砂漠の夜①
砂漠の夜は冷える。
ランジェルド東域の街、エクレルはアーヴァイン子爵領にある。小さいながらリンドールとの交易が盛んで、そこを任されているジェイドがどれだけ優秀なのかソアラは改めて理解した。
その彼の屋敷でソアラは毛布を体に巻いて、夜を彩る銀色の星の海を見上げて溜息を吐いた。
実はこの美丈夫からの求婚は彼が学園に在籍中からたびたびあった。
ジェイドという男は、持っている地位と容姿でしょっちゅう学園の令嬢や社交界の令嬢、パーティで出会った令嬢から告白されていた。
だがその度に「君は本当に俺の恋人になれると思ってるの?」と真顔で告げる為、壊れたハートを踏みつけて粉砕し、二度と立ち直れなくすることで有名だった。
はた迷惑な話だ。
実際、ソアラのクラスメイトでもジェイドに憧れて「せめて心の内だけでもわかってもらえれば」と告白してコテンパンにのされていた。
(確か……生理的に無理、って言われたんだっけ……)
伯爵家のご令嬢で可愛らしい容姿をしていた。
それを。
(あの男は血も涙もないと思うんだけど……)
ひょうひょうとして。愛想笑いの仮面をつけて。他人を同じ人間だと思っていなさそうなジェイドだが、何故か……本当に何故かソアラへの態度だけは違った。
というか……向こうから近寄ってきてあれこれちょっかいを出したり余計な世話を焼いて帰ったりするのだ。
最初はあの超絶ボンクラな王太子の婚約者で、二人揃って国を亡ぼすのではないか、はたまた傀儡として扱いやすい人物なのかと探りを入れる為にソアラに近づいたのだと思う。
妙によそよそしく、値踏みするような視線でソアラを見ていたし。
そんな不躾な態度をとる相手に、ソアラだって愛想よくするわけがない。
こちらも笑顔の仮面を貼りつけ、最低限の礼儀を保った付き合いしかしなかった。
そんな態度が、ジェイドの興味をひいてしまったようである。
(ある時を境に、あの男は急にべたべたするようになってきて……)
──わたくしは王太子妃となる人間ですので、他の殿方と楽しく会話するわけにはいきませんの。
学園の休日。
あちこちの部屋で客人を招いてお茶会が催されるのだが、王子主催のそれで、じろじろとこちらをみるジェイドにいい加減頭にきて吐いたセリフだ。
それのどこが彼の琴線に引っかかったのかは、正直わからない。
(恐らく、馬鹿な女ではないと判断されたのでしょうね)
見目麗しい男性に媚びる女ではないと思われたのだろう。
途端、彼の態度は百八十度変わった。
何かにつけては親し気に声をかけてくるようになり、実家のスターゲイト公爵領から届いた珍しい絹や髪飾りを持ってくるようになった。
サイファー王子がいい顔をしなかったので丁重にお断りしたが。
そういった贈り物や親し気な態度からずいぶんと他の令嬢たちのやっかみを買った。
もちろん全部撃退してやった。
(おかげで蔑んだ目つきとか高慢な笑い方とかばかりが上手くなったわよね……)
他の令嬢になめられないために、必然的に衣装は華美に、態度は大きく、ただ誰にも文句を言わせない成績を残した。
涙ぐましい努力だ。
それを全部無にしてやった。ざまぁみろだ。
(頭に花の咲いている王太子と、贅沢にしか興味がない成り上がり王太子妃……裏で実権を握りたい連中は好都合でしょうね)
ぼんやりと力を持つ貴族達の顔を思い浮かべていると、誰かが寝室に入ってくる気配がした。振り返れば、銀のお盆に銀の茶器を用意したジェイドが入ってくるところだった。
「夜中にレディの部屋に忍んでくるなんて、大罪ですわよ」
眉間に皺を寄せて睨み付けるも全く効かないようで、彼は堂々と部屋の中央に置かれているローテーブルにお盆を置いた。
「俺と君は結婚するんだから別に構わないだろ」
「……承諾した覚えはありませんけど」
腰に手を当てて睨み付ければ、彼は非の打ちどころがない……がゆえに、胡散臭い笑顔を全開にした。
「結婚しないと出られないって言っておいたはずだけど」
無駄にいい顔を殴りたい。
高まった内圧を下げるように溜息を吐き、ソアラは大股で彼の元に歩み寄る。
着ていたドレスは暑すぎたので、今はこの国に準じた衣装を身に纏っている。
ジェイドと同じくゆったりとしたもので、袖口と裾、大きく開いた襟首には真っ青な絹に金糸で刺繍されたものが付いていた。帯も同じ色で多分、この地を象徴しているのだろう。
やや乱暴にソファに腰を下ろせば、すかさず彼が銀製のポットから茶を注ぐ。
どうやらハーブティーのようで独特な香りがする。
「熱いから気を付けて」
「……どうも」
銀製のカップとソーサーを受け取り、ソアラはそれを一口飲んだ。ほんのりとミントのような爽やかさと甘みが口に広がり、身体の内側に心地よい温度が染みる。
「それで? たとえ結婚しないと出られないんだとしても、スターゲイト公爵令息でアーヴァイン子爵でもあるあなたが非常識な時間に誘拐した隣国の令嬢の元に来るなんてことはしないと思うのですが」
言葉の端々に棘を塗して言えば、彼は数度瞬きした後「さすが、レディ・ソアラだ」とぱちぱち拍手をした。
「嬉しくないんですけど」
半眼で告げれば、そんな表情も可愛いなぁ~とでも言いたげな視線を返され辟易する。
見つめ続けるのもしゃくで再びローテーブルに視線を落とせば、彼は蜂蜜に浸したパンを皿に乗せて、ソアラの視線の前に差し出した。
(うっ……)
今食べるのは駄目だと思う。でも……湯気が上がっていて焼き立てだと気付く。
内心葛藤を繰り返していると、ジェイドがおもむろに話し出した。
「実は魔法学園でちょっとした騒ぎが起きている、と後輩から連絡がきた」
嫌な予感しかしない。
「……それはどういう?」
「君は非業の死を遂げたらしい」
思わずむせた。
慌ててカップを置いてげほげほと咳き込んでいると、ソファの背もたれに身を預けたジェイドが遠い目をする。
「なんでもレディ・ソアラが乗った魔石車が白光に包まれ車は大破。爆音に気付いた学生たちが駆けつけた時には、運転手が『お嬢様は亡くなられました』と煤まみれで訴えていたとか」
「ぴんぴんしてるし、あなたに拉致されたことはすでにお父様に連絡済みですけど!?」
捕まった昼間には魔石通話でちゃんと実家に連絡を入れた。その際、運転手と魔石車は転移魔法でヴェルフォードの領地へと送られたと聞いている。
トンデモナイ魔力消費だが……この男はいともたやすくそれができるのだ。学園始まって以来の天才だと言われているし、世界の魔法使いギルドで『転移魔法が使える魔術師』二十人の一人としてしっかり名が刻まれている。
そんな彼が涼しい顔で自分のカップに唇を押し当てる。
「どうやら誰かが真っ赤な嘘を流してるようだ」
途端、はっとソアラは姿勢を正した。
何となくわかった気がする。