「うん。気づいた。私馬鹿みたいだよね。一人で舞い上がっちゃって」
「ち、違うっ。私が勘違いしちゃったからで。ていうか、勘違いしちゃったけど−」
「いいの。私が悪かったの」
勘違いせずに本気だとわかってても、ちゃんとさっちゃんの申し出は受けた。そう言おうとしたけど、言う前にあーちゃんが遮った。
「私が、さっちゃんにとって恋愛対象として論外だから、告白なわけない、ごっこだって思ってしまったんだ。仕方ない。だって私もさっちゃんも女の子だし、私はいつもさっちゃんに迷惑かけてる手の掛かる子供だから」
「……」
違う、とは言えなかった。その通りだ。私はあーちゃんを小さな幼い女の子だと決めつけてた。その上女同士だから、あーちゃんが恋人と言っても大人ぶりたいだけのごっこだと思った。
「だから、変わろうと思ったの。さっちゃんの保護下じゃなくて、対等になれるように、私の本気がわかってもらえるように、さっちゃんと同じくらいになりたかったの」
あーちゃんは勘違いしていた私に、怒ったわけでも、嫌いになったわけでもなかったんだ。
ただ私を振り向かせようとして、変わろうとしたんだ。
「でも、何も言わないまま、突然私が変わったらさっちゃんも戸惑うよね。私は覚悟を決めたけど、さっちゃんは急に距離を空けられるんだから寂しいよね。ごめん、そこまで頭が回らなかった」
そんなに、私のことを好いていてくれたなんて知らなかった。
私はあーちゃんのことが大好きで、あーちゃんはそこまででないとか勝手に思ってた。でも逆だった。
あーちゃんこそ私を深く考えて、私を深く思ってくれてた。私はただあーちゃんの表面をなぞるように好き好きと軽く言っていただけで、どう好きか考えなかった。
「わ、私……あーちゃんが、好き、だよ? でも、恋愛か……わからない」
「…うん。今はそれでいいよ。私、頑張るから。さっちゃんに相応しい私になる。でも寂しいから、ふたりきりの時は、ちょっとだけ休ませてね」
「……うん」
何と言えばいいのかわからなくて、私はただ頷いた。
○