1.聖女は悪い子
私の目の前で側仕えのリヤンが肩を震わせている。腕組みをして見上げていた私は、ゆっくりと片手を窓辺へと伸ばしていった。
そのままつま先と指先をピンと立て、人差し指の腹がひりひりするくらいに力をこめて窓枠の角をこすってから彼女の目の前へと差し出す。
「ほらリヤン、見なさいよ。こんなに汚れが残ってるじゃない。こんなんで本当にちゃんと掃除をしたって言える? まさかウチの部屋の掃除なんて手を抜いていいって考えてるんじゃないでしょうね」
「ま、まさかそんな!? 聖女であるアキナさま無礼を働くなんて今まで一度も考えたことはございません。いたらぬ点があり申し訳ございませんでした。どうかお許しくださいませ!」
「口ではいくらでもなんとでも言えるからね。第一そんな形だけの謝罪でウチが許すとでも思ってるわけ? ほら、早くしなさいよ、そう、それそれ」
リヤンはいつもこうして私に叱られているのだが、それでも一向に辞めようとはせず、かいがいしく身の回りの世話をしてくれる素直なイイ子である。だからこそ今日もこうして――――
「アキナさま、どうぞ」
そういって私の手元へ絞った雑巾を差し出した。もうかれこれ半年以上、ほぼ毎日のように繰り返しているのだから彼女も手慣れたものだ。
彼女の手から雑巾をひったくった私は、先ほどの窓枠をごしごしとこすりはじめた。
それにしても、隅から隅までなんとかアラを探してやろうと毎日目を光らせているというのにほとんどなにも見つからない。
だけどなにも言わず満足してしまったらなんだか負けたような気になってしまうからこちらも必死なのだ。
「――ふう、ほっ、ほら見なさい、こんなに汚れが残っていたでしょ? もっとしっかり丁寧な仕事をしてもらいたいもんね」
雑巾には言われれば気づく程度の汚れが付着しているのだが、流石にいちゃもんが過ぎると自分でも思う。それでも私にはこんな行動をする理由があった。
それは――
「ふっ、ぷっ、ぷふっ、あははー、アキナさま? もうお気は済みましたか? それではそろそろお茶の支度をしてまいりますね。その前にきちんとお手をきれいにしておきましょう」
「なんで笑うのよ! たまには悔しがって泣き崩れてもいいじゃない! まったくもう、あんたたちって聖女だとか言ってあがめてるくせに本当は人のことバカにしてるんでしょ」
「そうですね、聖女さまはりっぱでかわいらしいですからね。はい、おててを出してください。ではいきますよ?」
リヤンは浄化術の遣い手、掃除は大得意で部屋はいつも清潔に保たれている。先ほど雑巾についた汚れも実際には塗料じゃないだろうか。
そしてこれはリヤンだけではないのだが、離宮の皆が私に対してとる態度の最大の要因は――――
「はーい、アキナさま、キレイキレイになりましたよー。ではいい子で待っていてくださいね」
「うるさい! 子ども扱いしないで!」
私はリヤンに一発喰らわせようと、手を振り上げながら椅子から飛び降りた。しかしその手が、はるか上方にある彼女の顔に届くはずもなくむなしく空を切る。
「おー怖い怖い。今日のおやつはなんでしょうね。お楽しみにー」
「うるさいうるさい! 甘いもんならなんでもいいわよ!」
走り去っていく彼女の背中を見ながら私は思わず地団駄を踏んでいた。まったくこんな振る舞い、繁華街を我が物顔で歩いていたJK時代には考えられない醜態だ。
そもそもこんな見知らぬところへ突然飛ばされてきたこと自体がまったくもって不可解なのは間違いない。
しかし私はそんなことよりも就学前の幼児になっていたことに一番納得がいかなかった。
◇◇◇
約半年前、私はいつものように学校を自主早退したあと仲間と一緒に池袋をぶらついていた。仲間と言っても同級生ではなくぶらぶらしているうちになんとなく知り合っていた子たちで遊び仲間と言ったところか。
高校へ進学してから間もなく、パパが病気で亡くなり私の生活はすっかりおかしくなってしまった。
離婚してたママのとこにはすでに新しい旦那さんがいて一緒に暮らすなんてとてもできない。結局、隣に住む叔父さんが後見人となり今までの家に住んでいた。
こうして実質一人暮らしになってしまうと生活は当然乱れ、いつの間にか夜型の生活になる。しかも根がマジメなので、さぼりや早退、夜遊びにもマジメに取り組んでしまうのだ。
そんな夜、思い返せばくだらない、たまり場の取り合いが始まりだった。いわゆる非行グループ同士のケンカなんてよくある話、けがするほど本気じゃなくゲーム感覚でちょっかいを出しあっている。
「なによアンタたち! ここはウチらが使ってるんだからほか行きなさいよ!」
「うっせえブッス! どこでなにしようがオレらの自由だ! 気に入らないならオマエらがほかにいけばいいだろ」
「コイツら生意気だな。やっちまうか! アキナ下がってろよ?」
「二度と逆らえないようワカらせてやって。ウチのことブスとか許せないんですけど?」
そんなゲームエスカレートした結果、私は興奮した相手にナイフで刺されて死んでしまった、のだろう。JKとしてのはっきりした記憶はそこまでだった。
それがまさか目覚めてみたら別の世界に来ているなんて、最初はとても信じられずどうしていいかわからなかったことを思い出していた。