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屍を作る赤い霧


 質素な服の上に、帝国の紋章が入ったマントを羽織った男が一人、ミレーの町を歩いていた。男は水道整備の作業をしている男たちのもとに近づくと、整備の責任者と思われる体格がよい男から呼ばれる。


「おお、将軍こっちだ」


「おう! 精がでるな」


「精がでるなじゃねぇよ。地下に敷いた水路がダメらしい、まいったな。掘り返えさねぇと」


「しょうがないな、やるしかないだろう。本来なら魔法で水路を保護するところなんだが、俺らの中に生活魔法を使える者がいなくてな。まあ、力仕事だったらうちの若いもん連れてくるよ。暇してるからちょうどいい」


「いいのか? 悪いな、将軍」


「俺たちも水を使わせてもらっているんだ、迷惑かけてるのはこっちだ。気にするな」


 そう言うと帝国騎士団長サーデスは、早速駐屯している宿舎に足を向けた。


 リリア聖国北東部サルル地方の二つの町、ミレーとサルガノは国境から侵攻してきた帝国軍にもう長い間占領されていた。ところが帝国に占領されたこの二つの町であるが、同じく占領されているパノティアとは異なった様相を呈していた。帝国国境に近い、小さな村や小規模の町で発生した黒い霧がこの二つの町では一度も発生しておらず、しかも戦地だというのに一人も死傷者を出していなかったのだ。その理由は二つの町を占領しているサーデス将軍の指揮によるところが大きいと言えた。

 彼は代々栄誉ある大貴族出身で、ベルンやカーディスのやり方に真っ向から反対していた一人である。サーデスはいち早くカーディスを危険視していて、かつての部下であったパノティアにいるギルティスの精神操作の魔法を、彼は部下と共に徹底して受けないよう巧みに動いていた。この辺境の地に自ら進んで行ったのもカーディスの影響を受けないためであったのだ。それでも彼の部下であった半分以上の騎士たちは闇騎士としてカーディスに帰順している。今、サーデスのもとに付き従っているのは変わらず彼に忠誠を誓っている真の精鋭たちだった。そのことからこの地の任務でカーディスの息がかかった闇魔法師たちといえば、パノティアから送られてきたロイドとジースの二人だけだった。


「将軍! 大変だ!」


 彼が野外に建てた宿舎に足を踏み入れた瞬間、ロイドとジースの二人が血相を変えて報告してきた。


「どうした? うるさいぞ」


「何を言っている、大変だ! ベルン閣下が負けた! 聖国、ローラシア軍が勝利した!」


「…………そうか、それでベルンは死んだのか?」


「ああ、あの精鋭部隊が閣下を含めて全滅したということだ」


「誰が倒したのだ?」


「それは噂になっている女神だろう、信じられない!」


「そうか、ならばロイド、ジース。お前たちはギルティスのもとへ戻れ、これは緊急事態だ」


「いいのか? 俺たちもこんなしけた町にいつまでもいたくないのだが、将軍はどうする?」


「勝手に引き上げるわけにはいくまい。私はここで女神を迎え撃つ。ギルティスにもそう伝えてくれ。おまえたちはここで燻っているより、忠誠を誓ったギルティスを助けに行った方がいいだろう?」


「できればそうしたい、ならばここはまかせていいか?」


「ここは私がいれば十分だ、一大事だろ、はやくギルティスに伝えに行け」


「わかった、女神はおそらくウルティマを目指してくるだろう。必ず死守してくれ」


「私を誰だと思っている、おまえたちも抜かるなよ」


 サーデスの言葉に二人は頷くとすぐさま荷造りをはじめるのだった。彼らが急いで宿舎を出ていったのと入れ替わるように、副団長マルスがサーデスのもとに近づいてきた。


「サーデス様」


「聞いていたかマルス」


「はい」


「やっと二人を追い出すことが出来た、これは好機だぞマルス。これよりかねてから考えていたバルトス王子との和睦を進める。だが内密にだ、帝国には化け物がいるからな、目を付けられては我々もお終いだ」


「はい、サーデス様、皆故郷を捨てる覚悟はできています」


「何を言っている、マルス。捨てるのではない、取り返すのだ。女神を味方につける。ベルンを打ち破れる者だ、本物だろう」


「はい、やっと動くことができます」


 その言葉にサーデスは力強く頷いた。


「バルトス王子か女神からの返事が来るまではもうしばらくここで待機だ。マルス、サルガノにいる者たちにも連絡を頼む」


「了解しました」


 そう返事をするとマルスは連絡兵に伝えるため走っていった。


「皆、今まで耐え忍んだんだ、やっと動ける」


 サーデスの呟きに、周りにいた部下たちの目が輝いたように見えた。


 

 同時刻、ミレーの町から少し離れたところにある高台に怪しげな黒い靄が渦巻いていた。その靄は次第に人型になり、その黒いものからスーッと二つの赤い目が浮き出てきた。


―――クックック、サーデスも潮時だな。町民と騎士たち、数も十分だろう。ふふ、実験にちょうどいい。死せる屍になって再び聖国を恐怖の渦に落とす。カーディス様の創造される魔法にはまったく頭が下がる。黒い霧をこんな形で昇華させるとは天才ですね。クックック


 そう言うとエルゼンは黒い手からどす黒い書物を出現させた。そして彼の赤い目は穏やかに時間が流れている町を見据えるとなにやら前に向かって魔法を念じた……


「将軍! かあちゃんがこれ渡せって」


「ん?」


 サーデスは壊れた地下水路を部下たちが掘り返しているところを見ていると、子供たちが彼のもとに走ってきた。子供たちが持ってきたのは水分を取るのに適した果物であった。


「おお、悪いな、ありがたく貰っておくよ。母さんにお礼を言っておいておくれ」


「うん、わかった」


 サーデスはよしよしと子供の頭を撫でる。子供が走って帰っていく姿を見送った後、暑い中、土を掘り返している部下たちを見て言う。


「お前たち、少し休憩しようか」


「「はい」」


 サーデスと部下たちは休憩用に置かれた丸太に座って涼を取った。すると後ろから声が掛かる。


「将軍、悪いね、本来なら俺たちがやらなければいけないのに」


 町の男たちが休憩している騎士達に近づいて労をねぎらっている。


「なにいいことよ、こちらこそ色々世話になって申し訳ない。まだしばらくは厄介になるだろうからよろしく頼む」


「はは、変わったお人だな」


「よく言われるよ、まてなんだ?」


 そう言ったところで急に空の色が変化した。青い空が薄い赤色に変化している。いち早く異常を察したサーデスが空を見上げていると、騎士達も皆つられて上を向いた。するとサラサラと霧のようなものが頬にあたる。次第にそれは、はっきりと赤く色づき始め、血が滲んだように染まって風景を一変させた。


「なんだ!」


「これは!」


 サーデスはそれを見て何かの魔法が行使されたことを直感した。しかもどうみてもいい魔法ではない、彼はすぐに大声を発する。


「みんな! 家に入れ! 隠れるんだ!」


 サーデスは危険を察知してすぐに町の人たちに家に戻るように警告した。


「サーデス様、これは!」


「マルス、すぐに騎士達を集合させろ! これは闇魔法だ。カーディスに目を付けられた!」


「そんな! くそ!」


 そうこうしているうちに赤い空がゆっくりと下に落ちてきた。いや、赤く染まった空気がゆっくりと下に落ちてきたのだ。それが地面に到達すると、全てが赤く染まって辺りを見通すことができないくらいになった。そしてその赤い空気は町全体を侵食していき視界が完全に赤く染まると、家々から悲鳴が聞こえてきた。至る所から苦しみ悶える声が聞こえてくる。黒い霧と同じように家に隠れても空気を伝って攻撃してくるため、逃げる場所などなかったのだ。


 宿舎にいた騎士達も異常を察してすぐに将軍のもとへ集まってきた。


「魔法師! 防御を張れ!」


 サーデスの指示のもと、彼の考えに賛同していた数少ない魔法師達がすぐさま一般魔法を張るが、とてもではないが町全体に張ることはできない。その間にも苦しそうに悶えながら町民たちが血まみれになって外へ助けを求めている。穏やかだった街並みは一瞬で地獄へと変貌していった。


(恐るべき殺戮魔法…………町民も無差別に…………なんという奴だ。カーディス!)


「サーデス様、もうだめです…………」


 集まったものの、騎士達もどうすることもできず、バタバタと血を流して倒れていく…………


 サーデスは突っ立ったまま空を見上げた。先ほどよりも辺りは赤く染まって視界が悪い。しかも体も熱い、内側から燃えるような感覚だ。沸騰したかのような血液が体に収まることができず外へ噴き出していく。それでも彼はあきらめず一人立ったまま見通せない空に向かって叫んだ。


「め、女神よ。聖国の女神よ!! わ、私の命を差し出そう、騎士達の命も差し出す。頼む! 町民の命だけは助けてくれ!」


 サーデスは女神信仰者ではない、そもそも国が違う、しかし、彼は無駄だとわかっていても最後は祈るしかなかった。女神信仰が根付いている民たちだけは助けてくれるとそうしてくれるべきだと、サーデスは全身から血を流しながら顔を上げて訴えたのだ。しかし彼が見上げる空は赤く染まっていて空気すら重く感じる。見上げて祈る綺麗な空はどこにもなかった。それでもサーデスは倒れては終わりだと思い、全身に力を入れて今も一人立っている。彼は死ぬ瞬間まで決して倒れないと自分に言い聞かせた。

 すると、そんな彼の顔にどこからかポタリと水滴が落ちた。


「?」


そしてポタリポタリとその落ちる水滴は次第に多くなり、ザーッと大雨を降らす、ところがそれは雨ではなかった。サーデスは両手を広げて確認するが、体は一切濡れてはいなかったのだ。それに空から落ちてくるそれは不思議とすべて金色に光っている。その金の光は漂っていた怪しげな赤い霧を突き抜けて雨のように落ちてきていた。サーデスの目にはその光は赤い霧を払い、人々の体に向かって降り注いでいるように見えた。


「…………これは癒しの魔力…………どこから…………」


 一方、高台でこの様子を見ていたエルゼンはミレーの町を見て信じられない顔をしていた。


―――どういうことだ! こんなことが、こんな町を…………


 エルゼンは一人怒りを露わにしている。


―――どうなっている? 女神は聖都にいるはず、なにかの魔法なのか…………!!


 次の瞬間、エルゼンは危険を察知して辺りを見渡した。


―――まずい! わたしを追跡していたか!


 そう言うと彼はグルグルと靄に変化して逃げるようにその場から消え失せていった。そしてしばらくすると先ほどまでエルゼンがいたところが突如、空間の歪みが発生する。その歪みから抜き放った剣を持った一人の騎士がゆっくりと姿を現した。


―――逃がしたか…………


 そう呟いた者は、薄い赤い髪に濃い赤い目、軽装な鎧に身を包み、髪が短いせいか、一瞬男性のように見えるがよく見ると胸に膨らみがあり、顔は驚くほど美形で、戦士風な装いをしていなければ絶世の美女に変貌するであろう者だった。

 女神ルキアは美しい顔を歪ませ、鞘から抜いていた剣を握りしめた。ルキアが持つ剣からはゆらゆらと煙のような魔力が放出されている。不思議なことにその立ち昇った煙は空間を歪ませていた。ルキア専用武器アスカロンは、無属性であらゆるものを斬り裂くといわれている。

 すると、さらに背後からルキアに声を掛ける者が現れた。


―――逃げられてしまいましたか?


―――ああ、逃げ足だけは早い奴だ


 ルキアの背後からもう一人の女神が現れた。彼女は逃がしたことにも動じることなく穏やかな表情をみせている。

 金の髪に金の目をした女神イシュタルが姿を現すと、その放たれるオーラに周りの草木が金色に輝いた。彼女が歩くたびにまわりが金色に輝き、赤い花や白い花、緑の植物、転がっている石までもが金色へと変化している。ミレーの町に降り注いだ金色の魔力はイシュタルが成した業であったのだ。


―――しかたありません、ただ彼もこれで聖国では活動できないことがわかったでしょう


 ルキアはアスカロンを鞘に納めるとイシュタルに言った。


―――そうだな、アルテミス様が北方に向かえば領域をさらに広げることができるだろう


―――そうですね


 そう返事をしたところでふたりは光の粒子となって消えていった。

 アルテミスが正式にリリア聖国に立ったことにより、聖国は全て女神たちの監視下に入った。アルテミスはイシュタルに指示し、聖国内でのカーディスの悪行はすべて打ち払えと指示していたのだ。当然、これだけの領域を監視できるのは管理者であるアルテミスがこの地にいるからである。


「みんな! 無事か!」


 サーデスは騎士や町民に大声を発して生存を確認した。


「いったい何が…………」


 副長マルスが放心している。体の内側から吐き出るような血の流れに一時は死を覚悟したはずなのだが、しばらくすると何事もなかったかのように体の異常は消えていた。


「マルス、私たちはたしかにカーディスの闇魔法に攻撃された。それがどういうことかわからんが、これによって助けられたんだ」


 そう言ってサーデスは掌でそれを受け止めた。金色に輝いているものは今も町全体に雨のように降り注いでいる。この不思議な魔力はすべての人や動物を死の淵から救い出していた。


「これは…………」


「マルス」


「はい」


「これは聖国の女神の力だ。カーディスはおそらく我が隊を狙ったと思われる。しかしそれを女神が打ち消したのだ。ここ聖国はもう完全に女神が管理していることがわかった」


「そのようなことが…………」


「私たちがここにいれば町の住民は今のように巻き添えになってしまう。もう帝国はだめだ。陛下の行動もおかしい。わたしは決心した、女神のもとへいく。帝国をカーディスから解放できるのは女神だけだ。マルス、この部隊はここで解散とする。おまえたちには無理強いはしない」


「なにをサーデス様! 私もついていきます」


「「サーデス将軍! わたしたちもいきます」」


 サーデスは皆の反応に目を閉じて感謝した。


「そうか、ならばよろしく頼む。もうわたしは将軍ではないがな」


 そう言いながらサーデスは帝国の紋章が入ったマントを脱ぎ棄てた。






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