51.聖女の幼馴染
初めて王宮を訪れたのはもうずいぶん前のこと。あの時のことが今になって急に思い出されてきたのだから不思議なものだ。
あの時の王子の発案がきっかけとなって、相撲はすっかりテンカーの国技となっていた。首都アケツの中央広場があった場所なんて、国技館なんて立派な建物が建てられているほどである。
そんな国技館では、相撲だけでなく演劇やミュージカルも行われる。それらを見に他国からも人が訪れるようになっていた。
人が集まれば食や芸術、その他の文化も発展するわけで、さらに人々を集めることになる。こうしてアケツは一大観光都市にまで成長したといっても過言ではない。
それもこれも当然聖女である私のおかげだ。と言いたいところだが実のところそんなことはない。
ケイラムの父である当時の王子に協力し、相撲普及のきっかけは作ったかもしれないが、しょせんはきっかけに過ぎない。
ここまでの観光国へと発展できたのは、現在の王さまが有能だったからだろう。その代わり街は近代化し、人も多くて騒がしくなり、のんびり暮らすには多少問題もあるようにはなっているが……
そんな国王が、今まさに私の目の前にいる。
「やあ、来てくれたのか。ずいぶんと久しぶりに思えるよ。相変わらず若々しいね」
「何バカ言ってるのよ。おととい来たばかりでしょ。アンタも相変わらず口が軽いわね。このところの急変で心配していたけどこれなら心配なさそうだわ」
お互いに軽口を叩きながらのやり取りはお約束のようなもので、幼馴染ならではと言ったところか。
私は愛想笑いをしながらケイラムの手をしっかりと握りしめる。すると鼻の奥がムズムズしてきて我慢しきれずに涙がこぼれた。
「まったくキミはいつになっても嘘が下手なんだからなぁ。もっと演技力を磨いたほうがいいんじゃないか? 女は誰でも女優なんて言うんだしさ」
「正直者のアタシにはそんなの無理なのよ。アンタみたいに口がうまいならいくらでも嘘がつけるでしょうけどね。そりゃできることなら嘘くらいさらっと言ってあげたかったわよ」
「はは、いいんだよ。僕にはすべてわかっているんだからね。でも今になってみるとあのとき婚約なんてしないで本当に良かった。いやいや、これは本気で言っているけど侮辱しているわけではないからね?」
「はいはい、それくらいわかってますってば」
私は彼の骨ばった手をさらに強く握りしめる。
「まったくさぁ、その小さな手にどれだけ投げ飛ばされたことやら。懐かしい……」
「そんな昔のこと今ここで言う? もっとほかに言いたいことはないわけ?」
「そうだなぁ。ずっと言えなかったけど、僕はキミのことを―― ホントの妹のように愛していたんだよ? ははは、冗談みたいな話だな」
「アンタったらホントにバカなんだから。そんな当たり前のこと口に出さなくたってわかってたっての」
「そうかな、でも言っておかないと後悔しそうな気がしたんだ―― ぅーん、そろそろ眠くなってきた。来てくれて、いいや、違うな。ええっと、とにかくありがとう」
「お礼なんて言われるほどのことしてないわ。いいからゆっくりお休み。しばらくこうしててあげるからね」
握っていた手を持ち替えて、私とケイラムは久しぶりに手を繋いだ。その甲をゆっくりと丁寧にさすっているうちにケイラムは寝息をたてはじめた。
その寝息もしばらくすると小さくなり、やがて聞こえなくなった。代わりに周囲からは鼻をすする音や嗚咽が聞こえ、廊下を慌ただしく走る音も響いてくる。
「聖女さま、陛下の最後をお見届けくださいましてありがとうございました。きっと安らかな最期を迎えたのでしょう。ご覧ください、このやさしそうな笑顔」
「そうね。この子は今までとっても頑張ってきたんだもん。最後は苦しまないでくれてよかったわ。ええ、本当に―― 良かった―― うぐっ」
最後の最後にどうしてもガマンできず、涙とともに声が出てしまった。私もケイラムも、もとの年齢をはるかに通り越してずいぶん長生きしてきた。
結局婚約はしなかったし恋仲にもなりはしなかったが、固い信頼関係で繋がれていた気はする。その絆が今終わりを告げたのだ。
名残惜しい気もするがいつまでもこうしてはいられない。私はゆっくりと彼のしわくちゃな手を胸のところへ返し、最後に頬へキスをした。
『さよなら、お兄ちゃん』
心の中で初めてそう呼んでから、私は離宮へと戻って行った。




