↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/11

九月一日の朝

八月三十一日、午後四時。


街から、人の声が消えていた。


駅前の信号は青のまま点滅している。ロータリーには路線バスが三台、扉を開いたまま停まっていた。


歩道橋の上から見下ろすと、撮影の合間に放置されたセットのようだった。


(あきら)。東の県道、見えてる?』


耳の奥で、玲子の声がした。


「見えてる」


水瀬晶(みなせ あきら)は、手すりの錆びた継ぎ目に指をかけた。


装甲車が四両。後続に大型の輸送車が二両。人員はおよそ六十。


『予定より早い?』


「二秒だけ」


『二秒』


「誤差だ」


通信の向こうで、玲子が短く笑ったのが分かった。


『こっちは地下入口手前。真壁が先行してる』


「じゃあ、上は俺だ」


十二歳の身体では、手すりから顔を出しても視界の下半分が欄干で切れる。


(あきら)は足場のコンクリートブロックへ乗って、右の袖をまくった。


手首に、細い金属の腕輪がある。輪の周りに、小指の爪ほどの多角形のプレートが並んでいた。


プレートが四枚、音もなく回った。


「──始めよう」


星綴り(ほしつづり)〉が、街に星を灯した。


駅ビルの屋上。アーケードの支柱。県道。給水塔。学校の時計台。廃線の高架。自宅のあった住宅地の角。


淡い光の点が、無人の街のあちこちで同時に灯る。


数は数えていない。晶にとってそれは、点の集まりではなく一枚の地図だった。何を切れば何が落ちて、落ちた先に誰がいないかまで含めた地図だ。


先頭の装甲車が交差点へ入った。


晶は右手の指を、二つの点の間へ滑らせた。


二点を結ぶ光を刃先にして、切れ目を路面の下へ通した。


音は、ほとんどしなかった。


県道の路面が切り離され、下の地下道の空洞へ落ちた。装甲車が急制動をかけ、後輪が縁で空転する。滑り落ちた弾薬箱が、アスファルトの上で派手に散らばった。


車から人が降りてくる。晶は、そこへは線を通さない。


代わりに、彼らが取ろうとした迂回路——商店街のアーケードへ、二本。


支柱の根元だけが切れ、アーケードの屋根が傾いて崩れた。瓦礫は歩道の内側で止まる。迂回してきた隊列の上へは、一片も落ちない。落とす方向まで含めて、この場所は何十回も練習してある。


歩道橋の手すりに、小銃弾が次々と当たった。


晶は跳んだ。


遺物への接続による身体強化が、歩道橋の高さから十数メートル先の街路樹の枝まで身体を運ぶ。着地の瞬間に膝が鳴った。


枝を蹴って屋根の上へ回りながら、線をもう一本。小銃が二挺、銃身の中ほどで落ちた。


誰も死んでいない。


人を狙う方が、手順だけなら早い。だが遺物接続中の隊員を覆う保護膜へ切断を通すのは、車軸や銃身を切るよりずっと重い。


それでも、殺す事はできる。やらないのは、そのあとが面倒だからだ。部隊が崩れれば、残った人間は散る。散った人間は線で管理できない。丸腰にして、隊列のまま下がらせる方が、地上は静かになる。


何百という試行の末、晶は武器を切っている。



『晶。西の第二班、動いた。中枢の外周へ回り込む』


「見えてる」


晶は屋根の上を走りながら答えた。息が上がっている。声には出さない。


「そっちは」


『予定どおり。地下入口の制圧が終わった』


「退路は」


『北の資材搬入路。三分後に確保が切れる』


「じゃあ時間を稼ぐ」


晶は走る向きを変えた。搬入路の両脇に、あらかじめ星を置いてある。


この搬入路は、天井まで落とせば確実に塞げる。だが、そこまで崩す必要はない。空調ダクトの吊り金具だけを切り、ダクトを落とした。


「道を塞いだ。あと十五分は保つ」


『助かる』


玲子はそれ以上言わない。よくやった、とも、無理はするな、とも言わない。晶がやると言ったことは、やるからだ。


昔は違った。最初の頃、玲子は晶を人払いした部屋へ入れて、毛布を巻いて、機構の避難所の名簿に「保護児童」と書いた。晶がそれを覚えているのと同じだけ、玲子も覚えている。二人ともそれを、いま持ち出さない。


「玲子」


『なに』


「今回で終わらせる」


通信の向こうで、玲子が短く息を吸った。


『そうね』


それだけだった。


同じことを、晶は何度も言ってきた。言うたびに玲子は「根拠は」と聞き返した。根拠を並べて、穴を二人で潰して、それでも足りなくて、また八月一日が来た。


今日は、聞かれなかった。



工業地区の給水塔まで来たところで、晶は一度だけ足を止めた。


止めるつもりはなかった。線を三本引き直して、部隊の分断を組み替えるだけの、数秒の隙だった。


──四日前。


避難の誘導車が、脇道の陥没にはまって停まった。今この周回で初めて起きたことだった。取り残された住民が、区画の奥に何人か。


母は、その車に乗っていた。手伝いに志願していた。


晶が着いたとき、建物は半分落ちていた。母は瓦礫の手前で仰向けになっていて、その周りに、母が連れ出した人たちが立っていた。全員、生きていた。


母は、晶を見て、少しだけ笑った。


何か言おうとして、言えなかった。晶も、言えなかった。


母の手は温かかった。それから、温かくなくなった。


──あの遺物を壊さなければ、母は戻る。


今夜が終われば、街は月の初めへ帰る。母は屋敷の台所にいて、洗い物をしていて、晶が起きてくるのを待っている。陥没も、瓦礫も、なくなる。


やり方は簡単だ。何もしなければいい。


一度だけ、そうしたことがある。母のためではなく、単純にもう一周やり直したかった周回で、九月を捨てた。次の朝、母は台所にいて、「おはよう」と言った。


晶はその日、母の顔をまともに見られなかった。


母が助けた人たちも、消える。助けられる前へ戻る。次の周回で同じように助かる保証はない。


給水塔の錆びた梯子を、晶は握り直した。


三本の線を引き直す。分断が完成する。西の第二班が、中枢の外周から切り離される。


手は震えていなかった。


震えていないことが、正しさの証明にはならない。それも、晶は知っている。



「入口、開けたぞ」


真壁の声が割り込んできたのは、午後六時を回ってからだった。


晶は中枢施設の南側、旧貨物駅のプラットホームの端に立っていた。ここからなら、地上の全域と、中枢へ続く三本の経路が同時に見える。


コンクリートの階段を、黒い戦闘服の男が上がってくる。左の肩から先が血で汚れているが、動きは落ちていない。


真壁士門(まかべ しもん)は、晶の三歩手前で止まった。


「地上は?」


「保ちます。俺が動かなければ」


「だろうな」


真壁が手を出した。説明も、確認もない。


晶は背中から鞘ごと剣を外した。


継目喰らい(つぎめぐらい)〉。反りの浅い、片刃の長剣。


物を斬る剣ではない。遺物が作るつながりを、一太刀にひとつだけ断つ剣だ。地上の星図では、あの中枢は止められない。止められるのは、これしかない。


投げた。


真壁は柄を掴み、そのまま体の向きを変えた。


「切る順番は」


「もう分かってますよね。任せます」


「聞くだけ聞いた」


真壁は階段を降りていった。振り返らなかった。


晶は、その背中が地下の暗がりへ消えるまで見ていた。


かつて、この男は同じ剣を持って晶の前に立っていた。何度も。晶が数えるのをやめた回数だけ。今日それを言う理由はないし、真壁も言わない。


言葉が少ないのは、信頼だからではない。もう、必要な言葉を全部使い切ったからだ。



地下三層。


真壁士門は、崩れた隔壁の隙間から中枢室へ入った。


部屋の中央に、直径十数メートルの環状構造が浮いている。表面は磨いた石のようで、内側に無数の光の筋が走っていた。


高月玲子(たかつき れいこ)の突入班が、入口側で管理組織の残存人員と撃ち合っている。銃声が反響して、方向が分からなくなる。


真壁は環状構造の下へ潜り込み、光の筋を目で追った。


太いものが五本。細いものは数えきれない。太い方が重要だとは限らない。長すぎる時間のなかで、そう思い込んで失敗したことが何度もある。


三太刀目で、真壁は止まった。


残っているのは二本。中枢そのものを維持している筋と、領域全体を復元している筋。


順番を間違えれば、復元側だけが生き残って中枢が作り直される。晶が昔、そう説明した。


説明されただけではない。真壁自身が、一度間違えている。


離反したあとの、どこかの周回だった。この部屋で、中枢側を先に斬った。遺物は目の前で組み直り、二本目へ刃を届かせる前に、真壁は押し出された。


次の朝、街は月の初めへ戻っていた。


真壁は薄い側へ回り込み、復元側の筋を斬った。


環が鳴った。低い、腹に響く音。


一秒待った。


環は、組み上がらなかった。


そして最後の一本へ、真壁は正面から踏み込んだ。


刃が通った瞬間、光の筋がすべて消えた。


「玲子、切れたぞ」


「下がって。支柱を落とす」


爆薬が入り、環状構造が支持を失って床へ落ちた。石のようなものが割れる音がして、それきり、部屋は静かになった。



地上で、晶はそれを、街全体で感じた。


数百年間、毎日そこにあったものが、なくなった感覚だった。


それから、街が壊れ始めた。


原因の遺物は、街を毎月元に戻すと同時に、この一か月ぶんの無理を毎回帳消しにしていた。消えれば、無理はそのまま残る。


中枢施設の外壁が内側へ引き込まれるように崩れた。西側の高架から、コンクリートの塊が落ち始めた。


晶は、プラットホームの端から動かなかった。


崩壊は止められない。止めるのではなく、崩れる順番を変える。北側の壁が先に落ちれば、東側は自分の重さで内向きに落ちる。玲子たちが出てくるのは、南だ。


南側の支柱を、晶は残した。


三十秒後、崩れ切った瓦礫の南側から、玲子の班が一人ずつ出てきた。真壁は最後だった。


晶は、そこで初めて片膝をついた。膝が笑っていた。


右手首のプレートが回転を止め、街の星が順番に消えていく。


この街は、明日には今日と違う形になる。積み上げてきた地図は、今日で使えなくなる。


そのことに、晶は少しだけ、ばかばかしいくらいの喪失を感じた。



九月一日、午前五時四十分。


晶は、崩れた歩道橋の残骸に腰かけて、東を見ていた。


空が白んで、それから、色がついた。


日付が変わっても、街は八月一日へ戻らなかった。信号は消えたままで、駅前のバスは扉を開けたまま停まっていて、アーケードは北側へ潰れていた。何も直っていない。


外との通信が回復したのは、午前二時過ぎだった。封鎖の外にいた機構の本隊が、一晩かけて内側へ入ってきている。


避難所から戻ってきた住民たちは、この一か月のことだけを覚えている。繰り返した回数ではなく、最後の一回ぶんを。


母は戻らなかった。


母が助けた七人は、今朝も生きている。一人は担架で運ばれていったが、生きている。


隣に、玲子が座った。缶のコーヒーを二本持っていて、片方を晶の膝の上へ置いた。冷たかった。自動販売機が動いていないから、どこかの備蓄から持ってきたのだろう。


「飲めるでしょ、これくらい」


「子ども扱いだ」


「十二歳を子ども扱いして何が悪いの」


晶はプルタブを起こした。指が滑って、二回失敗した。


「玲子」


「うん」


「間違ってたかな」


玲子は缶を膝の間へ挟んだ。


「作戦の判断なら、私が署名してる。そこは動かない」


「そっちの話じゃない」


「知ってる」


一口飲んで、街の方を見たまま言った。


「私は間違ってないと思ってる。でも、それはあなたのための答えじゃない」


「役に立たないな」


「役に立つ答えを持ってる人がいたら、連れてきて」


晶は笑った。笑ってから、自分が笑ったことに少し驚いた。


東の空が、完全に明るくなった。


九月一日。


晶はそれを見ながら、ひとつだけ、確かなことを思った。


数百年ぶりに、明日、何が起きるのかを知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。