エピローグ 王と王妃と英霊たちの語らい
最終話です。
王宮の奥深く、厳かに佇む王家の墓所。
歴代の王たちの魂が安らぐその場所に、新たな王が足を踏み入れる。
午前中の戴冠の儀で即位したばかりの新王ーーレオンハルトがゆっくりと霊廟の扉を押し開くと、燭台の炎がゆらめき、歴代の王の英霊たちがその存在を察した。
『……レオンハルトか』
彼らの声が石造りの霊廟に響く。
「正式に王位を継いだ。今日はその報告に来た」
レオンハルトが凛とした声で告げると、英霊たちはどよめき、すぐに愉快そうな笑い声を上げた。
『おお、ついに王になったか!』
『それはめでたい』
『いや、それよりもだな……新王よ、王妃とは仲良くやっているのか?』
『お前、妙に余裕のある顔をしているが……さては、充実した新婚生活を送っているな?』
「……」
相変わらずの姦しさに、思わず真顔で無言になる。
『おやおや、つれないな』
『まさか、夫婦喧嘩でもしたか?』
『それとも、すでに王妃の尻に敷かれているとか?』
「くだらんことを言うな」
レオンハルトは呆れたように言いながらも、どこか穏やかな表情を浮かべた。
『まあまあ、せっかくだから惚気でも聞かせてくれ』
『ほれほれ、正直に言うがいい』
『ちゃんとエリゼを大事にしておるのか?』
レオンハルトは軽くため息をつくと、微かに笑みを浮かべた。
「……言われずとも、エリゼのことは大切にしている。それに――」
彼はゆっくりと目を閉じ、一瞬の沈黙の後、堂々と宣言する。
「俺はエリゼを、心から愛している」
墓所に、静寂が落ちる。
そして――
『お、おい……』
『こやつ、本当に惚気おった……!』
『しかも堂々と!!』
英霊たちがどよめき、呆れとも感心ともつかない声を上げる。
だが、レオンハルトの惚気は止まらない。
「エリゼは冷静で聡明で、どんなときも取り乱さないが、意外と負けず嫌いなところが可愛い。俺が少しでもからかえば、冷静なフリをしながらすぐにムキになる。だが、そういうところも全部愛おしい」
『お、おお……?』
「それにな、彼女は仕事に対して誰よりも誇りを持ち、全身全霊をかけて務めを果たす。それがまたたまらなく美しい。墓守であることに誇りを持ちながら、王太子妃としての責務も完璧にこなしてきた。この国の王妃として俺の横に並ぶのは彼女以外に考えられん」
『ほう……?』
「それだけじゃない。エリゼは一見すると冷たい印象を持たれがちだが、本当はとても優しいんだ。俺が忙しくて食事を忘れていると、さりげなく好物を差し入れてくるし、疲れているときは何も言わずにそばにいてくれる。ああいう気遣いが、たまらなく心に染みるんだ」
『……おおい……』
「それに、エリゼは不器用なくせに妙なところで頑固だからな。たとえば――」
『もういい!!』
ついに英霊たちが耐えきれずに声を揃えた。
『こやつ、惚気が止まらんぞ』
『どこまで続けるつもりだ!』
『いや、これはもはや惚気というより信仰では……?』
「俺はただ、事実を述べただけだ。俺の妻は世界で最も素晴らしい女性だからな」
『はぁぁぁ……』
『だがまあ、悪くない』
『うむ、惚気すぎだが、むしろ清々しい』
『王妃をこれほどまでに愛しているのなら、国も安泰だな』
『さすがは新王、惚気のスケールも違う』
レオンハルトはため息交じりに肩をすくめる。
「好きな女を愛していると言って何が悪い」
『開き直ったぞ、こやつ』
『これは筋金入りの惚気王かもしれん』
『まあ、王妃にかかれば王も手のひらで転がされる運命だろうがな』
英霊たちは本当に口が減らない。レオンハルトは口を開きかけたが、英霊たちの勢いに言葉に詰まる。
「……言っておくが、俺はエリゼの手のひらの上で転がされているわけじゃないぞ」
『おや?』
『そうか?』
『それはつまり、お前の意思で自ら転がっているということか?』
「……」
まるで、言えば言うほど墓穴を掘る未来が見えているかのようだった。
レオンハルトは何かを言いかけたが、英霊たちがニヤニヤしている気配を感じて、もうどうでもよくなった。
「もういい。報告は済んだし、俺は戻る」
踵を返し、出口へ向かう。その背を見送りながら、英霊たちはまだ楽しげに囁き合っていた。
『新王は良き夫だな』
『やや惚気すぎではあるが、むしろそこがいい』
『王妃は苦労しそうだ』
『いや、あれでいて案外嬉しいのではないか?』
『確かに、王妃の反応も見てみたいものだ』
レオンハルトは霊廟の扉に手をかける前に、ふと足を止めた。
「……エリゼをからかうのは、ほどほどにしておけよ」
『おやおや、心配性なことだ』
『愛されているな、王妃殿は』
「……」
レオンハルトはそれ以上は何も言わず、扉を押し開けた。
静かに閉じる扉の音が響くと、霊廟の中はしばしの沈黙に包まれる。
そして――
『……で、エリゼ、お前はどう思う?』
『王の惚気、たっぷりと聞いていたことだろう?』
――カタン。
奥から、小さな音が響いた。
暗がりから、静かに歩み出る新たな王妃――エリゼだ。
「……」
表情を変えぬまま、エリゼは静かに立っていた。だが、その耳が、ほのかに赤い。
英霊たちはここぞとばかりに盛り上がる。
『おお、耳が赤いぞ!』
『ほうほう、これは珍しい』
『無表情を装っているが、バレバレだな』
『どうする?レオンハルトを呼び戻して、もっと惚気を聞かせてもらうか?』
エリゼは静かに、手元の包みを持ち上げた。
「……今日のお供えは無しでいいですね」
『ひぃぃっ!!』
『待て待て待て!!』
『それは何だ、その包みは……!』
「王都で人気の焼き菓子です」
エリゼが淡々と答える。
「とても美味しくて、私も気に入っているお菓子です」
『おお、あれか!!』
『確かに、あれは絶品!!』
『サクッとした生地に、ほんのり甘い香り……!』
エリゼは英霊たちの反応を見ながら、包みを持ち直す。
「レオンハルトが、以前私にくれたものと同じですね」
『ほう……?』
『ということは、王妃にとっても特別なお菓子?』
「……」
エリゼは何も言わず、わずかに目を伏せる。
『おやおや、今度は王妃が惚気る番か?』
『これは素晴らしい。今日の墓所は惚気日和だな』
「……では、これは持ち帰りますね」
エリゼが踵を返し、焼き菓子を包み直す。
『ま、待て!!』
『それは殺生な!!』
『我らの数少ない楽しみを奪わないでくれ!!』
「……どうしましょうか」
英霊たちは騒ぎ、懇願する。
『頼む!!』
『お供えを!!』
『この通り!!』
エリゼは一瞬だけ考えるふりをし、ふっと微笑んだ。
「……仕方ありませんね」
包みを置くと、英霊たちは一斉に歓声を上げた。
『おおお!!』
『王妃は慈悲深い!!』
『まったく、冷静な墓守王妃のくせに、こういう時だけ意地が悪い』
『だが、それもまた良い』
『王と王妃が仲睦まじくある限り、この国の未来は安泰だな』
英霊たちは満足そうに微笑み、墓所に再び静寂が戻る。
エリゼは焼き菓子を供えながら、そっと呟く。
「……レオンハルトの惚気を聞かせるために、わざと話を振ったんですね」
『さて、何のことやら』
『我らはただ、王妃の反応を見たかっただけだ』
「……もう」
エリゼは小さくため息をつきながらも、どこか楽しげだった。
英霊たちは満足そうに微笑み、いつものように墓所の静寂の中へと溶け込んでいく。
冷静墓守王妃と、王妃を溺愛する王と、彼らを支える英霊たちーー王家の墓所は、今日もまた暖かさに包まれていた。
最終話までお読みいただき、ありがとうございました。
英霊たちとの掛け合いを書くのが楽しかったです。
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