50.聖女の失策
床に転がったケイラムを引き起こした王子は、それでも表情を崩すことなくにこやかにほほ笑んでいる。なんとも穏やかで安心感を与えてくれる紳士なのだろうか。
確かにここで面倒を見てもらったら立派な大人になれるのかもしれない。そう思わせるだけのたたずまいで、王族に見合った気品がある。
かたや私は相撲部屋の一人娘で、努力、根性、忍耐、それに虚勢や粗暴などに囲まれて生きてきた。
おかげで中学のころまで? は、男子と殴り合いをするほどの強暴女子で、同級生からは『おとこおんな』とか呼ばれていたっけ。
そんな本性が備わったままで上品な生活なんてできるはずがない。もちろんできるに越したことはないだろうが、そんな生き方はしたくないのが本音である。
だからこその作戦だし、これだけ粗暴な姿を見せつければ手におえないとあきらめてくれるだろう。
しかし――
「これは素晴らしい! 中央広場での相撲大会では遠くなら眺めただけだったのでよくわからなかったのだがね? 体格に勝るケイラムをこうも簡単に投げてしまうなんてすごいことだよ。なあダイアナもそう思うだろ?」
「ええ、わたくしも少々興奮してしまいました。確かにケイラムは体は大きくなりましたけれど、このような少女に負けてしまうのですからまだまだですね」
どうにも反応がおかしい。こんな暴力的な女の子では面倒見きれないと言いだすはずがなぜか嬉しそうにしている。それどころか、妃殿下まで興奮気味に喜んでいるのだから当てが外れたもいいところだ。
これでは単にケイラムの株を下げただけで終わってしまうんじゃ? まあそれは別に構わないんだけど当初の目的とはずれてしまう。
「今の勝負を見るに、相撲と言うのは力だけでなく相手の力を利用することで体格差や力の差を埋めることができるのだろうね。思っていたよりもはるかに頭を使いそうだ。ケイラムももっと勉強が必要ではないかな?」
「わ、わかってます、お父様…… ですがアキナはとにかく強すぎます。八歳の子とやっても楽に勝ってしまうのですからね」
「そうそう、そうだったね。校内での代表決定戦、そして学校対抗の決勝大会でも勝ちつづけたのだから大したものだよ。街もだいぶ盛り上がって、今では新たな娯楽として定着してきたと聞いている」
それは確かに事実で、今度は大人の大会もやろうと話が進められており、中央広場では新たにしっかりした土俵を建造中だった。だが問題はそんなことじゃない。
「ルカ統括? どうだろうか、この際だから我が国において相撲を興行として定番化させ、新たな職業とするのはいい試みだと思いませんか? 残念ながら私には議会参加権がないので提案にはおもむけないが、盛り上がりをうまく使えば新たな雇用対策にもなると思うのだよ」
「なるほど、殿下のおっしゃること、一考の価値ありでしょう。ですが議会へかける前にまずは詳細を詰める必要がございますね。殿下の提案となりますため案をまとめてくださると円滑に進むでしょうがいかがなさいますか?」
「そうだね、私が言いだしたのだから草案はまとめよう。でも残念ながら私は相撲に詳しいわけではない。どうだい? 養女になるかどうかを考える期間を兼ねて、しばらくはアキナさんを王宮で預かり手伝ってもらうと言うのは」
なんとまあ考えもみなかった言葉が飛び出してしまった。今目の前で暴れて見せたと言うのに、王子はまったく気にしていないようだ。それどころか妃殿下までもが笑顔でうなずいている。
だけど即養女と言うわけでないなら、離宮以外の暮らしを知るのも悪くない。それにケイラムとの結婚前提でないならどこで暮らそうが大差ないだろう。それどころか王宮のほうが食生活は上かもしれない。
それでも私は断るつもりだった。なんといってもリヤンたちとの暮らしが楽しいし快適なことと、聖女として離宮でやるべきことがちょっとだけあるからだ。
「おじさま? 相撲の普及を進めてくれるのはうれしいよ? でもそのためにウチがここに住まなきゃいけないわけじゃないでしょ? もしできることがあるなら学校終わってから手伝うからさ」
「ふむ、どうにも意志は固いみたいだね。そんなに王宮は居心地が悪そうかい? それはそれで少々落胆してしまうよ。正直言うと、私たちには娘がいないからというのも理由の一つではあったんだ」
「娘がいないって言うけどまだケイラムだけじゃない。これから妹ができるかもしれないでしょ?」
「確かにアキナさんの言うとおりだ。二人目は女の子かもしれないからあきらめるにはまだ早いかもしれない。私たちもまだ老け込む歳ではないし、もうひと頑張りするかな?」
「あら殿下ったら皆さんのいるところでそんな―― ふふ。でもアキナさん? 本当にいつでも遊びに来てくださってよろしいのですよ? ケイラムと仲良くしてくれているだけだって夫婦ともどもとても感謝しているのです」
「なんだか僕には友達が一人もいないように思われているような…… お父様もお母様もひどいです」
「あはは、そうだな、きっとそんなことないはずだものな。でも女の子の友人は初めてではないかね?」
「それはそうかもしれませんが…… でも身内に言われるとさすがに落ち込むのですからね?」
そんな和やかな雰囲気で会食の時間は過ぎていき、めちゃくちゃにしてやろうなんて考えていたことなんて、いつの間にか忘れてしまう楽しい夜となっていた。




